のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  

高賀野馬頭観音堂 - つがるみち483

 黒石市高賀野は、八幡宮に至るまで急な坂道が続く集落ですが、その坂道の登り口に馬頭観音堂があります。

 歩道の脇に赤い鳥居が立っていますが、扁額には「保食神社」と書かれていました。石段のそばに史跡を示す標柱があり、少し上がった所が境内です。

 境内には社殿と庚申塔がありましたが、特に目を引くのは、一本の大木です。
 この大木は、かつて浅瀬石城があった頃、一人の武将が洗った馬をこの木に繋ぎ、無事を祈ったとされています。

  


  


 馬頭観音堂を訪ねてから、近くに立っているという五輪塔を見に行きました。
 場所は、浅瀬石城址を過ぎ、夫婦雷樹がある廣峯神社のそばです。

 道端にこんもりとした土盛りがあって、その上にぽつんと五輪塔がありました。私が見に行ったのは4月下旬の日中でしたが、夕暮れ時にこんな光景を見たら、とても寂しい気持ちになるでしょう。
 この五輪塔は、浅瀬石城主だった千徳一族の供養塔で、この辺りでは最古の史跡だといわれています。


  


  


   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 板柳町   Tags: つがるみち  水虎様  

夕顔関八坂神社 - つがるみち482

 板柳町夕顔関(ゆうがおぜき)の八坂神社。ここに来たのは2回目です。前回は、この神社の二の鳥居に「鬼っこ」が掲げられているとのことで訪ねたのでした。今回は4月に行ってみたので、境内から見る岩木山にはまだ雪がたっぷり残っていました。

  

 この神社の御祭神は素戔嗚尊で、その由緒については『北津軽郡神社誌』等に、
【かつては「夕顔関正観音堂」と呼ばれていた。開発の時に、異石が二つあり、その前を掘ると長三寸の観音像が出てきたので、それを祭った。寛永二年、当村の草開者永山六左衛門が建立。明治六年に正観音堂を五林平村八幡宮へ合祀。明治八年復社して八坂神社に改称。】とあります。
 地中から出てきた観音像は、今も本殿内に納められていると言われていますが、かつては、境内に山伏たちが集まり、盛大に神事が執り行われていたようです。

  


  

 鳥居の赤い鬼っこを見ながら参道を進むと、大きなトチノキがあります。樹齢が約450年、板柳町の名木に数えられている大木です。拝殿の前には狛犬が一対。本殿の後ろはりんご畑になっていました。

  

 この神社を再訪しようと思ったのは、ここに津軽の水神・水虎様が祀られていると聞いたからです。
 村内の水難防止や開発の安全を祈願して祀られることが多い水虎様ですが、かつてはこの地でも大規模な用水工事や堤防建設が行われたようです。

 拝殿の右側に、注連縄が張られた庚申塔と小さなお堂がひとつありましたが、お堂の扉を開けて見ると、亀の背中に乗った女神姿の水虎様がいました。

   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市  

園内に道端に

 桜に続き、リンゴの花も終わってしまいましたが、公園の中や道端には、様々な草花が咲いています。
 ふだんは見過ごしがちな花などを集めてみました。

  


  


  


  


   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  

下山形熊野宮 - つがるみち481

 黒石市の温湯温泉の近くに上山形、下山形の集落がありますが、ここはかつて、近隣の花巻村、南中野村などとともに山形村と呼ばれていた所です。

102号線を温湯方面に向かって進んで行くと、山手の方に採石場がありますが、その近くに熊野宮が鎮座しています。私は、この神社の存在は知っていましたが、その詳しい場所が分からず、何度か引き返したことがあります。今回、やっとたどり着きました。

 細い道に沿って小さな川が流れていますが、神社の入口に赤い橋が架かっていて、それを渡った所が境内です。一の鳥居には赤銅色の立派な金属製の注連縄が下がっていました。

 

 石段を上り、参道を進んで行くと間もなく二の鳥居があり、その奥に横向きの赤い拝殿が見えます。拝殿は南向きに建っているようです。

 境内には意味ありげな大きな自然石や手水舎、二の鳥居のそばと拝殿の前にそれぞれ狛犬が置かれています。本殿は拝殿を見下ろすように、一段高い場所にありました。
 
  


  


  

 神社の入口付近に由緒碑が立っていますが、それには
【熊野宮の創立年代は詳かでないが伝承等では往古創建以来数百年経つといわれる。社伝に依れば貞享二年七月、下って明和、天保、慶応年間と度々堂宇の新改築を行う。八幡宮は延宝元年村中にて堂宇建立或いは元禄九年八月上山形村宅右衛門建立ともあるが、創建は、熊野宮とほぼ前後すると思われる。両社共、明治八年四月村社に被列。同四十年九月六日八幡宮を熊野宮に合祀す。 ※以下略】とありました。

