のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
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荒田八幡宮 - つがるみち473




 平川市の荒田は、農業高校の近くにある小さな集落ですが、かつてはこの地に「荒田館」という城が築かれていたといいます。
 この館の築城年代などについては、詳しくは分からないのですが、現在の荒田八幡宮付近にあったとされています。今は、その周囲は宅地や畑になっていますが、わずかに当時の堀跡が残っているようです。
 また、ここには、藩政時代に代官所が置かれ、支配者の下、治安・民政・徴税などを行っていましたが、水堀に囲まれた大きな構えの館が立っていたようです。今は、りんご畑になっており、当時の面影はありません。私は見つけられませんでしたが、りんご園の中に、「大光寺組代官所跡」という木柱が立っているようです。


  

 
 荒田八幡宮は、誉田別命を御祭神とする小さな神社ですが、棟札には、
【天文二年(1533)八月、小野井讃岐守祐政勧請。嘉永二年(1849)閏四月と、明治十一年七月改修。」と、その由緒が記されています。
 小野井讃岐守祐政は、この地の武将であったと思われ、荒田館の城主であったとされています。 


  


  


  


 住宅にはさまれた所に金属製の注連縄が架かった一の鳥居があり、そこから参道が続いています。
 境内は、右に曲がった所にあり、拝殿と本殿、狛犬、神馬、末社などが並んで立っていました。

 拝殿の屋根を覆うように、大きなイチョウの木が立っています。直径6m、高さ20m、樹齢は300年ともいわれている見事な巨木です。

 社殿の後ろはりんご畑になっており、真っ赤なりんごが実っていました。


   


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切明神社 - つがるみち472




 明治の初めに青森県が編纂した『新撰国誌』には平川市切明について、
【切明は地味薄く、山気強く、蔬菜すら実らず。薪炭以て米穀に代えて糊口す。】と書かれていますが、山中のやせた土地であったため、村人の生活は貧しかったようです。
 切明の集落は、天和年間(1681-1683)に本格的に開拓されたと言われていますが、それ以前に、津軽為信が津軽統一の後、南部方の反撃を知るために、ここに番所を置いたのが始まりと伝えられています。因みに、最初の番所頭は東海吉兵衛とされていますが、この人物は、弘前城築城の際、その縄張りをしたことでも知られています。

 切明神社は、そんな切明集落に鎮座している社です。
 集落の消防屯所の裏側を小さな川が流れていますが、橋を渡った所に一の鳥居が立っています。

 扁額は「大山祇神社」となっていますが、別に「切明神明宮」と刻まれた石柱もあり、いろいろな名で呼ばれた村の産土社であったのでしょう。

 鳥居をくぐると、背の高い杉木立に囲まれた参道が続いていますが、間もなく分かれ道になり、左手には鬼子母神堂と、神馬が祀られた末社が立っていました。鬼子母神堂は、地元の日蓮宗の信者の方たちが建立したもののようです。


  

 
  

 
 右側の方に、さらに細道が続いていて、その先に境内がありました。狛犬が一対と、拝殿と本殿・・・いたって簡素な小さな社です。
 

  


  


 御祭神は大山祇神ですが、その由緒については詳しくは分かりません。

 しかしながら、この地にも坂上田村麻呂に関する伝説が残っており、それによると、
【坂上田村麻呂が巡回の折、疲労し、足を痛めたため、ここに滞在したところ、温泉を発見した。これは「山の神からの授かりもの」と喜んだ田村麻呂は、ここに大山祇神社を勧請。入浴の結果、疲労も癒えたので、この地を「切明」と名づけた。】と伝えられています。  - この温泉は、400年以上も前から「村の湯」として、人々に親しまれていたようです・


   

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石郷闇おかみ神社 - つがるみち470




 平川市石郷(旧平賀町)は、縄文遺跡のある地区として知られていますが、集落内には「縄文の故郷石郷」と書かれた木柱も立っています。
 また、村内の闇おかみ神社には、遺跡について記した説明板があります。
【平賀町は県内有数の遺跡の多い町で、現在180余の遺跡が確認されています。平賀町の平野部に遺跡が多くなる時期は、縄文時代後期(約4000-3000年前)です。この時期には、石郷地区の両側を平川の一大支流が北流していたと想定され、その氾濫と堆積による自然堤防状の微高地一帯に集落が形成され発達したものと考えられ、昭和49年に実施された発掘調査により、石郷遺跡が最も栄えた時期は、縄文時代後期末から晩期前半(約3000-2500年前)である事が判明し、夥しい土器や石器などが出土し大集落が営まれていたことが判明しました。遺跡の大半はいまだ地中に埋もれており、今後の調査研究が待たれます。 ※説明板より


 闇おかみ神社は、民家にはさまれた道路沿いに鎮座していますが、酒樽をのっけた一の鳥居のそばには、遺跡の説明板。そのとなりに大きな社号標があります。
 「おかみ」という漢字は、水神ですので「雨+龍」のものが多いのですが、この神社の「おかみ」は、「龍」の左半分がが「帝」になっている珍しい字形でした。


  

 境内の敷地は、あまり広くなく、庚申塔や狛犬、末社などが並んで立っています。
 拝殿の中には、大きな絵馬や神馬などが置かれていました。


  


  


  


 その由緒については詳しくは分かりませんが、江戸中期頃に勧請されたと伝えられており、拝殿に次のような説明がありました。
【今迄発掘された埋蔵文化遺跡に示されるように相当早くから開田耕作されて居たと思われるが水の不自由の上で困難を感じていた爲、雨を降らせる神として闇おかみ神を勧請して産土神と崇敬して来たという。但し、何時の頃からか不明である】


   

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咲きはじめ - つがるみち468




 道路を走っていると、『田舎館村たんぼアート』の道案内とともに、『北限にみる蓮の花まつり』という案内板も立っています。猿賀神社境内にある鏡ヶ池に咲く蓮の花を楽しむ祭りのことで、『和蓮』の群生地としては、ここが北限といわれています。
 例年、家族連れや、花の様子を写真におさめようと、多くの人々が訪れますが、猿賀神社のHPによると、少しずつ花が咲き始めているとのことで、行ってみました。まだまだ「一面蓮の花」というわけではありませんが、池のあちこちにぽつぽつと可憐な花が咲いていました。



  



  



  



  

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葛川神明宮 - つがるみち462




 平川市葛川(くずかわ)に「誉田屋敷(こんたやしき)」という高台がありますが、ここに次のような話が伝えられています。
【(その地名は)昔、河内国の誉田の城主がここに落ちてきたからだという。そのころ、切明川にサケの大群が上ってきた。誉田殿は、これを小国(おぐに)の殿様に献上せねばならず、藤のつるを切り取って荷縄にし、いくども坂を越えて小国の城まで運んだ。これが苦しかったので、誉田殿は坂の下で「こんなに上らず、また藤つるがなかったら、こんな苦しい目にあわずにすむものを・・・」といって泣いたという。それからこの坂を「誉田の泣き坂」といった。それから川にサケが上らず、藤も絶えてしまったという。 ※『青森の伝説』より


