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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 五所川原市   Tags: つがるみち  巨石と神石  名水と霊泉  

梵珠の名水2「中山大権現」-つがるみち165

 かつて、「梵珠千坊」と呼ばれ、修験の地であった梵珠山の麓は、山の自然が育む清水が湧き出る所でもあります。
 先回は、そんな「梵珠の名水」として、浪岡・吉野田の十和田神社(十和田霊泉)をご紹介しましたが、同じく梵珠の麓、五所川原市野里というところに、十和田霊泉と同様に、県の「私たちの名水」に認定されている湧水のある社があります。
 社の名前は中山大権現。霊泉は「恵の泉」と呼ばれています。

 この中山大権現には、国道101号線から分かれた県道を進んで行く分けですが、この道を真っ直ぐに進んだところには、「鬼っコ」が3体も掲げられている闇おかみ神社があります。闇おかみ神社を訪ねてから何ヶ月も経っている分けではありませんが、何となく懐かしい感じがしました。
 農業用の大きな「長橋ため池」の付近から曲がって、梵珠山の方へと山道を進んで行くと、赤い鳥居が立ち並ぶ境内へと出ます。とても静かな場所で、辺りには小鳥の声と泉の湧き出る音だけが響いていました。
 
 この境内の「恵の泉」は、「頭痛や眼病、皮膚病」などによく効くとされており、多くの人々が訪れるとのことですが、境内には、そんな来訪者の方々が気軽に休める「憩いの家」なども建てられていました。鳥居の先には、祠や社殿が見えます。

◇中山大権現境内

 
ため池と梵珠山
中山大権現境内①
中山大権現境内②
中山大権現境内③
中山大権現境内④



神石の鳥居


 ひとつの鳥居の先に祭られていたのは、何と大きな石。祭壇が設けられており、巨石には注連縄も張られているところをみると、これは御神体の神石なのでしょう。その由来は分かりませんが、ここにもまた巨石信仰が見られます。それにしても、ごろんとした大きな神様です。隣にある鳥居をくぐって石段を登ったところに、社殿と祠がありました。

 この社の由緒などは分かりませんでしたが、権現(ごんげん)とは、【日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。権という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示す。※Wikipediaより】・・いわゆる神仏習合で「仏が民衆を救う目的で姿をあらわした姿(神)が権現」とされていますが、多くは山岳信仰と修験道が結びついて広まったものといわれています。
 梵珠山が修験道のメッカであったことから考えると、ここ中山大権現もまた、修験者にとってひとつの聖地であったのかも知れません。修験者達は、こんこんと湧き出る「恵の泉」で身を清め、修行に励んでいたのでしょうか。

◇中山大権現

 
神石①
神石②
中山大権現社殿
中山大権現①
中山大権現②



恵の泉①


 県の名水認定の碑が立っている辺りは、きれいに整備されていて、緑に囲まれた山からは、水量豊富な水が音をたてて流れ出ていました。「恵の泉」という名前にふさわしい霊泉です。
 多くの名水や霊泉には、龍神様が祭られていて、その水の出口は龍をかたどったものがほとんどですが、ここのそれは、何と「ライオン=獅子」です。

 山伏(修験者)達は、しばしば神社の境内で神楽を行い、獅子頭を回して「護国豊穣」「病魔退散」等の祈祷を行ったとされていますが、 その祭りの時に、神霊が獅子頭に降ろされ、獅子頭はご神体が宿った「権現様」となる・・といわれています。
- この「恵の泉」の獅子もまた、獅子頭=権現様にあやかったものなのでしょうか。

 「恵の泉」は、地元はもちろん、県内外のたくさんの人々から愛されているようです。社殿の中には、岩手県の方が作った「泉」と題する讃歌が掲げられていました。
(※下の画像をご覧ください)

◇恵の泉

 
恵の泉②
恵の泉③
恵の泉④
恵の泉⑤
恵の泉讃歌


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  巨石と神石  

津軽の奥身延「法峠寺 2」-つがるみち160

 法峠寺本院の境内には、本堂をはじめ、供養堂
供養堂
と呼ばれる建物などが建っています。お堂ばかりではなく、お地蔵様などの石仏やキツネの像、鳥居などもあり、ここが様々な信仰の場であることが分かります。木々の間からは、このお寺の中心的なお堂である「題目大石堂」も見えていました。
「霊峰水」と書かれた霊水は健康長寿、家庭円満などにご利益があるそうですが、そこからは石段が上に向かって延び、その途中にひとつのお堂がありました。

