のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 藤崎町   Tags: つがるみち  

榊八幡宮 - つがるみち465




 藤崎町榊に鎮座する榊八幡宮を訪ねたのは、2ヶ月前のことで、桜が咲き始めた頃でした。
 重そうな米俵が乗った豪華な注連縄が張られた鳥居から参道が延びていますが、鳥居をくぐった所に地蔵堂があり、その向かい側にはイチョウの木にからみついた老松などが生えています。地蔵堂のそばには、これまた注連縄が張られた馬頭観音の碑などが立っていました。


   


 境内には、二十三夜塔と庚申塔などが置かれていますが、御神馬は赤い玉垣に囲まれ、大切に祀られていました。赤い屋根の三つの祠は、神明宮と観音堂、そして稲荷宮のようです。


  


  


  

 
 この神社の由緒については、
【大字榊にある八幡宮には、品多和気命(ほんだわけのみこと ※一般的に八幡宮に祀られている応神天皇)が祀られています。この神社は、万治7年(万治は3年で改元されていることから次の年号の寛文4年-1664 年か)に、「榊村八幡堂」として村中で
お堂を新築したという記録があり、さらに慶安元年(1648 年)に新建され、神主は円太夫という人であったという記録が見られます。その後時を経て明治6年(1873 年)に矢沢の正八幡宮に合祀されましたが翌年には復社し、さらに翌年の明治8年に村社となりました。 ※藤崎町「ふるさとの史跡散歩」より】と紹介されています。

 なお、本殿を囲んでいる玉垣などについては、
【明治4年(1871 年)には神殿が造られ、さらに明治43 年(1910年)、皇太子時代の大正天皇が北海道と本県に行啓されたのを記念して玉垣が造られた】とのことです。


  


  

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築木館久須志神社 - つがるみち464




 青森市の築木館(つきのきだて)については、
【江戸期までは築野木館または槻館と書いた。集落の東方の野内川左岸の丘陵端(字山ノ井)に築木館跡があり、「新撰陸奥国誌」には「館迹、本村の寅卯の方弐拾間にあり、今は畑となりて形界詳ならず」とある。】と書かれています。
 さらには、
【菅江真澄は「すみかの山」の寛政8年(1796)4月20日に「槻木館といふに至る。建武のむかし、隅田の小太郎なにがしの柵のあととてあり」と記し、南北朝初期の砦跡と伝承する。現在も畑地で「タテの畑」と呼ばれるが、単郭の遺構に二重の堀跡や土塁跡が残る】とありますが、この集落に久須志神社が鎮座しています。


 集落の道路から、少し山側へ小道を進んだ所に鳥居が立っていて、ひっそりとした森の中に境内があります。
 境内には、狛犬や御神燈のほか、「馬頭観音様」「大石様」「山の神様」などと書かれた木柱があり、祠や大石などが置かれています。


  


  


   


 この神社の由緒については、
【御祭神:大己貴命 少彦名命  安政2年(1855)の書上帖には、草創年月不詳、明和年中(1764~72)同村の佐次兵衛が再建、村中で維持してきた稲荷宮と薬師堂の相殿一宇、本社 板葺二而建坪弐尺四面、覆 萱葺二而建坪弐間に九尺と記されている。明治初年の神仏分離に際して久須志神社と改められた。】とありますが、古くから薬師様を祀っていた場所のようです。


  


  


 拝殿の中に、集落の奥にある薬師山の絵が掲げられていましたが、その山の麓に築かれた祭壇が描かれており、昔からこの山を聖山として崇めていた様子が伺えます。この神社は、薬師山の遥拝所でもあったように思えます。


  

※【】は、青森市諏訪神社HP「兼務社の紹介」からの引用です。

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後萢神社 - つがるみち463




 青森市の後萢(うしろやち)の県道44号線沿いに、その集落名を冠した後萢神社が鎮座しています。
「萢」という文字は、湿地帯を意味するとされていますが、県内にもつがる市富萢とか、鶴田町横萢など「萢」のつく地名があり、以前にそれぞれの集落の神社を訪ねたことがあります。
 後萢も、昔はその名の通り湿地帯だったのでしょうが、立派な道路や多くの建物が並び立つ現在は、その面影はありません。


 後萢神社は、44号線沿いの町並みを見下ろすことができる小高い丘の上にあり、道路からも赤い一の鳥居や境内を望むことができます。

 鳥居をくぐり、参道を右、左と上って行くと、境内の入口があり、そこに二の鳥居と、猿田彦大神の碑がありました。
 

  


  
 

 御祭神は天御中主大神。昭和二十六年に、「後萢集落の氏神として建立された」ということで、比較的新しい神社といえます。
 境内には、狛犬のほか、いくつかの末社の祠が立っていました。


  


  


   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

葛川神明宮 - つがるみち462




 平川市葛川(くずかわ)に「誉田屋敷(こんたやしき)」という高台がありますが、ここに次のような話が伝えられています。
【(その地名は)昔、河内国の誉田の城主がここに落ちてきたからだという。そのころ、切明川にサケの大群が上ってきた。誉田殿は、これを小国(おぐに)の殿様に献上せねばならず、藤のつるを切り取って荷縄にし、いくども坂を越えて小国の城まで運んだ。これが苦しかったので、誉田殿は坂の下で「こんなに上らず、また藤つるがなかったら、こんな苦しい目にあわずにすむものを・・・」といって泣いたという。それからこの坂を「誉田の泣き坂」といった。それから川にサケが上らず、藤も絶えてしまったという。 ※『青森の伝説』より


