のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 藤崎町   Tags: つがるみち  

中島小畑八幡宮 - つがるみち452




 藤崎町の中島地区に中島小畑八幡宮が鎮座しています。
「中島」と「小畑」という隣接した集落の名前を併せ持つ神社となっています。
 第二次世界大戦以前には、中島と小畑は、「中小(なかこ)」と呼ばれ、一つの村として活動していました。神社名は、そんな当時の様子を物語るものといえそうです。

 御祭神は誉田別命と八幡太郎義家で、参道には、御神燈や狛犬とともに、八幡様のお使いである鳩の像(狛鳩)も置かれています。
 境内には末社と地蔵堂、百万遍塚、庚申塔と猿田彦碑の他、郷土力士の顕彰碑なども立っていました。


   


 参道の入口に由緒を記した説明板がありますが、それによると、この神社の創建は明治八年(1875)、矢沢の正八幡宮の遥拝所として分離・建立されたとのことで、当初は「正八幡宮遥拝所」と呼ばれていたようです。

 
    


 説明板には、
【分離にあたり、中島、小畑地区の人々は、川部の熊野宮の奥の院を譲り受け、近くの赤沼のほとりに祀られていた薬師様をも合祀して、新しい堂社を建立した。】と書かれていました。


    

 因みに、由緒に出てくる赤沼
赤沼 ※藤崎町観光情報サイト「ふじさんぽ」より
は福舘地区にある沼ですが、この沼には「村に異変があると赤く濁ったことからその名がついたといわれており、村人は沼の色を見て豊凶を占っていた。」という話が伝えられています。

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福舘稲荷神社 - つがるみち451




 藤崎町の福舘(ふくだて)は、合併以前は旧常盤村に属していた集落です。
 旧常盤村は、室町時代から戦国時代にかけて、安東氏や浪岡北畠氏が支配していた所で、久井名舘など、安東氏や北畠氏ゆかりの武将の館跡に由来する地名が残されています。
 福舘もそのような集落のひとつで、中世の安東時代に築かれた砦から名づけられたものだといわれています。

 稲荷神社は、そんな福舘の中心に鎮座している社ですが、道路沿いの真っ赤な鳥居と、そのそばに立つ幕末と明治期の大きな庚申塔が印象的な神社です。


 御祭神は宇賀魂命で、その由緒については、
【延宝3年(1675) に、福舘村の一戸弥五左衛門という人が、産土様のお宮として建てたのが始まりだと伝えられています。その昔、神社から西方約30丁(約3270m)の所に「舘」があり、北畠氏の一族が守り住んでいましたが、この神社は、その古舘の守護神だということです。】と紹介されています。

  
    

 また、建立にまつわる話として、
【一戸弥五左衛門らがこの村の田地を開墾した時、一人のおじいさんが現れ、持っていた杖で「ここが良い土地だ」と導いてくれました。そして「私は舘の神様である」と告げたというのです。そのことから一戸弥五左衛門が延宝3年にその神様を祀るお堂を建て、皆崇敬するようになったということです。】という物語も残されているようです。


    



   

※【】は、藤崎町「ふるさとの史跡散歩」を参照しました。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市  

ようやく桜

 津軽にもようやく桜の季節が訪れ、今週からは各地で桜祭りが行われています。
 以下は、平川市の猿賀公園の様子です。


    


    


    


    

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合子沢猿田彦大神 - つがるみち450




 雲谷の稲荷神社から合子沢(ごうしざわ)の方に足を伸ばしてみました。
 合子沢は自然に恵まれた集落で、合子沢川にはイワナやヤマメが生息しており、上流には養魚場もあります。
 また、周辺一帯はタケノコをはじめとする山菜の宝庫で、湧水もあります。平成10年には、青森市制施行100周年に合わせてオープンした合子沢記念公園も造られ、市内から近いこともあり、たくさんの人々が訪れています。




 私は集落に鎮座する稲荷神社に行ってみたのですが、神社へと向かう途中の坂道に赤い鳥居が立っていたので立ち寄ってみました。
 小高い丘の上に社殿といくつかの石碑が立っていて、付近からは八甲田山と雲谷峠を望むことができます。
 何の社かは分からなかったのですが、後で地図を見たら「猿田彦大神」となっていました。


    


 鳥居をくぐると、そのそばには、天保三年と刻まれた猿田彦大神の石碑が立っていて、そこから少し上った所に社殿があり、両脇に重そうな注連縄が張られた大きな碑が立っていました。