 中を覗いてみると、そこに祭られていたのは「清正公大神祇」・・・戦国武将の加藤清正でした。鎧と兜を身に着けた貫録のある像です。
 「何で加藤清正が。。」と思いましたが、清正は、熱心な法華経の信者、日蓮宗の信徒であり、領内に日蓮宗の寺院を数多く創設しましたが、それは、日蓮宗の信者であった母の影響を受けたとされ、母が信仰に打ち込む姿を見て育ったといわれています。
「秀吉に仕え戦場にて生死の間にあるとき、常に頭には南無妙法蓮華経の題目をいただき、先ず口にでるのは法華経の題目であった。清正公は純情一徹で、戦場では何者もおそれず、手柄をたてれば法華経の力と信じ、ますます信仰を深めた。」
 - そんな加藤清正の姿を敬慕する信徒達が、ここにこうしてお堂を建て、祭ったのでしょう。

◇境内と加藤清正のお堂

 
題目堂①
末社
石仏など
参道
清正公大神祇



題目堂へ


 この「清正堂(※正式名は分かりません)」から、さらに上の方へと石段が延びています。両脇には「南無妙法蓮華経」と書かれた題目の幟旗。
 がんばって登りきると、そこに「題目大石堂」があり、日持上人の石像が立っていました。
 上人のそばに、由緒書きがありますが、その大意は、【日蓮大聖人の直弟子、「蓮華阿闍梨日持上人」が御染筆した宝塔題目岩、おなじく三十番神岩が奉られている。今から七百余年前、日持上人は故郷偲ばれる津軽富士を眺め、父母墓前と身延大聖人の御廟に最後のお別れを申し、海外弘教の誓願を込め一遍の御題目にその魂を留められた。】とあります。

 この宝塔題目石の存在が確かめられたのは、享保6年(1721)のことで、「黒石市・妙経寺の八世・日浄が山中に埋もれていたお題目の宝塔を日持上人の彫刻と鑑定し世にあらわれた。」とされていますが、かつて宮沢賢治もこの法峠を上り、山上の宝塔を拝んだのだとか。。

 それにしても、この題目石・・・大変な巨岩で、お堂に後ろから「ふた」をしているようでした。題目堂の中に入って見ると、むき出しの石の前に祭壇があり、その大きさがよく分かります。びっくりです。

◇題目大石堂

 
題目堂②
題目堂③
題目堂④
題目堂⑤
題目堂⑥


 実は、このお堂から先にも道が続いていました。ハーハーいいながら登りましたが、そこには「朝日拝殿」という社がありました。
 この拝殿は、「上人が毎日のように登り、御来光を排し、日蓮大聖人に回向すると同時に、ふるさとの御両親を追慕した」ところといわれています。

◇朝日拝殿

 
朝日拝殿へ
題目石
朝日拝殿①
朝日拝殿②
朝日拝殿③


 日持上人は、津軽海峡を越え、北海道へ、そして樺太の地まで出かけ布教に努めたとされていますが、樺太にも、【樺太の一漁村にヒモチ(日持と推測される。)という名の坊さんが来て、岩に文字を記して北に向かった。この岩に祈ると大漁となり、岩が動くと大嵐か不漁になると樺太住民に信じられていた。】という、「ヒモチという坊さんと題目石」の伝説が残されているようです。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  巨石と神石  

奇祭ろうそくまつり「沢田神明宮」-つがるみち156

 前回の記事の続きになりますが、旧相馬村を流れる作沢川をさかのぼると、相馬ダムに行き着きます。
 作沢川は、度々氾濫し、流域に広がる農地は洪水のため、大きな被害を受けてきましたが、このダムはその氾濫防止と、合わせて水田やりんご園への用水の供給を図るために建設されたものです。
 その水面や山間に顔を出している岩木山など、このダムから見る景色はとても美しく、観光スポットにもなっているわけですが、川岸の山には、木々の間から大きな岩が屏風のように並んでいるのが見えます。