 なかなか古い由緒をもつ社のようですが、明治時代に八幡宮を合祀したようで、由緒碑も「熊野宮・八幡宮由緒碑」となっています。御祭神は伊弉諾命、伊弉冊命、誉田別命でしょうか。

   

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遅咲きの八重桜

 ソメイヨシノやシダレザクラはさすがにもう散ってしまいましたが、平川市の猿賀公園では、今、遅咲きの八重桜がきれいに咲いています。

 そのポッチャリした量感のあるピンクの花びらは、とても鮮やかで、園内を散歩する人たちの目を楽しませてくれます。

  


  


  


  


  

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高賀野八幡宮 - つがるみち480

 黒石市高賀野(こがの)は、かつて浅瀬石城が築かれていた所です。浅瀬石城址をはじめ、集落の周辺には、寺院跡などの遺構を示す標柱が立っていますが、八幡宮もそのひとつです。

  

 浅瀬石城については、このブログでも何回か取り上げましたが、千徳氏によって築かれた城です。
 千徳氏は、一戸南部氏の一族であり、閉伊郡の千徳城を居城としていましたが、ここ高賀野の地に入部し、仁治元年(1240年)千徳行重によって築かれたのが浅瀬石城で、文安(1444年ー1449年)の頃に至って、城の全体が整ったとされています。
 戦国時代になると、千徳氏は津軽為信と結託し、主家である南部氏に対抗し、津軽統一を目指しますが、やがて両者は対立し、為信軍の攻撃を受け、城は落城しました。

 この八幡宮は、初代城主・千徳行重の勧請によるものとされており、代々の城主から館神として崇敬されていたそうですが、浅瀬石城址に立っている説明板
説明板
にもその名前が書かれています。

  


  


  

 高賀野は急な坂道が続く集落で、上り坂の終点はりんご畑になっていますが、この神社は畑を見下ろす高台にありました。
 入口の鳥居のそばには大きな庚申塔。境内には意味ありげな自然石と神馬、そして、愛嬌のある狛犬が一対置かれていました。 

  

   

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浅瀬石貴船神社 - つがるみち479

  

 黒石市を流れる浅瀬石川の川沿いに貴船神社という社があります。
 浅瀬石地区は、かつて浅瀬石城が築かれていた所で、城址のある高賀野集落の周辺には多くの史跡があります。
 戦国時代にこの地の覇者であった千徳氏の栄華を物語るものや、その落城にまつわる史跡などは、歴史保存会の方々によって立てられた標柱によって知ることができますが、ここ貴船神社にも白い標柱がありました。

  

 農道に沿って立っている小さな神社ですが、その歴史は古く、文明年間(1469-1486)に浅瀬石城主・千徳政久によって開創されたといわれています。

 津軽では、水神を「十和田様」と呼んだり、それを祭る神社を「十和田神社」と言ったりしますが、ここもまた、かつては十和田神社と呼ばれていたということです。社殿の前には、水神を象徴する昇り龍・降り龍の石碑がありました。

 

 御祭神は闇おかみ神で、藩政時代には、町居堰・新屋堰・猿賀堰等の水神として崇敬されました。
 「町居堰・新屋堰・猿賀堰」はいずれも、浅瀬石川からの取水のために造られた用水堰ですが、江戸時代の用水管理は、地元農民が用水組合をつくり、その自治によって行うという形でした。藩で開削した用水路を農民に渡し、受益者負担で管理させるというやり方は官民一致の理想を示したものですが、実際には、用水配分の利害をめぐる農民たちの水争いが絶えず、藩政の悩みの種でもあったようです。

    

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近場の桜

 穏やかな陽気のせいか、今年はこちらの桜の開花も例年よりも早く、あっという間に満開となり、早、その見頃も終わろうとしています。
 弘前公園をはじめ、各地で桜祭りが行われていますが、平日の午後に、近場の公園に行ってみました。

  


  


  


  


  


  

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井戸沢稲荷神社 - つがるみち478




 前回取り上げた平川市平六の近くに「井戸沢」という集落があり、ここに稲荷神社が鎮座しています。
 平六同様、ここにもまた次のような坂上田村麻呂に関する伝承が残っています。
【延暦年中、田村麻呂将軍東夷征伐の時、八甲田嶽の方へ進軍したが、道に迷い、沢を出ようとすればますます奥に入り、進退窮まった。そこで、山の神に道開きを祈願したところ、数時間で山を出ることができた。すなわち、一社を建立し、それに報い礼拝して、櫛ケ峰の方へ進撃す。沢深く井戸の如し、もって「井戸沢」と称す。いつの間にか村落ができて現在に至る。 -『竹館村史』より