 左側の碑は慶應四年建立の馬頭観音碑。とても大きくて立派なものです。
 一方、右側には、石碑が二つ並んで置かれています。ひとつは、嘉永四年と刻まれた保食神ですが、もうひとつは嘉永三年と銘記されていますが、何の碑かよく分かりませんでした。注連縄の下の方に馬の姿が描かれているところをみると、これも馬頭観音碑なのかも知れません。


    

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雲谷稲荷神社 - つがるみち449




 青森市の雲谷峠(もやとうげ)は、標高553m、三角型のきれいな形をした山で、付近の道路からは岩木山が望める展望所などもあります。
 八甲田山の手前にあり、形もよいことから市民に親しまれ、スキー場としても賑わいをみせている山です。
 この山の裾野一帯には、昔、阿弥須(オヤス)という女首長が率いる蝦夷の集団が住み着いていて、蝦夷征伐を目指す坂上田村麻呂に激しく抵抗したという伝説があります。難儀した田村麻呂は、蝦夷を驚かすために太鼓や鐘を鳴らして攻め立て、阿弥須軍を屈服させたとされており、これが青森ねぶたの起源だともいわれています。
 ⇒ 大星神社の記事へ
 名前は「雲谷峠」ですが、実は峠ではなく独立した山なのですが、それは、女首長・阿弥須の弟である頓慶(トンケイ)に由来するといわれています。即ち、田村麻呂と戦った蝦夷の英雄を偲んで、地元の古老たちは、この山を「雲谷のトンケ」と呼んできましたが、後に、「トンケ」に「峠」の字が当てられ「雲谷峠」になったとされているようです。 




 雲谷峠(山)に行く途中に「津軽藩雲谷牧場趾の碑」が立っています。
 石碑の裏側には、
【雲谷の牧場について  雲谷の牧場は初開不詳で薩摩の浪人川越六郎左衛門が故あって雲谷に居住、牧場を開いていたと伝えられている。津軽藩では寛永八年正月川越源右衛門を牧頭とし献上馬進上馬などの名馬養育のため牧場を開かせた。幾多の名馬を産し公卿諸侯へ送られた。 ー以下略ー ※碑文より】と書かれていました。

 津軽藩では、3代藩主・信義と続く4代・信政の頃から産業振興が盛んになりましたが、新田の開発や鉱山の開発とともに良馬の生産に重点が置かれ、津軽坂(鶴ヶ坂)、枯木平、滝の沢、入内、そしてこの雲谷の地に牧場が開かれました。これらの牧場は「津軽五牧」と呼ばれ、良馬を産出し、各地の有力大名への献上品ともなりました。
 雲谷牧が開かれたのは寛永八年(1631)の頃で、天保三年(1832)に藩の財政急迫により廃止されましたが、以後も村営牧場として良馬を産出し続けたようです。




 稲荷神社は、牧場跡のすぐ近くの道路沿いに鎮座している社です。
 金色の米俵が乗った太い注連縄が張られた一の鳥居のそばには猿田彦の碑があり、奥へと参道が続いています。
 境内には、社殿がポツンと立っているだけで、いたってシンプルな神社です。 
 その由緒などについては詳しく分かりませんが、村人から「雲の明神」として崇められてきた神社です。

 かつては、雲谷峠(山)に鎮座していましたが、後に現在の場所に遷座したといわれています。平安の頃、この地を治めていた雲谷のトンケイが、山中に空堀を巡らした一社を建立し、「雲の明神」と名づけたという、言い伝えがあるようです。


    

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大柳辺稲荷神社 - つがるみち448




 縄文の学び舎・小牧野館がある青森市野沢から、八甲田酸ヶ湯方面へと向かう県道122号線沿いに大柳辺の集落があります。住所は野沢川部となっていますが、バス停などの名前も大柳辺となっている所です。
 大柳辺は「おおやなべ」と読むそうですが、集落の外れに集会所があり、近くに稲荷神社が鎮座しています。


 両端に雪が残る道路に沿って、白、赤、赤の三本の鳥居が並んで立っていますが、石造りの鳥居は稲荷神社、真ん中が庚申様、端っこのものは山神様の鳥居です。

 三つの鳥居には、少し色あせていますがブルーの注連縄が架かっていて、いずれも模様が編まれたジャンバラ型の注連縄です。特に稲荷神社のものは重量感のある豪華なものです。


    