 その姿形から「屏風岩」と呼ばれているこの岩壁は、【高さ約100mの岩壁が、幅600mにわたり佇立するとともに、学術的に価値の高い植物系が生育し、すぐれた自然環境と景観を形成している。※案内板より】とされ、県自然環境保全地域にも指定されています。紅葉の時期が最も美しいとされ、その景観に惹かれて、たくさんの人々が訪れるようです。

 この岩壁は、ダムから沢田の集落へと続いており、集落の中心部にも大きな岩がそそり立っていますが、その岩の下に赤い鳥居が見えます。神明宮です。

◇屏風岩と沢田神明宮付近

 
相馬ダム
屏風岩①
屏風岩②
沢田集落
沢田神明宮



神明宮参道


 この沢田の神明宮については、【旧藩時代より当時、当地を小倉村と呼び、小倉の神明様と呼称されていた。 明治維新の当時、 氏子数が少なくなり、 藤沢村の藤沢神社 (今の野田神社) へ合祀されるが、 村民の敬神の念が篤く、 昭和二十年大戦終了後に神社制度の改正の期を捉えて昭和二十二年四月十七日宗教法人令に基き、 宗教法人神明宮として復活し、 現野田神社より御神体をお迎えして奉祀する。※青森県神社庁HPより 】とありますが、その起源は定かではないようです。

 江戸時代の紀行家・菅江真澄も、ここを訪れていますが、『都介路廼遠地(津軽のおち)』の中に「いつの時代に祀られたものか分からない」とあります。いずれにしても、古くから集落の産土社であったようです。境内の説明板には、「宮柱太しく立てて岩谷堂に 動きなき世を守る神垣」という、真澄の歌が記されていました。

 真澄が「岩谷堂に」と詠んでいるように、この神社の社殿は、大きな岩壁の真下にあり、鳥居からは、急な石段が真っ直ぐに延びています。社殿の下から上を見上げると、巨大な岩が間近に見え、「崩れるのではないか」と、心配になるほどです。洞窟に社殿をはめ込んだ・・そんな感じです。
 大壁には、いくつかの小洞窟があり、そこには祠も立っていました。
岩窟の祠


◇神明宮社殿

 
神明宮鳥居
神明宮参道
神明宮社殿①
神明宮社殿②
神明宮社殿③


 恐る恐る社殿の中に入ってみました。その中には、御祭神である天照大神の絵馬なども掲げられていますが、奥に洞窟があり、そこにお堂が立てられ、御神体が祀られています。ここが岩谷堂と呼ばれるところなのでしょう。岩壁には、小さな狛犬も置かれていて、とても神秘的な場所です。

◇岩谷堂

 
神明宮内①
神明宮岩谷堂①
神明宮岩谷堂②
神明宮岩谷堂③
岩谷堂狛犬


 この神明宮では、毎年「沢田ろうそくまつり」という祭りが行われます。説明板には、【神明宮の 「ろうそく祭」 は、 旧小正月十五日晩の行事として行われ、 沢田部落の各家庭では売っている最大級のろうそくを準備して社殿のほら穴に灯し、 家内安全、 五穀の豊作を祈願するもので雪の奥山の岩屋堂に灯りがゆらめくさまは神秘あふれている。 】とありますが、この地域に450年以上前から伝わる祭りで、ロウの垂れ具合で豊凶などを占うというものです。

 寒い冬の夜、山間の集落で、境内や岩谷堂に灯るロウソクの炎は、神秘的・幻想的で、正に「奇祭」というべきかも知れません。

 ⇒沢田ろうそくまつり ※画像複数

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  巨石と神石  

渓流沿いに「大助野田神社と岩谷不動尊」-つがるみち155

 弘前市の相馬地区(旧中津軽郡相馬村)は、西目屋村及び白神山地、秋田県などと境を接する地域です。
 ここには、長慶天皇御陵墓参考地がある他、坂上 田村麻呂に関する伝承、大石信仰を思わせる遺跡なども残っており、古くからの歴史を感じさせる地域です。
 この地域を作沢川という川が流れていますが、その渓流沿いにいくつかの神社やお堂などが立っています。

大助野田神社


 作沢川は、上流をさかのぼると、やがて「相馬ダム」というダムに行き着く分けですが、その途中に「大助」という集落があり、そこに「大助野田神社」という社が鎮座しています。由緒などはよく分かりませんが、近くの野田神社(※大助集落ではない)の縁起によると、【明治八年当時は、 大助の愛宕神社、 坂市の雷電宮神社、 沢田の神明宮を合祭していた。】とあるので、この大助の野田神社は、かつて愛宕神社と称していたようです。
 道路沿いに赤い鳥居が立っており、傍には庚申塔と二十三夜塔
庚申塔と二十三夜塔
がありました。そこから少し急な参道(石段)
参道と社殿
が延びていて、頂上に社殿があります。

