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のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  

高賀野馬頭観音堂 - つがるみち483

 黒石市高賀野は、八幡宮に至るまで急な坂道が続く集落ですが、その坂道の登り口に馬頭観音堂があります。

 歩道の脇に赤い鳥居が立っていますが、扁額には「保食神社」と書かれていました。石段のそばに史跡を示す標柱があり、少し上がった所が境内です。

 境内には社殿と庚申塔がありましたが、特に目を引くのは、一本の大木です。
 この大木は、かつて浅瀬石城があった頃、一人の武将が洗った馬をこの木に繋ぎ、無事を祈ったとされています。

  


  


 馬頭観音堂を訪ねてから、近くに立っているという五輪塔を見に行きました。
 場所は、浅瀬石城址を過ぎ、夫婦雷樹がある廣峯神社のそばです。

 道端にこんもりとした土盛りがあって、その上にぽつんと五輪塔がありました。私が見に行ったのは4月下旬の日中でしたが、夕暮れ時にこんな光景を見たら、とても寂しい気持ちになるでしょう。
 この五輪塔は、浅瀬石城主だった千徳一族の供養塔で、この辺りでは最古の史跡だといわれています。


  


  


   

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下山形熊野宮 - つがるみち481

 黒石市の温湯温泉の近くに上山形、下山形の集落がありますが、ここはかつて、近隣の花巻村、南中野村などとともに山形村と呼ばれていた所です。

102号線を温湯方面に向かって進んで行くと、山手の方に採石場がありますが、その近くに熊野宮が鎮座しています。私は、この神社の存在は知っていましたが、その詳しい場所が分からず、何度か引き返したことがあります。今回、やっとたどり着きました。

 細い道に沿って小さな川が流れていますが、神社の入口に赤い橋が架かっていて、それを渡った所が境内です。一の鳥居には赤銅色の立派な金属製の注連縄が下がっていました。

 

 石段を上り、参道を進んで行くと間もなく二の鳥居があり、その奥に横向きの赤い拝殿が見えます。拝殿は南向きに建っているようです。

 境内には意味ありげな大きな自然石や手水舎、二の鳥居のそばと拝殿の前にそれぞれ狛犬が置かれています。本殿は拝殿を見下ろすように、一段高い場所にありました。
 
  


  


  

 神社の入口付近に由緒碑が立っていますが、それには
【熊野宮の創立年代は詳かでないが伝承等では往古創建以来数百年経つといわれる。社伝に依れば貞享二年七月、下って明和、天保、慶応年間と度々堂宇の新改築を行う。八幡宮は延宝元年村中にて堂宇建立或いは元禄九年八月上山形村宅右衛門建立ともあるが、創建は、熊野宮とほぼ前後すると思われる。両社共、明治八年四月村社に被列。同四十年九月六日八幡宮を熊野宮に合祀す。 ※以下略】とありました。

 なかなか古い由緒をもつ社のようですが、明治時代に八幡宮を合祀したようで、由緒碑も「熊野宮・八幡宮由緒碑」となっています。御祭神は伊弉諾命、伊弉冊命、誉田別命でしょうか。

   

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高賀野八幡宮 - つがるみち480

 黒石市高賀野(こがの)は、かつて浅瀬石城が築かれていた所です。浅瀬石城址をはじめ、集落の周辺には、寺院跡などの遺構を示す標柱が立っていますが、八幡宮もそのひとつです。

  

 浅瀬石城については、このブログでも何回か取り上げましたが、千徳氏によって築かれた城です。
 千徳氏は、一戸南部氏の一族であり、閉伊郡の千徳城を居城としていましたが、ここ高賀野の地に入部し、仁治元年(1240年)千徳行重によって築かれたのが浅瀬石城で、文安(1444年ー1449年)の頃に至って、城の全体が整ったとされています。
 戦国時代になると、千徳氏は津軽為信と結託し、主家である南部氏に対抗し、津軽統一を目指しますが、やがて両者は対立し、為信軍の攻撃を受け、城は落城しました。

 この八幡宮は、初代城主・千徳行重の勧請によるものとされており、代々の城主から館神として崇敬されていたそうですが、浅瀬石城址に立っている説明板
説明板
にもその名前が書かれています。

  


  


  

 高賀野は急な坂道が続く集落で、上り坂の終点はりんご畑になっていますが、この神社は畑を見下ろす高台にありました。
 入口の鳥居のそばには大きな庚申塔。境内には意味ありげな自然石と神馬、そして、愛嬌のある狛犬が一対置かれていました。 

  

   

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浅瀬石貴船神社 - つがるみち479

  

 黒石市を流れる浅瀬石川の川沿いに貴船神社という社があります。
 浅瀬石地区は、かつて浅瀬石城が築かれていた所で、城址のある高賀野集落の周辺には多くの史跡があります。
 戦国時代にこの地の覇者であった千徳氏の栄華を物語るものや、その落城にまつわる史跡などは、歴史保存会の方々によって立てられた標柱によって知ることができますが、ここ貴船神社にも白い標柱がありました。

  

 農道に沿って立っている小さな神社ですが、その歴史は古く、文明年間(1469-1486)に浅瀬石城主・千徳政久によって開創されたといわれています。

 津軽では、水神を「十和田様」と呼んだり、それを祭る神社を「十和田神社」と言ったりしますが、ここもまた、かつては十和田神社と呼ばれていたということです。社殿の前には、水神を象徴する昇り龍・降り龍の石碑がありました。

 

 御祭神は闇おかみ神で、藩政時代には、町居堰・新屋堰・猿賀堰等の水神として崇敬されました。
 「町居堰・新屋堰・猿賀堰」はいずれも、浅瀬石川からの取水のために造られた用水堰ですが、江戸時代の用水管理は、地元農民が用水組合をつくり、その自治によって行うという形でした。藩で開削した用水路を農民に渡し、受益者負担で管理させるというやり方は官民一致の理想を示したものですが、実際には、用水配分の利害をめぐる農民たちの水争いが絶えず、藩政の悩みの種でもあったようです。

    

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近場の桜

 穏やかな陽気のせいか、今年はこちらの桜の開花も例年よりも早く、あっという間に満開となり、早、その見頃も終わろうとしています。
 弘前公園をはじめ、各地で桜祭りが行われていますが、平日の午後に、近場の公園に行ってみました。

  


  


  


  


  


  

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秋探し 2

 秋も深まり、辺りも赤や黄色に染まってきました。
 黒石市の紅葉の名所である中野もみじ山へ向かう長い車の列ができています。もみじ山から少し離れていますが、黒森山浄仙寺を訪れる人も多いようです。

