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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  名水と霊泉  

黒瀧大神 - つがるみち441




 岩木山麓には多くの温泉がありますが、湯段温泉もそのひとつです。
 湯段は嶽温泉から1kmほど離れた所で、周辺には農村公園やゴルフ場などもあり、別荘が立ち並ぶ閑静な場所です。
 温泉の由来は古く、「享保9年(1724年)、賀田村(旧岩木町)の柴田長兵衛が発見した。柴田長兵衛に温泉の小屋主を命じられた。嶽温泉とともに、湯治場として知られた。」とあります。因みに温泉を発見した柴田氏は、戦国時代の猛将・柴田勝家の血を引く一族なのだとか。。



 温泉の裏側に深い渓谷があって、黒滝渓流が流れています。
 うっそうとした森林の中を、流れる渓流の様子はとても美しく、特に新緑や紅葉の時期は一見の価値があるといわれていて、隠れた観光スポットにもなっています。
 渓流の段差は二段、三段と滝をつくり、谷の上からも小滝が流れ込んでいます。下まで降りて見ることもできそうですが、今の時期はとても足場が悪く、滑り落ちそうになるので思いとどまりました。

 湯段からくねくね曲がった林道の中を進んで行くと、赤い鳥居が見えてきます。ここから先は「中村林道」となり、一般の人は立ち入り禁止のようです。
 鳥居のそばには、「黒瀧大神」と「黒瀧國龍大神」と刻まれた二つの石碑が立っていました。対岸に向けて赤い橋が架かっていて、滝壺のそばに小さな祠があります。祠の中に大神が祀られているのでしょう。村人にとって、ここは「龍神様が棲む淵」として神聖視され、古くから崇められてきた場所なのでしょう。

◇黒滝渓流
 
  


  


  


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  名水と霊泉  

白岩森林公園の十和田様ーつがるみち247


白岩森林公園


 深浦町のJR五能線十二湖駅の近くに日本キャニオン
日本キャニオン
と呼ばれる景勝地があります。
 その名の通り、グランドキャニオンを思わせる大断崖で、周囲の緑の中に崩壊浸食された白い凝灰岩の岩肌が露出している名所ですが、青池で有名な十二湖に近いということもあり、多くの観光客が訪れる所です。
 この日本キャニオンと規模は違いますが、平川市にも、同じように白い岩肌がむき出しになっている景勝地・白岩森林公園があります。


 白岩森林公園は、以前に訪れた尾崎八幡宮のある尾崎(おさき)集落から、山の方へと進んだ所にありますが、道中は、両側にりんご畑が広がるのどかな景色が続いています。私が訪ねたときは昨年の夏でしたので、辺りの緑がとても鮮やかでした。

 途中の山裾に小さな祠を見つけました。車で走っていると、時々、このような忘れ去られたような祠がポツンと立っているのを見かけます。長く伸びた草をかき分けながら近寄って見ると、「保食宮」とありました。
 中には、馬の像が何体か奉納されていました。「保食神」は五穀豊穣の神(食物神)ですが、神話には、その「頭から馬が生まれた」とあることから、馬頭観音と同一神とされることも多いようです。

 だんだん道幅が狭くなり、樹木が目立つようになりますが、ここが公園の入口です。大きな岩の下に、ひとつの石碑
中島熊吉顕彰碑
が立っていました。
【故中島熊吉翁ハ 温厚篤実 信仰心ニ富ミ 明治七年ヨリ 丗有年間無報酬ニテ山守長トシテ誠意奉仕シ 今日ノ山間安楽郷ヲ築キタリ・・・】 ー どうやら中島熊吉という人物の顕彰碑のようです。
 この碑にも書かれているように、中島熊吉は、明治7年(1874)より30有余年、この山の山守長を務め、美しい景観を後世に残した「地域の偉人」として尊敬されてきた人物だったようです。この顕彰碑の向かい側にも大きな岩があり、そこには中島熊吉と思われる人物の石像がありました。穏やかで、慈愛に満ちた眼差しの像です。

◇保食宮・中島熊吉顕彰碑

 
 
保食宮①
保食宮②
中島熊吉碑
中島熊吉像①
中島熊吉像②


白岩森林公園案内板


 入口から少し進んだ所に、ひとつの鳥居が立っています。扁額には「山神様」とあり、そばには「大山祇神」と書かれていました。ここは山神神社のようです。祠は鳥居をくぐった少し高い所にありましたが、そばには「山神様」と刻まれた大きな石碑もありました。長い間にわたって、この山(公園)の守り神として崇敬されてきたのでしょう。