 さて、「大助(おおすけ)」という地名からでしょうか、この地域には次のような伝説が残されています。
【相馬村大助部落を流れる作沢川に、昔サケがたくさん上ってきた。その頃、近くの山に隠れて住む鬼が現れて来て、サケが川をのぼるのを待ち、真夜中に立ちはだかって、「オオスケ・コスケ、今のぼる」と叫んで、サケを手づかみにして食ったという。この声を聞いた者は、たちまち血を吐いて死ぬといわれ、村人はサケがのぼる頃の夜には、恐れて家から出る者がなかったという。※『青森の伝説』より

 これは、東北地方を中心とする東日本に伝わる「鮭の大助(さけのおおすけ)」の話ですが、各地域によって、少しずつ話の内容は変化しているものの、大要は、鮭の大助は【川魚の王とされる。11月15日や12月20日など決まった日に、妻の小助(こすけ)と共に海から川へと遡り、その際に「鮭の大助、今のぼる」または「鮭の大助・小助、今のぼる」と大声を張り上げる。この大声を聞いた者は、3日後に死んでしまうと言われる。そのためこの時期は、川の仕事をしている人は仕事を一切休んで川に出ないようにし、周囲の村人は大助の声を聞くことのないよう、鉦(かね)を鳴らしたり、餅をついたり(この餅を特に「耳塞ぎ餅」と呼ぶ)、歌ったり、酒を飲んで騒いだりして過ごしたという。※wikipediaより】というものです。新潟県では「王瀬長者の伝説」として、「信濃川近くにある村を治めていた大長者が、ある年の霜月(11月)15日に、言い伝えを守って仕事を休んでいる漁師たちを働かせた結果、天罰が下り、息絶えた。」という話になっています。

 - アイヌ人の例のように、鮭は、山間で暮らす人々の大切な食糧源であり、昔から神聖な生き物として祭られ、その「禁」を守って生活してきた人々は、「蝦夷」と呼ばれる先住民だったのかも知れません。王瀬長者のように、古くから伝わる蝦夷の風習や信仰をないがしろにするような行動は、大きな摩擦を生んだのだと思われ、この伝説は、そんな歴史を伝えているような気もします。それにしても、「オオスケコスケ、今のぼる」と大音声で叫ぶ鮭は、誇り高き蝦夷の姿を思わせます。また、大助の伝説には、「鬼」が登場したりして、いかにも津軽らしい話になっています。

岩谷不動尊


 この大助野田神社から沢田という集落へ向かう途中に、岩屋不動尊
岩屋不動尊
があります。
 今は、崖崩れを防ぐためにアスファルトで補強されていますが、かつては、かなり大きく深い洞窟だったと思われ、その奥の方にも祠がありました。
洞窟内

 ここには、寛政9年(1797年)に菅江真澄も訪れたようで、説明板には、【作沢川の高はしとて、危ふきひとつ橋を渡り、山路はるばると岩谷の不動尊とて流れの岸に堂あり。高さ知られぬ岩の上に、木を横たえて鰐口をつり上げ、綱を下げたり。※『津軽のおち』】と書かれていました。また、この洞窟からは縄文土器も発見されているのだとか。。

 祠の前に一対の石灯籠
石灯籠
がありますが、これは、安永4年(1775年)に尾太鉱(銅)山の三上兵助という人物が寄進したものだといわれています。
 尾太(おっぷ)鉱山
尾太鉱山 ※Web東奥「あおもり110山」より
は、西目屋村の尾太岳 (1083m)の近くにあった鉱山ですが、開山は古く、奈良の東大寺の大仏建立にもここから銅や金が運ばれたといわれている他、江戸時代には、全国から逃げてきた隠れキリシタンの安住の地になったとも伝えられています。藩政時代には、鉱山の周りに一大集落ができ、弘前藩の「ドル箱」として賑わったとされていますが、採掘した銅を運ぶために、尾太→相馬村沢田→弘前を結ぶ道が拓かれたとのことです。
 ⇒尾太・相馬村沢田
尾太・相馬村沢田