 「井戸沢」という集落名の由来や、神社の縁起が簡潔に述べられていますが、それ以上のことは分かりません。


  

 集落の入口付近に消防の屯所があり、その裏手に稲荷神社の鳥居が立っています。上の方は小高い丘になっていて、そこに境内があります。私が訪ねたときには、まだ雪が残っていました。


  

 拝殿の前に、りっぱなイチョウの大木がそびえていて、根元には黄色い葉っぱやイチョウの実がたくさん落ちていました。冬の間、雪に埋もれていたのでしょう。


  

 由緒などは詳しく分かりませんが、御祭神は一般的な倉稲魂命ではなく豊受姫神となっています。
 倉稲魂命も豊受姫神もともに食物・穀物を司る神ということで同一視されることも多いとされていますが、市内の稲荷神社で豊受姫神を祭っているのは、ここ井戸沢の社だけのようです。

  

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平六大山祇神社 - つがるみち477



 南八甲田山麓に位置する平川市の東部地域は、高原野菜の一大生産地になっています。
 標高500m~700mの高原にいくつかの集落があり、その冷涼な気候、豊かな水と土壌から育まれる大根、人参、小カブなどは「南八甲田高原野菜」として知られています。
 主な生産地である大木平や善光寺平などの集落は、冬季は豪雪地帯であるため、農繁期を集落ですごし、冬場は麓の村に降りてくるといった農家の方も多いようです。
 国道102号線を十和田湖方面に向かう途中に、平六(へいろく)という集落がありますが、ここにJAの野菜出荷センターがあって、そのすぐそばに大山祇神社が鎮座しています。

 道路沿いに、白い鳥居が立っており、そこから奥へ参道が延びています。私が訪ねたときには、まだ鳥居の脇に雪が残っていました。


  

 参道を歩いて行くと、まもなく川(用水路)に突き当たりますが、雪解け水がゴーゴーと音を立てて流れていました。
 赤い橋の先には、大きな杉の木が何本も生えていて、その奥にぽつんと社殿が立っています。狛犬などはなく、建物がひとつだけという境内です。


  


  

 
 この神社の由緒などについては、よく分かりませんが、この辺りの集落や神社には坂上田村麻呂に関する伝承が残されています。

 平川市の『竹館村誌』にはこの神社や「平六」という集落名の由来について、
【・・往古、田村麻呂将軍夷狄を追撃の時、山根通りを越えんとせし一本の標石あり。右へ進めば陸中の方、左へ行く時は太平洋に出づべし。将軍暫し考え左折す。是に由りて平地を降らんとして、携えたる鉾石を境目に一神社を建立大山祇神社と称して進軍せりと。右故実により「平陸」と名づけしをいつの間にか「平六」になれりといふ。】と書かれています。


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  

下石川熊野宮 - つがるみち476

 青森市浪岡(旧浪岡町)の下石川は、五所川原市や板柳町と境を接する集落です。すぐ隣は、五所川原市高野で、ここには以前に訪れた廣峰神社などがあります。

 熊野宮は、そんな下石川の集落から山沿いに進んだところに鎮座しています。

  

 境内は、田んぼとりんご畑に挟まれた場所にあり、上の方が少しつぶれた赤い一の鳥居が立っていました。

 そこから、二の鳥居、三の鳥居と参道が続いていますが、途中に小鳥居があり、そこには馬頭観音が祀られていました。


  


  

 杉林に囲まれた静かな境内で、拝殿の前には一対の狛犬のみ。いたってシンプルなたたずまいです。草むらの地面を覆い隠すように、たくさんのふきのとうが顔を出していました。


  

 由緒など詳細は分かりませんが、北津軽郡神社誌には、
【祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命  本村は元石澤村と称せしが、享保十二年下石川と改称せり。神社勧請年月は不詳なれども大同年中の草創と伝へらる。明治六年四月高野廣峯神社へ合祀、仝八年復社。仝九年十二月村社に列せられ、仝四十二年八月廿七日指定神社に列格せらる。】とあります。


   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市  

猿賀公園の春

  

 少し前までは、上の写真のように雪がたっぷりの冬景色でしたが、家に閉じこもっているうちに春になりました。
 久しぶりに行ってみた猿賀公園内は、ベンチのシートや木々の雪囲いが少しずつ取り払われ、春を迎えていました。
 今年は、津軽の桜も開花がだいぶ早まると言われています。この公園の桜もとてもきれいなので、今から楽しみです。


  


  


   

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土手の上で

 連日雪模様の天気で、寒い日が続いていますが、晴れ間を狙って、藤崎町の白鳥広場に行ってみました。平川の畔に、例年、たくさんの白鳥が訪れる場所です。


  


