のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

ありがとうございました

 一年間、拙いブログを訪れていただいたことに感謝いたします。ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。



  


  

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雪ぼうし

 今年も残り少なくなりました。本格的な冬が津軽にもやってきました。
 神社の狛犬なども、雪のぼうしをかぶっています。


  



   



   

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神社冬景色

 前回の記事からだいぶ間があきました。天候が不順なので、ついつい出かけるのがおっくうになります。

 晴れ間をみつけて、いつもの中野神社へ。紅葉の時とはうって変って「白い世界」が広がっていました。


  


     

   

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冬枯れの神社

 冬になり連日の雨、風、雪などによって、神社の境内も、もの淋しい雰囲気に変わってきています。

◇黒石市がむし坂稲荷神社

【御祭神:倉稲魂命  一羽の鶴が傷ついて芦辺に居りしが、 後に元の如く癒えて飛び去ったのを神山右沖なる人がこれを見て芦原を捜したところ、 湯気の立つ処があるのを発見して名称を鶴泉と名づけた。 天正十九年 (一五九一) 夏、 陸奥浪岡城主源中納言唯秋の家臣工藤次郎左衛門なる者あり。 訳ありて浪人をし、 此の地へ参り川原に小さな葛家を建て妻子を伴い居住し湯の恵みを受けたが、 十数年後、 廃湯を思い、 浴する人々のために芦を結び風雪の凌ぎをなした。 後の人、 これを山形の湯と唱え浴する人が増えていった。 寛永元年 (一六二四) 八月中旬、 花山院忠長卿が御入浴の際、 山方の温湯と名付け、 百年も後には奥州一の湯になるだろうと云われた。 宝永七年 (一七一〇) 元の宮地であるがむし坂へ同村の六右衛門が社殿を再建、 更に寛政七年 (一七九五) 村中にて再建す。 ※青森県神社庁HPより


  


  


   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: 名木めぐり  

薬師寺の石割楓

 黒石市温湯の薬師寺には「石割楓」と名づけられた名木があります。
 樹齢が500年、樹高11.7mm、幹周5.2mという老木ですが、名前の通り、地面の石を割り、大地をしっかりとわしづかみしているような姿形をしています。
 久しぶりに訪れてみましたが、相変わらずの迫力でした。


  

  

  

  


   




 薬師寺の創建は寛文元年(1661)、花山院忠長が温湯温泉へ湯治に訪れた際、薬師像を安置したのが始まりと言われています。
 黒石市山形町にある津軽三十三霊場の26番札所・法眼寺は、元禄4年(1691)にここから現在地に移ったお寺で、ここには薬師堂だけが残りましたが、その後、「瑠璃山薬師寺」として再興されました。
 だいぶ前に訪ねたときには気づかなかったのですが、境内の入口に「石敢當」という石碑が立っています。
 石敢當(いしがんとう)は、主に沖縄や九州地方において「魔除け」として信仰されている石碑ですが、この薬師寺のものは、文政6年(1823)に建立されたもので高さ約92cm、幅61cm、厚さ54cmで、青森県内では非常に珍しいものとされ、市の文化財にも指定されています。

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観楓台の秋

 黒石市の中野もみじ山で「もみじ祭り」が行われています。夜間にはライトアップもされ、例年、たくさんの人々でにぎわいます。
 最近は、冷たい雨の日が多く、肌寒い毎日ですが、先日、晴れ間をみつけて朝早く訪ねてみました。
 駐車場に車をとめて中野神社への道を進みます。途中にはハロウィン風のカボチャが木の根元に置かれたりしていて楽しめます。
 神社の社殿の横から細長い階段の道が続いており、そこを登りきると「観楓台」という小高い山の上に出ます。早朝ということもあり、訪れる人はあまりいませんでしたが、三脚を持った写真好きの方々がベストショットをねらっていました。
 

  


  


  


  


  

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東公園の秋

 「日本一のポプラ」と称されるポプラの大樹がある黒石市の東公園です。

 春には公園いっぱいに桜の花が咲き、祭り期間中はたくさんの人々でにぎわいますが、今は静かな秋のたたずまいです。


  