◇黒森山浄仙寺

  


   


◇中野もみじ山


  


  


  


  

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秋さがし

 黒石市中野神社の「もみじ祭り」も始まり、津軽の秋もいっそう深まってきましたが、「紅葉真っ盛り」には、いささか早すぎるようです。これから日一日と深まっていくことでしょう。


  


  


  


  


  
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中野不動の滝

 穏やかな日が続き、道路の雪もすっかりとけてしまいましたが、小高い丘の上の神社の境内には、まだ雪が残っています。
 中野山から流れ落ちる水は、神社の社殿の脇を通り、下に向かい、やがて名物の不動の滝となって、中野川に流れ落ちています。この時期は水量も多く、辺りにゴーゴーと水音が響いていました。


  


    


  


  

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ありがとうございました

 一年間、拙いブログを訪れていただいたことに感謝いたします。ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。



  


  

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雪ぼうし

 今年も残り少なくなりました。本格的な冬が津軽にもやってきました。
 神社の狛犬なども、雪のぼうしをかぶっています。


  



   



   

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神社冬景色

 前回の記事からだいぶ間があきました。天候が不順なので、ついつい出かけるのがおっくうになります。

 晴れ間をみつけて、いつもの中野神社へ。紅葉の時とはうって変って「白い世界」が広がっていました。


  


     

   

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冬枯れの神社

 冬になり連日の雨、風、雪などによって、神社の境内も、もの淋しい雰囲気に変わってきています。

◇黒石市がむし坂稲荷神社

【御祭神:倉稲魂命  一羽の鶴が傷ついて芦辺に居りしが、 後に元の如く癒えて飛び去ったのを神山右沖なる人がこれを見て芦原を捜したところ、 湯気の立つ処があるのを発見して名称を鶴泉と名づけた。 天正十九年 (一五九一) 夏、 陸奥浪岡城主源中納言唯秋の家臣工藤次郎左衛門なる者あり。 訳ありて浪人をし、 此の地へ参り川原に小さな葛家を建て妻子を伴い居住し湯の恵みを受けたが、 十数年後、 廃湯を思い、 浴する人々のために芦を結び風雪の凌ぎをなした。 後の人、 これを山形の湯と唱え浴する人が増えていった。 寛永元年 (一六二四) 八月中旬、 花山院忠長卿が御入浴の際、 山方の温湯と名付け、 百年も後には奥州一の湯になるだろうと云われた。 宝永七年 (一七一〇) 元の宮地であるがむし坂へ同村の六右衛門が社殿を再建、 更に寛政七年 (一七九五) 村中にて再建す。 ※青森県神社庁HPより


  


  


   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: 名木めぐり  

薬師寺の石割楓

 黒石市温湯の薬師寺には「石割楓」と名づけられた名木があります。
 樹齢が500年、樹高11.7mm、幹周5.2mという老木ですが、名前の通り、地面の石を割り、大地をしっかりとわしづかみしているような姿形をしています。
 久しぶりに訪れてみましたが、相変わらずの迫力でした。


  

  

  

  


   




 薬師寺の創建は寛文元年(1661)、花山院忠長が温湯温泉へ湯治に訪れた際、薬師像を安置したのが始まりと言われています。
 黒石市山形町にある津軽三十三霊場の26番札所・法眼寺は、元禄4年(1691)にここから現在地に移ったお寺で、ここには薬師堂だけが残りましたが、その後、「瑠璃山薬師寺」として再興されました。
 だいぶ前に訪ねたときには気づかなかったのですが、境内の入口に「石敢當」という石碑が立っています。
 石敢當(いしがんとう)は、主に沖縄や九州地方において「魔除け」として信仰されている石碑ですが、この薬師寺のものは、文政6年(1823)に建立されたもので高さ約92cm、幅61cm、厚さ54cmで、青森県内では非常に珍しいものとされ、市の文化財にも指定されています。

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観楓台の秋

 黒石市の中野もみじ山で「もみじ祭り」が行われています。夜間にはライトアップもされ、例年、たくさんの人々でにぎわいます。
 最近は、冷たい雨の日が多く、肌寒い毎日ですが、先日、晴れ間をみつけて朝早く訪ねてみました。
 駐車場に車をとめて中野神社への道を進みます。途中にはハロウィン風のカボチャが木の根元に置かれたりしていて楽しめます。
 神社の社殿の横から細長い階段の道が続いており、そこを登りきると「観楓台」という小高い山の上に出ます。早朝ということもあり、訪れる人はあまりいませんでしたが、三脚を持った写真好きの方々がベストショットをねらっていました。
 

  


  


  


  


  

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東公園の秋

 「日本一のポプラ」と称されるポプラの大樹がある黒石市の東公園です。

 春には公園いっぱいに桜の花が咲き、祭り期間中はたくさんの人々でにぎわいますが、今は静かな秋のたたずまいです。


  


  


  


  

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浄仙寺の秋

 秋たけなわということで、黒石市でも中野山(中野神社)のもみじ祭りが行われていますが、そこを通り越して黒森山浄仙寺へ。いつ訪れても静かで落ち着ける境内です。


   


  


   

   

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紅葉はもう少し先

 めっきり寒くなりましたが、付近の神社の紅葉はもう少し先のようです。

◇猿賀神社東屋から
  


















◇中野神社不動の滝
 



















◇長谷沢神社境内
 



















【御祭神:日本武尊  延暦年間 (七八二~八〇六)、 田村麿将軍東夷を征討して帰洛した後、 大同元年 (八〇六) 当国の守護神として、 長谷沢の地に社殿を創建した。 明治初年の改革により、 明治四十年四月九日村社に列格し、 更に昭和二十一年に至り、 国有境内地譲与の申請をし、 昭和二十二年法律第五十三号に依り、 昭和二十五年三月三十一日付けを以て無償譲与となる。 ※青森県神社庁HP


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下目内沢稲荷神社ーつがるみち414




 黒石市の目内沢にある地蔵堂には、日露戦争当時、「このお地蔵さまにお願いすれば、兵隊にとられない」という信仰が広がったため、警察に縛られて捕らえられたという伝承が伝えられています。
「縛り地蔵」とか「延命地蔵」とか呼ばれているこの地蔵堂のそばには稲荷神社がありますが、目内沢地区は「上」と「下」とに分かれていて、ここは上目内沢の稲荷神社です。
 ⇒ 以前の記事へ




 一方、下目内沢にも稲荷神社が鎮座しています。
 上目内沢の稲荷神社から1,2Km離れた集落に位置するこの神社は、周りを田んぼに囲まれた所にあります。
 一の鳥居と二の鳥居ともに朱色が鮮やかですが、境内は緑に包まれています。拝殿の隣には、大きなケヤキの木がそびえていますが、注連縄は張られていないものの御神木となっているようです。その根っこは、拝殿に向かってぐいと伸びていました。