 葛川には、昔、「葛川館」という山城がありました。築城主や築城年代など、詳しくは分かっていませんが、かつての館跡は現在、神明宮になっています。

 道路のそばに「葛川館跡」と書かれた木柱があり、その上に鳥居が立っています。そこから参道が続いていますが、境内は、標高300mほどの山の上にあります。
 完全な山道で、うっそうとした森の小路を左右に三回、四回と曲がりながら登って、やっとたどり着きました。

    

 境内には、「神明宮」と書かれた石柱が2基、拝殿の両横には,、末社の祠がそれぞれ立っています。拝殿の柱には、大きな奉納草鞋が掲げられていました。

    

    





 この神社の御祭神は天照皇大神ですが、その由緒については分かりません。
 葛川は江戸時代には「折戸村」と呼ばれていましたが、農作物が育たないやせた土地であったといわれています。時期は不明ですが、土地の開墾と豊作を願って、この神社は建立されたものと思われます。
 参道入口の木柱
葛川館跡
には、次のように記されています。
【葛川館跡  築城年代、城主は不明。郭の三方は断崖で、南側の台地続きを堀で切断した一郭の館跡である。神明宮境内になっている郭内に、関ヶ原合戦に西軍の武将であった大谷刑部吉継の子と、越後の武将上杉景勝の重臣直江山城守の弟が植えたという伝説をもつ樹齢三○○年を越す松と杉がある。】


 その真偽はともかく、なかなかロマンを感じさせる伝説です。因みに、葛川には「直井」という名字の方がたくさんおられます。「直江兼続との関係は・・」と、空想がふくらみますが、兼続ゆかりの人物が、この地にやって来たのかも知れませんね。
 なお、木柱に書かれている老杉の大木の一本は、とちゅうから折れて無くなっていました。朽ち果てたものか、自然の力によるものか。。

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緑 みどり

 神社めぐりをひと休みして猿賀公園へ行ってみました。
 あてもなく散歩するときは、必ずといっていいほど立ち寄る場所です。何をするでもなく、ただベンチに座ってボケーッとしています。
 ついこの間まで、遅咲きの桜が咲いていましたが、今、園内は鮮やかな緑につつまれていました。


  


  


  


   

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柏木八幡宮 - つがるみち458




 津軽の神社でよく見かける「鳥居の鬼っこ」。掲げられている場所は、一の鳥居、二、三の鳥居であったり、拝殿の屋根の下であったりとさまざまですが、色や形、表情などにそれぞれ特徴があり、見ていてあきません。
 平川市にも、そんな「鬼っこ」のある神社が二つあります(もっとあるのかも知れませんが、私の知っている限りでは)。
 ひとつは、日沼の三社神社で、ここの鬼っこはカラフルな青鬼でした。そして、もう一社は柏木町に鎮座する八幡宮です。
 石で造られた地味な感じの鬼っこですが、ちょっと寄り目の愛嬌のある顔つきで、その両肩で、重そうな鳥居を、いっしょうけんめい支えています。





 柏木町の中心部にあるこの神社は、道路沿いに鎮座していて、「八幡宮」と書かれた一の鳥居、「八幡大神」の額が架かる二の鳥居、そして鬼っこのある三の鳥居と参道が続いています。四の鳥居の後ろにもうひとつ馬蹄形の鳥居があって、奥に拝殿が立っています。
 境内には、狛犬と御神馬がそれぞれ数対と、手水石や石灯籠、庚申塔や青面金剛などもあり、なかなかにぎやかです。

 大きなイチョウの木が数本そびえていて、境内はこんもりとした森になっています。拝殿の横に、八坂神社があり、その門には龍が刻まれていました。また、社殿のわきには、忠魂碑や地元力士の顕彰碑なども立っています。


   


 その由緒については詳しくは分かりませんが、
【御祭神:譽田別尊  創立由緒不詳なるも、社伝に依れば、慶長六年 (一六〇一)、津軽大守藤原朝臣為信公、故ありて神鏡一面寄付の上、三間四方の社殿を建立し勧請したと云う。しかし、元和初年、社殿焼失のため神鏡一面のみ残して、縁起書宝物等は全て灰塵に帰すと云う。後に元和八年 (一六二二)、修験者義法坊、柏木の境内に小社を建てて、八幡宮を勧請したと伝えられる。 ※青森県神社庁旧HPより】とあり、長い歴史をもつ地域の産土社です。


  


  


  

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ようやく桜

 津軽にもようやく桜の季節が訪れ、今週からは各地で桜祭りが行われています。
 以下は、平川市の猿賀公園の様子です。


    


    


    


    

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猿田彦大神 - つがるみち447




 先日、猿賀神社付近をぶらぶらしていたら、近くに小さな赤い鳥居が立っていたので立ち寄ってみました。
 辺りの住所は平川市猿賀石林になっているようですが、この鳥居は、盛美園の庭の裏側にあり、盛美園の塀が近くまで迫っています。
 鳥居に掲げられている扁額には「猿田彦大神」とあります。背の高い杉が何本か立っており、その奥に猿田彦の碑や青面金剛、庚申塔が置かれています。大きな猿田彦碑には注連縄が張られ、地元の信仰の厚さがうかがえます。


   





 この猿田彦大神の近くは墓地になっていますが、そこに道路によって遮断された形の土盛があり、「遺跡小田ノ森」という説明板が立っています。
【古図に大丹森(オオタンモリ)とあり夷賊酋長大丹丸(大丈丸とも)の首塚があったことから此の名が起ったと言伝えられ古墳塚が五基と七坊あった。昭和三十五年に古銭一万四百六十七枚、焼失屋敷、焼米、鉄製品が出土し、古銭の下限から鎌倉末期に埋れたものと推定されている。この地は縄文から歴史時代に至る遺跡包蔵地帯でもある。 ※説明板より

 縄文の昔から続いていた遺跡らしいのですが、発掘された古銭の中には、紀元前175年の中国の漢の半両銭や紀元前118年の五銖銭なども含まれていたとのことです。

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本町八坂神社 - つがるみち446




 平川市本町は、付近に私鉄の平賀駅やJAの建物、学校などが立ち並ぶ、旧平賀町の中心地ですが、その住宅街の一角に八坂神社が鎮座しています。
 御祭神は須佐之男尊(スサノオノミコト)。その由緒については詳しくは分かりませんが、
【享禄年間(1528-1531)に、大光寺城主・滝本播摩守が千手観音を勧請したのがはじまり】 と伝えられています。