  


  


  

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浄仙寺の秋

 秋たけなわということで、黒石市でも中野山(中野神社)のもみじ祭りが行われていますが、そこを通り越して黒森山浄仙寺へ。いつ訪れても静かで落ち着ける境内です。


   


  


   

   

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紅葉はもう少し先

 めっきり寒くなりましたが、付近の神社の紅葉はもう少し先のようです。

◇猿賀神社東屋から
  


















◇中野神社不動の滝
 



















◇長谷沢神社境内
 



















【御祭神:日本武尊  延暦年間 (七八二~八〇六)、 田村麿将軍東夷を征討して帰洛した後、 大同元年 (八〇六) 当国の守護神として、 長谷沢の地に社殿を創建した。 明治初年の改革により、 明治四十年四月九日村社に列格し、 更に昭和二十一年に至り、 国有境内地譲与の申請をし、 昭和二十二年法律第五十三号に依り、 昭和二十五年三月三十一日付けを以て無償譲与となる。 ※青森県神社庁HP


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下目内沢稲荷神社ーつがるみち414




 黒石市の目内沢にある地蔵堂には、日露戦争当時、「このお地蔵さまにお願いすれば、兵隊にとられない」という信仰が広がったため、警察に縛られて捕らえられたという伝承が伝えられています。
「縛り地蔵」とか「延命地蔵」とか呼ばれているこの地蔵堂のそばには稲荷神社がありますが、目内沢地区は「上」と「下」とに分かれていて、ここは上目内沢の稲荷神社です。
 ⇒ 以前の記事へ




 一方、下目内沢にも稲荷神社が鎮座しています。
 上目内沢の稲荷神社から1,2Km離れた集落に位置するこの神社は、周りを田んぼに囲まれた所にあります。
 一の鳥居と二の鳥居ともに朱色が鮮やかですが、境内は緑に包まれています。拝殿の隣には、大きなケヤキの木がそびえていますが、注連縄は張られていないものの御神木となっているようです。その根っこは、拝殿に向かってぐいと伸びていました。

 境内には御神燈と狛犬が一対ずつ置かれていますが、狛犬は比較的新しく奉納されたもののようです。
 何本かの大きな木の根元には自然石が置かれており、そこには御神酒が供えられていました。

◇狛犬ほか







 この下目内沢の稲荷神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命 寛文二年 (一六六二) 十二月九日、 黒石藩の祖先津軽十郎左衛門信英公は、 次男十郎兵衛信純に所領千石を以て分地させ、 下目内沢、 小屋敷、 飛内、 馬場尻四ケ村の領主となる。 その際、 舘神と称して稲荷宮を建立す。 明治四年神社改正に付き、 同六年五月十日中郷村飛内の村社稲荷神社へ合祀し、 その後、 同八年四月復社願いを申請し、 拝殿新築の上、 四月十九日復社し村社に列せらる。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 黒石の町は、津軽藩3代藩主・信義の弟で、家康の孫にあたる津軽信英が黒石藩主になって以来、城下町として拓けていった分けですが、この稲荷神社もまた、当時から村の産土社として信仰を集めていたようです。

◇下目内沢稲荷神社



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後ろから - つがるみち413

 神社めぐりをするときは、たいてい、一の鳥居をくぐり、参道を歩き、境内をぶらぶらし、拝殿と本殿へ・・・という順になります。
 休み休み下手な写真を撮っていく分けですが、ときどきは、社殿の後ろや横からも撮ったりします。今回は、そんな写真をいくつか集めてみました。



     ◇牡丹平稲荷神社            ◇海雲堂洞釈迦堂

    


     ◇中野神社               ◇中別所雷電宮

    


     ◇藤代稲荷神社            ◇瀬辺地天満宮

    


     ◇町居熊野宮              ◇宮館稲荷神社

    

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北美町貴船神社ーつがるみち412




 黒石市北美町の貴船神社は、病院や福祉施設などが立つ住宅街に鎮座している神社です。
 赤い鳥居と、特徴のある大きな石の社号標が道路沿いに立っていますが、敷地はさほど広くなく、こじんまりとした感じの境内です。
 境内には、御神燈と狛犬が一対ずつと、拝殿と本殿が立っていますが、本殿の横には末社の祠があり、その中には金色に輝く大日如来像と少彦名神の木札などが納められていました。