 白岩森林公園は、
【アカマツ・ブナ・カエデなど約131ヘクタールにも及ぶ広大な自然公園を有し、点在する凝灰岩の美しさで知られる白岩森林公園。その岩肌は雪と見まちがうほどの白さで、四季折々の木々や山々と織りなす色彩のコントラストは見事なものです。公園内には、キャンプ場、森の家(休憩場)、遊歩道、展望所等があります。また、毎年5月下旬には白岩まつりが開催され、多くの観光客で賑わいをみせています。※平川市HP他より】と紹介されているように、自然観察や森林浴が楽しめる行楽地となっています。
 むき出しの「白岩」を中心にして広いハイキングコースとなっていますが、私が訪れたときは、付近の崖崩れなどのために通行禁止になっている所もありました。
 圧巻は、何といっても屏風のように広がる白い断崖。スキーゲレンデのようです。

◇山神様と白岩

 
山神神社①
山神神社②
白岩①
白岩②
白岩③



薬師のシツコ

十和田神社

十和田のシツコ


 岩壁は凝灰岩でできているわけですが、凝灰岩層は、
【他の岩石の層に比べて軟弱で、また充分に固結していない凝灰岩層は地下水を含みやすく、地下水の通り道となって流動的になりやすい。・・・凝灰岩は河川などの侵食に弱いため、さまざまな形に侵食され風光明媚な地形を作る。※wikipediaより】といわれています。
「地下水を含みやすく、地下水の通り道となる」とあるように、この公園一帯には、清水が湧き出ている所が何カ所かあり、それらは総称して「白岩湧水群」と呼ばれています。
 湧水にはそれぞれ、「けやきのシッコ」「薬師のシッコ」「あじさいのシッコ」「たものシッコ」などと、親しみを込めた名前がつけられていますが、「シッコ(シツコ)」とは「清水」のことです。場所がわからず、全部は回ってみれませんでしたが、時期によっては、枯れている所もあるようです。
 それらの「シツコ」の中でも、「十和田のシッコ」は特別なようで、ここには鳥居が立っており、十和田神社の祠もあり、水量豊かな清水が湧き出ていました。
ー 北東北の水神「十和田様」は、この地でも崇敬を集めているようです。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 深浦町   Tags: つがるみち  名水と霊泉  

トヨの水「深浦神明宮」-つがるみち172

 風光明媚な海岸線が続く深浦町ですが、その歴史は古く、縄文時代の遺跡が数多く発見されているなど、数千年の昔から、ここには優れた文化を持った人々が住んでいたところです。
【深浦発祥の歴史は定かではありませんが、深浦が記録上に現われたのは、今からおよそ1,300年の昔、斉明天皇四年のことで、日本書記には阿部比羅夫将軍が蝦夷討征をして帰順した蝦夷たちを有馬の浜(吾妻の浜)に招いて大響宴を催したと記されています。 ※深浦町HPより
 以後、十三の安東氏の繁栄の拠点であったことから「安東浦」とも呼ばれ、北前船の全盛時代には「風待ちの湊」として栄えてきた分けです。

 一方、自然に恵まれたこの地は、関の亀杉北金ヶ沢の大銀杏などの巨木・名木も多いことでも知られていますが、銀杏をはじめ、たくさんの古木が密集している所は全国的にも珍しいといわれています。
 - そんな深浦町の人々の古くからの信仰を集めてきた社が神明宮で、ここに名水「トヨの水」があります。

神明宮一の鳥居


 道路沿いにある社号標にしたがって少し歩いて行くと、間もなく茅葺屋根の水屋と大きな一の鳥居が見えてきます。この鳥居、石の四角の柱を組み合わせて造られており、あまり見かけない珍しいものです。
 境内は、鳥居から延びた石段を登った高台にありました。石段の上からは深浦の海が見えます。横に広い大きな拝殿の前や後ろには龍神宮などの末社
龍神宮などの末社
が建っていました。いずれも年代を感じさせる古い祠です。