 一の鳥居をくぐりぬけて境内に入ると、参道が続いており、右へ曲がると社殿が立っています。境内には、狛犬や御神燈ほか、いくつかの石塔が置かれています。赤い柱の拝殿には木彫りの龍や特徴のある木鼻が架けられていました。


    





 この神社については詳しくは分かりませんが、拝殿の中に簡単な縁起が記されていました。
○一五九二年 稲荷神社  
○昭和四十六年 拝殿再建  
○昭和五十一年 本殿再建  
○平成二十二年 鳥居再建
○祭神 倉稲霊大神
 どうやらこの社は、文禄年間(1592-1596)に、村人の手によって、五穀豊穣と村の繁栄を願って創建されたようです。 


 鳥居を伴った庚申塔は天保二年、山神様は明治二十三年の建立と刻まれていました。

 山間部に位置しているためか、境内にはまだ少し雪が残ってはいますが、黒い土の間から黄緑色のふきのとうが顔を出し始めていました。


    

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

中野不動の滝

 穏やかな日が続き、道路の雪もすっかりとけてしまいましたが、小高い丘の上の神社の境内には、まだ雪が残っています。
 中野山から流れ落ちる水は、神社の社殿の脇を通り、下に向かい、やがて名物の不動の滝となって、中野川に流れ落ちています。この時期は水量も多く、辺りにゴーゴーと水音が響いていました。


  


    


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

猿田彦大神 - つがるみち447




 先日、猿賀神社付近をぶらぶらしていたら、近くに小さな赤い鳥居が立っていたので立ち寄ってみました。
 辺りの住所は平川市猿賀石林になっているようですが、この鳥居は、盛美園の庭の裏側にあり、盛美園の塀が近くまで迫っています。
 鳥居に掲げられている扁額には「猿田彦大神」とあります。背の高い杉が何本か立っており、その奥に猿田彦の碑や青面金剛、庚申塔が置かれています。大きな猿田彦碑には注連縄が張られ、地元の信仰の厚さがうかがえます。


   





 この猿田彦大神の近くは墓地になっていますが、そこに道路によって遮断された形の土盛があり、「遺跡小田ノ森」という説明板が立っています。
【古図に大丹森(オオタンモリ)とあり夷賊酋長大丹丸(大丈丸とも)の首塚があったことから此の名が起ったと言伝えられ古墳塚が五基と七坊あった。昭和三十五年に古銭一万四百六十七枚、焼失屋敷、焼米、鉄製品が出土し、古銭の下限から鎌倉末期に埋れたものと推定されている。この地は縄文から歴史時代に至る遺跡包蔵地帯でもある。 ※説明板より

 縄文の昔から続いていた遺跡らしいのですが、発掘された古銭の中には、紀元前175年の中国の漢の半両銭や紀元前118年の五銖銭なども含まれていたとのことです。

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本町八坂神社 - つがるみち446




 平川市本町は、付近に私鉄の平賀駅やJAの建物、学校などが立ち並ぶ、旧平賀町の中心地ですが、その住宅街の一角に八坂神社が鎮座しています。
 御祭神は須佐之男尊(スサノオノミコト)。その由緒については詳しくは分かりませんが、
【享禄年間(1528-1531)に、大光寺城主・滝本播摩守が千手観音を勧請したのがはじまり】 と伝えられています。


 住宅にはさまれた道を進んで行くと、川があり、そこに赤い神橋が架かっています。橋を渡った所が境内ですが、雪解けが進んだとはいえ、まだ少し雪が残っています。

 境内には新旧の御神塔や狛犬、神馬、地元力士の顕彰碑などが置かれていました。神池を伴った末社が立っていましたが、弁天宮でしょうか。拝殿のとなりには、二十三夜塔と庚申塔、青面金剛像がまとめて置かれていました。


    


    


    

 一帯は、鎌倉時代の初期に幕命を受けた曽我氏が大光寺城主となり治めていましたが、南北朝時代になると安東氏、さらに室町期には南部氏の所領となり、大光寺城には南部氏の城代として滝本氏が入りました。ここ八坂神社の前身である千手観音堂は、その滝本氏が建立したもののようです。

 しかしながら、大浦為信による津軽統一が進み、天正三年(1575)、大光寺城は奇襲を受けて落城します。その後、大光寺城は、為信の娘婿である津軽左馬之助藤原建広(たけひろ)が城主となりましたが、建広は、消失した千手観音堂跡に大光寺城落城戦死者供養のために聖観音堂を建立しました。この観音堂が、明治になって八坂神社となる分けです。
 因みに、津軽左馬之助建広は、後の二代藩主・信枚と津軽家の跡目相続をめぐって争い、津軽の地を追放されたといわれています。