 この神社の由緒については、
【御祭神:闇おかみ神  明和七年 (一七七〇) の伝書に依ると、 『浅瀬石城主瑞夢の御託宣あり、 大同二年深山高羽の獄に鎮座す。 今吾が宮所を建立あらば津軽六郡の内、 主領三郡は汝を領主と使わしむ也。』 天正五年 (一五七七) 正月二日の暁、 告験有るに因りて瑞喜骨髄に徹し四月遡日、 一宇の宮祠を造立す。 其の後、 大浦御所為信公六郡を御掌握に依りて社領十五石の御朱印を賜わる。 其の後、 信政公より御分地有りしより先君十郎左衛門信英公御領地となる。 明和七年 (一七七〇)、 主君の武運長久国家静謐の為、 四季の神事仰せつけ御神楽料として良米三俵、 青銅六拾目永代御寄付有り、 旧黒石藩主の祈願所であった。
浅瀬石川ダム建設のため昭和五十五年四月、 現在地に移転す。 ※青森県神社庁HP】とあります。

◇貴船神社












 由緒に「浅瀬石川ダム建設のため昭和五十五年四月、 現在地に移転す」とありますが、同じく黒石青山の稲荷神社同様、この神社もまた、ダム工事のために市内に移築された社のようです。
 神社入口の大きな社号標の裏側には「大正十一年旧四月十九日 沖浦村中建立」と書かれていますが、この社は、かつて旧沖浦村に鎮座していました。沖浦の大半は、旧沖浦ダムとともに現在は浅瀬石川ダムの湖底に沈んでいます。
 拝殿の扁額には「十湾宮」と書かれています。「十湾」とは「十湾田様」、即ち「十和田様」のことで、水神を祀る社であったようです。
 戦国時代、黒石地方一帯を支配していたのは浅瀬石千徳氏でしたが、由緒にも書かれているように、城主・千徳氏が霊夢の中で、「我を祀れば津軽六郡の主となる」という十湾田様のお告げに従って建立したという言い伝えが残っています。

 千徳氏の浅石城はその後、津軽為信の攻撃により落城し、千徳氏は滅びる分けですが、その戦いの最中、多くの寺社は荒廃したといわれています。
 この貴船神社(十湾宮)もそのひとつでしたが、為信によって再建され、後に黒石藩の祈願所として崇敬されたという分けです。

 余談ですが、浅瀬石千徳氏は南部方の武将でしたが、後に為信と共謀して津軽統一を進めていきました。したがって、為信の浅瀬石城急襲は、いわば「裏切り行為」だった分けです。戦国の習いといえばそれまでですが。
 そういうこともあってか、津軽氏の記録(伝承)などでは、千徳氏は「驕れる者=邪」として語られることもあります。この貴船神社(十湾宮)にも、「千徳氏は、十湾田様を粗忽な取扱いをしたので、今度は津軽藩祖の為信に意を移し、お告げをして吾を懇切に祀らば津軽の大守となるべしと云った。果たして浅瀬石は為信に滅ぼされ為信は全津軽を取った。」という話も残されているようです。

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ぶらぶらと 3 -つがるみち398

 自宅から近いということもあり、黒森山浄仙寺と中野神社にはよく出かけます。先日も、ちょいと散歩してきました。

◇黒森山浄仙寺

  

  


◇中野神社

  

  

 中野神社といえば、秋の紅葉が有名ですが、寛政10年(1798)にここを訪れた菅江真澄は、次のように記しています。
【・・中野村に入ると、荒川(中野川)に土橋をかけ渡していた。川岸が高く、向こうには野原・切り立った崖・岩の峯がそびえ立つ頂上・小さな坂などの木々、高いのも低いのもすべて紅葉し、落ちる水が岩を飲み込んで激しく流れる風情、はらはらと散る紅葉に夕日が映る。群れ立つ杉の下枝などに這いかかった蔦や散りかかった木の葉、これも紅葉したかと驚くばかり。「名高い立田川の紅葉さえも及ばないであろう」と独り言を言いながら橋を渡った。※『わたしたちの黒石』より