 白鳥は他の鳥たちといっしょに水辺で思い思いに日差しを楽しんでいましたが、一匹だけ、土手の上に上がり、悠然と座っている白鳥がいました。辺りを気にするでもなく、カメラを向けても知らん顔、正に泰然自若。。


   


  

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小和森稲荷神社 - つがるみち475




 気がつけば、前回の記事更新から早2ヵ月あまり。季節は真冬になっていました。
 昨年の11月、紅葉の頃、黒石市の中野神社と浄仙寺を最後にして、寺社巡りを休んでいましたが、先日、久しぶりに浄仙寺を訪ねてみました。雪にすっぽりとおおわれた境内はとても静かで、鐘楼がとても寒そうにしていました。


 寒さと雪のため、なかなか遠出できない昨今ですので、季節はずれですが、今回は昨年訪れた神社を紹介します。

 平川市小和森は周りを水田に囲まれた集落ですが、最近ではバイパス沿いに大型スーパーなども進出し、様子が様変わりしている所です。
 集落の中に集会所がありますが、その隣には稲荷神社が鎮座しています。

  

 立派な一の鳥居のそばには、郷土力士の顕彰碑や庚申塔、青面金剛の碑などが立っており、二の鳥居、三の鳥居と参道が続いています。

 境内には稲荷神社らしく、神使のきつね像が一対。拝殿の手前には、みごとな老松が一本あり、拝殿の屋根に被さっていました。本殿の横には、けっこうな大きさの杉の木や松の木が生えています。

   


  


  


  


 御祭神は倉稲魂命ですが、その由緒については詳しくは分かりません。
 伝によると、もともとここの稲荷様は隣の集落の豪農の内神様であったといい、代々崇敬してきたものを小和森の集落で譲りうけたとされています。その後、明治から大正を経て、村社に昇格したといわれています。


   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

秋探し 2

 秋も深まり、辺りも赤や黄色に染まってきました。
 黒石市の紅葉の名所である中野もみじ山へ向かう長い車の列ができています。もみじ山から少し離れていますが、黒森山浄仙寺を訪れる人も多いようです。

◇黒森山浄仙寺

  


   


◇中野もみじ山


  


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市  

百笑宮 - つがるみち474

 九月の中頃、ネットで地図を見ていたら「百笑宮」という変わった名前の建造物(社)を見つけました。場所は弘前市高照神社の近くです。変わった名前に惹かれて訪ねてみました。

 高照神社から県道30号線を鯵ヶ沢方面に向けて少し行った所にあります。私が訪ねたときは、まだ夏の終わりだったので、辺りの草木が伸びていて、なかなか探せませんでしたが、うろうろしながら、やっと「百笑宮」と書かれた白い鳥居を見つけました。鳥居の真ん中に大きなりんごのオブジェが置かれています。


  


「百笑宮」は「ひゃくしょうぐう」でしょうか「ひゃくしょうのみや」でしょうか?読み方すら分かりません。
 案内板には、
【宇宙と地球にルーツを持ち波動のパワーストーンが存在する山、世人の幸福と幸運の願いを叶え導く、奇跡的パワーを呼び与える山。土風里の森百笑宮】とありました。また、木柱には「金華山 ありがとう」とも書かれています。
「金華山」の名前が出てくるところをみると、この社の建造主は宮城県の方なのでしょうか?宮城県には「土風里(どっぷり)」と名のつく農家レストランがあるようです。

 
  


 鳥居の奥に小さな土盛があり、そこに祠が立っていて、歯車の形をした丸い石が二体置かれています。その足元には七福神の像。


  


 歯車の石の片方は、その中心が丸く切り抜かれており、その穴から岩木山がくっきりと見えました。


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

秋さがし

 黒石市中野神社の「もみじ祭り」も始まり、津軽の秋もいっそう深まってきましたが、「紅葉真っ盛り」には、いささか早すぎるようです。これから日一日と深まっていくことでしょう。


  


  


  


  


  
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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市  

荒田八幡宮 - つがるみち473




 平川市の荒田は、農業高校の近くにある小さな集落ですが、かつてはこの地に「荒田館」という城が築かれていたといいます。
 この館の築城年代などについては、詳しくは分からないのですが、現在の荒田八幡宮付近にあったとされています。今は、その周囲は宅地や畑になっていますが、わずかに当時の堀跡が残っているようです。
 また、ここには、藩政時代に代官所が置かれ、支配者の下、治安・民政・徴税などを行っていましたが、水堀に囲まれた大きな構えの館が立っていたようです。今は、りんご畑になっており、当時の面影はありません。私は見つけられませんでしたが、りんご園の中に、「大光寺組代官所跡」という木柱が立っているようです。


  

