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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  鬼ッコめぐり  

八幡八幡宮 - つがるみち487




 弘前市八幡平塚(旧岩木町)に八幡宮が鎮座しています。辺りは水田が広がる地域ですが、神社の所は農道がY字型に分かれており、道に挟まれた場所が境内です。
 Y字の分かれ際に社号標がありますが、その奥は社殿を囲むように杉林が続いています。私は気がつかなかったのですが、この林の中には三角点が設置されているとのことです。
 鳥居の脇に由緒版が立っていますが、前半部には、
【八幡宮(八幡)  八幡信仰の主神は誉田別命であり、その歴史は相当古く、貞観二年(八九〇)九州宇佐より京都に王城守護神として勧請され、朝廷から深く崇敬されたことから、鎌倉時代に至って全国各地に勧請された。・・】とあり、八幡信仰の源を紹介しています。

  

 後半部には、この神社の由緒について、
【この地の八幡宮草創の年代は不詳であるが、大浦城鬼門の守護神として尊崇され、慶長十一年(一六〇六)居城の弘前移転に伴い、弘前城守護神として田町に移転、その御、八幡、賀田、鼻輪の部落民が鎮守として復社し、現在に至っている。】と書かれています。

  

 由緒に出てくる大浦城は、文亀2年(1502)、種里城の大浦光信が津軽進出の拠点として築いた城ですが、5代目の為信が津軽を平定し、弘前に本拠を移した後に廃城となりました。その跡地は現在中学校の敷地になっています。

  

 広い境内には様々な石碑や狛犬、神馬などが置かれていますが、以前には二の鳥居があり、そこに鬼の面が掲げられていたようです。
 私が訪ねたのは去年の夏でしたが、二の鳥居は取り壊されていて、2つの鬼の面は、拝殿の入口に置かれていました。今年はどうなっているでしょうか。
 今まで見てきた「鳥居の鬼っこ」とは少し違い、天狗のような修験者のような表情のお面です。この社は、大浦城の鬼門の守護神として崇められたとされていますが、このお面は、いわゆる「鬼門封じ」の役目を負っていたのかも知れません。

   

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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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Category: ふるさと【東北・青森】 > つがる市   Tags: つがるみち  鬼ッコめぐり  水虎様  

ここにも鬼が「天満宮と鹿嶋神社」-つがるみち191

 いつもネットなどで、各地の神社の場所や、その縁起などをデータベース化したHPを見て勉強させてもらっています。
 先日も、津軽地方の神社を探していたら、つがる市・木造に「鬼っコ」がいる社を新たに2つ見つけることができました。まだ、訪れていない神社だったので、さっそく行ってみました。

 はじめに訪れたのは、木造の蓮花田(れんげた)地区にある天満宮です。
 蓮花田地区は、寛文3年(1663年)の開村とされ、境内にその記念碑
開村記念碑
が立てられています。江戸前期に新田開発が盛んに行われた地域なのでしょう。
 天満宮は、閑静な住宅街に囲まれたところに鎮座していますが、この神社については、【蓮花田村、小山内儀兵衛の先祖藤兵衛成國というもの、元奥州仙台藩の家臣で、北野天神社にある梅の古木を分け乞い、氏神と崇敬し、其の後、北郡鶴田町の村落田地千町歩余を開拓。当時の従夫、寛文三年当地に引越し、同九年氏神とし、村中の産土神と崇敬し、明治九年十二月二十五日村社に列せられた。※青森県神社庁HP】と紹介されています。御祭神は、もちろん菅原道真です。

 境内には大きなイチョウの木があり、境内の外からもよく見えます。三の鳥居から参道が右側に折れていて、その正面に拝殿と本殿があります。
 この拝殿の隣にはひとつの赤い祠。中を覗いて見ると、両手を合わせたお姿の小さな神様が祀られていました。どうやらこれは水の神・水虎様のようです。
 水虎様の姿形は、それを祀る地域によって様々ですが、大別すると女神形と河童形があるとされています。ここの水虎様は河童形。水虎信仰の発祥の寺とされる実相寺の水虎様
実相寺の水虎様
に似ていました。