 境内には御神燈と狛犬が一対ずつ置かれていますが、狛犬は比較的新しく奉納されたもののようです。
 何本かの大きな木の根元には自然石が置かれており、そこには御神酒が供えられていました。

◇狛犬ほか







 この下目内沢の稲荷神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命 寛文二年 (一六六二) 十二月九日、 黒石藩の祖先津軽十郎左衛門信英公は、 次男十郎兵衛信純に所領千石を以て分地させ、 下目内沢、 小屋敷、 飛内、 馬場尻四ケ村の領主となる。 その際、 舘神と称して稲荷宮を建立す。 明治四年神社改正に付き、 同六年五月十日中郷村飛内の村社稲荷神社へ合祀し、 その後、 同八年四月復社願いを申請し、 拝殿新築の上、 四月十九日復社し村社に列せらる。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 黒石の町は、津軽藩3代藩主・信義の弟で、家康の孫にあたる津軽信英が黒石藩主になって以来、城下町として拓けていった分けですが、この稲荷神社もまた、当時から村の産土社として信仰を集めていたようです。

◇下目内沢稲荷神社



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後ろから - つがるみち413

 神社めぐりをするときは、たいてい、一の鳥居をくぐり、参道を歩き、境内をぶらぶらし、拝殿と本殿へ・・・という順になります。
 休み休み下手な写真を撮っていく分けですが、ときどきは、社殿の後ろや横からも撮ったりします。今回は、そんな写真をいくつか集めてみました。



     ◇牡丹平稲荷神社            ◇海雲堂洞釈迦堂

    


     ◇中野神社               ◇中別所雷電宮

    


     ◇藤代稲荷神社            ◇瀬辺地天満宮

    


     ◇町居熊野宮              ◇宮館稲荷神社

    

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北美町貴船神社ーつがるみち412




 黒石市北美町の貴船神社は、病院や福祉施設などが立つ住宅街に鎮座している神社です。
 赤い鳥居と、特徴のある大きな石の社号標が道路沿いに立っていますが、敷地はさほど広くなく、こじんまりとした感じの境内です。
 境内には、御神燈と狛犬が一対ずつと、拝殿と本殿が立っていますが、本殿の横には末社の祠があり、その中には金色に輝く大日如来像と少彦名神の木札などが納められていました。

 この神社の由緒については、
【御祭神:闇おかみ神  明和七年 (一七七〇) の伝書に依ると、 『浅瀬石城主瑞夢の御託宣あり、 大同二年深山高羽の獄に鎮座す。 今吾が宮所を建立あらば津軽六郡の内、 主領三郡は汝を領主と使わしむ也。』 天正五年 (一五七七) 正月二日の暁、 告験有るに因りて瑞喜骨髄に徹し四月遡日、 一宇の宮祠を造立す。 其の後、 大浦御所為信公六郡を御掌握に依りて社領十五石の御朱印を賜わる。 其の後、 信政公より御分地有りしより先君十郎左衛門信英公御領地となる。 明和七年 (一七七〇)、 主君の武運長久国家静謐の為、 四季の神事仰せつけ御神楽料として良米三俵、 青銅六拾目永代御寄付有り、 旧黒石藩主の祈願所であった。
浅瀬石川ダム建設のため昭和五十五年四月、 現在地に移転す。 ※青森県神社庁HP】とあります。

◇貴船神社












 由緒に「浅瀬石川ダム建設のため昭和五十五年四月、 現在地に移転す」とありますが、同じく黒石青山の稲荷神社同様、この神社もまた、ダム工事のために市内に移築された社のようです。
 神社入口の大きな社号標の裏側には「大正十一年旧四月十九日 沖浦村中建立」と書かれていますが、この社は、かつて旧沖浦村に鎮座していました。沖浦の大半は、旧沖浦ダムとともに現在は浅瀬石川ダムの湖底に沈んでいます。
 拝殿の扁額には「十湾宮」と書かれています。「十湾」とは「十湾田様」、即ち「十和田様」のことで、水神を祀る社であったようです。
 戦国時代、黒石地方一帯を支配していたのは浅瀬石千徳氏でしたが、由緒にも書かれているように、城主・千徳氏が霊夢の中で、「我を祀れば津軽六郡の主となる」という十湾田様のお告げに従って建立したという言い伝えが残っています。

 千徳氏の浅石城はその後、津軽為信の攻撃により落城し、千徳氏は滅びる分けですが、その戦いの最中、多くの寺社は荒廃したといわれています。
 この貴船神社(十湾宮)もそのひとつでしたが、為信によって再建され、後に黒石藩の祈願所として崇敬されたという分けです。

 余談ですが、浅瀬石千徳氏は南部方の武将でしたが、後に為信と共謀して津軽統一を進めていきました。したがって、為信の浅瀬石城急襲は、いわば「裏切り行為」だった分けです。戦国の習いといえばそれまでですが。
 そういうこともあってか、津軽氏の記録(伝承)などでは、千徳氏は「驕れる者=邪」として語られることもあります。この貴船神社(十湾宮)にも、「千徳氏は、十湾田様を粗忽な取扱いをしたので、今度は津軽藩祖の為信に意を移し、お告げをして吾を懇切に祀らば津軽の大守となるべしと云った。果たして浅瀬石は為信に滅ぼされ為信は全津軽を取った。」という話も残されているようです。

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ぶらぶらと 3 -つがるみち398

 自宅から近いということもあり、黒森山浄仙寺と中野神社にはよく出かけます。先日も、ちょいと散歩してきました。

◇黒森山浄仙寺

  

  


◇中野神社

  

  

 中野神社といえば、秋の紅葉が有名ですが、寛政10年(1798)にここを訪れた菅江真澄は、次のように記しています。
【・・中野村に入ると、荒川(中野川)に土橋をかけ渡していた。川岸が高く、向こうには野原・切り立った崖・岩の峯がそびえ立つ頂上・小さな坂などの木々、高いのも低いのもすべて紅葉し、落ちる水が岩を飲み込んで激しく流れる風情、はらはらと散る紅葉に夕日が映る。群れ立つ杉の下枝などに這いかかった蔦や散りかかった木の葉、これも紅葉したかと驚くばかり。「名高い立田川の紅葉さえも及ばないであろう」と独り言を言いながら橋を渡った。※『わたしたちの黒石』より