 葛川には、昔、「葛川館」という山城がありました。築城主や築城年代など、詳しくは分かっていませんが、かつての館跡は現在、神明宮になっています。

 道路のそばに「葛川館跡」と書かれた木柱があり、その上に鳥居が立っています。そこから参道が続いていますが、境内は、標高300mほどの山の上にあります。
 完全な山道で、うっそうとした森の小路を左右に三回、四回と曲がりながら登って、やっとたどり着きました。

    

 境内には、「神明宮」と書かれた石柱が2基、拝殿の両横には,、末社の祠がそれぞれ立っています。拝殿の柱には、大きな奉納草鞋が掲げられていました。

    

    





 この神社の御祭神は天照皇大神ですが、その由緒については分かりません。
 葛川は江戸時代には「折戸村」と呼ばれていましたが、農作物が育たないやせた土地であったといわれています。時期は不明ですが、土地の開墾と豊作を願って、この神社は建立されたものと思われます。
 参道入口の木柱
葛川館跡
には、次のように記されています。
【葛川館跡  築城年代、城主は不明。郭の三方は断崖で、南側の台地続きを堀で切断した一郭の館跡である。神明宮境内になっている郭内に、関ヶ原合戦に西軍の武将であった大谷刑部吉継の子と、越後の武将上杉景勝の重臣直江山城守の弟が植えたという伝説をもつ樹齢三○○年を越す松と杉がある。】


 その真偽はともかく、なかなかロマンを感じさせる伝説です。因みに、葛川には「直井」という名字の方がたくさんおられます。「直江兼続との関係は・・」と、空想がふくらみますが、兼続ゆかりの人物が、この地にやって来たのかも知れませんね。
 なお、木柱に書かれている老杉の大木の一本は、とちゅうから折れて無くなっていました。朽ち果てたものか、自然の力によるものか。。

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緑 みどり

 神社めぐりをひと休みして猿賀公園へ行ってみました。
 あてもなく散歩するときは、必ずといっていいほど立ち寄る場所です。何をするでもなく、ただベンチに座ってボケーッとしています。
 ついこの間まで、遅咲きの桜が咲いていましたが、今、園内は鮮やかな緑につつまれていました。


  


  


  


   

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楢木稲荷神社 - つがるみち461




 弘前市鬼沢の集落から県道31号線を鯵ヶ沢方面へ向かう途中に郵便局があります。
 ここを右折すると、板柳町へ向かう県道133号線に入りますが、一帯の住所は「楢木」となっています。「楢木」と書いて、「ならのき」と読みますが、江戸時代には「楢野木」と表記されていたようで、その名残かと思われます。
 県道沿いに、りんご畑や田んぼが広がる農村地帯ですが、近辺には、熊野神社や白山神社、文化財にも指定されている「文永の板碑」などがあります。私も以前に、これらの場所を訪ねたことがありました。
 ⇒ 以前の記事へ
 そんな楢木の集落の中ほど、道路から少し離れた所に稲荷神社が鎮座しています。


「村社稲荷神社」と書かれた大きな社号標と、金属製の立派な注連縄が架かった一の鳥居があり、そこから参道が続いていて、左に曲がったところに社殿がありました。

 社殿の前には、御神燈と、稲荷神社らしく狐(狛狐)が置かれています。境内には、猿田彦碑などもありました。また、木の切り株の上に、小猿のような置物がちょこんとのっていたりします。


   


 この神社の由緒等については、全く分かりません。御祭神は倉稲魂神でしょうか。楢木の小字に「用田」という地名があり、この神社の住所も楢木用田となっていて、いかにも新田の開発を思わせるような名前です。地域の開発と村中繁栄を願って建立された社なのでしょう。

 境内からは、岩木山を間近に見ることができます。私が訪ねたのは先月の中旬でしたので、山頂は真っ白い雪に覆われていました。


  


  


  


  

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桑原稲荷神社 - つがるみち460




 青森市の桑原には、「昭和大仏」で知られる青龍寺がありますが、その近くに稲荷神社が鎮座しています。
 この神社の拝殿には、地元の方が書いたと思われる「桑原郷土史」が掲げられていますが、それによると、
【桑原の地名は、昔この地一帯に桑の木即ち山桑がいっぱいはえていたところから名づけられたという。小字には山崎、稲葉があり、元亀元年(一五七○年)の頃、十数件を要した部落であった。】と、その地名の由来が説明されています。
 また、
【桑原方面のイゾ森は、天然のチャシ即ち砦である。・・・付近からは、縄文前期と中期の土器が出土している。】と書かれていますが、一帯には、縄文から平安へと続く遺跡があり、「桑原遺跡」と呼ばれています。この神社の境内からも平安時代の土師器などが発見されていて、「桑原稲荷神社遺跡」と名づけられているようです。


  


 道路沿いの一の鳥居から、小高い山の上に向かって参道が延びていますが、途中には小公園もあり、下の町並みを見渡すことができます。
 山頂に社殿が立っていて、御神燈や神馬、手水石、鳥居を伴った猿田彦大神の碑がありました。


  


  


  


 この稲荷神社は、青森市内の諏訪神社の兼務社になっていますが、
【御祭神:稲荷大神  安政2年(1855)の書上帖には、稲荷宮一宇、往古建立年月不詳、享保19年(1734)より村中で五穀成就の為に再建。本社 板葺二而建坪三尺四方、覆 萱葺二而建坪弐間に四間、御神楽の儀は三ヶ年に一度執行、と記される。貞享4年(1687)の検地帳には、稲荷社地、宮無之とある。】と紹介されています。

 また続けて、
【菅江真澄は「すみかの山」寛政8年(1796)4月20日に「桑原の村になれば、鯨森といふに稲荷の神籬あり。むかし鯢(くじらのこ)の寄り来しところに神をいはひまつる、飯形の社これなりといふ」と稲荷神社の由来伝承を記している。】とありますが、この神社が「鯨森」と呼ばれていたことについては、先の「桑原郷土史」にも書かれていました。