 
 荒田八幡宮は、誉田別命を御祭神とする小さな神社ですが、棟札には、
【天文二年(1533)八月、小野井讃岐守祐政勧請。嘉永二年(1849)閏四月と、明治十一年七月改修。」と、その由緒が記されています。
 小野井讃岐守祐政は、この地の武将であったと思われ、荒田館の城主であったとされています。 


  


  


  


 住宅にはさまれた所に金属製の注連縄が架かった一の鳥居があり、そこから参道が続いています。
 境内は、右に曲がった所にあり、拝殿と本殿、狛犬、神馬、末社などが並んで立っていました。

 拝殿の屋根を覆うように、大きなイチョウの木が立っています。直径6m、高さ20m、樹齢は300年ともいわれている見事な巨木です。

 社殿の後ろはりんご畑になっており、真っ赤なりんごが実っていました。


   


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

切明神社 - つがるみち472




 明治の初めに青森県が編纂した『新撰国誌』には平川市切明について、
【切明は地味薄く、山気強く、蔬菜すら実らず。薪炭以て米穀に代えて糊口す。】と書かれていますが、山中のやせた土地であったため、村人の生活は貧しかったようです。
 切明の集落は、天和年間(1681-1683)に本格的に開拓されたと言われていますが、それ以前に、津軽為信が津軽統一の後、南部方の反撃を知るために、ここに番所を置いたのが始まりと伝えられています。因みに、最初の番所頭は東海吉兵衛とされていますが、この人物は、弘前城築城の際、その縄張りをしたことでも知られています。

 切明神社は、そんな切明集落に鎮座している社です。
 集落の消防屯所の裏側を小さな川が流れていますが、橋を渡った所に一の鳥居が立っています。

 扁額は「大山祇神社」となっていますが、別に「切明神明宮」と刻まれた石柱もあり、いろいろな名で呼ばれた村の産土社であったのでしょう。

 鳥居をくぐると、背の高い杉木立に囲まれた参道が続いていますが、間もなく分かれ道になり、左手には鬼子母神堂と、神馬が祀られた末社が立っていました。鬼子母神堂は、地元の日蓮宗の信者の方たちが建立したもののようです。


  

 
  

 
 右側の方に、さらに細道が続いていて、その先に境内がありました。狛犬が一対と、拝殿と本殿・・・いたって簡素な小さな社です。
 

  


  


 御祭神は大山祇神ですが、その由緒については詳しくは分かりません。

 しかしながら、この地にも坂上田村麻呂に関する伝説が残っており、それによると、
【坂上田村麻呂が巡回の折、疲労し、足を痛めたため、ここに滞在したところ、温泉を発見した。これは「山の神からの授かりもの」と喜んだ田村麻呂は、ここに大山祇神社を勧請。入浴の結果、疲労も癒えたので、この地を「切明」と名づけた。】と伝えられています。  - この温泉は、400年以上も前から「村の湯」として、人々に親しまれていたようです・


   

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富栄香取神社 - つがるみち471

 弘前市の富栄(とみさかえ)は、1876年(明治9年)に鶴田村・三ッ森村・四戸野沢村・小島村の四村が合併して成立した集落ですが、「富栄」という名の由来は「新しい村が将来富んで、栄えるように・・」という願いからつけられたといわれています。

 この集落の中心に鎮座する社が香取神社です。


  


 青森県神社庁の旧HPには、この神社の由緒について
【御祭神:経津主命  当社は享保十二年九月当村旧家小島長兵衛が伊勢の国松坂より来り開村の節建立産土神として崇敬して来ました処、明治六年四月同村三森神社へ合祀、同八年二月復社、同九年四月村社に列せられる。昭和二十一年八月五日法人令に依り届出で神社本庁に所属する。 昭和二十四年八月三十一日国有境内地譲与許可を受ける。】と紹介されていました。

 小さな神社ですが、一の鳥居の後ろには二、三といくつか鳥居が続いており、くぐり終えて右側に曲がった所に社殿があります・
 境内には御神燈と狛犬や天保三年の庚申供養塔などが立っていますが、この庚申供養塔が立っている様は、まるで帆掛け舟のようでした。


  


  

 
 由緒に「当村旧家小島長兵衛」という名が出てきますが、小島長兵衛は、伊勢国松坂からこの地にやって来て、開村したとされる人物で、それに因んで一帯は「小島村」と呼ばれたとのことです。


  


  