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ぶらぶらと2-つがるみち373




 三月弥生も終わりです。
 今月に入ってからは、雪解けも大幅に進み、春らしい陽気が続いていましたが、先日は寒気団がやってきて、一時的に辺りは冬景色に逆戻りしました。本格的な春の訪れは、もう少し先のようです。
 この時期の神社の様子は、境内にふきのとうが顔を出していたり、草の緑色が少し濃くなっていたりしますが、一方では、日陰に残雪があったりと様々です。
 以下は、そんな三月に訪れた神社の風景のスナップですが、上から、平川市猿賀神社、弘前市岩木山神社、黒石市中野神社、青森市高屋敷神明宮です。



◇猿賀神社

  


◇岩木山神社

  


◇中野神社

  


◇高屋敷神明宮境内から

  


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上十川八幡宮ーつがるみち366


上十川八幡宮


 前回取上げた黒石市青山の稲荷神社を過ぎると、上十川の集落になります。
「十川」という岩木川の支流の「上」の方に開けた村であるため、その名がついたと思われますが、近くには十川や下十川(旧浪岡町)という地名もあり、一帯はかつて「十川村」と呼ばれていたようです。
 その上十川の集落に八幡宮が鎮座しています。




 県道146号線の信号を右側に曲がると坂道が続きますが、その坂道の途中にこの神社はあります。
 周りには小学校や児童館などがあります。近くには長谷澤神社の社務所も建っていますが、「昔、上十川八幡宮から長谷沢神社社務所の前辺りはとても急な坂道だった。そのため荷車などで通行する際、坂を登り切れず途中で落ちていくなどの事故が多発し、亡くなる方も多かった。その方々を供養する為に供養塔が建てられた」という話も伝えられています。

 坂道の横から上の方へ石段が延びていて、石造りの大きな鳥居をくぐると境内へ出ます。小高い丘の上からは、集落の家並みやりんご畑などを見渡すことができます。大きなケヤキの木があり、拝殿の前には神馬と狛犬が一対ずつ置かれていました。

 丘の端っこの方に百万遍塚と庚申塔が立っていますが、そのそばには祠が三つ並んで立っていました。真ん中の祠は、身代わり地蔵尊のようで、お地蔵様が二体祀られています。

 この八幡宮の詳細については分かりませんが、次のような話が伝わっています。 
【八幡宮の御本尊は最初、大杉村大字徳妻子村(現青森市浪岡大字徳才子)に所属 していた。その御本尊と境内が失われた後、十川村の岩間彌五兵衛の親に度々枕神が立つことから、天和元年に彌五兵衛が徳妻子に出向き、境内が所在してと思われる場所から石仏一体を発見した。天和元年(1681)に十川村に社壇を建立し、その石仏をお迎えした。
その後、元禄9年(1696)に千葉孫平衛が木造を寄進して石仏と共に安置して以来、地元の住民が上十川八幡宮として祀っている。※上十川地区振興協議会HPより

◇上十川八幡宮

  



  



獅子踊保存会館

長谷澤神社奥の院石段


 神社の入口付近に上十川獅子踊保存会館があり、そばに、その由来を記した説明版が立っていました。
 上十川獅子踊は400年以上も前から地域に継承されている伝統芸能で、青森県の無形民俗文化財にも指定されています。
 この獅子踊が地域に根付くまでには、次のような経緯があったとされています。
【戦国時代、浅瀬石城主・千徳政氏(まさうじ)の時代に、南部から流れてきた六郎右衛門という者が浅瀬石川の川原に住んでいた。六郎右衛門は獅子笛を吹くのが好きで、毎日吹いていたが、それを聞いた愛宕の住職が、中野不動尊に納める獅子を作ってくれるよう、頼んだところ、六郎右衛門は早速、一揃いの獅子を作り、囃子の仕方も教えた。そのことが城主の耳にも伝わり、六郎右衛門は、天正十二年(1584)、獅子を城主に献上し、千徳氏の「お抱え獅子」の舞を完成させた。以来、城下では獅子踊が盛んになったが、慶長二年(1597)、津軽為信の攻撃を受け、浅瀬石城が落城すると、獅子踊も行われなくなり、上十川の村でも、古くなった獅子を獅子森に埋めてしまった。ところが、その十年後、村全体に悪疫が流行し、人々を困らせた。「これはきっと、身に降りかかる災難を救ってくれる獅子を埋めた祟りにちがいない」と考えた村人は、もう一度、太鼓や囃子をつけて獅子踊を行ったところ、悪疫は消えていった。上十川の人々は、その恩に報いるために、長谷澤不動尊(長谷澤神社)の拝殿から奥の院に通じる石段を造って奉納した。※黒石市民財団「わたしたちの黒石」より抜粋・要約

 こうして、上十川の獅子踊は「凶事退散の舞」として、地域に受け継がれてきた分けですが、例年、旧暦の八月八日に長谷澤神社で「獅子起こし」が行われ、八月十五日には、ここ八幡宮で「獅子納め」が行われています。

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青山稲荷神社ーつがるみち365


稲荷神社本殿


 黒石市青山は、黒石から旧浪岡町へと続く県道146号線に沿って開けた集落です。
 ここには「稲荷神社」が2つ鎮座していますが、同じ地区の中に同名の神社が存在するのは、少し珍しいといえるかも知れません。
 ひとつ目の稲荷神社は、閑静な住宅地の中に鎮座していますが、その由緒については、
【御祭神:倉稲御魂命  創立は延宝二年 (一六七四)、 東野添村中にて建立す。 その後、 由緒は火災による書類焼失のため不詳ではあるが、 明治五年九月十日村社に列格す。 更に昭和二十一年に至り国有境内地譲与申請のところ、 昭和二十二年法律第五十三号により昭和二十六年八月付を以て無償譲与され今日に至る。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 住宅に囲まれている神社ですが、その境内は広く、社殿の前には横幅の広い顔をもつ個性的な狛犬が居ます。境内には低鉄棒などもありますが、子どもたちの遊び場にもなっているのでしょう。

  



稲荷神社


 青山から少し進むと上十川の集落になりますが、その境目の辺りにもうひとつの稲荷神社があります。
 ひとつ目の稲荷神社から距離的にはさほど離れていないのですが、辺りの様子は全然違っていて、県道から少し離れた広い野原に、ぽつんと立っている神社で、周りはりんご畑になっています。

 御神木にはなっていないようですが、農道の脇に大きなケヤキの木が立っており、その隣に一の鳥居がありました。鳥居に架かる注連縄は金属製で、重量感たっぷりのりっぱなものです。
 御神燈とユーモラスな顔をした狛犬が一対ずつに拝殿と本殿という、いたってシンプルな境内です。本殿の隣には小さな末社が立っていましたが、その背後にはりんご畑が広がっていました。
 入口付近に小さなお堂があったので中を覗いて見ましたが、そこにはお地蔵様が祀られていました。お参りに訪れる人が絶えないようです。