◇天満宮境内

 
 
境内
三の鳥居
水虎様①
水虎様②
本殿


鳥居の鬼①

鳥居の鬼②


 鬼は、一の鳥居に扁額がわりに掲げられていました。背中ごと、びしっと鳥居にへばりついているような格好をしています。
 表情をよく見ると、どうやらこれは子どもの鬼のようです。
鬼っコ
目をつり上げ、歯をくいしばり、両足を広げて、必死にふんばっている様子は、とてもユーモラスで、何となく幼い感じがします。
 右手と左手それぞれに、何か棒状の物を握っているようですが、よく分かりませんでした。何かの農作業に使う道具なのか・・大工用具のようにも見えますが。。きっと、そのいわれがあるのだと思います。



 続いて訪ねたのが鹿嶋神社です。この神社は、天満宮からおよそ3km。木造・大畑に鎮座しています。
 この神社の由緒については、【慶長17年(1612年)創立。明治四年旧社格を村社に列格。明治四十二年神饌幣帛料供進指定。※青森県神社庁HPより】とあり、詳しくは分かりませんでしたが、長い歴史を持つ古い社のようです。

 拝殿の中には古の歌人たちの歌の額が奉納されていました。柿本人麻呂、猿丸太夫、在原業平・・・どうやら三十六歌仙のようです。
 拝殿の両側に末社が並んで立っていました。右手(向かって)には、庚申塔?のそばに赤い鳥居。祠の中には馬頭観音
馬頭観音
が祀られていました。一方、左手の大小の祠は稲荷社のようです。

◇鹿嶋神社境内

 
境内
拝殿
奉納額
馬頭観音
稲荷社



祠の鬼①

祠の鬼②


 津軽の鬼っコは、鳥居に掲げられているもの、拝殿にあるものなど様々ですが、祠の中に納められているものもあります。ここ鹿嶋神社の鬼も稲荷社のそばの祠の中に祀られていました。
 少し風化していますが、般若を思わせる怖い表情をした鬼です。その窪んだ目や裂けた口、とがったあごなど、「鬼らしい鬼」といえばいいでしょうか。頭部は獅子のようでもあり、とても貫禄のある姿です。
 右手は、何かを支えているような感じですが、あるいは以前には、一の鳥居に掲げられて、笠木を支えている姿だったのかも知れません。

 祠の中にいっしょに祀られていたのは福神の大黒天と恵比寿様。この鬼もまた、五穀豊穣の守り神だったのでしょう。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  鬼ッコめぐり  

鬼と大兄「赤倉霊場 3」ーつがるみち151

 十腰内堂から、再び来た道を引き返し、基点となる赤倉山神社へと戻ってきました。案内図
案内図
によると、ここから左手の道を行くと、その先にも多くの霊堂が続いていますが、霊場の中を流れている大石川を境にして、⑨番~⑫番と、それ以降の社が分けられて建っています。
 案内図を参考にして、ざっとひと巡りしてみましたが、「ここが○○○だ」と、なかなか特定できませんでした。

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一代堂入口


 大石川に架かる橋の手前までには、大小の鳥居やお堂が並んで建っています。「弘法大師堂」や「一代堂」などのお堂は、平川市の「赤倉山金剛寺」というお寺の建立によるものですが、他にも、各地域のカミサマ達の里社の別院とも考えられる社が並んでいます。
 鳥居、三十三観音石像、弘法大師像・・・ここには神仏習合の世界が、何の違和感もなく存在しています。
 中には、力士と行司が一緒に祀られているお堂もあったりします。「相撲大神」とでも呼ぶべきか。