    

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  縄文と弥生  

縄文の学び舎・小牧野館 ー つがるみち445




 青森市の小牧野遺跡は、国の史跡にも指定されており、北東北の縄文後期を代表する遺跡のひとつです。
 遺跡の土坑墓周辺から大量の土器や石器が発掘されている他、墓石や湧水遺構なども発見されていますが、何といってもこの遺跡を特徴づけているのは環状列石の存在です。
【直径2.5mの中央帯、直径29mの内帯、直径35.5mの外帯の三重の輪のほか、さらに外側に、一部四重となる弧状列石や、直線状列石、直径4mの環状列石などがあり、直径は55mにもおよぶ。荒川から運んだと推測された石を、縦に置き、さらにその両脇に平らな石を横に数段積み重ね、さらにその脇に縦に石を置いて環状に並べて、そうして出来た環をさらに三重(一部四重)にしている。この並べ方は石垣の積み方に類似する煩雑な並べ方からも全国的にも非常に珍しく、「小牧野式」と呼ばれている。※wikipediaより

 小牧野遺跡は山中にあるため、冬期間は訪れることは叶いませんが、遺跡から1.5kmほど離れた野沢の集落に「縄文の学び舎・小牧野館」があります。

 野沢には、近くにある津軽三十三霊場24番札所・入内観音堂(小金山神社)の御朱印所がありますが、村の中に今は閉校になった小学校の建物があります。閉校になったとはいえ、建物自体はまだまだ新しく、少しもったいない感じがしますが、ここが現在は小牧野館になっているというわけです。
 HPには、
【「縄文の学び舎・小牧野館」は、平成24年に閉校になった旧野沢小学校(小牧野遺跡から約1.5km)を改修し、出土品の展示や保管、遺跡に関する情報発信など小牧野遺跡の保護の拠点となる施設です。1階には展示室、2階には企画展示室や体験学習室、出土品の収蔵室等を設け、子どもからお年寄りまで楽しく小牧野遺跡を学ぶことができます。】と紹介されています。

 各展示室には、遺跡の解説をはじめ、土器や石器などの出土物、三内丸山遺跡や十腰内遺跡など、県内の代表的な縄文遺跡からの出土品が展示されている他、祭祀に関する道具・模型などが置かれ、縄文人の精神世界を知ることができます。また、環状列石を造るのに使われたと思われる道具(実験用)なども展示されていました。

 
    


    


    





 展示室の一角に、同じ青森市内の山野峠(さんのとうげ)遺跡から出土した土器館が置かれていました。
 山野峠遺跡は、小牧野遺跡と同様、縄文時代後期前半(約4,000年前)の遺跡と考えられていますが、青森市内から浅虫方面へと向かう国道4号線の久栗坂トンネルの真上、標高約90mの峠を挟む斜面に位置しています。一帯は、急斜面であり、周辺には住居に適した平地もないことから、集落は存在しないと思われており、縄文後期の「墓地遺跡」であるといわれています。
 この遺跡からは、同じ時代の石棺墓群と再葬土器棺墓群が互いに並んだ形で発見されました。このことについては、
「種類のちがう墓が同じ時期のものであると確認されたことから、亡くなった人はまず石棺墓に葬られ、後に、その骨が取り出され、土器棺の中に納めて再葬された」と考えられており、その独特の埋葬方法の発見は、縄文後期の墓制・葬制研究上、貴重なものであるとされています。 - 因みに、私はこの遺跡の存在を初めて知りました。

 私が小牧野遺跡を訪ねたのはだいぶ前のことになりますが、雪が解けて、アクセスが可能になった頃に、もう一度行ってみたいと思います。

※小牧野遺跡関係のHPやパンフレット等を参照しました。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 藤崎町  

水辺の早春

 三月も終わりに近づいてきました。
 近隣の池や川の様子も、めっきり春めいてきたこの頃です。


    


  


  


  

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弘前天満宮へ

 禅林街から足を伸ばして弘前天満宮に行ってみました。
 卯年生まれの一代様として知られている神社ですが、境内には樹齢数百年とされるシダレザクラや多くの句碑などがあります。

  


    