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石郷闇おかみ神社 - つがるみち470




 平川市石郷(旧平賀町)は、縄文遺跡のある地区として知られていますが、集落内には「縄文の故郷石郷」と書かれた木柱も立っています。
 また、村内の闇おかみ神社には、遺跡について記した説明板があります。
【平賀町は県内有数の遺跡の多い町で、現在180余の遺跡が確認されています。平賀町の平野部に遺跡が多くなる時期は、縄文時代後期(約4000-3000年前)です。この時期には、石郷地区の両側を平川の一大支流が北流していたと想定され、その氾濫と堆積による自然堤防状の微高地一帯に集落が形成され発達したものと考えられ、昭和49年に実施された発掘調査により、石郷遺跡が最も栄えた時期は、縄文時代後期末から晩期前半(約3000-2500年前)である事が判明し、夥しい土器や石器などが出土し大集落が営まれていたことが判明しました。遺跡の大半はいまだ地中に埋もれており、今後の調査研究が待たれます。 ※説明板より


 闇おかみ神社は、民家にはさまれた道路沿いに鎮座していますが、酒樽をのっけた一の鳥居のそばには、遺跡の説明板。そのとなりに大きな社号標があります。
 「おかみ」という漢字は、水神ですので「雨+龍」のものが多いのですが、この神社の「おかみ」は、「龍」の左半分がが「帝」になっている珍しい字形でした。


  

 境内の敷地は、あまり広くなく、庚申塔や狛犬、末社などが並んで立っています。
 拝殿の中には、大きな絵馬や神馬などが置かれていました。


  


  


  


 その由緒については詳しくは分かりませんが、江戸中期頃に勧請されたと伝えられており、拝殿に次のような説明がありました。
【今迄発掘された埋蔵文化遺跡に示されるように相当早くから開田耕作されて居たと思われるが水の不自由の上で困難を感じていた爲、雨を降らせる神として闇おかみ神を勧請して産土神と崇敬して来たという。但し、何時の頃からか不明である】


   

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五所神社 - つがるみち469




 弘前市の五所神社は、弘前市役所相馬庁舎の近くに鎮座する社です。
 住所が示しているように、ここは弘前市と合併する以前は、中津軽郡相馬村だった分けですが、神社の由緒については、
【御祭神:久介廼智神  創立年月日不詳であるが、元来、当村の下五所里見という所に宮を建立し、寛延年中岩木川大水の節に社地に石残して流出する。その節に当社へ引越して安置し奉り、以来崇敬する。】と伝えられています。


  

 御祭神の久介廼智神(くくのちのかみ)については、私はよく知らなかったのですが、【イザナギとイザナミが生んだ神の一柱で、「木」の神格化したもの。ククノチの「クク」は「木々」が転訛したものとされている。】ようです。


  


  


  

 旧相馬村といえば、長慶天皇に関する伝説が残っている所ですが、この神社の前身であった社は、長慶天皇との関わりも深く、さらには「五所川原」という地名の発祥とも関係しているという話も残されています。即ち、
【岩木川の上流にあった五所村の“御所権現社”が水害によって度々流されたが,その都度五所川原市元町あたりに流れ着いたため,この場所は「御所川原」と呼ばれ,後に「五所川原」になった】という分けです。

五所川原元町八幡宮由来
【ここの御神体はその昔中津軽郡五所の長慶天皇が崩御大葬されたという場所に祠られてあったが洪水にあい,ここ元町の岩木川原に流れ着いたものである。柳の大木にひっかかっているのを発見した新宮の人が拾いあげ宅地内に祠ったが,やがて五所村の人達が探しあててもらいうけて行った。ところが再三流れては不思議に同じ場所に着いたので,これは神様の思召しによるものだと五所村の人達も認め以来この地に祠ることにしたと伝えられている。その年代は明らかではないが,万治三年(1660年)の頃と考えられている。】


    

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咲きはじめ - つがるみち468




 道路を走っていると、『田舎館村たんぼアート』の道案内とともに、『北限にみる蓮の花まつり』という案内板も立っています。猿賀神社境内にある鏡ヶ池に咲く蓮の花を楽しむ祭りのことで、『和蓮』の群生地としては、ここが北限といわれています。
 例年、家族連れや、花の様子を写真におさめようと、多くの人々が訪れますが、猿賀神社のHPによると、少しずつ花が咲き始めているとのことで、行ってみました。まだまだ「一面蓮の花」というわけではありませんが、池のあちこちにぽつぽつと可憐な花が咲いていました。



  



  



  



  

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スサノオとオロチ - つがるみち467

 田舎館村では、今、恒例の「田んぼアート」が開催されています。
 村のHPには、今年は、
【第1田んぼアート:第1田んぼアートでは、日本神話の有名な物語「ヤマタノオロチ伝説」より、スサノオノミコトがヤマタノオロチに立ち向かうクライマックスシーンを描きます。】
【第2田んぼアート:第2田んぼアートでは、日本の有名なおとぎばなしのひとつである「桃太郎」より、桃から生まれた桃太郎が道中で動物たちを家来にし、鬼退治に向かう場面を描きます。】
と書かれていますが、日本神話やおとぎ話を題材とし、子どもから大人まで、日本人も外国人も楽しめる作品にしたということです。
 休日は混みあうので、平日に、第1会場の方に行って見てきました。例年通り、なかなかの迫力です。