  

※【】は、拝殿内の説明板と諏訪神社HPからの引用です。

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石渡羽黒神社 - つがるみち459

  


 先回お伝えした八代羽黒神社のすぐ近くに、石渡(いしわたり)の羽黒神社があります。詳しくは分かりませんが、この両羽黒神社が、石渡と八代町との境目になっているようです。

 石渡の交差点の信号を県道37号線の方に右折した所に赤い鳥居が立っていて、田んぼに沿って参道が続いていますが、私は、八代羽黒神社からの裏道を通って境内へと出ました。

 二の鳥居の注連縄は金属製の物で、境内には御神燈や狛犬などはなく、末社の祠が二つと石塔が一基立っていました。
 祠は、「南無妙法蓮華経南無地蔵菩薩」と書かれたものと「愛宕山」と書かれたものですが、それぞれに石仏が祀られていました。


   


 この神社の由緒については、全く分かりません、御祭神は隣の八代羽黒神社と同じ倉稲魂命でしょうか。

 かつてはこの地に「石渡村中抱えの観音堂」があったようです。この観音堂が神社の前身だと思われますが、祠の石仏は、そんな神仏習合の名残を伝えているようです。
 

  


  


  


  

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柏木八幡宮 - つがるみち458




 津軽の神社でよく見かける「鳥居の鬼っこ」。掲げられている場所は、一の鳥居、二、三の鳥居であったり、拝殿の屋根の下であったりとさまざまですが、色や形、表情などにそれぞれ特徴があり、見ていてあきません。
 平川市にも、そんな「鬼っこ」のある神社が二つあります(もっとあるのかも知れませんが、私の知っている限りでは)。
 ひとつは、日沼の三社神社で、ここの鬼っこはカラフルな青鬼でした。そして、もう一社は柏木町に鎮座する八幡宮です。
 石で造られた地味な感じの鬼っこですが、ちょっと寄り目の愛嬌のある顔つきで、その両肩で、重そうな鳥居を、いっしょうけんめい支えています。





 柏木町の中心部にあるこの神社は、道路沿いに鎮座していて、「八幡宮」と書かれた一の鳥居、「八幡大神」の額が架かる二の鳥居、そして鬼っこのある三の鳥居と参道が続いています。四の鳥居の後ろにもうひとつ馬蹄形の鳥居があって、奥に拝殿が立っています。
 境内には、狛犬と御神馬がそれぞれ数対と、手水石や石灯籠、庚申塔や青面金剛などもあり、なかなかにぎやかです。

 大きなイチョウの木が数本そびえていて、境内はこんもりとした森になっています。拝殿の横に、八坂神社があり、その門には龍が刻まれていました。また、社殿のわきには、忠魂碑や地元力士の顕彰碑なども立っています。


   


 その由緒については詳しくは分かりませんが、
【御祭神:譽田別尊  創立由緒不詳なるも、社伝に依れば、慶長六年 (一六〇一)、津軽大守藤原朝臣為信公、故ありて神鏡一面寄付の上、三間四方の社殿を建立し勧請したと云う。しかし、元和初年、社殿焼失のため神鏡一面のみ残して、縁起書宝物等は全て灰塵に帰すと云う。後に元和八年 (一六二二)、修験者義法坊、柏木の境内に小社を建てて、八幡宮を勧請したと伝えられる。 ※青森県神社庁旧HPより】とあり、長い歴史をもつ地域の産土社です。


  


  


  

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中野目惣染宮 - つがるみち457

  

 
 藤崎町の中野目の集落の西側に惣染宮があります。
 訪ねる前に、地図を見て場所を確かめたのですが、よく分からずうろうろした挙句、やっとたどり着きました。

 りんご畑の中を小さな農道が通っており、その傍らに赤い鳥居が立っています。扁額には「惣染宮」、社号標には「馬頭観世音庚申塚」と書かれていましたが、その名の通り、馬頭観音を祀る社で、江戸末期に立てられた庚申塔(猿田彦碑)などがあります。

 境内には、鮮やかな衣装をまとった御神馬と狛犬、庚申塔が何基か立っていますが、ひときわ目を引くのが、ハリギリの大木で、樹齢等は分かりませんが、この社の御神木になっているようです。

 庚申塔のそばに「馬頭観音大神」と刻まれた大きな碑があります。これは、建立300年の記念碑で、平成2年に、地域の人達の手で300年祭が執り行われ、大がかりな整備が行われたとのことです。

 
   


 その由緒については、
【中野目村には「三間と四間の観音堂地があり、元禄二年(1689 年)に神職の長利太夫が勧請してお堂を建て、観音を祀った‥」という内容の古い記録があります。そして、貞享4年( 1687 年)の「御検地水帳」には、「観音堂地十二歩」の記載が見られ、ここの堂地が古くからあったということが分かります。また、村の豪農で大庄屋も務めた村上多次兵衛が、昔からの観音堂地に堂社と鳥居を建て松や杉を植えて馬頭観音を祀ったという記録も残っています。 ※藤崎町「ふるさとの史跡散歩」より】と書かれています。

 社殿の後ろ側にはりんご畑が広がっています。私が訪ねたときにはまだ花が咲いていませんでしたが、きっと今頃は白いりんごの花で埋め尽くされていることでしょう。


  


  


  

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八代羽黒神社 - つがるみち456




 弘前市の八代町(やしろまち)は、県道37号線沿いに位置する地区ですが、ここに羽黒神社があります。
 住所はちがっていますが、この神社から歩いてすぐのところにもうひとつ羽黒神社が建っていて、境内からはその杜が見えます。
 二つの羽黒神社が隣に並んで立っているわけですが、こちらは町名を冠していて八代羽黒神社となっています。