 住宅にはさまれた道を進んで行くと、川があり、そこに赤い神橋が架かっています。橋を渡った所が境内ですが、雪解けが進んだとはいえ、まだ少し雪が残っています。

 境内には新旧の御神塔や狛犬、神馬、地元力士の顕彰碑などが置かれていました。神池を伴った末社が立っていましたが、弁天宮でしょうか。拝殿のとなりには、二十三夜塔と庚申塔、青面金剛像がまとめて置かれていました。


    


    


    

 一帯は、鎌倉時代の初期に幕命を受けた曽我氏が大光寺城主となり治めていましたが、南北朝時代になると安東氏、さらに室町期には南部氏の所領となり、大光寺城には南部氏の城代として滝本氏が入りました。ここ八坂神社の前身である千手観音堂は、その滝本氏が建立したもののようです。

 しかしながら、大浦為信による津軽統一が進み、天正三年(1575)、大光寺城は奇襲を受けて落城します。その後、大光寺城は、為信の娘婿である津軽左馬之助藤原建広(たけひろ)が城主となりましたが、建広は、消失した千手観音堂跡に大光寺城落城戦死者供養のために聖観音堂を建立しました。この観音堂が、明治になって八坂神社となる分けです。
 因みに、津軽左馬之助建広は、後の二代藩主・信枚と津軽家の跡目相続をめぐって争い、津軽の地を追放されたといわれています。


    

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冬ごもり2

 まだまだ先のことですが、雪解けを待ちながら、ときどき散歩に出かけています。

   


    


    

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冬ごもり

 寒さに負けて、記事の更新も「冬ごもり」中です。


    



    

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盛美神社 - つがるみち440

 平川市猿賀公園の近くに盛美園があります。

◇盛美園 (せいびえん)
ー 津軽には大石武学流と呼ばれる独特の作庭様式が伝えられており、その典型とされるのが、国指定名勝の盛美園です。明治35年より9ヵ年を費やして作庭されたといわれており、面積3,600坪(約1.2ha)の池泉廻遊式の庭園です。大きく刈り込んだイチイの木は、天地を創造した神々をかたどり、津軽平野と遠山を借景として取り入れ、庭石をきめ細かく配置し、装飾的にもすばらしい名園として有名です。盛美園の一角にある盛美館は、一階が純和風、二階が洋風で建てられており、鹿鳴館時代の特徴を表した和洋折衷の珍しい建物で、庭園と融合した独特の美しさをもち、明治文化の面影を忍ばせています。※青森県観光情報サイトアプティネットより -

 四季それぞれの美しさを見せる盛美園ですが、ちょうど今の時期は冬支度の最中で、あちこちで雪囲いが行われていました。
 園内には樹齢400年を超えるケヤキの大木もあり、数多くの樹木や大石、池などが巧みに配置されています。

 築山の一角に鳥居が立っていて、その上に盛美神社があります。
 神社といっても、小さな祠がポツンとあるだけなのですが、その由緒については青森県神社庁HPにものっています。
【鎌倉時代、 津軽藤崎の郷鶉ケ池のほとりに祀っていた倉稲魂神を、 猿賀村の清藤家 (当主清藤盛治) の祖先が、 庭先の欅樹の傍に祀った。 のち、 猿賀神社の境内社であった一王子神社の祭神大山祇神を合祀し、 更に猿賀神社の祭神田道命も奉斎して神威彌々加わり霊験があらたかになった。 明治時代に至って、 清藤家二十四代祖盛美、 たまたま感じるところあり、 邸内庭園の一部を浄めて、 此の処に奉遷し、 更に又、 庭津日神、 庭高津日神をも配祀して小祠を建立した。 】

 御祭神は、大山祇神・田道命・庭津日神・庭高津日神の四柱ですが、「竃や屋敷、庭、農地など、農業生活の神」である庭津日神(にわつひのかみ)と庭高津日神(にわたかつひのかみ)を祀っているあたりは、いかにも名園にふさわしい守り神である気がします。


  


  


  


  


  

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冬待つケヤキ

 凛とした姿形のケヤキの木は、晩秋から初冬の神社の境内でもひときわ目立つ存在です。平川市尾上(旧尾上町)には、そんな風格を持つケヤキの大木が生えている神社があります。

 愛宕神社は、坂上田村麻呂の蝦夷征討の際、建立された社で、将軍地蔵と唱えられていました。境内には珍しい夫婦木や三頭木があります。

 七柱神社は、かつて、獅子権現宮と呼ばれ、猿賀神社の摂社でしたが、ここにも田村麻呂の伝説が残っています。この神社の境内は、昔はケヤキの巨木が密集していて「けやきの森」と呼ばれていました。


  


  



  


   

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日沼三社神社 - つがるみち439




 平川市日沼(旧尾上町)は、一帯を流れている平川沿いにある集落ですが、弘前市や田舎館村と境を接する所です。
 平川を渡った所には富岳神社(弘前市)があり、その対岸には大袋稲荷神社(田舎館村)が鎮座しています。
 この日沼の集落の道路沿いに三社神社があります。弘前へ行く途中によく見かける神社ですが、ゆっくり境内の中を見たことはありませんでした。
 大きな社号標のとなりに一の鳥居があって金属製のしめ縄が架かっています。そこから民家に挟まれた参道が続いていますが、二の鳥居、三の鳥居、四の鳥居とくぐって行くと境内に出ます。境内には狛犬が二対、神馬、末社などが立てられていました。
 この神社の名物は、四の鳥居に架かっている「鬼っこ」です。以前、鳥居の鬼っこを探して神社めぐりをしましたが、そのとき、ここにも立ち寄って、鬼の写真だけを撮って帰ったことがありました。
 青い体の鮮やかな鬼っこです。赤く太いゲジゲジまゆげが特徴で、何となく「こち亀」の両津勘吉に似ています。




 その由緒については、
【御祭神:天照皇大神 譽田別尊 天児屋根命  当社草創の年月日は不詳だが、 往古より中津軽郡和徳村和徳字俵元の高山治助氏邸内に祀られ、 明治十三年五月八日、 許可を得て無格社となる。 明治十八年九月十四日、 当村葛西利三郎邸内へ移転の許可を得、 同年十月十四日、 新たに社殿を造営して同邸内に奉遷する。 爾来、 当日沼村の産土神として村中一同厚く崇敬す。 大正三年七月十日、 当村の樋口甚左衛門氏は、 祖先が邸内に祀っていた少名彦神社を合祀して現地へ奉遷した。 大正十一年八月二十一日、 従来中津軽郡豊田村境関に鎮座する富岳神社の氏子であった当日沼を、 三社神社の氏子区域に変更することが承認され、 大正十三年五月十五日村社に列せられ、 同年六月二十四日、 神饌幣帛料供進神社に指定される。 ※青森県神社庁HPより 】とあります。