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ぶらぶらと2-つがるみち373




 三月弥生も終わりです。
 今月に入ってからは、雪解けも大幅に進み、春らしい陽気が続いていましたが、先日は寒気団がやってきて、一時的に辺りは冬景色に逆戻りしました。本格的な春の訪れは、もう少し先のようです。
 この時期の神社の様子は、境内にふきのとうが顔を出していたり、草の緑色が少し濃くなっていたりしますが、一方では、日陰に残雪があったりと様々です。
 以下は、そんな三月に訪れた神社の風景のスナップですが、上から、平川市猿賀神社、弘前市岩木山神社、黒石市中野神社、青森市高屋敷神明宮です。



◇猿賀神社

  


◇岩木山神社

  


◇中野神社

  


◇高屋敷神明宮境内から

  


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上十川八幡宮ーつがるみち366


上十川八幡宮


 前回取上げた黒石市青山の稲荷神社を過ぎると、上十川の集落になります。
「十川」という岩木川の支流の「上」の方に開けた村であるため、その名がついたと思われますが、近くには十川や下十川(旧浪岡町)という地名もあり、一帯はかつて「十川村」と呼ばれていたようです。
 その上十川の集落に八幡宮が鎮座しています。




 県道146号線の信号を右側に曲がると坂道が続きますが、その坂道の途中にこの神社はあります。
 周りには小学校や児童館などがあります。近くには長谷澤神社の社務所も建っていますが、「昔、上十川八幡宮から長谷沢神社社務所の前辺りはとても急な坂道だった。そのため荷車などで通行する際、坂を登り切れず途中で落ちていくなどの事故が多発し、亡くなる方も多かった。その方々を供養する為に供養塔が建てられた」という話も伝えられています。

 坂道の横から上の方へ石段が延びていて、石造りの大きな鳥居をくぐると境内へ出ます。小高い丘の上からは、集落の家並みやりんご畑などを見渡すことができます。大きなケヤキの木があり、拝殿の前には神馬と狛犬が一対ずつ置かれていました。

 丘の端っこの方に百万遍塚と庚申塔が立っていますが、そのそばには祠が三つ並んで立っていました。真ん中の祠は、身代わり地蔵尊のようで、お地蔵様が二体祀られています。

 この八幡宮の詳細については分かりませんが、次のような話が伝わっています。 
【八幡宮の御本尊は最初、大杉村大字徳妻子村(現青森市浪岡大字徳才子)に所属 していた。その御本尊と境内が失われた後、十川村の岩間彌五兵衛の親に度々枕神が立つことから、天和元年に彌五兵衛が徳妻子に出向き、境内が所在してと思われる場所から石仏一体を発見した。天和元年(1681)に十川村に社壇を建立し、その石仏をお迎えした。
その後、元禄9年(1696)に千葉孫平衛が木造を寄進して石仏と共に安置して以来、地元の住民が上十川八幡宮として祀っている。※上十川地区振興協議会HPより

◇上十川八幡宮

  



  



獅子踊保存会館

長谷澤神社奥の院石段


 神社の入口付近に上十川獅子踊保存会館があり、そばに、その由来を記した説明版が立っていました。
 上十川獅子踊は400年以上も前から地域に継承されている伝統芸能で、青森県の無形民俗文化財にも指定されています。
 この獅子踊が地域に根付くまでには、次のような経緯があったとされています。
【戦国時代、浅瀬石城主・千徳政氏(まさうじ)の時代に、南部から流れてきた六郎右衛門という者が浅瀬石川の川原に住んでいた。六郎右衛門は獅子笛を吹くのが好きで、毎日吹いていたが、それを聞いた愛宕の住職が、中野不動尊に納める獅子を作ってくれるよう、頼んだところ、六郎右衛門は早速、一揃いの獅子を作り、囃子の仕方も教えた。そのことが城主の耳にも伝わり、六郎右衛門は、天正十二年(1584)、獅子を城主に献上し、千徳氏の「お抱え獅子」の舞を完成させた。以来、城下では獅子踊が盛んになったが、慶長二年(1597)、津軽為信の攻撃を受け、浅瀬石城が落城すると、獅子踊も行われなくなり、上十川の村でも、古くなった獅子を獅子森に埋めてしまった。ところが、その十年後、村全体に悪疫が流行し、人々を困らせた。「これはきっと、身に降りかかる災難を救ってくれる獅子を埋めた祟りにちがいない」と考えた村人は、もう一度、太鼓や囃子をつけて獅子踊を行ったところ、悪疫は消えていった。上十川の人々は、その恩に報いるために、長谷澤不動尊(長谷澤神社)の拝殿から奥の院に通じる石段を造って奉納した。※黒石市民財団「わたしたちの黒石」より抜粋・要約