 住宅とりんご畑に囲まれた所にぽつんと立つ小さな神社ですが、一の鳥居の注連縄は金属製の立派なもので、そこから参道が続いています。
 
 境内には、狛犬や御神燈などはなく、拝殿と本殿のみ。拝殿のとなりと、一の鳥居の近くにそれぞれ末社の祠が立っているだけの、いたってシンプルな社です。
 私が訪ねたときは天気も良く、白いりんごの花や境内に咲いている草花がとてもきれいでした。


   


 御祭神は倉稲魂命で、その由緒については、
【創建は不詳であるが、宝永二年 (一七〇五年) の「社堂縁起」には「船水村羽黒権現宮、貞享三年 (一六八六年) に建立」とあり、安政二年 (一八五五年) の「神社書上帳」には「藤代組八代村、石渡村の産神羽黒宮」とあり、当時は両村の産土神社だったようである。】とあります。
 津軽藩では貞享4年(1687)の総検地後、新たに行政区域25組を設置しましたが、由緒に書かれている「藤代組」もそのひとつでした。


     


 由緒には続けて、
【明治七年、制度改正により船水鎮座少彦名神社に合祀されるも、氏子の羽黒神に寄せる熱意強く、旧六月二日の例祭日には旧社地に氏子が集り盛大なる羽黒祭を行うのを例としてきたが、終戦後俄に旧社地、社殿に還遷しようとの気運が高まり昭和二十九年旧六月一日、実現に至り再興された。】と書かれていますが、地元の人々のこの神社に寄せる崇敬の念は強いものがあったようです。


    

※【】は、青森県神社庁の旧HPからの引用です。HPは現在、リニューアルされて新しくなっているようです。

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鬼沢牛頭天皇社 - つがるみち455




 岩木山麓の鬼伝説が残る弘前市鬼沢。その伝説の象徴である鬼神社へ向かう途中の道路沿いに、小高い丘があり、そこに赤い鳥居が立っています。
 この道路を通るたびに気になりながらも素通りしていたのですが、今回は車を降りて立ち寄ってみました。
 石段を上ると鳥居があり、その扁額には「牛頭天皇」と書かれています。地図上でも、この社は牛頭天皇社となっていました。

 丘の上には小さな社殿がひとつあって、中には御神酒が供えられ、大切に祀られています。そして、社殿を囲むように、数多くの庚申塔や猿田彦碑が立っていますが、その大きさ、形、年代ともさまざまです。社殿の後ろ側はちょっとした崖になっていて、川が流れていました。

 地元の方のHP「フジタ林檎園」では、鬼沢に伝わる伝説や神社の由来などについて数多く紹介していますが、私もこのHPを見て、鬼沢めぐりをしたことがありました。

 この牛頭天皇社については、
【牛頭天皇は、閻魔大王の側近とされ知られています。周囲に2分する河川の地点に祀られています。その理由は、その昔、村人たちが河川から流れる水取りの争い事を避けるためとの云われがあります。・・・村人が河川から流れる「水取り」の争い事が起きないよう、閻魔大王の側近である牛頭天皇をここに配置し、監視するといった云われから、ここに現在も丁重に祀られています。】と紹介されています。


    


 牛頭天皇社から、少し歩いた所に猿田彦神社があります。
 この社もまた、川に沿った小高い丘の上にあり、たくさんの庚申塔がずらっと並んで立っています。その様子は牛頭天皇社とそっくりで、「兄弟社」といった感じです。
 ひとつの庚申塔には、「言わざる、聞かざる、見ざる」の三猿が描かれていました。

 この場所に多くの庚申塔や猿田彦碑が祀られていることについては、
【猿田彦神は、この地では、昔から河川の水を引く大神様として村人から信仰される云われからも祀られているようです。】とありました。

 伝説では、鬼沢の鬼は、「水不足で困っている村人のために、一夜にして堰を造り、水を引いてくれた。」とありますが、この地では、農業に欠かせない水の確保を願って、鬼人、牛頭天皇、猿田彦などを祀る風習が根づいていたようです。

 
    


   

※【】は、前述のHP「フジタ林檎園」からの抜粋です。

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合子沢稲荷神社 - つがるみち454




 青森市合子沢の猿田彦大神から少し歩いた所に稲荷神社が鎮座しています。
 坂道を歩いて行くと、道路がY字形に分かれている場所があり、そこに豪華なジャンバラ型の注連縄が張られた一の鳥居があります。
 境内には、狛犬や御神燈、末社の十和田神社などが立っている他、滑り台や相撲の土俵などもあり、子ども達の遊び場や村人の憩いの場にもなっている様子がうかがえます。


   


 この神社の由緒については詳しくは分かりませんが、寛保元年(1741)、五穀豊穣と村中繁栄を願って、合子沢村と近隣の村が共同して建立した社のようです。

 以後、地域の産土社として崇敬され、明治初期には雲谷の稲荷神社などを合祭して村社となり、合子沢神社と改称。その後再び稲荷神社と称し、現在に至っています。御祭神は倉稲魂命、猿田彦大神、大宮姫神。


    


    


 後で分かったことですが、この神社から200mほど離れた所に合子沢松森(2)遺跡があります。
 合子沢一帯は、八甲田山の噴火によってできた台地上に立地しており、縄文時代から平安期にかけての集落跡が多数見つかっています。
 それらには、「合子沢松森(1)、(2)・・遺跡」というように番号がつけられていますが、この稲荷神社の近くのものは、合子沢松森(2)遺跡です。
 この遺跡は、東北新幹線建設工事に係わって発掘調査が実施されましたが、
【調査の結果、竪穴住居跡、土器埋設遺構、溝跡などの遺構や土師器や須恵器などの遺物を確認し、本遺跡は、平安時代を主体とする遺跡であることが判明した。 ※青森市教育委員会「合子沢松森(2)遺跡」発掘調査概報より】とのことです。