 由緒に書かれているように、元来、個人の邸宅の守り神であったものが、村の産土社として崇敬されるに至ったもののようです。
 また、村の者が合祀したとされる少彦名神は、大己貴神とともに相殿神として祀られているとのことです。

◇日沼三社神社

  


    

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初雪の境内

 天気予報の通り、ついに里にも初雪が降りました。朝起きたらうっすらと雪が積もっていたので、近くの猿賀神社へ行ってみました。赤、黄、緑に加えて、雪の白がまじりあった境内でした。


  

  

  

  

   

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白岩森林公園の秋

 真っ白な岩肌の屏風が立ち並ぶ平川市の白岩森林公園は、 四季の自然が美しい場所ですが、秋に訪れたのははじめてです。白壁の東屋から見る山の峠付近は、赤、黄、緑に染まっていました。


  


  


  


    


    

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猿賀公園の秋

 秋は一足飛びに過ぎていくようで、近場の公園の紅葉も日増しにその色があせていくような気がします。

 画像は、一週間くらい前の猿賀公園の築山付近の様子です。


  


  


  


  

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沖館神明宮 - つがるみち435




 平川市の沖館観音堂は津軽三十三霊場の第29番札所ですが、その創建は延暦10年(791)とされており、坂上田村麻呂が東夷東征の際、御堂を造営し歓喜天像と十一面観音を祀り戦勝祈願したことが始まりと伝えられています。
 戦国時代には大浦(津軽)為信が、ここで南部方との戦の勝利祈願を行い、念願成就したといわれていますが、この観音堂は神明宮の境内の中にあります。




 この神社の由緒は観音堂の歩みと重なっている分けですが、
【御祭神:天照皇大神   社伝に依れば、 「延暦十年 (七九一)、 田村麿将軍東夷征討に当り、 社殿一宇建立の上、 歓喜聖天及び十一面観音を勧請し祈願す」 とある。 神明宮の起源は、 観音堂創建に遡るが、 文亀三年 (一五〇三)、 神仏二道の道を修めた修験者一道坊全賢によって勧請建立された。 天正三年 (一五七五) 九月には、 津軽大守藤原為信公が時の五代目別当堯光に百日の戦勝祈願を命じ、 翌四年、 大光寺城攻略に成功した為信公は、 霊威に感動され、 「如意輪観音画像」 を始め鏡や祭具奉納の記録もあるが、 慶長十三年 (一六〇八)、 野火が原因の火災により、 今日に残るものは、 為信公直筆 「観音画像」 だけである。 慶長十四年仮殿を建て、 享保十四年 (一七二九) に建立された本殿が、 嘉永四年 (一八五一) 改築され、 のちに萱葺きからトタン葺きになり今日に至っている。 又、 本殿内陣には安政六年 (一八五九)、 津軽十二代藩主承昭公奉納の厨子に御神体が祀られている。 ※青森県神社庁HPより】とされています。

 石造りの鳥居をくぐると、奉納された御神燈が立ち並ぶ参道が続いていますが、道の右側に手水舎があり、その後ろには地域の方々によって造られた築山があります。一方、左側は小高い丘になっており、石段を上った所に観音堂があります。
 観音堂の上り口には大きな神馬。拝殿までの途中には狛犬が二対置かれていました。拝殿には石段を上っていきますが、ここにも小さな狛犬が一対置かれています。

◇沖館神明宮






 由緒に書かれてあるように、この神社は修験者・全賢によって建立されましたが、全賢の両親については次のような話が残っています。
【室町時代中期、時の関白・平房三男の政友は、藤原尚之の姫・貴増と恋に落ちた。しかし、姫は政友の兄・政知との婚約がととのい、妻となった。政友と貴増はその後も、ひそかに恋を語り続けた。その悲恋も兄・政知が知ることとなり、二人は老臣の州崎(
すのさき)政市を共に、駆け落ちすることとなった。そして、遠くみちのくの奥の奥、沖館の地に庵を結んだのである。二人は沖館に住み、山野を拓(ひら)き農耕、植林に励んだのだという。さらには十一面観音を信仰し、周辺に散在する庵所を1カ所に集め、修験の地とした。その場所は十九院と呼ばれているそうだ。二人に男子が生まれ、千代丸と名付けられた。この千代丸も父母と同じく修験の道に入り、長じて一道坊全賢と言う。※陸奥新報社『津軽三十三霊場』より抜粋

 この全賢の両親の墓碑が境内に立っているとのことですが、それらしきものはあるものの、はっきりとは分かりませんでした。

◇観音堂、御神木など



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不浪寄八幡宮 - つがるみち434




 平川市碇ヶ関古懸(旧碇ヶ関村)に鎮座する八幡宮は、不動尊で有名な国上寺のとなりにある神社です。
 国上寺は以前訪ねたことがありますが、この神社はざっと回っただけでした。今回は再訪になります。
 参道の入り口に鳥居が立っていて、松並木に囲まれた道が続いていますが、まっすぐ進むとお寺の本堂になり、その手前に神社の一の鳥居が立っています。




 社号標には「不浪寄八幡宮」とありますが、不浪寄(よせなみしらず)とは、
「昔、大規模な白髭水(山津波)が起きたことがあったが、八幡様の霊験により被害を最小限で食い止めることができた。」という言い伝えに基づいていて、それが神社名にもなっています。なかなか一発では読めません。

 境内は、国上寺の大きな伽藍が立ち並ぶ所の隣の敷地、少し低い所にあります。

 鳥居をくぐって神社の参道を進むと、社号標があり、そのそばに一対の狛犬が置かれています。傍らには手水舎。拝殿の手前には昇り龍と降り龍の神門が立っていました。
 拝殿の屋根の下には八幡宮と書かれた扁額がありますが、その前にねぶた絵が描かれた灯篭が下がっています。地域の方々のアイデアでしょうか。

 拝殿の横がちょっとした丘になっていますが、その下を小川が流れています。丘の上には末社がひとつと観音像が立っていました。

◇不浪寄八幡宮
 





 この神社の由緒については、
【御祭神:譽田別命  由緒不詳。 社伝に依ると、 人皇三十代敏達天皇の御代、 津軽郡が大津波のため入海となった時、 入水を祓退け、 霊験あらたかなるによって、 不浪寄八幡宮と称されるようになり、 参拝者は船によって往来し、 その古跡が今もあり、 其の時船をつないだ所が船岡森と称され、 又、 碇石として天保年間 (一八三〇~一八四四) の頃までは、 柵がめぐらされていたが、 近年は石だけが残っている。 又、 坂上田村麿東夷の折り、 八幡大神の霊験顕著なるを以て、 大神の尊像を彫り、 堂宇建立されたと云い伝えられ、 のち、 天正年間 (一五七三~一五九二)、 津軽土佐守藤原朝臣が御堂を建立し、 以来度々再建修造された。 神仏分離令により一時弘前八幡宮へ合祀され、 明治六年古懸村に復社遷座され今日に至る。 ※青森県神社庁HPより】とありますが、ここでもまた、「不浪寄」のことが語られています。