【天満宮(弘前市)概要: 境内は弘前藩内の修験(山伏)の触頭を勤めてきた大行院のあった場所です。大行院は慶長3年(1598)に弘前藩初代藩主津軽為信が大行院栄尊を招き南郡大根子村に祈願所として開いたのが始まりとされます。大行院栄尊は菅原道真を輩出した菅家の末裔の珍重丸から12代後裔とされ京都で修行を重ね越後の東光院の住職となっていました。慶長4年(1599)に八幡村に移り寺領30石を安堵され、寛永2年(1625)に新寺町に移り、境内地に報恩寺が造営することになり宝暦4年(1755)に現在地(西茂森)に移ってきました。明治4年(1871)に修験廃止令が出され、廃寺に追い込められと急遽津軽家に縁がある天神様を勧請して天満宮と社号を改称しました。この天神様は津軽家発祥の地とされる種里城(鯵ヶ沢町)の鎮守社の御神体でしたが、慶長15年(1610)に2代藩主津軽信牧が弘前城に移し、さらに元禄2年(1689)に4代藩主津軽信牧の生母久祥院が、植田村(現在の中津軽郡岩木町)の橋雲寺に寄進しました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により橋雲寺から神式が廃される事になり天神様が大行院に遷されました。天満宮は、大行院の鎮守社の岩木神社も合祀して茂森町一帯の鎮守となり村社に列しました。境内のシダレザクラは樹齢500年以上、樹高11m、幹周2.6m、大正9年(1920)に選定された「全国大桜番付」では18番目に番付され平成10年(1998)に青森県指定天然記念物に指定されています。祭神:菅原道真朝臣命、文殊菩薩、少彦名神、若木神、倉稲魂命。例祭:6月25日。  ※HP「弘前市・歴史・観光・見所」より


  


  


  

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長勝寺あたり

 弘前公園から禅林街へ。
 長勝寺に立ち寄ってから、となりの隣松寺観音山普門院を訪ねてみました。

  


  


    


  


    
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春待つ弘前城

 晴れた日の弘前公園とお城はやはりきれいです。
 公園の中では、春に備えて、桜の木の手入れが行われていました。

  


  


  


  

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冬ごもり2

 まだまだ先のことですが、雪解けを待ちながら、ときどき散歩に出かけています。

   


    


    

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冬ごもり

 寒さに負けて、記事の更新も「冬ごもり」中です。


    



    

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岩木山神社へ

 穏やかな正月から一転、寒波が訪れ、大雪になりました。
 遅ればせながら、岩木山神社へお参りに行ってきました。

    


   

     

   

   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 藤崎町  

おだやかな初春

 今年は天候に恵まれたおだやかな正月でした。
 藤崎町平川の白鳥も、猿賀公園見晴ヶ池の鴨たちも、のんびりゆったり。


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市  

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 今年の初詣は、弘前市の高照神社にしました。


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

ありがとうございました

 一年間、拙いブログを訪れていただいたことに感謝いたします。ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。



  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

雪ぼうし

 今年も残り少なくなりました。本格的な冬が津軽にもやってきました。
 神社の狛犬なども、雪のぼうしをかぶっています。


  



   



   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

神社冬景色

 前回の記事からだいぶ間があきました。天候が不順なので、ついつい出かけるのがおっくうになります。

 晴れ間をみつけて、いつもの中野神社へ。紅葉の時とはうって変って「白い世界」が広がっていました。


  


     

   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

冬枯れの神社

 冬になり連日の雨、風、雪などによって、神社の境内も、もの淋しい雰囲気に変わってきています。

◇黒石市がむし坂稲荷神社

【御祭神:倉稲魂命  一羽の鶴が傷ついて芦辺に居りしが、 後に元の如く癒えて飛び去ったのを神山右沖なる人がこれを見て芦原を捜したところ、 湯気の立つ処があるのを発見して名称を鶴泉と名づけた。 天正十九年 (一五九一) 夏、 陸奥浪岡城主源中納言唯秋の家臣工藤次郎左衛門なる者あり。 訳ありて浪人をし、 此の地へ参り川原に小さな葛家を建て妻子を伴い居住し湯の恵みを受けたが、 十数年後、 廃湯を思い、 浴する人々のために芦を結び風雪の凌ぎをなした。 後の人、 これを山形の湯と唱え浴する人が増えていった。 寛永元年 (一六二四) 八月中旬、 花山院忠長卿が御入浴の際、 山方の温湯と名付け、 百年も後には奥州一の湯になるだろうと云われた。 宝永七年 (一七一〇) 元の宮地であるがむし坂へ同村の六右衛門が社殿を再建、 更に寛政七年 (一七九五) 村中にて再建す。 ※青森県神社庁HPより