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桜 さくら

 津軽の桜も、あっという間に葉桜になってしまいましたが、祭りで混み合う時間帯を避けて、近くの公園をブラブラしてみました。

◇黒石市東公園 (4月21日)

  


  

◇弘前市弘前公園 (4月30日)

  


  

◇平川市猿賀公園 (5月 2日)

  


  

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藤越鹿嶋神社 - つがるみち453




 藤崎町に藤越という集落がありますが、その由来について次のような話が残されています。
【藤越は昔「田中萢」と呼ばれる湿地帯でした。慶長年間、細越村(現在は青森市)で開拓に励んでいた木村弥太衛門ら3人の夢枕に鹿島神が現れて、「田中萢を開拓せよ‥」と告げました。3人は勇んで開拓を進め、その土地は立派な耕地になったのでした。】


 集落の道路沿いに鹿嶋神社が鎮座しています。
 御祭神は武甕槌神で、境内には御神燈や狛犬、庚申塔、藤越村の由来を記した記念碑などが立っています。
 社殿の横に鳥居を伴った馬頭観音堂があり、そのそばには、根元から三つに分かれた大きな御神木があります。馬頭観音堂のまわりの桜がとてもきれいでした。
 

   


 その由緒については、
【慶長元年(1596年)、現在地より東側の字東一本木にお堂が建てられ、藤崎村の毘沙門宮(鹿島神社)の分霊を祀って鎮守としたのがこの神社の始まりとされます。そして明治21 年(1881年)お堂が火災で焼失し、その後現在の字西一本木に移転しました。】とあります。


    


 由緒に書かれている「藤崎村の毘沙門宮」とは現在の鹿島神社のことですが、この社は町の中心部にあり、「坂上田村麻呂が戦勝を祝って毘沙門堂を立てた際、植えた一本の藤の木から花が咲き、一帯は藤咲(崎)村と呼ばれるようになった」といういわれをもつ神社です。

 ここ藤越の鹿嶋神社は、その分霊を祀って創建された分けですが、
【その時、藤崎村の毘沙門宮の神木の藤の木から一夜にして根や枝葉が伸び田中萢に至ったので、この地を「藤越」と改め、神社を創建した。】といわれています。


    

※【】は、藤崎町「ふるさとの史跡散歩」を参照しました。

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中島小畑八幡宮 - つがるみち452




 藤崎町の中島地区に中島小畑八幡宮が鎮座しています。
「中島」と「小畑」という隣接した集落の名前を併せ持つ神社となっています。
 第二次世界大戦以前には、中島と小畑は、「中小(なかこ)」と呼ばれ、一つの村として活動していました。神社名は、そんな当時の様子を物語るものといえそうです。

 御祭神は誉田別命と八幡太郎義家で、参道には、御神燈や狛犬とともに、八幡様のお使いである鳩の像(狛鳩)も置かれています。
 境内には末社と地蔵堂、百万遍塚、庚申塔と猿田彦碑の他、郷土力士の顕彰碑なども立っていました。


   


 参道の入口に由緒を記した説明板がありますが、それによると、この神社の創建は明治八年(1875)、矢沢の正八幡宮の遥拝所として分離・建立されたとのことで、当初は「正八幡宮遥拝所」と呼ばれていたようです。

 
    


 説明板には、
【分離にあたり、中島、小畑地区の人々は、川部の熊野宮の奥の院を譲り受け、近くの赤沼のほとりに祀られていた薬師様をも合祀して、新しい堂社を建立した。】と書かれていました。


    

 因みに、由緒に出てくる赤沼
赤沼 ※藤崎町観光情報サイト「ふじさんぽ」より
は福舘地区にある沼ですが、この沼には「村に異変があると赤く濁ったことからその名がついたといわれており、村人は沼の色を見て豊凶を占っていた。」という話が伝えられています。

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福舘稲荷神社 - つがるみち451




 藤崎町の福舘(ふくだて)は、合併以前は旧常盤村に属していた集落です。
 旧常盤村は、室町時代から戦国時代にかけて、安東氏や浪岡北畠氏が支配していた所で、久井名舘など、安東氏や北畠氏ゆかりの武将の館跡に由来する地名が残されています。
 福舘もそのような集落のひとつで、中世の安東時代に築かれた砦から名づけられたものだといわれています。

 稲荷神社は、そんな福舘の中心に鎮座している社ですが、道路沿いの真っ赤な鳥居と、そのそばに立つ幕末と明治期の大きな庚申塔が印象的な神社です。


 御祭神は宇賀魂命で、その由緒については、
【延宝3年(1675) に、福舘村の一戸弥五左衛門という人が、産土様のお宮として建てたのが始まりだと伝えられています。その昔、神社から西方約30丁(約3270m)の所に「舘」があり、北畠氏の一族が守り住んでいましたが、この神社は、その古舘の守護神だということです。】と紹介されています。

  
    

 また、建立にまつわる話として、
【一戸弥五左衛門らがこの村の田地を開墾した時、一人のおじいさんが現れ、持っていた杖で「ここが良い土地だ」と導いてくれました。そして「私は舘の神様である」と告げたというのです。そのことから一戸弥五左衛門が延宝3年にその神様を祀るお堂を建て、皆崇敬するようになったということです。】という物語も残されているようです。


    



   