◇昇り龍ほか



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猿賀神社の蓮 - つがるみち410




 猿賀神社の蓮の花が咲き始めたので行ってみました。
 境内の鏡ヶ池に群生している蓮は「和蓮」という種類で、自生しているものとしては、日本の北限のものといわれていますが、池にびっしり群がる葉っぱに交じって、淡いピンクの花が顔をのぞかせています。
 この蓮の花は、例年、7月中旬ごろから咲き始め、7月下旬から8月下旬が見ごろとされていますが、期間中は、『北限に観る蓮の花まつり』が開催され、多くの家族連れやカメラマンなどで賑わいます。


   


   

   

   

   

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館山神明宮ーつがるみち409




 平川市の松館・館山地区は、弘前市と隣接しており、バイパス沿いにはたくさんの住宅が並び立ち、ベッドタウンを形成しています。
 また、立地環境と交通アクセスにも恵まれているため、各社の工場などが建てられ、一帯は「松崎工業団地」と呼ばれています。
 しかしながら、バイパスから少し離れた所は水田やリンゴ畑が広がるのどかな景色で、その中に神明宮が鎮座しています。




「松館」「館山」という地名からも分かるように、かつてこの地には城(館)が築かれていたようです。
 築城年代や築城主など、その詳細については定かではありません。この神明宮一帯がその中心であったようですが、現在は、その遺構などは残っていません。
 神社の由緒については、

【御祭神:天照皇大神   古来観音堂として四民深く信仰し、 元禄三年 (一六九〇) 建立、 当村の産土神として崇敬された。 天文年中 (一五三二~一五五五) は、 守山神明宮として勧請され、 爾来館山、 松崎、 松館右三ケ村の産土神として重く奉齋され、 明治初年御一新に付き、 明治三年の神仏混淆仕分けの際、 社号を神明宮と改め、 明治四年三月十七日、 神明宮の社号を受け、 明治八年五月五日、 陸奥国第二大区八小区館山の神社として、 天照皇大神を奉齋し、 村社に列せられる。 館山、 松崎、 松館三ケ村の産土神として崇敬され、 大正年間に松館村が氏子区域を離れ、 館山、 松崎二ケ村の氏神として今日に至る。※青森県神社庁HP】と記されています。

 酒樽を掲げ、豪華な注連縄が張られている一の鳥居、二の鳥居と参道を進んで行くと、一段高い場所に石段が設けられ、昇り龍と降り龍が彫られた門柱がありますが、その奥に三の鳥居があります。

 社殿は、そこから真っすぐではなく、右側に回り込んだ所に立っていますが、これは方角を考えて、「東向き」に建てたものだと思われます。
 境内には、御神燈や狛犬、改築記念碑、末社などが並んで立っていますが、拝殿の壁面には、十二支を描いた奉納絵馬が掲げられていて、地域の産土社として崇敬されている様子が分かります。

◇館山神明宮










 境内は、中世の城跡だったようですが、一の鳥居の横に立っている由緒書きには、「松舘址」として、次のように紹介されています。
【御由緒略記  舘山神明宮所在地を守山と明記してあり、大浦為信の旗揚げ当時には既に守山神明宮を本陣として、天正三年大浦勢正月元日第二次大光寺城を攻め、落城の際に大浦為信が本陣を構えて指揮したという史実から推して見ても古社であり、舘山松舘松崎三村の御産土神様として崇敬されています。松舘址 ※由緒書きより

 これらを見ると、古来、観音堂として信仰を集めていた社は、戦国時代には「守山神明宮」と呼ばれ、大浦為信の津軽統一の戦いの際は、その拠点のひとつになっていたことが分かります。

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杉館八幡宮ーつがるみち407




「○○館」とかいう地名は県内にも数多くありますが、その多くは昔、その地に城郭(館、砦)が築かれていたことに因むといわれています。
 平川市にも、かつては「館田館」や「松館」、「小和森館」、「猿賀館」などの館があり、それが現在は地名として残っている分けですが、「杉館」もそのひとつです。




 杉館の城については、その詳細は分かりませんが、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、この地を所領していた工藤氏の居館であったといわれています。
 工藤氏は、鎌倉北条氏の御内人であった工藤貞行(くどうさだあき)が、当時の田舎郡の地頭代として入部し、勢力を広げていった分けですが、その後は南部氏の配下になり、現在の黒石市を中心にして一帯を治めていた氏族です。
 現在は、杉館の遺構は残っていませんが、集落の中心に鎮座する八幡宮付近が、その館跡だとされています。

 一の鳥居と社号標は別の場所に立っているようですが、私は二の鳥居の方から訪ねました。地域の集会所の隣に神社が立っていましたが、かつては、一帯が境内であったように思われます。

 境内には、御神燈をはじめ、狛犬が二対、大小の神馬などが並んで立っています。拝殿の前には、末社が二つほど立っていましたが、注連縄が張られていたり、奉納された草鞋が架けられていて、地域の信仰を集めている社だということを感じさせます。

◇杉館八幡宮境内







 この社の由緒については、
【御祭神:譽田別尊  当社の創立年月日は不詳なるも、 伝説に依れば、 延暦年間 (七八二~八〇六)、 坂上田村麿の建立と云う。 上代より庶民の信仰特に厚く、 当村字滝本の地に久しく祀られていたが、 正徳三年 (一七一三)、 現地へ社殿を造営奉遷す。 天明年間 (一七八一~一七八九)、 以前より廃社になっていた八幡宮を合祀し、 弘化四年 (一八四七) 四月、 社殿を再建し、 村中にて産土神として深く崇敬するに至る。 明治六年九月八日、 村社に列せられ、 明治四十四年四月、 神饌幣帛料供進神社の指定を受ける。 終戦後、 神社制度の根本的改革により、 昭和二十二年四月一日宗教法人令による宗教法人八幡宮となり、 昭和二十六年二月六日、 国有境内地九六・六坪譲与され今日に至る。 ※青森県神社庁HPより】と紹介されています。