  


  


  

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黒滝稲荷神社 - つがるみち466




 弘前市黒滝(旧相馬村)は、弘前から西目屋村へと向かう県道28号線沿いにある集落です。
 道路に沿って岩木川が流れていて、黒滝の小字には「一ノ川瀬」や「二ノ川瀬」などの名前があり、いかにも川沿いの集落であることを思わせますが、ここに稲荷神社が鎮座しています。
 住宅の間に挟まれた小路に、金属製の注連縄が架かった赤い鳥居があり、その両脇に稲荷神のお使いであるキツネが2体置かれていますが、いずれも新しいもののようです。
 鳥居の傍らには、大きく立派な庚申塔が3基立っています。社殿の後ろ側は道路に面しており、隣は墓地になっていました。
 境内には、鈴をつけた神馬や末社の祠、記念碑などが立っていますが、狛犬は少し風化していて、なかなかに味わいのある渋い顔つきでした。


   


 境内の入口に由緒を記した説明板がありますが、それによると、
【稲荷神社  当社の建立はつまびらかではないが、藩内大小神社調べ(明治四年)によれば、社中の鳥居の建立は天和年中(一六八一~一六八三)に勧請によって建てられたものとあるから、神社の縁起は古いものと思われる。】とあります。


  


  


 説明板には続けて、
【祭神は、猿田昆古大神、宇迦之御魂神、大宮乃売命とされ、ふるくから黒滝村の産土の社としてあがめられている。昭和四十五年の区画整理によって、黒滝字二の松本にあった、八幡宮祠堂も合祭されている。】と書かれていました。


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 藤崎町   Tags: つがるみち  

榊八幡宮 - つがるみち465




 藤崎町榊に鎮座する榊八幡宮を訪ねたのは、2ヶ月前のことで、桜が咲き始めた頃でした。
 重そうな米俵が乗った豪華な注連縄が張られた鳥居から参道が延びていますが、鳥居をくぐった所に地蔵堂があり、その向かい側にはイチョウの木にからみついた老松などが生えています。地蔵堂のそばには、これまた注連縄が張られた馬頭観音の碑などが立っていました。


   


 境内には、二十三夜塔と庚申塔などが置かれていますが、御神馬は赤い玉垣に囲まれ、大切に祀られていました。赤い屋根の三つの祠は、神明宮と観音堂、そして稲荷宮のようです。


  


  


  

 
 この神社の由緒については、
【大字榊にある八幡宮には、品多和気命(ほんだわけのみこと ※一般的に八幡宮に祀られている応神天皇)が祀られています。この神社は、万治7年(万治は3年で改元されていることから次の年号の寛文4年-1664 年か)に、「榊村八幡堂」として村中で
お堂を新築したという記録があり、さらに慶安元年(1648 年)に新建され、神主は円太夫という人であったという記録が見られます。その後時を経て明治6年(1873 年)に矢沢の正八幡宮に合祀されましたが翌年には復社し、さらに翌年の明治8年に村社となりました。 ※藤崎町「ふるさとの史跡散歩」より】と紹介されています。

 なお、本殿を囲んでいる玉垣などについては、
【明治4年(1871 年)には神殿が造られ、さらに明治43 年(1910年)、皇太子時代の大正天皇が北海道と本県に行啓されたのを記念して玉垣が造られた】とのことです。


  


  

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築木館久須志神社 - つがるみち464




 青森市の築木館(つきのきだて)については、
【江戸期までは築野木館または槻館と書いた。集落の東方の野内川左岸の丘陵端(字山ノ井)に築木館跡があり、「新撰陸奥国誌」には「館迹、本村の寅卯の方弐拾間にあり、今は畑となりて形界詳ならず」とある。】と書かれています。
 さらには、
【菅江真澄は「すみかの山」の寛政8年(1796)4月20日に「槻木館といふに至る。建武のむかし、隅田の小太郎なにがしの柵のあととてあり」と記し、南北朝初期の砦跡と伝承する。現在も畑地で「タテの畑」と呼ばれるが、単郭の遺構に二重の堀跡や土塁跡が残る】とありますが、この集落に久須志神社が鎮座しています。


 集落の道路から、少し山側へ小道を進んだ所に鳥居が立っていて、ひっそりとした森の中に境内があります。
 境内には、狛犬や御神燈のほか、「馬頭観音様」「大石様」「山の神様」などと書かれた木柱があり、祠や大石などが置かれています。


  


  


   