※【】は、藤崎町「ふるさとの史跡散歩」を参照しました。

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ようやく桜

 津軽にもようやく桜の季節が訪れ、今週からは各地で桜祭りが行われています。
 以下は、平川市の猿賀公園の様子です。


    


    


    


    

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合子沢猿田彦大神 - つがるみち450




 雲谷の稲荷神社から合子沢(ごうしざわ)の方に足を伸ばしてみました。
 合子沢は自然に恵まれた集落で、合子沢川にはイワナやヤマメが生息しており、上流には養魚場もあります。
 また、周辺一帯はタケノコをはじめとする山菜の宝庫で、湧水もあります。平成10年には、青森市制施行100周年に合わせてオープンした合子沢記念公園も造られ、市内から近いこともあり、たくさんの人々が訪れています。




 私は集落に鎮座する稲荷神社に行ってみたのですが、神社へと向かう途中の坂道に赤い鳥居が立っていたので立ち寄ってみました。
 小高い丘の上に社殿といくつかの石碑が立っていて、付近からは八甲田山と雲谷峠を望むことができます。
 何の社かは分からなかったのですが、後で地図を見たら「猿田彦大神」となっていました。


    


 鳥居をくぐると、そのそばには、天保三年と刻まれた猿田彦大神の石碑が立っていて、そこから少し上った所に社殿があり、両脇に重そうな注連縄が張られた大きな碑が立っていました。

 左側の碑は慶應四年建立の馬頭観音碑。とても大きくて立派なものです。
 一方、右側には、石碑が二つ並んで置かれています。ひとつは、嘉永四年と刻まれた保食神ですが、もうひとつは嘉永三年と銘記されていますが、何の碑かよく分かりませんでした。注連縄の下の方に馬の姿が描かれているところをみると、これも馬頭観音碑なのかも知れません。


    

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雲谷稲荷神社 - つがるみち449




 青森市の雲谷峠(もやとうげ)は、標高553m、三角型のきれいな形をした山で、付近の道路からは岩木山が望める展望所などもあります。
 八甲田山の手前にあり、形もよいことから市民に親しまれ、スキー場としても賑わいをみせている山です。
 この山の裾野一帯には、昔、阿弥須(オヤス)という女首長が率いる蝦夷の集団が住み着いていて、蝦夷征伐を目指す坂上田村麻呂に激しく抵抗したという伝説があります。難儀した田村麻呂は、蝦夷を驚かすために太鼓や鐘を鳴らして攻め立て、阿弥須軍を屈服させたとされており、これが青森ねぶたの起源だともいわれています。
 ⇒ 大星神社の記事へ
 名前は「雲谷峠」ですが、実は峠ではなく独立した山なのですが、それは、女首長・阿弥須の弟である頓慶(トンケイ)に由来するといわれています。即ち、田村麻呂と戦った蝦夷の英雄を偲んで、地元の古老たちは、この山を「雲谷のトンケ」と呼んできましたが、後に、「トンケ」に「峠」の字が当てられ「雲谷峠」になったとされているようです。 




 雲谷峠(山)に行く途中に「津軽藩雲谷牧場趾の碑」が立っています。
 石碑の裏側には、
【雲谷の牧場について  雲谷の牧場は初開不詳で薩摩の浪人川越六郎左衛門が故あって雲谷に居住、牧場を開いていたと伝えられている。津軽藩では寛永八年正月川越源右衛門を牧頭とし献上馬進上馬などの名馬養育のため牧場を開かせた。幾多の名馬を産し公卿諸侯へ送られた。 ー以下略ー ※碑文より】と書かれていました。

 津軽藩では、3代藩主・信義と続く4代・信政の頃から産業振興が盛んになりましたが、新田の開発や鉱山の開発とともに良馬の生産に重点が置かれ、津軽坂(鶴ヶ坂)、枯木平、滝の沢、入内、そしてこの雲谷の地に牧場が開かれました。これらの牧場は「津軽五牧」と呼ばれ、良馬を産出し、各地の有力大名への献上品ともなりました。
 雲谷牧が開かれたのは寛永八年(1631)の頃で、天保三年(1832)に藩の財政急迫により廃止されましたが、以後も村営牧場として良馬を産出し続けたようです。




 稲荷神社は、牧場跡のすぐ近くの道路沿いに鎮座している社です。
 金色の米俵が乗った太い注連縄が張られた一の鳥居のそばには猿田彦の碑があり、奥へと参道が続いています。
 境内には、社殿がポツンと立っているだけで、いたってシンプルな神社です。 
 その由緒などについては詳しく分かりませんが、村人から「雲の明神」として崇められてきた神社です。

 かつては、雲谷峠(山)に鎮座していましたが、後に現在の場所に遷座したといわれています。平安の頃、この地を治めていた雲谷のトンケイが、山中に空堀を巡らした一社を建立し、「雲の明神」と名づけたという、言い伝えがあるようです。


    

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大柳辺稲荷神社 - つがるみち448




 縄文の学び舎・小牧野館がある青森市野沢から、八甲田酸ヶ湯方面へと向かう県道122号線沿いに大柳辺の集落があります。住所は野沢川部となっていますが、バス停などの名前も大柳辺となっている所です。
 大柳辺は「おおやなべ」と読むそうですが、集落の外れに集会所があり、近くに稲荷神社が鎮座しています。


 両端に雪が残る道路に沿って、白、赤、赤の三本の鳥居が並んで立っていますが、石造りの鳥居は稲荷神社、真ん中が庚申様、端っこのものは山神様の鳥居です。

 三つの鳥居には、少し色あせていますがブルーの注連縄が架かっていて、いずれも模様が編まれたジャンバラ型の注連縄です。特に稲荷神社のものは重量感のある豪華なものです。


