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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 板柳町   Tags: つがるみち  水虎様  

夕顔関八坂神社 - つがるみち482

 板柳町夕顔関(ゆうがおぜき)の八坂神社。ここに来たのは2回目です。前回は、この神社の二の鳥居に「鬼っこ」が掲げられているとのことで訪ねたのでした。今回は4月に行ってみたので、境内から見る岩木山にはまだ雪がたっぷり残っていました。

  

 この神社の御祭神は素戔嗚尊で、その由緒については『北津軽郡神社誌』等に、
【かつては「夕顔関正観音堂」と呼ばれていた。開発の時に、異石が二つあり、その前を掘ると長三寸の観音像が出てきたので、それを祭った。寛永二年、当村の草開者永山六左衛門が建立。明治六年に正観音堂を五林平村八幡宮へ合祀。明治八年復社して八坂神社に改称。】とあります。
 地中から出てきた観音像は、今も本殿内に納められていると言われていますが、かつては、境内に山伏たちが集まり、盛大に神事が執り行われていたようです。

  


  

 鳥居の赤い鬼っこを見ながら参道を進むと、大きなトチノキがあります。樹齢が約450年、板柳町の名木に数えられている大木です。拝殿の前には狛犬が一対。本殿の後ろはりんご畑になっていました。

  

 この神社を再訪しようと思ったのは、ここに津軽の水神・水虎様が祀られていると聞いたからです。
 村内の水難防止や開発の安全を祈願して祀られることが多い水虎様ですが、かつてはこの地でも大規模な用水工事や堤防建設が行われたようです。

 拝殿の右側に、注連縄が張られた庚申塔と小さなお堂がひとつありましたが、お堂の扉を開けて見ると、亀の背中に乗った女神姿の水虎様がいました。

   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > つがる市   Tags: つがるみち  水虎様  

高城八幡宮 - つがるみち442




 つがる市森田町の下相野地区は、津軽民謡「弥三郎節」の発祥の地として知られていますが、ここに高城八幡宮が鎮座しています。
「八幡宮」という神社名よりも、むしろ「下相野観音堂」という名称で呼ばれているように、ここは津軽三十三霊場の11番札所として、多くの信仰を集めている社です。
 私も霊場めぐりをしているときに一度訪ねたことがあります。

 その神社としての由緒については、
【御祭神:誉田別尊  高皇産霊神 倉稲魂命 如意輪観世音菩薩  当社は、 寛文五年 (一六六五) に勧請。 これより先、 寛文年間に、 現境内地の奥まった所に、 如意輪観音像を安置する約一坪程の観音堂が創建されていた。 元禄三年七月 (一六九〇)、 集落民の五穀成就と家内安全等の祈願所として社が再建。 延享三年 (一七四六) に集落民が崇拝する産土神と観音像を合祀したが、 明治三年 (一八七〇) に 「神仏分離令」 が出され、 観音像は棄却、 没収されることとなったが、 集落では観音像を秘かに隠しておいて、 身代わり像をわたしたと言われる。 現在本殿には、 三柱の産土神と観音像とが合祀奉齋されている。 明治六年 (一八七三) に郷社に列格される。 社名は旧もと 「八幡宮」 であったが、 隣接の高皇産霊神社と統合したことから、 「高皇産霊」 の 「高」 の一字と、 八幡宮は堀に囲まれ、 「城構えの景観」 だったことから 「城」 の一字を頂戴して、 「高城八幡宮」 と名称を改めたと言われる。※青森県神社庁HPより】とあります。
 由緒に書かれているように、かつては堀をともなった砦のような境内だったようですが、現在はその面影は見られません。

◇高城八幡宮






 石造りの一の鳥居のとなりに由緒板があって、そのそばには月夜見大神と猿田彦神の石碑が並んで立っています。
 参道には、手水舎や狛犬が一対置かれていますが、拝殿のそばには多くの祈願札が下げられていて、三十三霊場の雰囲気が漂っています。拝殿の横には如意輪観音像もありました。
 扉が開いていたので拝殿の中に入って拝みましたが、線香のにおいが漂よっていました。お参りする人々が絶えないようです。
 この神社を再訪した理由は、津軽の水神・水虎様を見たかったからなのですが、境内のどこに祀られているのか分かりませんでした。いろいろ回ったのですが、大きな木の下に末社らしき建物があったので、中に入ってみました。
 中の祭壇の上に小さな祠があり、扉を開けて見ると、小さな水虎様が大切に祀られていました。木彫りの河童型の水虎様です。