 津軽には、「坂上田村麻呂建立」という伝承を持つ神社が多いのですが、ここもそのひとつのようです。

◇狛犬、木鼻など



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広船神社ーつがるみち404




 平川市には「森林公園」と名のつく公園が2ヶ所あります。ひとつは、文字通り白い岩が佇立する白岩森林公園で、もうひとつは志賀坊森林公園です。
 志賀坊森林公園は、標高350mにある公園で、公園全体にゆるやかな遊歩道が設けられ、季節にはさまざまな山野草が咲き乱れ、のんびりと森林浴を楽しむことができます。また、ここからは、霊峰・岩木山と広大な津軽平野を一望できますが、特に、夕景と夜景が美しいということもあり、人気スポットになっています。




 公園からの道は矢捨山方面へと続いていますが、その道の入口に「津軽と南部の要路」と題する案内板が立っています。
【・・・観音様の参拝と南部地方との物流の主要道路であったと思われるこの道。往時、南部遠野の住人が城主の姫と恋仲になり、遠野では結ばれる関係ではないが、二人の燃える恋心はいかんともしがたく「愛の逃避行」を決意する。野を越え山を越え、手に手を取って苦難を乗り越え、志賀坊を経て風光明媚な広船にたどり着き、この地を永住の地と定めた。】
 なかなかロマンチックな伝説ですが、今は森林の中に埋もれている道も、かつては、人馬の往来が盛んな道路であったようです。




 案内板に書かれている「観音様」とは、津軽三十三霊場28番札所である広船観音堂のことですが、観音堂は広船神社の境内にあります。
 観音堂については、以前の記事で紹介したので、少し重複しますが、広船神社は、
【祭神:須佐之男命  創建は大同2年(807)坂上田村麻呂が開いたのが始まりと伝えられ、古くから神仏混合し広船観音堂や弘船寺などと呼ばれていました。一事衰退し荒廃しましたが正長元年(1428)に再興、正長2年(1429)に制作された鰐口や五輪塔が残されています。又、境内は中世の城である広船城に隣接していることから城主との関係が深かったと考えられ、慶長15年(1610)には城主の後裔と思われる別浦太郎左衛門信正が社殿を再建しています。寛延年間(1748~51)には津軽三十三観音霊場二十八番札所に選定されると広く信仰を集めるようになりますが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され本尊の千手観音像は村頭の仏壇に移され社号を広船神社に改称されました。廃仏毀釈の気運が静まると、再び千手観音像は広船神社の本殿に安置され昭和15年(1943)に観音堂を建立すると千手観音像を観音堂に移しています。※青森県 観光・歴史・見所より抜粋】と紹介されています。

 広船の村の産土社として信仰を集めてきた神社で、棟札、鰐口、五大力菩薩、薬師如来立像、梵鐘などの社宝は市の文化財に指定されている他、手水舎は「観音清水」と呼ばれる名水にも指定されています。






  

 
 
 広い境内には、拝殿や本殿をはじめ、観音堂、稲荷神社、薬師堂、鐘楼などが立っている他、観音像や狛犬、祠などが数多く見られます。
 
 観音堂へ上る石段の手前に、一風変わった表情をした大きな石が置かれています。
 一見、おにぎりのような形をしたこの巨石の表面には、まるで人間の「目」を思わせるような横長の穴があいており、でっぱりは鼻のようにも見えます。この「目」は、人の手によって彫られたものではなく、自然にできたものだということですが、見る角度によって、笑っているようにも、泣いているようにも、怒っているようにも見えるため、「人面石」と呼ばれています。

 また、境内にはかなりの大きさのイチョウの木がありますが、かつては、もっと大きな巨木がそびえていたようです。
 拝殿の前に、その乳根が置かれていて、「広船観音堂 大銀杏の由来」という説明札が下げられています。
【この大銀杏は第二鳥居前方の南側の場所にあった。この木に登り、枝を伝い、地面に降りることなく広船館に行くことが出来たという(古老の話)。この大銀杏の乳枝を煎じて飲めば母乳の出が良くなると信じられ、明治二十一年大火消失前は垂乳根を大銀杏から取り、神社に納めた。お母さんたちは、乳根を鉋削りをして持ち帰った。】
 
 置かれていた大きな乳根の裏側には、確かに削った跡が見られます。
 広船館跡は第二鳥居から道路を挟んだ斜め向かいにありますが、けっこうな距離があり、木に登り、そこまで枝伝いに行くことができたとは、かつてのイチョウの木は、かなりの大木だったようです。




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小杉月読神社 ー つがるみち400




 平川市小杉は、戦国時代に「樋川館(ひかわだて)」という城が築かれていた所です。
 樋川館は、前回お伝えした館田館とともに、南部方の滝本重行が築いた砦であり、天正3年(1575)、津軽為信が大光寺城を攻めた際に、まず、ここの砦を攻め落とし、軍を進めて行ったとされています。
 館田館と同様、現在はその遺構は残ってはいませんが、この地に鎮座している月読神社一帯が、城跡だったと思われます。




 道路沿いに「月讀神社」と書かれた大きな社号標と、真っ赤な一の鳥居が立っていますが、鳥居をくぐった右側には、聖観世音菩薩碑、二十三夜塚、庚申塔が並んで立っています。
 説明板があり、聖観世音菩薩については、
「衆生の諸難を祓い、願いをかなえ、教化救済をする菩薩」と書かれていました。

 説明板に書かれているように、この神社は、昔から聖観世音菩薩を祀ってきたようで、その由緒については、
【御祭神:月読命  当社には昔から正観音をお祀りしている。 この正観音の由来について、 自ら勧請した旧黒石藩の従臣寺田四郎左エ門盛民の残した次の記録がある。 『当月山宮の社堂は天正年中 (一五七三~一五九二)当所の給主相馬良盛が拓り開くところのいわゆる父喜多左エ門良貞は当国の内の黒石領中野不動館の上田城に居住し嫡子良盛は当所の野原地知行二百石の所領を扶持即ち開拓し、村の鎮守宮として月山宮をここに移し奉ったと雖も、良貞七代の後孫寺田庄藤原氏四郎左エ門盛民が奉持し来たりし誠に奇瑞なる正観音を恩義のため当社に勧請奉るもの也』
 これに依れば、 二代相馬良盛がこの地を開拓し、 村の鎮守として月山宮を創立、 その後、 七代目の孫寺田盛民が正観音を併せ祀ったものと思われる。 ※青森県神社庁HP】とあります。難解ですが、主神の月読命とともに、聖観音が祀られるに至った様子が、何となく分かります。







 説明板には二十三夜塚(塔)について、「陰暦二十三日の夜、この夜月待をすれば願い事がかなったと云う信仰があった」と書かれていますが、拝殿の前にも「二十三夜」の説明板があり、それには、「二十三夜様は、庚申様の弟でありという。勢至菩薩をあて、月夜見命をあてている。人々は、豊作を祈願した。」とありました。