 この神社の由緒については、
【御祭神:大己貴命 少彦名命  安政2年(1855)の書上帖には、草創年月不詳、明和年中(1764~72)同村の佐次兵衛が再建、村中で維持してきた稲荷宮と薬師堂の相殿一宇、本社 板葺二而建坪弐尺四面、覆 萱葺二而建坪弐間に九尺と記されている。明治初年の神仏分離に際して久須志神社と改められた。】とありますが、古くから薬師様を祀っていた場所のようです。


  


  


 拝殿の中に、集落の奥にある薬師山の絵が掲げられていましたが、その山の麓に築かれた祭壇が描かれており、昔からこの山を聖山として崇めていた様子が伺えます。この神社は、薬師山の遥拝所でもあったように思えます。


  

※【】は、青森市諏訪神社HP「兼務社の紹介」からの引用です。

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後萢神社 - つがるみち463




 青森市の後萢(うしろやち)の県道44号線沿いに、その集落名を冠した後萢神社が鎮座しています。
「萢」という文字は、湿地帯を意味するとされていますが、県内にもつがる市富萢とか、鶴田町横萢など「萢」のつく地名があり、以前にそれぞれの集落の神社を訪ねたことがあります。
 後萢も、昔はその名の通り湿地帯だったのでしょうが、立派な道路や多くの建物が並び立つ現在は、その面影はありません。


 後萢神社は、44号線沿いの町並みを見下ろすことができる小高い丘の上にあり、道路からも赤い一の鳥居や境内を望むことができます。

 鳥居をくぐり、参道を右、左と上って行くと、境内の入口があり、そこに二の鳥居と、猿田彦大神の碑がありました。
 

  


  
 

 御祭神は天御中主大神。昭和二十六年に、「後萢集落の氏神として建立された」ということで、比較的新しい神社といえます。
 境内には、狛犬のほか、いくつかの末社の祠が立っていました。


  


  


   

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葛川神明宮 - つがるみち462




 平川市葛川(くずかわ)に「誉田屋敷(こんたやしき)」という高台がありますが、ここに次のような話が伝えられています。
【(その地名は)昔、河内国の誉田の城主がここに落ちてきたからだという。そのころ、切明川にサケの大群が上ってきた。誉田殿は、これを小国(おぐに)の殿様に献上せねばならず、藤のつるを切り取って荷縄にし、いくども坂を越えて小国の城まで運んだ。これが苦しかったので、誉田殿は坂の下で「こんなに上らず、また藤つるがなかったら、こんな苦しい目にあわずにすむものを・・・」といって泣いたという。それからこの坂を「誉田の泣き坂」といった。それから川にサケが上らず、藤も絶えてしまったという。 ※『青森の伝説』より


 葛川には、昔、「葛川館」という山城がありました。築城主や築城年代など、詳しくは分かっていませんが、かつての館跡は現在、神明宮になっています。

 道路のそばに「葛川館跡」と書かれた木柱があり、その上に鳥居が立っています。そこから参道が続いていますが、境内は、標高300mほどの山の上にあります。
 完全な山道で、うっそうとした森の小路を左右に三回、四回と曲がりながら登って、やっとたどり着きました。

    

 境内には、「神明宮」と書かれた石柱が2基、拝殿の両横には,、末社の祠がそれぞれ立っています。拝殿の柱には、大きな奉納草鞋が掲げられていました。

    

    





 この神社の御祭神は天照皇大神ですが、その由緒については分かりません。
 葛川は江戸時代には「折戸村」と呼ばれていましたが、農作物が育たないやせた土地であったといわれています。時期は不明ですが、土地の開墾と豊作を願って、この神社は建立されたものと思われます。
 参道入口の木柱
葛川館跡
には、次のように記されています。
【葛川館跡  築城年代、城主は不明。郭の三方は断崖で、南側の台地続きを堀で切断した一郭の館跡である。神明宮境内になっている郭内に、関ヶ原合戦に西軍の武将であった大谷刑部吉継の子と、越後の武将上杉景勝の重臣直江山城守の弟が植えたという伝説をもつ樹齢三○○年を越す松と杉がある。】


 その真偽はともかく、なかなかロマンを感じさせる伝説です。因みに、葛川には「直井」という名字の方がたくさんおられます。「直江兼続との関係は・・」と、空想がふくらみますが、兼続ゆかりの人物が、この地にやって来たのかも知れませんね。
 なお、木柱に書かれている老杉の大木の一本は、とちゅうから折れて無くなっていました。朽ち果てたものか、自然の力によるものか。。

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緑 みどり

 神社めぐりをひと休みして猿賀公園へ行ってみました。
 あてもなく散歩するときは、必ずといっていいほど立ち寄る場所です。何をするでもなく、ただベンチに座ってボケーッとしています。
 ついこの間まで、遅咲きの桜が咲いていましたが、今、園内は鮮やかな緑につつまれていました。


  


  


  


   

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