 鉱山は、1979年に閉山しましたが、尾太岳には、
尾太岳の石灯籠 ※Web東奥「あおもり110山」より
岩谷不動尊と同じく、「尾太銅山三上兵助」の寄進による石灯籠が残されているとのことです。
 - 銅山の繁栄を尾太岳に、そして運搬の安全を、ここ岩谷不動尊に祈願したものなのでしょうか。

◇大助野田神社と岩谷不動尊

 
大助野田神社参道
大助野田神社社殿
作沢川
岩谷不動尊①
岩谷不動尊②


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おかみ神の依り代「最上神社」ーつがるみち152

 弘前市の一野渡地区に、座頭石(ざとういし)という所があります。
 座頭石山と、その麓を流れる尾神川(沢)の一帯は、ヤマツツジの自生地としても名高く、遊歩道や広場、釣り堀などもあり、現在は、「弘前市民の森」
弘前市民の森
として整備され、ハイキングや森林浴なども楽しめるとあって、市民の行楽地となっています。
 「座頭」は、室町時代の頃までは、盲人の琵琶法師の官名であったとされていますが、江戸時代に入ると、「僧体の盲人で、琵琶・三味線などを弾いたり、語り物を語ったり、また、あんま・はりなどを業とした者の総称」を指すようになったといわれています。

 座頭は、「盲人の旅人」というイメージからか、道なき道で行き倒れになったり、落石に打たれ、岩の下敷きになって亡くなったという哀話も多く残されているようです。
 ここ市民の森一帯は、青森県の自然環境保護地域に指定されていて、それは【古生代の岩石からなる高さ100mほどの特異な岩壁地形を形成している。※案内板より】からですが、岩場のアカマツ林から顔を覗かせている岩壁が、「琵琶を抱いた盲人の姿に似ている形」であることから、「座頭石」と名づけられたとのことです。
 尾神沢に沿って林道を少し登ると、切り立った岩が連なっているのがよく見えます。途中には、弁天宮もあり、ここは、景観の美しさとともに、ひとつの神域として崇められてきたのでしょう。

◇座頭石

 
弘前市民の森
弁天宮
座頭石①
座頭石②
座頭石③


 その座頭石山の頂上付近に、最上神社という社があります。道端に社号標があり、そこから山に向かって参道が延びていますが、その途中に小さな祠が建っていました。
 どうやら馬頭観音らしいのですが、その祠の後ろを見てびっくり。注連縄が張られた大きな石が寝そべっていました。その姿は大きな亀のようにもモスラのようにも見えます。ここでは、この巨石が御神体のようです。
 そこからしばらく進むと、最上神社の鳥居の前に出ました。

◇馬頭観音

 
馬頭観音①
馬頭観音②
馬頭観音③
馬頭観音④
最上神社二の鳥居



最上神社


 さて、この最上神社は、地図の上では「尾神神社」となっていますが、「おがみ→もがみ」に転化したものだと思われます。御祭神は、その名の通り、貴船神社などに祭られている「闇おかみ神・高おかみ神」。いわゆる「おかみ神」ですが、「おかみ=龍」で、この神は、水を司る「龍神」であることから、祈雨、止雨、灌漑の神として信仰されている分けです
 「闇」は谷間を、「高」は山の上を指すともいわれていますが、この座頭石の地形(座頭石山、尾神川)を考えると、この神様が祭られている理由も分かる気がします。

 参道の石段を登ると社殿の前に出ます。ここは頂上ではなく、さらに上の方へと遊歩道が続いていました。途中、馬頭観音の巨石にもびっくりさせられましたが、この社殿の周りも巨石がいっぱいです。
 ひとつひとつにていねいに注連縄が張られたこの大石たちは、おかみ神の依り代、磐座なのでしょう。石の大きさもさることながら、その数の多さには驚かされます。
 社殿の後ろの小さな祠(ここが本殿か)には自然石
御神体
が祀られていました。

 実は、この神社に向かう道路沿いにも、大石を祀っているお堂
道路際の大石
がありました。  
 ー 盲人を思わせる岩壁、最上神社周辺の大石・・・「座頭石」の名にふさわしく、ここには巨石信仰が根づいているようです。

◇最上神社

 
最上神社社殿
磐座①
磐座②
磐座③
磐座④


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