 この神社の由緒については、
【御祭神:倉稲御魂命  宝永八年 (一七一一)、 勧請と棟札にあるが詳細は不明。 昭和二十一年三月二十五日宗教法人令による届け出を行なう。 浅瀬石川ダム建設のため昭和五十四年二月、 現在地に移転す。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。


  


  



虹の湖

沖浦ダム ※HP「ダム便覧保存館」より


 由緒に「浅瀬石川ダム建設のため昭和五十四年二月、 現在地に移転す」とありますが、元々この神社は浅瀬石川ダム近くの大字「沖浦」に鎮座していた社です。
 かつてこの集落には「沖浦ダム」があり、ダム湖は「虹の湖」と呼ばれていましたが、その名前は黒石市出身の詩人秋田雨雀が「ダム湖に大きな虹が架かったのを見て、2つの歌を詠んだ」ことにより命名されたといわれています。現在の浅瀬石川ダム湖の名称「虹の湖」は、それを引き継いだものです。
 浅瀬石川流域は夏期の雨量が少ないため、古くから水不足に悩まされ、水をめぐる争いも絶えなかったといわれています。また、一方では、ひとたび氾濫すると甚大な被害をもたらすことも多かったようです。
 沖浦ダムは、こうした事情を踏まえて、昭和20年に完成した多目的ダムで、「日本で初めて施工が開始された多目的ダム」として知られています。

 現在では、その役割を終え、昭和63年(1988)に完成した浅瀬石川ダムの湖底に沈んでいる分けですが、「水位の低下する7月頃からその姿を見せ、10月に入ると冬の発電に備えた貯水のため水位が上昇し再び水没する」このダムは、現在でも「砂防ダム」として、流域住民の生活に貢献しています。

 元々、この沖浦にあった稲荷神社が、どんな理由で、遠く離れたここ青山の地に移ってきたのか、その経緯についても知りたいところです。

※HP「ダム便覧」、建設コンサルタンツ協会誌・日本で最初の多目的ダム「沖浦ダム」 PDF 等を参照しました。

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二双子伏見神社ーつがるみち351


伏見神社


 黒石市に「二双子(にそうし)」という、一風変わった名前の集落があります。
 その地名の由来については定かではありませんが、寛政七年(1795)の十一月二日(旧暦)、村の産土祭りの日に、この村に立ち寄った菅江真澄は、
【「昔からこの村に住んでいる人で、月はじめの二日に亡くなることは絶対に無かった。それだから、この日は亡くなった人のために行う精進・物忌みもないので、村中の人がみんな出てきて神様にお神酒を供え、自分たちもこのように酔うのだ。
 月の一日の日に、今にも息が絶えようという重い病の人がいて、医者も夜の明ける前には亡くなるだろうと言われても、鶏が『カケロー。』とひと声鳴けば、二日になったので、亡くなることはない、と心が落ち着くのだ。」という。ほかの所には例のない、不思議な習わしである。】という村人の話を記しています。
 - 昔から、「二」という数を尊ぶ風習を持った村だったようですが、そんな二双子の村の産土神として崇められている社が伏見神社です。


神橋と二の鳥居


 慶長年間に創建されたといわれていますが、その由緒については詳しくは分かりません。「伏見」という名前からして、伏見稲荷大社と同様に、猿田彦尊(佐田彦大神)、宇賀御魂命、大宮姫命を祀った社だと思われます。
 菅江真澄は、
【・・・長い年月のたった木々が生えていて、雪の積もった小高い場所を左の方に見て進んだ。いつの頃のことなのだろうか、伏見の里から飛んできたという権現をこの下に埋めてから「獅子森」という名前で呼ばれていると聞いた。
 この森の下道を行き交う人の馬が病気になったり、人も馬から落ちたり、という不思議なことがあったので、よくお祈りし、別なところに「伏見権現」として祭ってあがめたと言われる。その場所に、雪の中にこんもりと茂っている森の高い梢と、半ばほど現れている鳥居が見えた。】と書いています。
 この神社の大祭は、毎年五月・八月・十二月の年三回行われますが、その期日はいずれも月初めの二日の日となっていて、ここにも「二」を尊ぶ風習が伺われます。

 いかにも重そうな金属製の注連縄が下がった一の鳥居をくぐって、野原の中の道を進むと「伏見橋」という神橋が見えてきます。そのそばには、猿田彦や青面金剛尊の碑が立っていました。
 二の鳥居、三の鳥居とくぐって行くと、右側の方に社殿があります。境内には、雪をかぶった狛犬や雪に埋もれた鹿の子の像などがありました。

◇伏見神社

  
猿田彦碑ほか
四の鳥居から
境内
拝殿


  
狛犬
鹿の子
拝殿内
本殿







 さて、菅江真澄の紀行文に「月初めの二日に、二双子村では『産土祭り』が昔から行われていた。」とありますが、「産土祭り」とは文字通り、「生まれた土地の守り神を祀る」ことです。
 例年、8月2日の伏見神社大祭の日には祭りが盛大に催され、「だげぐら」という行事が行われています。
 「だげぐら」とは、
【太夫の先導で、「獅子」が太鼓の囃子で二双子の全家庭を廻り、「家の中の神棚や台所をお祓いする。家人に病があればその痛むところを獅子に噛んでもらう。」など、獅子頭の動きによって、その家の「災いを祓い、豊作や健康安全を祈願する行事】です。神社総代の方の家に大切に保管されている獅子頭を神社に運び入れ、神前にて祝詞が奉じられた後に、村内を巡り歩きます。
 菅江真澄は、こうした風習について、
【陸奥(みちのく)のならわしとして、どこの浦、どこの山里でも、熊野の神様をまつる行事のはじめに、獅子頭を持って踊るということがある。そして、その獅子頭をひたすら権現様と言っている。】と書いていますが、ここ二双子も、そんな風習を今に伝えている集落です。

※黒石市民財団「わたしたちの黒石」を参照しました。

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野際稲荷神社ほかーつがるみち350


野際稲荷神社


 北海道を巡った後、下北半島に立ち寄って二年余りを過ごした菅江真澄は、寛政七年(1795)の三月に津軽領に入りました。
 これは、三回目の津軽訪問になりますが、津軽の地を巡った真澄は、その年の十一月五日(旧暦)には現在の黒石市にやってきて、その様子を紀行文に描いています。