    


 一の鳥居をくぐりぬけて境内に入ると、参道が続いており、右へ曲がると社殿が立っています。境内には、狛犬や御神燈ほか、いくつかの石塔が置かれています。赤い柱の拝殿には木彫りの龍や特徴のある木鼻が架けられていました。


    





 この神社については詳しくは分かりませんが、拝殿の中に簡単な縁起が記されていました。
○一五九二年 稲荷神社  
○昭和四十六年 拝殿再建  
○昭和五十一年 本殿再建  
○平成二十二年 鳥居再建
○祭神 倉稲霊大神
 どうやらこの社は、文禄年間(1592-1596)に、村人の手によって、五穀豊穣と村の繁栄を願って創建されたようです。 


 鳥居を伴った庚申塔は天保二年、山神様は明治二十三年の建立と刻まれていました。

 山間部に位置しているためか、境内にはまだ少し雪が残ってはいますが、黒い土の間から黄緑色のふきのとうが顔を出し始めていました。


    

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中野不動の滝

 穏やかな日が続き、道路の雪もすっかりとけてしまいましたが、小高い丘の上の神社の境内には、まだ雪が残っています。
 中野山から流れ落ちる水は、神社の社殿の脇を通り、下に向かい、やがて名物の不動の滝となって、中野川に流れ落ちています。この時期は水量も多く、辺りにゴーゴーと水音が響いていました。


  


    


  


  

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猿田彦大神 - つがるみち447




 先日、猿賀神社付近をぶらぶらしていたら、近くに小さな赤い鳥居が立っていたので立ち寄ってみました。
 辺りの住所は平川市猿賀石林になっているようですが、この鳥居は、盛美園の庭の裏側にあり、盛美園の塀が近くまで迫っています。
 鳥居に掲げられている扁額には「猿田彦大神」とあります。背の高い杉が何本か立っており、その奥に猿田彦の碑や青面金剛、庚申塔が置かれています。大きな猿田彦碑には注連縄が張られ、地元の信仰の厚さがうかがえます。


   





 この猿田彦大神の近くは墓地になっていますが、そこに道路によって遮断された形の土盛があり、「遺跡小田ノ森」という説明板が立っています。
【古図に大丹森(オオタンモリ)とあり夷賊酋長大丹丸(大丈丸とも)の首塚があったことから此の名が起ったと言伝えられ古墳塚が五基と七坊あった。昭和三十五年に古銭一万四百六十七枚、焼失屋敷、焼米、鉄製品が出土し、古銭の下限から鎌倉末期に埋れたものと推定されている。この地は縄文から歴史時代に至る遺跡包蔵地帯でもある。 ※説明板より

 縄文の昔から続いていた遺跡らしいのですが、発掘された古銭の中には、紀元前175年の中国の漢の半両銭や紀元前118年の五銖銭なども含まれていたとのことです。

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本町八坂神社 - つがるみち446




 平川市本町は、付近に私鉄の平賀駅やJAの建物、学校などが立ち並ぶ、旧平賀町の中心地ですが、その住宅街の一角に八坂神社が鎮座しています。
 御祭神は須佐之男尊(スサノオノミコト)。その由緒については詳しくは分かりませんが、
【享禄年間(1528-1531)に、大光寺城主・滝本播摩守が千手観音を勧請したのがはじまり】 と伝えられています。


 住宅にはさまれた道を進んで行くと、川があり、そこに赤い神橋が架かっています。橋を渡った所が境内ですが、雪解けが進んだとはいえ、まだ少し雪が残っています。

 境内には新旧の御神塔や狛犬、神馬、地元力士の顕彰碑などが置かれていました。神池を伴った末社が立っていましたが、弁天宮でしょうか。拝殿のとなりには、二十三夜塔と庚申塔、青面金剛像がまとめて置かれていました。


    


    


    

 一帯は、鎌倉時代の初期に幕命を受けた曽我氏が大光寺城主となり治めていましたが、南北朝時代になると安東氏、さらに室町期には南部氏の所領となり、大光寺城には南部氏の城代として滝本氏が入りました。ここ八坂神社の前身である千手観音堂は、その滝本氏が建立したもののようです。

 しかしながら、大浦為信による津軽統一が進み、天正三年(1575)、大光寺城は奇襲を受けて落城します。その後、大光寺城は、為信の娘婿である津軽左馬之助藤原建広(たけひろ)が城主となりましたが、建広は、消失した千手観音堂跡に大光寺城落城戦死者供養のために聖観音堂を建立しました。この観音堂が、明治になって八坂神社となる分けです。
 因みに、津軽左馬之助建広は、後の二代藩主・信枚と津軽家の跡目相続をめぐって争い、津軽の地を追放されたといわれています。


    

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  縄文と弥生  

縄文の学び舎・小牧野館 ー つがるみち445




 青森市の小牧野遺跡は、国の史跡にも指定されており、北東北の縄文後期を代表する遺跡のひとつです。
 遺跡の土坑墓周辺から大量の土器や石器が発掘されている他、墓石や湧水遺構なども発見されていますが、何といってもこの遺跡を特徴づけているのは環状列石の存在です。
【直径2.5mの中央帯、直径29mの内帯、直径35.5mの外帯の三重の輪のほか、さらに外側に、一部四重となる弧状列石や、直線状列石、直径4mの環状列石などがあり、直径は55mにもおよぶ。荒川から運んだと推測された石を、縦に置き、さらにその両脇に平らな石を横に数段積み重ね、さらにその脇に縦に石を置いて環状に並べて、そうして出来た環をさらに三重(一部四重)にしている。この並べ方は石垣の積み方に類似する煩雑な並べ方からも全国的にも非常に珍しく、「小牧野式」と呼ばれている。※wikipediaより