 この神明宮は、【寛永11年 (1634) 津軽2代藩主・信枚が海上航行の安全と国中安泰祈願のため、吾妻館に勧請。元禄11年 (1698) 4代藩主・信政が、吾妻館の宮遠きに付き、中沢鎮座熊野宮に遷座神明宮となり、熊野宮も合祀。しかし、西海岸の豪族であった木庭袋伊豫守頼清が吾妻館を築いた時、木庭袋氏の内神である御伊勢堂を祀り建立 (神明宮) とあるから、1500年代から吾妻館の館神として祠はあったものと推察される。社家となっての初代木庭袋若宮大夫平信貞、「慶長18年 (1613) 中沢熊野宮社司となる」とあるので、寛永11年は2代木庭袋時大夫の時代に津軽藩主信枚が再建のような形で勧請し、4代信政の時代に現在地に遷宮熊野宮も合祀したものと思われる。この拝殿が明治6年に深浦小学校として使われたそうである。※青森県神社庁HPより
 - 「小学校として使われた」そうですが、確かに大きな拝殿です。

 『深浦町史』他によると、木庭袋伊豫守頼清は、「文亀2年頃(1502~1520)に深浦に入り、東妻城を築き、後に南郡平賀の大光寺城主となったが、天文2年(1533)南部高信に攻められ、壮烈な戦死を遂げた。」とされている実在の人物です。その後、木庭袋家は、永禄、元亀、天正年間と戦国の動乱に巻きこまれ、居城(吾妻館、深浦城)は落城。以後、没落し、社家となった。」といわれています。

 境内の一角に「花塚」という石碑がありました。説明書きによると、【安政2年2月に建立されたこの石碑は、表面に「花塚」と刻まれていることから「花塚」と呼ばれています。・・・裏面には文化年中に活躍した浦谷源助の「花塚やきのふの露に蝶ふたつ」の発句と、山崎元雄の和歌「いけ花にこころをこめし□(不明)のらばいく世たむへき神の社に」が刻まれています。】とありました。文化から安政にかけて活躍した深浦の文芸人たちの足跡を残している貴重な石碑のようです。

◇神明宮境内

 
境内から
拝殿
本殿
花塚
手水舎



トヨの水①


 さて、「トヨの水」は、古くから崇められ、愛されてきた霊泉ですが、地元の人々は親しみをこめて「しんめいさまのとよのみつこ」と呼んでいるとのことです(しんめいさま=神明宮、みつこ=清水)。
 境内の手水舎(この手水舎にも満々と水があふれていました)の隣にこんな説明板が立っています。
【このトヨの水は藩政時代から禊、水垢離、茶道の清水に使われ、また往時日本海を往来した北前船にも積み込まれた貴重な飲み水でした。今もなお茶を嗜む多くの人々に愛用されています。】 
 付近に高い山もないのに、いったいどこから湧き出しているものなのか不思議です。

「トヨ」は「豊」なのでしょうか。尽きることのない「豊かな水」は、「豊かな生活」をももたらしたのでしょう。深浦の海を望む高台にあるこの神明宮は、人々の憩いの場であるとともに、「聖地」でもあったのでしょう。

◇トヨの水

 
トヨの水②
トヨの水③
トヨの水④
トヨの水⑤
トヨの水⑥


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  名水と霊泉  

修験の森2「堂ヶ平桂清水」-つがるみち168

 尾開山と堂ヶ平山を結ぶ東北自然歩道「名水と忍者修験道のみち」・・・尾開山の御茶ノ水からいったん山を下りて、大沢という集落から堂ヶ平山桂清水へと向かいました。
 堂ヶ平山(どうがたいさん:496m)については、次のような話が伝えられています。
【本県にスキーが入って間もない1919(大正8)年。スキーで弘前市大沢から堂ケ平山を越え、大鰐町折紙地区に抜けたパーティーがあった。リーダーは、本県でのスキー普及に尽力した油川貞策大尉だった。おそらく、本県における山岳スキーツアーの第1号とみられる。同年1月28日付の東奥日報はそのときの模様を次のように伝えている。「歩兵第五十二連隊は油川大尉の指導で将校五人が一週間スキー術を練習。熟達したため一月二十五日、弘前中学教諭一人を含む七人で山越えを計画した。午前七時、連隊に集合。堂ケ平山山頂までは雑木の密林で苦労。また下りは急斜面のため斜滑降で慎重に滑り午後十一時半、折紙地区に着いた」※Web東奥「あおもり110山」より
 今はスキー目的で入山する人はなく、山菜やキノコ採り、そして、名水「桂清水」を求めてやってくる人々などで賑わう山です。