◇水虎様ほか



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Category: ふるさと【東北・青森】 > 五所川原市   Tags: つがるみち  水虎様  

神山闇おかみ神社 - つがるみち437




 以前、鳥居や拝殿に架かっている「鬼っこ」を探して津軽の神社を歩いたことがありますが、五所川原市の長橋地区神山に鎮座する闇おかみ神社もそのひとつです。
 目当ての鬼っこは、入口の社号標の前に一体、御神木の隣に一体、そして拝殿と三体も祀られていました。
 ⇒ 以前の記事へ

 ですが、前回の訪問は春先だったために、境内の中にも雪があり、ゆっくり回って見ることはできませんでした。そういう分けで、今回は再訪です。




 その由緒については、
【御祭神:闇おかみ神   明暦二年 (一六五六) 勧請。 明治六年観音堂を闇おかみ神社と改め松倉神社へ合祭。 同八年復社。
明治九年十二月村社に列せられる。 明治十七年五月松野木観音林より現社地へ移転。 明治四十四年九月八日神饌幣帛料供進指定神社に列格せられる。※青森県神社庁HPより】と簡潔に記されているだけで、詳しいことは不明ですが、すぐそばに長橋溜池という大きな農業用の溜池があることから、灌漑の安全と豊作を願って水神・闇おかみ神が祀られるようになったと思われます。

 今回、あらためて訪ねてみたのですが、神社入口に並んでいる庚申塔や十字前掛けをまとった多くのお地蔵様など、新しい「発見」がありました。また、三体の鬼っこや、御神木の見事なクロマツなども健在でした。

◇闇おかみ神社






 長橋地区は、かつて長橋村と呼ばれていましたが、その地名の由来は「村中に長橋と呼ばれる溜池あり、各村には耕地が多くこの水を引いて耕作をしているからこの溜池に因んで村名とした」とされています。
 また、神社の鎮座地である「神山」は、この地に中世の館である「神山館」が築かれ、神山左京之助なる人物が居館としていたことに基づくといわれていますが、館跡からは、中国産の青磁碗や日本産の焼物の破片が出土しているとのことです。
 江戸時代、この地を訪れた菅江真澄は『外浜奇勝』の中で、
【杉羽立という村のあとを通り、むかしかかっていたが、いまは名ばかり残っている長橋というところで、広い池(長橋溜池)がよこたわっているのを見わたした。こうしてゆくゆく心に浮かんだことを歌によみ、神山というところにきて、村のはずれにある井杭の柳に歌をかきつけた。「草たかみ野越えはらこえわけ来れば そのかみやまの麓也けり」】と書いています。

 闇おかみ神、鬼っこと水神を崇めている社ですが、実は、境内にはもうひとつの津軽の水神・水虎様が祀られているということが再訪の理由でした。
 以前は拝めなかったのですが、今回、境内の真ん中に小さな祠がポツンと立っていたので、扉を開けて見ると、その中には女神型の水虎様が大切に祀られていました。




※五所川原市立図書館「長橋地区の地名」を参照しました。

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田茂木稲荷神社 - つがるみち436




 十三湖にほど近い岩木川下流には、かつて、富野、豊島、芦野、田茂木、長泥、福浦、豊岡の村々が点在していましたが、明治22年(1889)に合併し、「武田村」が発足しました。
 村名は、岩木川下流の開拓と治水につとめた江戸時代の奉行・武田源左衛門に因んで名づけられたとされていますが、その後、昭和30年(1955)に中里町の誕生により、武田村は消滅し、武田地区と呼ばれるようになりました。