【・・・田中村の方に出ると、遠く広い雪の上に人も馬も絶えず行き交う一筋の道があったので、迷う心配もなく歩いていった。夕飯を炊いているらしい煙が立ち上るのを見て進んで行くと、やがて野際という村についた。
 道を少しばかり進むと株梗木という村の家並みの軒が続いて、黒石の里についた。昔見ていなかったところを、このような雪の中で見るのも良いことであろう、と独り言を言いながら高田恵民という医者の家を訪ねた。】
 昔の黒石の村々の雪景色が浮かんでくるような文章ですが、ここには田中・野際・株梗木といった集落の名前も記されています。

 紀行文に出てくる「野際(のぎわ)」は、市の中心から少し離れた所にある集落ですが、ここに稲荷神社が鎮座しています。
 その由緒については、
ー 御祭神:倉稲魂神 高おかみ神  創立は正徳年間だが月日は不詳。 正徳年間、 工藤一族の祖工藤荘司という者が堂祠を建立し深く崇敬したと伝えられる。 宝暦十年 (一七六〇) 四月十六日、 小野河遠江守祠官の時、 村中にて社殿を改築、 文化二年 (一八〇五) 三月十五日、 小野河靭負(ゆげい)が社殿を新築御神楽を奉納した。 天保十五年 (一八四四) 五月二十一日、 新たに稲荷大明神の 御神像を勧請し尊崇した。 嘉永元年 (一八四八) 十月十日、 社殿を修復し同三年五月八日、 祠官小野河遠江守行京の時、 正一位稲荷大明神の御神号を受け益々御神威を高め民衆の尊崇を集めた。 明治四十二年十一月十八日、 許可を得て中郷村北田中鎮座村社高おかみ神社を合祀す。 ※青森県神社庁HP - とあります。
 野際の集落の道路沿いにあり、朱色の鳥居が鮮やかな神社です。

◇野際稲荷神社

  
参道
境内
拝殿
拝殿


  
狛犬
きつね
きつね
本殿






「道を少しばかり進むと株梗木という村の・・」と真澄が書いているように、「株梗木(ぐみのき)」は野際の隣村です。ここには、次のような面白い昔話が伝えられています。
◇嫁をもらったお地蔵様
【株梗木のお地蔵様は、株梗木に来てから長い年月を重ねていましたが、いまだ独身でした。村のためにがんばっても、村のはずれの祠の中に、ぽつんとひとりぼっちでいました。「火鉢もないし、火箸一本もない、味気ない世の中だ」と嘆いていたお地蔵様は、ある日、とてもよい案を思いつきました。それは、「寝ている信者の夢の中に現れて気持ちを伝えれば、イダコ(亡くなった人の言葉を伝える人)の語りを聞く集まりにでも、みんなに話が伝わるだろう」というものでした。そして、ある夜、佐左衛門という信者の夢の中に現れ、その思いを伝えました。イダコの集まりで佐左衛門の話を聞いた信者たちは、「そりゃあ、地蔵様もさびしいべ」と同情し、「嫁っこの地蔵様を一体つくってそばに置ぐべ」ということになりました。そこで村中の女性の人たちがお金を出し合って、町の石屋に嫁地蔵の制作をお願いしました。嫁地蔵が出来上がった日には、村の手車を引き出し、白木綿の引き綱を結わえて迎えに行きました。嫁地蔵を乗せた手車の行列が祠に着くと、開眼供養とともに、盛大な結婚式があげられました。ひとりぼっちだったお地蔵様の喜びようは言うまでもありません。株梗木のお地蔵様が結婚してからというものは、四方の村々や町々へも流行し、ほかのお地蔵様もまねるようになりました。】
 - アニメ『日本昔話』に出てくるようなお話ですね。

※記事の中の【】は、黒石市民財団『わたしたちの黒石』からの引用です。

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南神社ーつがるみち345


浅瀬石川の白鳥


 浅瀬石川と平川が合流する藤崎町は白鳥の飛来地として知られていますが、黒石市を流れる浅瀬石川でも、この時期、多くの白鳥を見ることができます。
 黒石市の追子野木と市内を結ぶ千歳橋の下は広い河川敷になっていますが、例年、たくさんの白鳥たちが訪れ、可憐な姿を見せてくれます。もっとも、雪の白さもあって、少し離れたところからはなかなか見つけづらいのですが。。


狛犬


 この千歳橋の近くに南神社が鎮座しています。
 住所は黒石市追子野木(おこのき、おっこのき)になりますが、追子野木という町名は、「昔、集落に岩木山から見えるような大きなオンコノキ(イチイの木)があった」ことに由来するともいわれています。
 南神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命 伊弉諾命 早玉男神 泉津事解男神    昭和三十七年七月十五日、 生活合理化運動の一つとして稲荷神社 (追子野木字宮崎四七) と熊野宮 (久米字若柳一) を統合。 旧稲荷神社は延徳元年 (一四八九) 六月一日に、 又、 旧熊野宮は天文三年 (一五三四) 二月の勧請と伝えられる。 ※青森県神社庁HP】とあります。
 昭和37年に建立された比較的新しい神社です。私は追子野木の住人なのですが、子どもの頃に、一時期、住所が「追子野木」から「南町」に変わったことがありました。「南神社」という名前も、そんな町名変更に基づいたものなのかも知れません。

 神社の入口には赤銅色の大きな一の鳥居が立っていますが、その奥の二の鳥居には「南神社」と書かれた扁額が掲げられ、金属製の注連縄が下がっています。両脇には、大きな社号標と「合祀記念」と書かれた碑が立っていました。
 三の鳥居には、それをくぐると疫病や罪穢が祓われるといわれる「茅の輪」が下がっていますが、年末年始の参拝で、多くの町民が訪れたことでしょう。

 境内にはいくつかの御神燈と二対の狛犬などが置かれていますが、拝殿の隣に馬頭観音の祠が二つ建っています。
 どちらも赤い鳥居をともなった立派なもので、町民の信仰を集めている祠ですが、昭和12年に境内の近くの場所に建立され、昭和37年に稲荷神社と熊野宮と共に合祀されたものです。合祀以前は、その前の広場で、馬市や馬力大会が頻繁に行われ、賑わったとされています。

◇南神社

  
南神社
二の鳥居
三の鳥居
境内



  
拝殿
御神燈
馬頭観音
本殿と記念碑



稲荷神社碑と熊野宮碑


 由緒にあるように、この神社は稲荷神社と熊野宮という二つの社を合祀したものです.
 前述したように、二の鳥居のそばには「合祀記念碑」が立っていますが、本殿の後ろ側には、「稲荷神社」と「熊野神社」と書かれた二つの大きな社号標が並んで立っています。