 この堂ヶ平山一帯も、中世から江戸時代にかけて、山伏たちの「修験の森」であったところで、山麓にはかつて修験の寺などもあったそうですが、現在でも山中に鳥居やお堂、祠などが点在し、かつての面影を残しています。
 案内板
案内板
では、「堂ヶ平神社」となっていますが、それは、これらのお堂や祠を総称したものと思われます。一帯全部が「境内」だといえばいいでしょうか。
 大沢の集落を過ぎると堂ヶ平の山並みが見えますが、そこからは細い林道となっており、杉林の中を進んで行くと、やがて鳥居や祠などが現れます。とても心細い山道ですが、視界が開けて目指す「桂清水」が見えたときには、ほっとしました。

◇桂清水まで

 
堂ヶ平山
林道①
林道②
山中の鳥居
山中の祠



桂清水①


 「桂清水」という同名の湧水は、津軽北斗七神社のひとつである乳井神社にもありました。乳井神社のそれは、「昔、境内にあった桂の木の根元から清水が湧き出していたことから名づけられた」ものですが、ここ堂ヶ平の桂清水は、文字通り、ほんとに桂の老木の根元から、勢いよく水が湧き出しています。
「よく水の流れが尽きない(とぎれない)ものだな・・」と感心するほどの水量です。「自然の不思議」といえばいいでしょうか。
 地域の人々は、そんな桂と湧水の姿に水の神「龍神」を見たのでしょう。桂の根元、水の出口には「龍の面」がはめ込まれていました。

ー【桂清水は1988(昭和63)年、県指定「私たちの名水」に選ばれた。これを契機に水をくみに来る人が急増、土、日曜日には、順番待ちの行列ができるほどだ。・・・地元大沢地区には昔から「おさの(大沢の)どがでの(堂ケ平の)桂水飲めば、80ばさまも若ぐなる」という歌があり、名水を誇りにしている。この歌は津軽民謡『ドダレバヂ』の節に合わせ盆踊りで歌われる。※Web東奥「あおもり110山」より】ー

◇桂清水

 
桂清水②
桂清水③
桂清水④
桂清水⑤
桂清水⑥


 さて、堂ヶ平山一帯は、鎌倉時代初期、この地方に大きな勢力を誇った熊野系修験の「福王寺跡」とされているところですが、藩政時代には「金光山市応寺」という修験の寺が置かれていたともいわれています。
「福王寺跡」は、前述の乳井神社一帯にもあったとされています(※「桂清水」という名前にも共通点があるように思います)が、だとすれば、堂ヶ平山から尾開山、大鰐阿闍羅山、そして乳井地区にかけて、延々10数kmにも及ぶ、一大修験場が形成されていたことになります。福王寺氏(乳井氏)をはじめとする当時の修験寺が強大な勢力を持っていたことがうかがわれます。

 桂清水の後ろには「龍神祠」があり、そこから少し進むと、「山ノ神」を祭る神社がありました。鳥居をくぐり、坂道を登ると、見事な桂の老木があり、そのそばに「大山祇神社」のお堂がありました。中には、2体の山ノ神。この山全体を守護しているのでしょう。ここからさらに小高い山に向かって道が延びており、いくつかのお堂が建っています。

◇山ノ神堂(大山祇神社)

 
龍神祠
山ノ神①
山ノ神②
山ノ神③
山ノ神④


                        ー 次回へ続きます。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  名水と霊泉  

修験の森1「尾開山と御茶ノ水」-つがるみち167

 弘前市と大鰐町が境を接する辺りに、尾開山と堂ヶ平山
尾開山と堂ヶ平山
という2つの山がありますが、両者を結ぶ山麓周辺は、東北自然歩道として結ばれています。
 自然歩道の名前は名水と忍者修験道のみち
名水と忍者修験道のみち
。「忍者修験道」とは、2つの山一帯は、中世から江戸時代を通じて、山伏(修験者)達の修行の場であったことに由来しています。また、「名水」は、尾開山の中腹には「御茶ノ水」、堂ヶ平山には「桂清水」という、いずれも県の「私たちの名水」に認定されている湧水があることから名づけられたものです。
 私はまず、石川地区にある「御茶ノ水」を訪ねてみることにしました。

文学の丘


 御茶ノ水へは、大仏公園(石川城址)のそばを通り、「文学の丘」という見晴らしのよい台地へと進みます。そこからは、りんご畑の中の道路を進んで行く分けですが、いつの間にかりんごの花も過ぎ、実をつけていました。しばらく行くと「尾開林道」の入口が見えますが、狭い道を通って行くと、やがて御茶ノ水へと出ます。