 月待信仰は、
【十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事。※wikipediaより】ですが、例えば、十五夜の場合は「阿弥陀如来・大日如来・聖観音」というように、月齢によって祈願する主尊が割り当てられており、二十三夜の場合は「勢至菩薩」と「月夜見命」になっています。
 月読命を御祭神とするこの神社の氏子の人々にとって、二十三夜講は、かけがえのない大切な行事だったのでしょう。

 境内には、月の使者であり、月読命の神使でもある「兎」の像が、参道に一対、そして本殿にも一対置かれていました。
 



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館田八幡宮ほかーつがるみち399




 平川市の館田(たちた)には、戦国時代に「館田館」という城が築かれていたとされています。
 築城時期は天正2年(1574)頃といわれており、築城主は大光寺城主・滝本重行で、家臣の千葉与四郎という武将が守将として配置されていました。
 当時は、津軽統一を目指す大浦(津軽)為信と南部氏との間で熾烈な戦いが繰り広げられていましたが、南部方の滝本重行は、一帯に、松館・館山館・樋川館などの防御砦を築いたとされており、館田館もそのひとつでした。
 大光寺城は、天正3年(1575)に為信軍の奇襲を受けて落城しますが、このとき、館田館も打ち破られ、軍勢は館田村になだれ込んだとされています。
 館跡は、現在では宅地化され、その遺構などは残っていませんが、ここに八幡宮(館田前田八幡宮)が鎮座しています。
 



 神社の入口付近に地蔵堂が立っていますが、何人かの御婦人方が忙しそうに働いていました。どうやらお地蔵さまの「お清め」をしているようです。
 八幡宮の境内をぐるっとひと巡りして、地蔵堂の方へ向かいましたが、御婦人方はお堂の前で、休憩していました。
 尋ねると、「今日はお地蔵さまの宵宮で、お堂をお清めして、地蔵様の衣替えをしている。」とのこと。
 私:「八幡様の宵宮なのですか。」
 御婦人方:「いいやちがう。地蔵様の宵宮だ。毎年、正月と宵宮には、地蔵様に新しい晴着を着てもらうんだ。」
 私:「地蔵様の写真を撮ってもいいですか。」
 御婦人方:「どうぞ。新しい着物を着たお地蔵さまも喜ぶでしょう。」
 - 実際は津軽弁での会話だったのですが、心温まるやりとりでした。挨拶をして帰るときには、赤飯のおにぎりをいただきました。

 八幡宮の境内は広く、様々な記念碑や手水舎、末社などが立っており、狛犬は拝殿前に一対置かれています。
 その詳しい由緒などについては不明ですが、やはり、館田館の「館神」として建立され、地域の崇敬を集めてきた社だと思われます。







 八幡宮から少し行った所に、私鉄の館田駅がありますが、踏切を渡ると苗生松の集落に出ます。
「苗生松」と書いて「なんばいまつ」と読みますが、地元の方ならともかく、一発で読める人はあまりいないでしょう。 
 この変わった地名の由来についてはよく分かりませんが、ここに神明宮があります。社号標は「天照皇大神宮」となっていて、住宅に挟まれた道路沿いに立っている社です。
 鳥居をくぐって、境内の中に入ると、御神燈や手水岩、鳥居の新築記念碑などが、びっしり立ち並んでいるのが見えます。小さなブランコなどもあり、子どもたちの遊び場にもなっているのでしょう。社殿の隣には、庚申塔が三基立っていました。

 赤い社殿の前には、今にも飛びかかってきそうな狛犬が一対と、昇り龍と降り龍の石像が置かれています。小さな神社ですが、印象に残る社です。




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金屋 山神社へーつがるみち389




 桜の季節も終わり、津軽の野山の緑も濃くなってきました。
 天気の良い日には、あてもなくぶらぶらすることも多いのですが、今回は、平川市金屋(旧尾上町)の自然の森と山神社へ行ってみました。
 その斜面がりんご畑になっている金屋山には、キャンプ場として整備された「平川市自然の森」という施設がありますが、その奥が山神社の境内、さらにその後方の権現平は、古代人の祭祀場跡といわれており、伝説の大石「大石さま」があります。一帯は、猿賀神社とのつながりも語られている所ですが、私も以前に一度訪ねたことがあります。
 ⇒以前の記事へ

 駐車場から少し上ると施設の建物があり、「親杉」という大きな杉の木があります。樹齢が約250年以上、高さ28m、幹周り3.5mという巨木ですが、ここからは岩木山と津軽平野を一望することができます。

 遊歩道を歩いて行くと、山神社の境内へと出ます。



◇山神社由緒
【御祭神:大山祇神   草創の年月は不明であるが、 伝聞によると、 慶長十年 (一六〇五)、 津軽左馬守藤原建麿再建と言われている。 明治八年、 本殿が組頭小野長九郎、 百姓総代佐藤喜助らによって再建され、 同年十一月氏子総代等により拝殿が造営された。
 古い伝説によると、 神社後方にある 「大石様」 にその昔、 さるか神霊が秋田県鹿角郡申ケ野から白馬に乗って流れつき、 ここからさるか森 (猿賀神社) に鎮座したと言われている。 御祭神大山祇神は、 山の神様としてばかりではなく、 国土安泰、 家内安全、 開運、 延命、 夫婦和合、 子育て、 厄除けの神様など、 金屋集落の産土神として尊崇されている。※青森県神社庁HP

 由緒にも書かれている「大石さま」は、古代人が刻んだと思われる磨痕や線刻文が記されている大石です。山神社の後ろ側から遊歩道を池に沿って進んだ所に木柱が立っていて、そこから山の上に急な上り坂が続いています。

  


  

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猿賀胸肩神社ーつがるみち348


胸肩神社


 平川市猿賀神社の境内地はおよそ15,000坪とされていますが、広大な境内には「見晴ヶ池」と「鏡ヶ池」という二つの大池があります。
「見晴ヶ池」は行楽向けの池で、夏場は連日ボート遊びで賑わう池ですが、冬場の今は鴨たちの憩いの場です。
 一方の「鏡ヶ池」は、
【鏡ヶ池は猿賀神社信仰の中心となっている神池で中島周辺は散供(さんご)占いの霊場である。また、北限の蓮の花の群生地として広く知られ、夏には池全域に花が咲き競う。伝説によると津軽二代藩主信牧公が霊夢によって作ったと云われている。※猿賀神社HPより】と紹介されています。

 胸肩神社は、この鏡ヶ池内の中島に鎮座する境内社で、市杵島姫命を祀る社です。薄氷が張った池の上に新雪が積もり、朱色の社殿がとても鮮やかです。


 