  


  


   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > つがる市   Tags: つがるみち  

出来島四所神社 - つがるみち444




 つがる市木造出来島の海岸に最終氷期埋没林があります。
 この埋没林は、およそ30000年前、最終氷期後期のものとされていて、その規模は世界最大級といわれています。
 以前に一度行ったことがありますが、荒涼とした海岸に、急激な温暖化に伴い水没し枯死した針葉樹林の根株が顔を出している様は、とても不思議な光景でした。




 埋没林へ行く途中に出来島の雉子森という集落を通るのですが、ここに四所神社が鎮座しています。
「四所」の「四」は御祭神の数を表しているのですが、祀られている神様は、保食神・多紀理比売命・多紀津比売命・市杵島比売命の四柱です。
 市杵島比売命をはじめとするいわゆる「宗像三女神」を祀っているのは、いかにも海辺の神社という感じがします。

 その由緒については、
【創立年月日 万治弐年。 明治六年四月村社に列格。 明治四十二年八月神饌幣帛料供進神社に指定せられる。 昭和二十五年三月三十一日国有境内地譲与許可せられる。※青森県神社庁HPより】とありますが、詳細については分かりません。万治の頃(1658-1660)は津軽藩による大規模な新田開発が始まった時期であり、この神社もその時期に五穀豊穣を願って建立されたものと思われます。

◇四所神社






 道路沿いに立つ一の鳥居のそばには、社号標と龍が刻まれた御神燈があり、そこから赤い鳥居が何本も立つ参道が続いています。鳥居をくぐって、ゆるやかな石段を上った所に社殿が立っています。
 拝殿と本殿の横の少し高い場所には赤い鳥居が立っていて、その奥には薬師如来の石碑が祀られていました。集落で昔から崇められてきた薬師様です。

 神社の入口には二つのお堂が立っていましたが、ひとつは弘法大師を祀るお堂でした。ここには遍路姿の大師の立像があり、お堂の中に座像が祀られていました。

 そして、その隣りには馬頭観音堂がありました。「馬頭観音」と書かれた石碑の上に大きな龍(蛇)が架けられています。これは西北津軽の伝統行事「虫送り」の虫です。

◇薬師如来ほか



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Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  

北中野廣峰神社 - つがるみち443




 金光上人の塚から辺りを眺めると、後方に神社の森が見えます。以前に来たときには気づかなかったのですが、そこは廣峰神社の境内でした。
 一の鳥居は、道路沿いの民家に挟まれた所にありますが、車を止める都合もあったので、今回は金光上人の塚から続く道を進みました。神社の裏側から「侵入」したことになります。




 廣峰神社の由緒については、
【御祭神:須佐能男命  人皇五十一代平城天皇の御世、 大同二年 (八〇七) 六月十四日、 坂上田村麻呂の建立にして、 社号を天王社、 一説には御廟社、 或は行岳崎磯の社とも称した。 此の社の東西に田畑二十町余りあり、 其の字名は往古より現在に至るまで天王と称す。 延宝年中 (一六七三~一六八一) の頃より、 いかなることか誤りて牛頭天王と称す。 其の後、 寛政年中 (一七八九~一八〇一)、 社寺御調べの折、 祇園社と称す。 安政二年 (一八五五) 神社明細調べの節、 神典詮議の処、 祇園は須佐能男命に当たる由を以て、 須佐能男命を勧請致したくその旨上申した。 元禄二年 (一六八九)、 北畠権大納言具永が造営して、 旧藩主より現米一石八斗の社料を賜わる旨が津軽記の申書に記載されている。 文化十二年 (一八一五) 四月、 当社焼失し宝物及び書類の大半を失い、 残った物も天保七年 (一八三六)、 凶荒の折り何れかに散乱したと伝えられる。 神仏混淆仕分け以来、 社号を改め廣峰神社と称し今日に至る。 ※青森県神社庁HPより】とあります。

 私が訪ねたときは、まだ「秋」を感じさせる時期だったので、参道には栗の実などが落ちていました。参道の横には取入れが終わったりんご畑が広がっていますが、境内にはりんごの豊作を祈願した「果樹観音堂」なども立っています。