◇大石川手前の霊堂など

 
三十三観音
大師堂
相撲大神?
赤倉大神①
赤倉大神②



大石川


 大石川は、霊場を流れる渓流ですが、その橋の先は岩木山への登山道へと続いています。ちなみにこの橋、5月の初めに訪れた時は使用禁止の状態でしたが、
登山橋
今は取り壊され、立派な新しい橋に生まれ変わっていました。
 この橋を渡って少し進むと、「赤倉山大山永野神社」と「赤倉大神」という2つの神社の前に出ます。「種市」とか「石川」とかいう地名を見ると、それぞれに里宮を持つ社なのでしょう。多くの方々が、神社の中や周りを清めようと、いっしょうけんめい働いていました。
 そこからは、少し心細くなるほど長い登り道が続きます(実際は、それほどでもないと思いますが)。「赤倉山大神」という赤い社が見えたときは、正直、ほっとしました。それにしても「赤倉○○」という、同じような名前が多いのには面食らいます。
 ここは、霊堂が建ち並んでいる場所としては一番の奥にあたるらしく、「みそぎの滝」方面と、「赤倉山(厳鬼山)登山道」方面の2つに道が分かれているようです。
 私が訪ねた時は、ちょうど巡礼姿の団体のみなさんがやってきていて、各お堂に参拝し、滝の方へと進んで行きました。
 登山道の入口には、登山者の安全を祈るかのように慈母観音
案内板と慈母観音
が立っています。「赤倉コース」と呼ばれるこの登山道は、かつては岩木山登山の中心でしたが、急峻な道が続く難コースだったため、比較的平坦な百沢コースや嶽コースが使われることが多くなったとのことです。赤倉沢を越え、厳鬼山頂上へと至るこの登山道には、三十三観音が立ち並び、登山者を守っています。

◇赤倉山大神付近

 
赤倉山大山永野神社
赤倉大神
赤倉山大神付近①
赤倉山大神付近②
赤倉山大神付近③



赤倉大神宮


 さて、私は青森県HP「鬼コ詳細一覧」やGoogle「鳥居の鬼コmap」などをもとにして、弘前から西北津軽の「鳥居の鬼ッコ」を回ってみたのですが、ここ赤倉霊場の「赤倉大神宮」の鬼も紹介されていました。
 厳鬼山、赤倉、その麓の十腰内や鬼沢は、何度もお伝えしてきたように津軽の鬼伝説のルーツ・・ここから鳥居に鬼ッコを掲げたりする風習も始まった分けです。
 「赤倉の大人」とか「大兄」「大仁」といわれ、怖れられながらも敬愛されているこの「おに」たちは、
・天にとどくほどの大きな身長
・体格ががっちりしている
・大岩を持ち上げるほどの力持ち
・鼻が高いなど顔立ちが異国人風 (※青森県音楽資料保存協会HPより)
の民として語られますが、ここ赤倉霊場などに祀られている「赤倉大神」
赤倉大神
の像を見ると、その特徴的な風貌がよく分かります。

 彼らはまた、「働き者で、やさしく、高度な技術力を持ち、村人に農業や潅漑の道具や知識・技術を授けた人々」とされていますが、「高度な技術」とは、かつて岩木山麓で盛んに行われてきた製鉄技術であるともいわれています。赤倉山(厳鬼山)付近からは、製鉄炉の跡がたくさん発見されており、【操業年代は、奈良~平安時代の頃からはじまり、江戸時代にわたると推定されており、古代から中世を経て近世にわたる長期の間、岩木山赤倉の山麓一帯で、製鉄作業がおこなわれていたことを、これらの遺跡が示している】とのことです。

 そして、【彼らは普段、山にこもって生活していたため、山から離れた里の人々と交流を持つことは少なかった。そのため、自分達とは風貌が大きく異なる不思議な民の噂が、いろいろと人々の想像力をかきたて、さらにその「山の民」の持つ高度な技術が、人智を超えた魔術のように受け取られたこともあって、次第に枝葉がつけられ、仏教説話の中の「鬼」と同一視され、バケモノ扱いされていった。しかし、彼らと交わることが多く、彼らとの関係の深かった「山に隣接する地域」では、「鬼」の文字は使うものの、その意味合いは、あくまで、多くの知識を授けてくれる「大兄(おに)」であり、現在も彼らへの尊敬と親しみの念が脈々と息づいている。】といわれています。
※【】は、青森県音楽資料保存協会HPからの引用・要約です。