 それぞれの神社については、
○稲荷神社
【御祭神:倉稲魂命  延徳元年(1489)、浅瀬石城主・千徳政久公が勧請して、代々豊念神として崇め奉った。代々の城主によって庇護され、寄進、再建がなされる。宝暦元年(1751)、追子野木村で造営。以後、大洪水で大破したこともあったが、村中で再建。】
○熊野宮
【御祭神:伊弉諾命 早玉男神 泉津事解男神  天文三年(1534)、相馬才次郎、手塚杢左衛門が、荒無地を開拓して、浅瀬石城主・千徳政胤公より許可を得て熊野大権現を勧請した。天正十三年(1585)、大浦為信の来襲により、堂宇は焼失。慶長元年(1596)、村中で再建。以後、造営等を重ね、明治三年(1870)、熊野宮と改称。】     とあります。
 - どちらも、戦国時代に黒石の支配者であった千徳氏の時代に勧請された社だったようです。

 昭和37年に両社は統合された分けですが、決定までには様々な紆余曲折があったようです。やはり、両社とも村落の産土社として「心の拠りどころ」であっただけに、場所を替えることに対しては住民の抵抗も大きく、「三年越しの激論が戦わされた」とのことです。

※『黒石史』、『追子野木沿革史』などを参照しました。

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黒石神明宮ーつがるみち338


黒石陣屋絵図


 黒石の御幸公園内に幕末の頃の黒石陣屋周辺を描いた絵図があります。
 絵図には陣屋を真ん中にして、浅瀬石川から現在の市内に向けて「上ノ坂」と「下ノ坂」という二本の坂道が続いている様子が描かれています。
 今は、「上の坂」と並行する形でもう一本の坂道「新坂」が通っており、「新坂」は三本の坂道の中では最も交通量の多い道路になっています。
「新坂」と比べると、静かな佇まいをみせる「上ノ坂」と「下ノ坂」は、昔ながらの情緒を残す坂道だといえるでしょうか。


黒石神明宮


 この三本の坂道の上りの終点付近、市内へ入る手前にはいずれも神社が置かれています。
 ⇒三つの神社
稲荷神社・黒石神社・神明宮

 即ち、「下ノ坂」には先回お伝えした「黒石稲荷神社」があり、「新坂」には黒石藩の藩祖・津軽信英を祀る「黒石神社」、そして、「上ノ坂」側には「黒石神明宮」が鎮座している分けです。


参道


 黒石神明宮の入口、一の鳥居のそばに由緒書きが立っていますが、それには、
【起源不明なるも文禄年間 (一五九二~一五九五)、 第百七代後陽成天皇時代現地にすでに小祠があったと伝えられているが、 それは或いは正保年間 (一六四四~一六五一)、 津軽三十三観音の二十六番目の札所となった黒石観音堂ではなかったかと思われる。 寛延四年 (一七五一)、 「津軽三十三所順礼」 によれば二十六番黒石とある。】と記されています。
 津軽三十三観音霊場の26番札所は、現在はこの神社の近くの法眼寺になっていますが、法眼寺の縁起の中にも「明治2年の大火により、(神明宮にあった)観音堂が消失したため、札所は自然消滅したが、その後、霊場巡り復活に伴い、26番札所となる」とあり、ここが元々の観音堂であったことが分かります。

 また、黒森山浄仙寺は、是空という修行者が黒森山を霊地と定め、寺を建立した分けですが、
「その当時は、みだりに寺を創建することは許されなかったが、黒石藩側の特別なはからいにより、黒石の上ノ坂(現在の神明宮付近)の廃庵状態にあった、浄仙庵の“再興”という名目で、黒森山への開山が許された。※黒石市HPより」と伝えられており、黒石の名刹のルーツもここにあったことが分かります。

◇黒石神明宮

  
境内
拝殿
拝殿内
児童公園から


 御祭神は主祭神が「天照大御神」で、相殿神が「松尾大神」「住吉大神」「牛頭天皇」「天神」となっていますが、由緒にも、
【堂一間四面西むき、 前に一間に二間の拝殿あり、 住吉大明神の堂あり、 牛頭天王の堂あり、 二間に三間の神楽殿あり、 神明宮あり、 天神の堂あり、 松尾大明神の堂あり、 この所を上の坂という。
 天和二年 (一六八二) 九月十六日、 黒石藩主津軽信秀公願主となり武運長久子孫繁栄領内安穏の為、 家老発田茂太夫城代澤井直右衛門を遣はし奉行、 町年寄、 棟梁等を督励して本殿、 神楽殿を建設し藩主の御祈願所とし永代御神楽を勤めさせた。 明治二年五月十四日黒石町大火により焼失。 同十二年新築す。 】と書かれていて、多くのお堂が立ち並んでいた往時の様子が偲ばれます。

「上ノ坂」は、碇ヶ関、大鰐、平賀(平川市)など浅瀬石川南部から青森方面へと向かう往還路で、藩政時代には黒石の繁華街に通じる坂道でもありました。神明宮付近には、前述の多くの堂宇をはじめ、寺子屋などもあったとされており、当時の宗教・文化の中心地であったようです。

  
獅子頭
狛犬
祈願札
冬囲い


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黒石稲荷ーつがるみち337


久須志大神


 黒石陣屋跡(黒石城址)は現在は「御幸公園」という公園になっていますが、その下を一本の用水堰が流れています。
 浅瀬石川から水を引いたこの堰は「宇和堰(うわぜき)」と呼ばれ、領内の水田開発の基となっていましたが、一方では、もうひとつの堰である「小阿弥堰」とともに、陣屋を防御する「堀」の役目も負っていたとされています。

 この宇和堰のそばに、赤い鳥居をともなった小さな社・久須志神社(久須志大神)があります。詳細は分かりませんが、御祭神は少彦名神と思われます。小さなお堂と神馬、そして地蔵堂がある可愛らしい社です。

 ここには「御穀水」と書かれた石碑が立っていて、その井戸が現在も残っていますが、石碑の脇の方に「花山院忠長」の名前が見えます。
 黒石は花山院忠長にまつわる伝承が数多く残る町ですが、かつて、忠長もこの社を詣で、通りを歩いたということなのでしょうか。