 武田地区の田茂木は、寛文4年(1664)頃に開拓がはじまり、津軽藩田舎庄金木新田として成立したといわれていますが、村の産土社として崇敬を集めてきた社が鳴見という集落に鎮座する稲荷神社です。
 その由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  創立年月日 不詳 旧社格 村社 明治六年 列格 創立年月日不詳であるが、 元禄十三年の再建と伝えられる (神社微細調書記載)。 明治初年以前は長泥部落の稲荷宮と合祀してあったが、 昭和二十二年六月、 長泥の稲荷宮は復社した。 当神社は明治四十四年神饌幣帛料供進の指定神社となる。※青森県神社庁HPより】とありますが、その創建については、延宝3年(1675)や元禄13年(1700)とする説もあります。

 また、江戸時代の中期には岩木川氾濫による水害に悩まされ、何度も流されたようですが、「正徳元年(1711)と宝暦3 年(1753)に再建された」という記録は、そのことを物語っているように思います。

◇田茂木稲荷神社







 神社の入口の道路付近には地蔵堂が立っており、その傍らには、弘化3年(1846)の銘をもつ庚申塔をはじめ、明治・昭和・平成の時代に建立された二十三夜塔や百万遍塚などが並んでいます。
 それらの石碑群のそばには大黒様と恵比寿様。後ろの田んぼを見守るように立っていました。台座にはろうそくなどが置かれており、地域の方々が拝んでいるようです。

 境内は、社殿の右側が広く開けていて、新しい神馬像の後ろに鳥居を伴った境内社がありますが、これは保食神を祀る保食神社のようです。

 保食神社の後ろには、古びた祠が四つ並んで立っていますが、そのうちのひとつは石をくりぬいて造られたものでした。
 四つの祠をそれぞれ覗いてみましたが、二つの祠の中には両手を合わせた水神・水虎様が祀られていました。

◇水虎様ほか



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若宮稲荷神社 - つがるみち433




 中泊町の田茂木(たもぎ)地区は、岩木川下流の低地に広がる集落ですが、ここを馬鹿川(ばかがわ)という小さな川が流れています。岩木川の分流のひとつですが、勾配がとてもゆるく、水の流れが停滞しがちな河川です。
 一帯は十三湖南岸の三角州地帯にあたりますが、冬の西風による日本海の高波で十三湖の水位が上昇し、そのため下流から上流へと逆流することがあったため、水害防止の放水路として作られた川です。しかし、放流効果がなく、そのため馬鹿川(※役に立たない)という蔑称で呼ばれるようになったといわれています。
 そんな田茂木地区の若宮という所に若宮稲荷神社が鎮座しています。




 若宮の集落は、昭和2年(1927)、 「岩木川改修工事に伴う新堤防造築のため、長泥地区から分かれて馬鹿川沿岸に入植したものであり、当初は下長泥と称したが、戦後若宮と改称した。」とされています。
 村の道路沿いに赤い大きな一の鳥居が立っており、参道が続き、二の鳥居、三の鳥居をくぐると境内へと出ます。境内の背後は田んぼになっていて、黄金色の稲が波打っていました。

 入口には水道竣功記念碑があり、そのそばに紫色の衣を身に着けた神馬が置かれています。社殿は、緑色の藤棚の奥に立っていて、その前には青色のほっかむりをした狛狐が一対置かれていました。

 社殿の右側は広い敷地になっていて、赤い祠や鳥居を伴った石碑群があります。「昭和13 年(1938)建立の庚申塔、甲子塔、昭和57年(1982)建立の二十三夜塔」とのことです。

◇石碑、神馬、狛狐






 神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  創立年月日 昭和二年月日不詳。 大正年間入植せる開拓村の守護神として、 近隣長泥稲荷神社の御分霊を小祠に奉祀。 以来、村民の厚き尊崇を受く。 河川の築堤工事に伴い現在地に移転、 社殿改築、 昭和五十六年十二月二日遷座祭、 竣工祭斎行。 昭和五十八年七月、 宗教法人設立及神社本庁被包括承認申請。 ※青森県神社庁HPより】とありますが、集落が長泥地区から分離するにともなって建立された社のようです。

 社殿のそばに赤い祠がぽつんと立っていましたが、その中を覗いて見ると、木彫りの水虎様が祀られていました。水害から村を守る守護神として祀られたのでしょう。少し珍しい姿の水虎様です。

◇若宮稲荷神社



※「中泊町史跡・文化財マップ」を参照しました。

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 早いもので、もう6月になりました。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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