 それぞれの神社の「鳥居の鬼ッコ」の中には、般若を思わせるものも多くありましたが、ここ赤倉大神宮の鬼は、赤倉大神と同様、異国風の容貌でした。大きな鬼面の下に龍神が刻まれていたのも印象に残りました。

 ⇒赤倉大神宮の鬼 ※画像複数

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鬼沢めぐり2「鬼と民次郎」ーつがるみち144

 鬼の伝説が伝わる鬼沢の地は、今はりんごの花がとてもきれいです。
 鬼沢めぐりの2回目、今回は鬼神社を再び訪ねてみました。
「鬼は内、福は内・・」という節分の風習が残る鬼沢地区、その中心となっている社、「’つの」がない扁額を掲げている社・・それが鬼神社です。
 以前、訪ねたときは、大変な雨の中でしたが、今回は天気に恵まれました。
 ⇒以前の記事へ

鬼神社境内


 鬼神社の由緒については、【当社創立年月日不詳。伝聞の延暦年中征夷大将軍坂上田村麿、東夷征討の勅命の時、岩木山頂上奥宮鎮座顕国魂の高照比売命の霊験を蒙れるにより、岩鬼山に社宇を再建すると云う。その後、大山祇命を配祀すると云う。※青森県神社庁HP】とありますが、顕国魂(うつしくにたま)命とは、大国主命を指し、岩木山神社の御祭神でもあります。
 また、高照比売命(高比売命。下照比売命とも)は、神話によると「葦原中国平定のために高天原から遣わされたアメノワカヒコと結婚した」女神とされています。

 
 しかしながら、御祭神はともかく、この神社は古くから「おにがみさま」と呼ばれていたように、農作や潅漑の技術を教えてくれた「鬼」を祭っている社といってもいいでしょう。拝殿の屋根の下に掲げられた大きな鉄製の農具は、岩木山の鬼を神として崇め、その力を敬ってきた証ともいえます。
 実は、この神社の本殿の地下室には、巨大な刀剣が隠されているともいわれていますが、その刀は何百年経っても、黒光りしたままで、まったく錆びない・・などど、鬼の神秘的な力を思わせる不思議な話も伝えられています。

 
 不思議といえば、この鬼神社の参道。一般的な神社は、一の鳥居から数本の鳥居をくぐり、社殿まで真っ直ぐに道が延びている分けですが、何故かここでは、ぐるっと左回りしないと、そこには行き着けません。即ち、御祭神は、通りに背中を向けている分けです。境内には古い鳥居の跡なども残されているところをみると、昔からこんな道筋だったようです。まるで、鬼達を外に出させないような不思議なつくりです。
 ⇒鬼神社参道
鬼神社参道


 
 もうひとつの不思議は、本鳥居(四の鳥居)に掲げられている「卍」。
本鳥居の「卍」

 卍は、津軽氏の旗印でもあり、弘前市の市章でもある分けですが、その由来は、かつて坂上田村麻呂が岩木山麓の蝦夷を征討したときに、卍を掲げたところ、その霊験によって蝦夷達は退散したといわれているものです。いわば、鬼(蝦夷)の力を封印した象徴でもある分けです。 ー 曲がりくねった参道と社殿の配置、そして、この本鳥居の卍・・次のように想像してみました。
 「鬼たちよ、お前達の霊は、ここにこうして鄭重に祀ってあるから、災いを起こさないでくれ。出てきて祟らないでくれ。」