◇廣峰神社



 由緒にも書かれていますが、かつては牛頭天王を祀った社であり、「天王社」とも呼ばれていました。多くの牛頭天王社は、明治の神仏分離により、素戔嗚尊を祀る神社となりましたが、この神社もまた同様の経緯をたどったようです。

 この地方の中世の覇者は北畠氏ですが、北畠氏は、京都の街並みを模して、浪岡城の周りに祇園神社、八幡神社(浪岡八幡宮)、加茂神社(五本松加茂神社)、春日神社を配しました。ここ廣峰神社は、その中の祇園社にあたり、牛頭天王とスサノオに対する信仰(祇園信仰)を伝える社です。

◇神馬ほか



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Category: ふるさと【東北・青森】 > つがる市   Tags: つがるみち  水虎様  

高城八幡宮 - つがるみち442




 つがる市森田町の下相野地区は、津軽民謡「弥三郎節」の発祥の地として知られていますが、ここに高城八幡宮が鎮座しています。
「八幡宮」という神社名よりも、むしろ「下相野観音堂」という名称で呼ばれているように、ここは津軽三十三霊場の11番札所として、多くの信仰を集めている社です。
 私も霊場めぐりをしているときに一度訪ねたことがあります。

 その神社としての由緒については、
【御祭神:誉田別尊  高皇産霊神 倉稲魂命 如意輪観世音菩薩  当社は、 寛文五年 (一六六五) に勧請。 これより先、 寛文年間に、 現境内地の奥まった所に、 如意輪観音像を安置する約一坪程の観音堂が創建されていた。 元禄三年七月 (一六九〇)、 集落民の五穀成就と家内安全等の祈願所として社が再建。 延享三年 (一七四六) に集落民が崇拝する産土神と観音像を合祀したが、 明治三年 (一八七〇) に 「神仏分離令」 が出され、 観音像は棄却、 没収されることとなったが、 集落では観音像を秘かに隠しておいて、 身代わり像をわたしたと言われる。 現在本殿には、 三柱の産土神と観音像とが合祀奉齋されている。 明治六年 (一八七三) に郷社に列格される。 社名は旧もと 「八幡宮」 であったが、 隣接の高皇産霊神社と統合したことから、 「高皇産霊」 の 「高」 の一字と、 八幡宮は堀に囲まれ、 「城構えの景観」 だったことから 「城」 の一字を頂戴して、 「高城八幡宮」 と名称を改めたと言われる。※青森県神社庁HPより】とあります。
 由緒に書かれているように、かつては堀をともなった砦のような境内だったようですが、現在はその面影は見られません。

◇高城八幡宮






 石造りの一の鳥居のとなりに由緒板があって、そのそばには月夜見大神と猿田彦神の石碑が並んで立っています。
 参道には、手水舎や狛犬が一対置かれていますが、拝殿のそばには多くの祈願札が下げられていて、三十三霊場の雰囲気が漂っています。拝殿の横には如意輪観音像もありました。
 扉が開いていたので拝殿の中に入って拝みましたが、線香のにおいが漂よっていました。お参りする人々が絶えないようです。
 この神社を再訪した理由は、津軽の水神・水虎様を見たかったからなのですが、境内のどこに祀られているのか分かりませんでした。いろいろ回ったのですが、大きな木の下に末社らしき建物があったので、中に入ってみました。
 中の祭壇の上に小さな祠があり、扉を開けて見ると、小さな水虎様が大切に祀られていました。木彫りの河童型の水虎様です。

◇水虎様ほか



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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  名水と霊泉  

黒瀧大神 - つがるみち441




 岩木山麓には多くの温泉がありますが、湯段温泉もそのひとつです。
 湯段は嶽温泉から1kmほど離れた所で、周辺には農村公園やゴルフ場などもあり、別荘が立ち並ぶ閑静な場所です。
 温泉の由来は古く、「享保9年(1724年)、賀田村(旧岩木町)の柴田長兵衛が発見した。柴田長兵衛に温泉の小屋主を命じられた。嶽温泉とともに、湯治場として知られた。」とあります。因みに温泉を発見した柴田氏は、戦国時代の猛将・柴田勝家の血を引く一族なのだとか。。



 温泉の裏側に深い渓谷があって、黒滝渓流が流れています。
 うっそうとした森林の中を、流れる渓流の様子はとても美しく、特に新緑や紅葉の時期は一見の価値があるといわれていて、隠れた観光スポットにもなっています。
 渓流の段差は二段、三段と滝をつくり、谷の上からも小滝が流れ込んでいます。下まで降りて見ることもできそうですが、今の時期はとても足場が悪く、滑り落ちそうになるので思いとどまりました。