◇猿賀の池と片目の魚

【境内の大池に片目の魚がすむといわれる。昔、猿賀の神様は、トコロのつるに足をひかれて倒れ、そのはずみにウドのからで目をついたために片目になってしまった。それから池の魚も片目になったという。
 津軽の古い盆歌にも「おらも見だ見だ猿賀の池よ、猿賀池の雑魚(じゃっこ)アみな盲(めつこ)だ」と歌われている。
 眼病で猿賀様に願をかける人は、神様が嫌うウドとトコロを食べない。
 境内に薬師の清水という湧き水があり、目の悪い人はこの清水で目を洗うとよいとされている。そこで人間の目の病が池の魚にうつって、魚が片目になるのだという。※『青森の伝説』より

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猿賀神社の紅葉ーつがるみち326




 あっという間に紅葉の時期も終わり、辺りの景色は様変わりしてしまいましたが、少し前の猿賀神社のスナップです。
◇猿賀神社
【御祭神:上毛野君田道命  桓武天皇の御代、 坂上田村麻呂将軍が暴夷を平定することになり、 兵を進め苦戦となった際、 田道命の霊感を受けて大勝した。 よって将軍はその趣を天皇に奏上したところ、 勅命により大同二年 (八〇七) 八月十五日社殿を造営、 奥州猿賀山深砂大権現として勧請し、 神威天長、 国家安穏、 黎民豊楽、 悪鬼退散を祈願した。 以来猿賀の深砂宮と崇められ御神徳四辺に遍く、 地方唯一の霊場と仰がれるに至った。 かつては藤原秀衡、 北畠顕家、 安倍氏代々等の国司、 探題の崇敬篤く、 藩政時代に入り津軽為信公により祈願所と定められ、 代々の藩主の守護のもと、 社殿の改修造営、 また社領の寄進などしばしばであった。 明治四年太政官政令にて権現号を廃して猿賀神社と改称し、 明治六年郷社、 更に明治十三年県社に昇格、 昭和三十四年神社本庁別表神社に加列され今日に及んでいる。 辰年、 巳年生まれの守護神として広く崇敬されている。 ※青森県神社庁HP

 ⇒ 以前の記事   記事①    記事②

◇猿賀神社の紅葉

  



  


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八幡崎八幡宮ーつがるみち304


八幡崎八幡宮


 平川市八幡崎地区に鎮座する八幡宮は縄文時代晩期の遺跡の上に築かれた神社です。
 以前は、神社入口付近に遺跡の説明板もあったようなのですが、八幡崎遺跡については、
【縄文時代晩期の低湿地・泥炭層遺跡。昭和23年(1948)中学校(旧猿賀中学校)建設工事の際に発見され、昭和36年(1961)~同38年(1975)にかけて、旧尾上町教育委員会並びに慶応大学の江坂輝彌等により発掘調査が行われ、約6,700m2が昭和44年県史跡の指定を受けている。縄文時代晩期前半の大洞B式~同C1式土器、石器、石製品、土製品をはじめ、藍胎漆器、木製椀、丹漆塗腕輪・同櫛並びに草本を用いたアンペラ(敷物)などがあり、堅果種子・樹皮・哺乳類骨も発見されている。
 平川市の中心部から延びる低台地西端に位置し、遺跡上には八幡宮が鎮座している。遺跡は上層に奈良時代の集落があり、台地の北側低地に縄文時代晩期の遺物包含層がある。 ※青森県HP「あおもりの文化財」】と紹介されています。
 八幡崎は旧尾上町。近くの猿賀神社をはじめ、尾上町には古代から中世にかけての遺跡や館跡などが多くあるのですが、ここもまた貴重な遺跡のひとつとされています。


末社


 道路沿いに社号標と大きな白い鳥居が立っており、参道へは石段を登って進みます。
 鳥居のそばに木柱があったので近寄って見ると「銀杏盛跡」
「銀杏盛跡」
と書かれていました。
 いろいろと調べてみたのですが、これについては分からずじまい。遺跡の沿革に、「遺跡の上層に奈良時代の集落があり」と書かれているところをみると、古代の集落の跡のことなのかも知れません。

 この八幡宮の由緒については、
【御祭神:譽田別尊  延暦十四年 (七九五)、 坂上田村麿が建立、 更に大同二年 (八〇七)、 同じく坂上田村麿が再建したと云われている。 其の後、 貞享四年 (一六八七)、 社殿を新築す。 大正二年九月十三日、 村社に列格、 昭和二十一年六月二十六日、 宗教法人令に依る宗教法人八幡宮となり、 昭和二十五年十二月二十二日、 国有境内地二、 一六一坪一合九勺を無償譲与され今日に至っている。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。
 猿賀神社の縁起には、田村麻呂がこの地で蝦夷の首魁を退治したという伝説がありますが、平川市のいくつかの神社にも「田村麻呂が創建した」という話が残っています。この八幡宮も、そうした田村麻呂伝説を伝える社です。

 二の鳥居、三の鳥居と順番にくぐって行くと境内へと出ますが、上を見上げると、電球の線が縦横に延び、建物につながれています。さすが地域の中心となる社。宵宮の時などはきっと賑わうことでしょう。

 拝殿の左(向かって)には鳥居をともなった淡島神社(淡島大明神)がありましたが、社殿の中を覗いて見ると、祭壇のまわりには子ども向けの人形がたくさん置かれていました。
 淡島神は、「婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神」とされていますが、そんな信仰の現れなのでしょう。

拝殿の扉も開いていたので、中へ入ってみました。両側の壁には奉納絵馬などの他に、「あまの川」「山びこ」などの習字(条幅)が飾られています。地域の小中学生が書いたものなのでしょうか。

◇八幡崎八幡宮

 
参道
淡島大明神①
淡島大明神②
拝殿
拝殿内


 平川市は獅子踊(獅子舞)の継承活動が盛んな町で、猿賀神社の境内では県下獅子踊り大会なども行われていますが、ここ八幡崎の獅子踊も約400年の歴史を持ち県無形民俗文化財になっています。
【八幡崎の獅子  八幡崎の獅子踊りは踊りと囃子のきめ細かさとリズ ミカルさが特徴。 幕と呼ばれる獅子の衣装にも特徴があり、津軽獅子の幕の紋様は、その大部分が牡丹、唐獅子、波、千鳥 だが、八幡崎のものは白地に藍で鶴と三つどもえを染 めたものである。
八幡崎獅子踊衣装 ※広報「ひらかわ」より
※広報「ひらかわ」他より】 

 津軽の獅子踊は、熊獅子系と鹿獅子系に大別されますが、八幡崎の踊りは熊獅子で、 熊踊りの荘重さと(鹿獅子の)跳躍の軽妙さが加わった特徴のある踊りとされているようです。  ⇒津軽の獅子踊

 この獅子踊は、例年、旧暦8月1日に獅子起しが行われ、ここ八幡宮への奉納されるとのことです。

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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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