 ところで、この尾開山(おびらきやま:508.8m)は、「クリの山」といわれたほど、一帯からはクリがたくさん採れたそうで、「昔は、山全体がほとんどクリの木で覆われていた。今見られる杉林もリンゴ園も、みんなクリ林だった」といわれています。山頂には「種グリ」と呼ばれる幹周り4.8mというクリの巨木もあるのだとか。

 
 クリは、地元の人々の大切な収入源でもあったようで、【収穫期に強風が吹くとその夜、太鼓をたたきながら「明日は山開きだ」と地区内を触れ回り翌日午前7時、地区民が山に向かって一斉に走りクリを拾った。クリ拾いはその日の正午まで、と決まっていた。それ以降は自分の山でも入ることは許されなかった。山を守るためだった。半日だけの収穫だが、180キロを拾う者もいた。このクリを馬に引かせ、黒石、大鰐、平賀、鯵ケ沢など周辺市町村に売りに行った。「コメ1升、クリ1升」と言われたように、コメと同じ価値だった。クリをコメや魚と交換する人もいた。】という話が残っています。
 また、【当然クリは、ほかの地区から狙われた。夜陰に紛れて忍び込み拾う人もいた。このため同地区では「1人たりとも山に入れるな」と2カ所に番小屋を建てて見張りを置いたほか、シーズンになれば常時山を巡回した。運悪く見つかったクリ泥棒は、太鼓を先頭に同地区内を引き回された。】ともいわれているところをみると、ここは正に「クリの村」であったようです。※【】はWeb東奥「あおもり110山」からの抜粋

 前述したように、尾開山一帯は中世からの「修験の森」であった分けですが、江戸時代には津軽藩の戦術師範山鹿一族の修練の場だったといわれています。また、弘前城築城の際、尾開山山麓の木材が使われた、と伝えられているなど、地域の人々は、古くから、尾開山と密接にかかわってきたようです。

◇御茶ノ水まで

 
 
りんご畑
クリの木
尾開山
杉木立
御茶ノ水


明治天皇巡幸碑


 現在も、石川地区の人々の尾開山の豊かな自然を守ろうとする営みは続けられており、御茶ノ水の休憩所には、「ブナの森造成」と題して、こんな文が
ブナの森造成
掲げられていました。
 さて、この尾開山の名水「御茶ノ水」ですが、【昔は「長坂の水」と呼ばれていた。1881(明治14)年9月10日、明治天皇が東北ご巡幸の際、弘前市石川地区の斎藤七内氏の家で休憩された。そのとき、地区総出でこの水を選び、天皇にお茶を差し上げた。以来、この水は「お茶の水」と呼ばれている。】といわれています。

 
 明治天皇一行は、明治9年と同14年に青森県を巡幸されたといわれています。県内には「御膳水」や「御茶水」と名づけられた名水が数ヶ所ありますが、いづれも明治天皇が東北を巡幸した際に、お茶や料理用として使用された湧水で、ここの御茶ノ水もそのひとつだった分けです。

 林道沿いに水屋と休憩所があり、そばには明治天皇のご巡幸記念碑が建っていました。水量はとても豊富で、一口飲んでみたのですが、冷たくとてもおいしい水でした。
 私が訪れた時には、既に何人かの方が水汲みにやってきていましたが、水が入ったペットボトルが20~30本あまり、びっしりとダンボールに詰められていました。中には、「じょうご」を取り付けたホースを水の出口に置いて、ポリタンクに入れている方もいます・・・アイデアですね。

 この方たちは、ここの常連のようで、「いろいろな所の湧き水を回ったが、ここのが一番良い(おいしい)。ペットボトルに汲んでいって、コーヒーを飲むときなどに使っているが、水は2ヶ月はだいじょうぶだ。」と言っていました。

 この御茶ノ水からは、もうひとつの湧水である「堂ヶ平桂清水」
案内板
までの自然歩道が続いていますが、道の状態が悪いため、通行止めになっていたので、いったん戻って、大沢地区から堂ヶ平方面へ向かうことにしました。

◇御茶ノ水

 
御茶ノ水①
御茶ノ水②
御茶ノ水③
御茶ノ水④
御茶ノ水⑤


                         ー 次回へ続きます。

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 六月、緑鮮やかな季節になってきました。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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