 湯段からくねくね曲がった林道の中を進んで行くと、赤い鳥居が見えてきます。ここから先は「中村林道」となり、一般の人は立ち入り禁止のようです。
 鳥居のそばには、「黒瀧大神」と「黒瀧國龍大神」と刻まれた二つの石碑が立っていました。対岸に向けて赤い橋が架かっていて、滝壺のそばに小さな祠があります。祠の中に大神が祀られているのでしょう。村人にとって、ここは「龍神様が棲む淵」として神聖視され、古くから崇められてきた場所なのでしょう。

◇黒滝渓流
 
  


  


  


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市  

雪が降る前に

 今朝は庭に雪が積もっていました。冬の訪れも間近なこの頃です。
 雪が積もる前に見ておこうと思い、印象に残る巨木を訪ねてみました。

 上から、
   ◇弘前身代地蔵尊のハリギリ①、②
   ◇黒石中野神社のモミの木
   ◇黒石袋(白山姫神社)のイチョウ
   ◇弘前鬼沢鬼の腰掛カシワ            です。


  


  


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

盛美神社 - つがるみち440

 平川市猿賀公園の近くに盛美園があります。

◇盛美園 (せいびえん)
ー 津軽には大石武学流と呼ばれる独特の作庭様式が伝えられており、その典型とされるのが、国指定名勝の盛美園です。明治35年より9ヵ年を費やして作庭されたといわれており、面積3,600坪(約1.2ha)の池泉廻遊式の庭園です。大きく刈り込んだイチイの木は、天地を創造した神々をかたどり、津軽平野と遠山を借景として取り入れ、庭石をきめ細かく配置し、装飾的にもすばらしい名園として有名です。盛美園の一角にある盛美館は、一階が純和風、二階が洋風で建てられており、鹿鳴館時代の特徴を表した和洋折衷の珍しい建物で、庭園と融合した独特の美しさをもち、明治文化の面影を忍ばせています。※青森県観光情報サイトアプティネットより -

 四季それぞれの美しさを見せる盛美園ですが、ちょうど今の時期は冬支度の最中で、あちこちで雪囲いが行われていました。
 園内には樹齢400年を超えるケヤキの大木もあり、数多くの樹木や大石、池などが巧みに配置されています。

 築山の一角に鳥居が立っていて、その上に盛美神社があります。
 神社といっても、小さな祠がポツンとあるだけなのですが、その由緒については青森県神社庁HPにものっています。
【鎌倉時代、 津軽藤崎の郷鶉ケ池のほとりに祀っていた倉稲魂神を、 猿賀村の清藤家 (当主清藤盛治) の祖先が、 庭先の欅樹の傍に祀った。 のち、 猿賀神社の境内社であった一王子神社の祭神大山祇神を合祀し、 更に猿賀神社の祭神田道命も奉斎して神威彌々加わり霊験があらたかになった。 明治時代に至って、 清藤家二十四代祖盛美、 たまたま感じるところあり、 邸内庭園の一部を浄めて、 此の処に奉遷し、 更に又、 庭津日神、 庭高津日神をも配祀して小祠を建立した。 】

 御祭神は、大山祇神・田道命・庭津日神・庭高津日神の四柱ですが、「竃や屋敷、庭、農地など、農業生活の神」である庭津日神(にわつひのかみ)と庭高津日神(にわたかつひのかみ)を祀っているあたりは、いかにも名園にふさわしい守り神である気がします。


  


  


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: 名木めぐり  

冬待つケヤキ

 凛とした姿形のケヤキの木は、晩秋から初冬の神社の境内でもひときわ目立つ存在です。平川市尾上(旧尾上町)には、そんな風格を持つケヤキの大木が生えている神社があります。

 愛宕神社は、坂上田村麻呂の蝦夷征討の際、建立された社で、将軍地蔵と唱えられていました。境内には珍しい夫婦木や三頭木があります。

 七柱神社は、かつて、獅子権現宮と呼ばれ、猿賀神社の摂社でしたが、ここにも田村麻呂の伝説が残っています。この神社の境内は、昔はケヤキの巨木が密集していて「けやきの森」と呼ばれていました。


  


  



  


   

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 桜咲く4月になりました。めっきり雪解けが進み、風は冷たいものの穏やかな天気が続くようになりました。ぼちぼちと史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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