 久須志大神からは坂道が上の方に延びていて、市内(大工町)へと続いていますが、この坂は「下ノ坂」といって、藩政時代には両脇に武家屋敷などがあった所です。

◇久須志大神

  
下ノ坂古図
地蔵堂
御穀水碑
花山院忠長




公園側の鳥居


 久須志大神の向かい側には石段があり、稲荷神社の境内へと続きます。裏側(公園側)にも鳥居があり、扁額には「稲荷神社 八幡宮」と書かれていますが、そこのあたりの由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  (配祀)譽田別尊   草創年月は不詳だが、 当初黒石村支配の内に黒石稲荷と称えて三尺四方の小堂があった。 黒石村中にて産土神として崇敬し、 文安三年 (一四四六) 九月十日、 秋覚と申す者を別当にして初めて勧請す。
  慶安四年 (一六五一) 五月、 黒石村などで拝殿、 鳥居を新規に増築す。 元禄四年 (一六九一)、 寂照院境内三十間四方の内に社殿を建立、 現今の社地へ遷座し、 爾来、 御家門繁栄の祈願所として黒石藩の藩費を以て維持、 社殿の改修造営がなされた。 以後、 境内に八幡宮社堂をも建立、 両社の祭事を年々執行したが、 明治初年に八幡宮御祭神を稲荷神社に合祀した。 明治六年四月、 社格郷社に列せられる。※青森県神社庁HP 】とあります。

「下ノ坂」の方には石造りの立派な鳥居があり、社号標の傍らには庚申塚が置かれていました。石灯籠の手前には御神木の大イチョウの木がありますが、なかなかの大きさです。広い境内には神馬やきつね像などがありました。高台にある境内からは、浅瀬石川や岩木山を望むことができます。

◇稲荷神社

 
稲荷神社
庚申塚
境内から
御神木
境内



 由緒にも書かれているように、古くから「黒石稲荷さま」として崇められてきた社ですが、やはりここにも花山院忠長卿が深く関わっており、江戸時代初期に忠長が黒石に配流になった際に「稲荷宮」として、この地に遷座したと伝えられています。
 忠長がその罪(後陽成天皇の女官と密通した罪)を許されて黒石の地を去った後、明暦2年(1656)に津軽信英に黒石領5千石が与えられ、黒石陣屋が築かれる分けですが、その後、この稲荷宮は黒石津軽家の祈願所となりました。「弘前藩領と黒石領との境界を決める際、稲荷神が関わった」という話も残されているように、この社は黒石陣屋の「館神」として崇敬を集めていたようです。


 
拝殿と八幡宮
拝殿
拝殿
木鼻
本殿


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浅瀬石羽黒神社ーつがるみち333


羽黒神社


 黒石市浅瀬石は、その名の通り浅瀬石川沿いに開けた集落ですが、その中心部に羽黒神社が鎮座しています。
 拝殿の入口に、
ー 「村中のもといの 羽黒様 参る心は 後の世のため」 - 
という手書きの歌が掲げられていましたが、「村のもとい(基)」という言葉が示しているように、この社は古くから村の産土社であり、村民の崇敬を集めてきた神社のようです。

 十和田湖方面へのバイパスができるまでは、この神社のある道路がいわば「表通り」でした。住宅が立ち並ぶ道路沿いに一の鳥居があり、となりは長寿院という浄土宗のお寺になっています。
 鳥居をくぐって中に入ると、境内には猿田彦の碑や神馬、狛犬、社務所、末社などがありますが、拝殿の横には大きな土俵があります。この土俵では「子どもの心身を鍛え、地域・家族のつながりを深め、五穀豊穣を祈念する」ために、例年、子ども会相撲大会などが行われていて、例大祭の奉納行事となっています。
 拝殿の建物や、その内部、本殿などは朱色がとても鮮やかで、美しい神社です。拝殿の中に、顔(頭部)が隠された二体の像が祀られていましたが、どうやらこれはオシラ様のようでした。

 この羽黒神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命 誉田別命  延暦十三年(七九四)、 坂上田村麿により勧請され、 寛治 七年(一〇九三)、 八幡太郎源義家が守兵を遣わせ国家安泰、 武運長久を祈ったと伝えられる。
 建長四年(一二五二)、 初代浅石城主千徳行重が再興以来、 千徳家代々厚い信仰を寄せ、 しばしば御社殿を修築し、 田村羽黒宮と尊称し、 領内第一の大社として殷賑を極めた。 しかし、 慶長二年 (一五九七)、 浅石城落城と共に灰塵に帰したが、 同四年、 大浦為信により再建され、 浅瀬石村の氏神と定められた。 当時の鎮座地は、 旧浅石城の寺社屋敷にあり、 村落から離れていた為、 宝永七年(一七一〇)現在地に奉遷された。
 明治三年、 羽黒神社に改称、 高賀野村八幡宮を合祀し、旧浅瀬石村の村社となった。※青森県神社庁HP 】とあります。

◇羽黒神社

  
参道
境内
拝殿
拝殿内



  
一の鳥居
拝殿入口
村中の・・
オシラ様



雄石と雌石


 拝殿の左側(向かって)に大きな木があり、その根元には特徴のある大石が二個。
 この二個の大石の名前は「雄石・雌石」といいますが、そばに立てられている説明板には、
【その昔、浅瀬石城主千徳氏は栄華の限りを尽くし、その繁栄は、この地方の独特の文化と信仰の聖地を形成したといわれております。
 慶長二年、浅瀬石城が戦禍で灰燼にきした時、浅瀬石城本丸の横の中庭に大事に保管され、浅瀬石の産土神として崇め奉られておりました汗石が、ここに安置されている雄石・雌石だといわれております。本来、浅瀬石の呼称は「汗石」だということが「汗石御領内社宮調上書」に記されており、それによりますと、現在の浅瀬石川が汗石川であり、それが室町中期頃、名称が浅瀬石川に変えられたと言い伝えられております。】と書かれていました。

 神社の由緒や、この「雄石・雌石」の説明にも書かれているように、かつての浅瀬石は千徳氏の居城があり、黒石地方の中心地として栄えた所ですが、やがて、津軽統一の波に呑み込まれ、城は落城、千徳氏は滅びました。
 - 「雄石・雌石」は、そんな地方史の証人であり、また、「浅瀬石」という地名の源でもあった分けです。

 この由緒ある大石・・・落城以来、行方不明だったようですが、説明板には続けて、次のように記されていました。
【落城の時、杳としてその行方がわからなかったのが今回(昭和六十二年より)浅瀬石羽黒神社造営工事の際、偶然に楓の根元から発見され、ここに再び世上の注目を浴びることとなりました。古よりの言い伝え通り、形体・風格は昔のままそのとおりといわれております。】

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 10月に入り、少しずつ秋の気配がしてきました。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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Author:korekarada       ふるさと「東北・青森県」の史跡を巡り、感想などを綴っています。ときには、まだ見ぬ地方への憧れを「バーチャル旅行記」として、書いていきたいと思います。
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