 小牧野遺跡は山中にあるため、冬期間は訪れることは叶いませんが、遺跡から1.5kmほど離れた野沢の集落に「縄文の学び舎・小牧野館」があります。

 野沢には、近くにある津軽三十三霊場24番札所・入内観音堂(小金山神社)の御朱印所がありますが、村の中に今は閉校になった小学校の建物があります。閉校になったとはいえ、建物自体はまだまだ新しく、少しもったいない感じがしますが、ここが現在は小牧野館になっているというわけです。
 HPには、
【「縄文の学び舎・小牧野館」は、平成24年に閉校になった旧野沢小学校(小牧野遺跡から約1.5km)を改修し、出土品の展示や保管、遺跡に関する情報発信など小牧野遺跡の保護の拠点となる施設です。1階には展示室、2階には企画展示室や体験学習室、出土品の収蔵室等を設け、子どもからお年寄りまで楽しく小牧野遺跡を学ぶことができます。】と紹介されています。

 各展示室には、遺跡の解説をはじめ、土器や石器などの出土物、三内丸山遺跡や十腰内遺跡など、県内の代表的な縄文遺跡からの出土品が展示されている他、祭祀に関する道具・模型などが置かれ、縄文人の精神世界を知ることができます。また、環状列石を造るのに使われたと思われる道具(実験用)なども展示されていました。

 
    


    


    





 展示室の一角に、同じ青森市内の山野峠(さんのとうげ)遺跡から出土した土器館が置かれていました。
 山野峠遺跡は、小牧野遺跡と同様、縄文時代後期前半(約4,000年前)の遺跡と考えられていますが、青森市内から浅虫方面へと向かう国道4号線の久栗坂トンネルの真上、標高約90mの峠を挟む斜面に位置しています。一帯は、急斜面であり、周辺には住居に適した平地もないことから、集落は存在しないと思われており、縄文後期の「墓地遺跡」であるといわれています。
 この遺跡からは、同じ時代の石棺墓群と再葬土器棺墓群が互いに並んだ形で発見されました。このことについては、
「種類のちがう墓が同じ時期のものであると確認されたことから、亡くなった人はまず石棺墓に葬られ、後に、その骨が取り出され、土器棺の中に納めて再葬された」と考えられており、その独特の埋葬方法の発見は、縄文後期の墓制・葬制研究上、貴重なものであるとされています。 - 因みに、私はこの遺跡の存在を初めて知りました。

 私が小牧野遺跡を訪ねたのはだいぶ前のことになりますが、雪が解けて、アクセスが可能になった頃に、もう一度行ってみたいと思います。

※小牧野遺跡関係のHPやパンフレット等を参照しました。

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水辺の早春

 三月も終わりに近づいてきました。
 近隣の池や川の様子も、めっきり春めいてきたこの頃です。


    


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市  

弘前天満宮へ

 禅林街から足を伸ばして弘前天満宮に行ってみました。
 卯年生まれの一代様として知られている神社ですが、境内には樹齢数百年とされるシダレザクラや多くの句碑などがあります。

  


    


【天満宮(弘前市)概要: 境内は弘前藩内の修験(山伏)の触頭を勤めてきた大行院のあった場所です。大行院は慶長3年(1598)に弘前藩初代藩主津軽為信が大行院栄尊を招き南郡大根子村に祈願所として開いたのが始まりとされます。大行院栄尊は菅原道真を輩出した菅家の末裔の珍重丸から12代後裔とされ京都で修行を重ね越後の東光院の住職となっていました。慶長4年(1599)に八幡村に移り寺領30石を安堵され、寛永2年(1625)に新寺町に移り、境内地に報恩寺が造営することになり宝暦4年(1755)に現在地(西茂森)に移ってきました。明治4年(1871)に修験廃止令が出され、廃寺に追い込められと急遽津軽家に縁がある天神様を勧請して天満宮と社号を改称しました。この天神様は津軽家発祥の地とされる種里城(鯵ヶ沢町)の鎮守社の御神体でしたが、慶長15年(1610)に2代藩主津軽信牧が弘前城に移し、さらに元禄2年(1689)に4代藩主津軽信牧の生母久祥院が、植田村(現在の中津軽郡岩木町)の橋雲寺に寄進しました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により橋雲寺から神式が廃される事になり天神様が大行院に遷されました。天満宮は、大行院の鎮守社の岩木神社も合祀して茂森町一帯の鎮守となり村社に列しました。境内のシダレザクラは樹齢500年以上、樹高11m、幹周2.6m、大正9年(1920)に選定された「全国大桜番付」では18番目に番付され平成10年(1998)に青森県指定天然記念物に指定されています。祭神:菅原道真朝臣命、文殊菩薩、少彦名神、若木神、倉稲魂命。例祭:6月25日。  ※HP「弘前市・歴史・観光・見所」より


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市  

長勝寺あたり

 弘前公園から禅林街へ。
 長勝寺に立ち寄ってから、となりの隣松寺観音山普門院を訪ねてみました。

  


  


    


  


    
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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市  

春待つ弘前城

 晴れた日の弘前公園とお城はやはりきれいです。
 公園の中では、春に備えて、桜の木の手入れが行われていました。

  


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市  

冬ごもり2

 まだまだ先のことですが、雪解けを待ちながら、ときどき散歩に出かけています。

   


    


    

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 六月になりました。辺りの緑が濃くなり、とても鮮やかです。今後も、ぼちぼちと史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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Author:korekarada       ふるさと「東北・青森県」の史跡を巡り、感想などを綴っています。ときには、まだ見ぬ地方への憧れを「バーチャル旅行記」として、書いていきたいと思います。
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