◇鬼神社 ※画像はクリックで拡大します。

 
一の鳥居
拝殿
本鳥居
狛犬
鬼の農具



拝殿の鬼


 しかし、鬼たちは祟った・・という分けでもないのですが、鬼を信奉するこの鬼沢の地で、後に津軽地方最大といわれる農民一揆が起こります。
 それは文化10年(1813)のことで、当時、弘前藩は、度重なる天災地変や凶作が相次ぎ、おまけに幕府からは蝦夷地騒乱鎮圧の援兵を命じられていたこともあって、その財政は逼迫していました。そのために、過酷な年貢取りたてが続き、疫病の流行などもあって、農民の生活は極度に困窮し、集団で離村、逃亡する者が後を絶たなかったといわれています。生活に困窮した農民達は、ついに決起することになった分けですが、それは、鬼沢や十腰内だけにとどまらず、東青西北津軽地方にまで及んだとされています。

 この一揆のリーダー格だった人物が藤田民次郎(たみじろう)で、民次郎は「義を尊び、農民の信望も篤かった」といわれています。決起にあたって民次郎は、後に妻子に害が及ぶことのないよう、離縁し、事の成就を鬼神社に祈願したといわれています。
 生死をかけた農民達の勢いは止まらず、城門まで押し込み、藩士達ともみ合いになりましたが、豪勇の者達が立ちはだかったため、一進一退が続きました。その時、民次郎は進み出て、訴願状と連判状を差し出し、必死の思いで嘆願を行いました。死を覚悟した民次郎の真情に打たれた藩士は、訴願状を受け取り、藩主に取り次ぐ事を約したといわれています。

 
 結果、当時の藩主・津軽寧親は、農民の窮状に同情し、農民への救護策を講じ、一揆は収まりましたが、城門まで乱入した大罪を見逃すわけにはいかず、その首謀者は極刑に処されることになりました。首謀者の特定は困難でしたが、このとき自ら「自分である」と名乗りをあげたのが民次郎でした。
 民次郎は、城下を引き回された上、刑を受けましたが、このとき若干22歳。以来、民次郎は「義民」と讃えられ、その勇気ある行動は、長くこの地域に語り継がれてきた分けです。

 現在、鬼神社の近くの小学校には「義民 藤田民次郎」の顕彰碑が立てられています。また、神社の裏側には浄土宗・龍味庵があり、お地蔵様や観音様に見守られながら民次郎は眠っています。すぐそばには民次郎公園。
 なお、この義民・藤田民次郎の話は、地元の有志により、「鬼(注:’つのがない)と民次郎」
創作劇ポスター
という創作劇として上演されています。

◇藤田民次郎顕彰碑ほか ※画像はクリックで拡大します。
 

 
 
民次郎顕彰碑
地蔵堂
観音像ほか
民次郎墓
民次郎公園


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  鬼ッコめぐり  名木めぐり  

鬼沢めぐり1「鬼神腰掛柏」ーつがるみち143

 岩木山の三つの峰のうち、厳鬼山の麓は、鬼にまつわる伝説が多く残されている所です。厳鬼山には、赤倉という急峻な断崖があり、昔から鬼神が住む場所として怖れられ、崇められてきた分けですが、ここに住みついていたとされる鬼達は、「赤倉の大人」とか「赤倉鬼神」と呼ばれています。
 この赤倉の鬼達は、坂上田村麻呂軍との闘争の話とか、里の村人との交流の話とか、様々な伝説をもたらし、その足跡は、鬼沢の鬼神社、十腰内の厳鬼山神社、大石神社や鰺ヶ沢町の湯船町などに数多く残っています。

鬼の足跡


 中でも鬼沢地区は、その名前が示すように、鬼伝説が色濃く残っているところで、地域の入口には、「歴史と伝説の里:鬼沢」の看板。伝説とは即ち鬼伝説のことですが、その看板の裏側には、「地域の鬼神伝説の名所」
「地域の鬼神伝説の名所」
が描かれていました。
 その看板から、村の奥に向かって進んで行くと、「鬼の足跡」というひとつの石碑が立っています。真新しい注連縄が張られたこの碑は、りんご畑に囲まれた道路際にポツンと立っていますが、石碑の真ん中に大きな円形の凹みがあり、これが鬼の足跡だと伝えられている分けです。

鬼の土俵


 何回かお伝えしてきましたが、この岩木山麓の鬼は、村人の農作や潅漑を手伝ってくれる「優しい鬼」として親しまれ、敬われている分けですが、鬼沢には次のような話が伝えられています。
 【昔、鬼沢が長根派(ながねはだち)という地名であった頃、岩木山周辺は阿曽部(あそべ)の森と呼ばれていた。あるとき、村の弥十郎という農夫が、山へ薪を取りに行ったとき、岩木山中の赤倉沢で大人(鬼)と出会い、仲良くなった。親しくなった二人は、よく力比べをし、相撲をとっては遊んでいた。】

 
 この二人が相撲をとって遊んでいた場所が「鬼の土俵」といわれている所です(同名の場所は岩木山の赤倉登山ルート上にもありますが)。
 訪ねてみると、そこには、赤い鳥居が立っており、「鬼乃土俵」という石標もありました。小さな祠がありましたが、中を覗いて見ると、そこには「鬼乃土俵大神」が祭られていました。伝承によれば、弥十郎と鬼が相撲をとっていた「土俵」の場所には、雑草があまり茂らないのだということ・・いわれてみれば、辺りに比べて少し草が少ない感じもしましたが。。

◇鬼の足跡と鬼の土俵 ※画像はクリックで拡大します。

 
鬼の足跡碑
鬼の土俵碑
鬼の土俵①
鬼の土俵②
鬼の土俵③
鬼の土俵④


鬼神腰掛柏


 鬼沢の伝説は続きます。
 【鬼は、たびたび弥十郎の仕事を手伝っていたが、あるとき、弥十郎から「水田を拓いたが、すぐ水がかれてしまうので困っている」という話を聞いた。そこで鬼はさっそく、赤倉沢上流のカレイ沢から堰を作って水を引いてくれた。村人はこれを喜び、この堰を「鬼神堰」とか「さかさ堰」とよび、鬼に感謝した。】

 
 そんな鬼が弥十郎とともに村へと降りてくるとき、途中で、その枝に腰掛けてひと休みしたという話が伝わる一本の柏の木があります。名づけて「鬼神腰掛柏」。
 そこは、りんご畑の中にひとつの鳥居が立っている場所ですが、大山祗神社
大山祗神社鳥居
と呼ばれ、この柏の木はその御神体とされているようです。

 
 柏の木は、県の天然記念物にも指定されていますが、推定樹齢が700年、樹高11メートル、幹周3.6メートルといわれています。
 根元の祠には、鬼が履いた?と思われる鉄の草鞋なども置かれていて、地上2m位から、長い枝が何本も横に広がって延びていました。「鬼が腰掛けた」という話にふさわしい巨木です。鬼は、ただひと休みするだけでなく、この木に腰掛けながら、弥十郎に様々な知恵を授けたりしたのだとか。。

◇鬼神腰掛柏 ※画像はクリックで拡大します。

 
鬼神腰掛柏①
鬼神腰掛柏②
鬼神腰掛柏③
鬼神腰掛柏④
鬼神腰掛柏⑤


 そして伝説は、【鬼は、自分が堰を造ったりしている姿を絶対見てはいけない、と村人に約束させていたにもかかわらず、弥十郎の妻はそれを見てしまった。そこで鬼は堰をつくる時に使った、鍬とミノ笠を置いて去り二度と姿を見せなくなった。弥十郎はそれを持ち帰り祀ったのが鬼神社の始まりである。そして、地名を「鬼沢」としたのである。】と続きます。

 この伝説は、日本に古くから伝わる昔話の要素を含んでいるとともに、赤倉の沢は神が宿るにふさわしい荘厳な場所と考えられていたこと、岩木山麓では、かつて製鉄が盛んに行われ、鉄を扱う先住民が村人とともに農地の開墾に励んでいたことなどを思わせます。山に住む彼らは蝦夷と呼ばれ、田村麻呂軍と衝突したのかも知れません。

                          ー 次回へ続きます。

※【】は、鬼沢フジタ林檎園HP「古代より言い伝わる鬼神伝説」他を参考にさせていただきました。

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 六月、緑鮮やかな季節になってきました。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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