 こうして、上十川の獅子踊は「凶事退散の舞」として、地域に受け継がれてきた分けですが、例年、旧暦の八月八日に長谷澤神社で「獅子起こし」が行われ、八月十五日には、ここ八幡宮で「獅子納め」が行われています。

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青山稲荷神社ーつがるみち365


稲荷神社本殿


 黒石市青山は、黒石から旧浪岡町へと続く県道146号線に沿って開けた集落です。
 ここには「稲荷神社」が2つ鎮座していますが、同じ地区の中に同名の神社が存在するのは、少し珍しいといえるかも知れません。
 ひとつ目の稲荷神社は、閑静な住宅地の中に鎮座していますが、その由緒については、
【御祭神:倉稲御魂命  創立は延宝二年 (一六七四)、 東野添村中にて建立す。 その後、 由緒は火災による書類焼失のため不詳ではあるが、 明治五年九月十日村社に列格す。 更に昭和二十一年に至り国有境内地譲与申請のところ、 昭和二十二年法律第五十三号により昭和二十六年八月付を以て無償譲与され今日に至る。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 住宅に囲まれている神社ですが、その境内は広く、社殿の前には横幅の広い顔をもつ個性的な狛犬が居ます。境内には低鉄棒などもありますが、子どもたちの遊び場にもなっているのでしょう。

  



稲荷神社


 青山から少し進むと上十川の集落になりますが、その境目の辺りにもうひとつの稲荷神社があります。
 ひとつ目の稲荷神社から距離的にはさほど離れていないのですが、辺りの様子は全然違っていて、県道から少し離れた広い野原に、ぽつんと立っている神社で、周りはりんご畑になっています。

 御神木にはなっていないようですが、農道の脇に大きなケヤキの木が立っており、その隣に一の鳥居がありました。鳥居に架かる注連縄は金属製で、重量感たっぷりのりっぱなものです。
 御神燈とユーモラスな顔をした狛犬が一対ずつに拝殿と本殿という、いたってシンプルな境内です。本殿の隣には小さな末社が立っていましたが、その背後にはりんご畑が広がっていました。
 入口付近に小さなお堂があったので中を覗いて見ましたが、そこにはお地蔵様が祀られていました。お参りに訪れる人が絶えないようです。

 この神社の由緒については、
【御祭神:倉稲御魂命  宝永八年 (一七一一)、 勧請と棟札にあるが詳細は不明。 昭和二十一年三月二十五日宗教法人令による届け出を行なう。 浅瀬石川ダム建設のため昭和五十四年二月、 現在地に移転す。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。


  


  



虹の湖

沖浦ダム ※HP「ダム便覧保存館」より


 由緒に「浅瀬石川ダム建設のため昭和五十四年二月、 現在地に移転す」とありますが、元々この神社は浅瀬石川ダム近くの大字「沖浦」に鎮座していた社です。
 かつてこの集落には「沖浦ダム」があり、ダム湖は「虹の湖」と呼ばれていましたが、その名前は黒石市出身の詩人秋田雨雀が「ダム湖に大きな虹が架かったのを見て、2つの歌を詠んだ」ことにより命名されたといわれています。現在の浅瀬石川ダム湖の名称「虹の湖」は、それを引き継いだものです。
 浅瀬石川流域は夏期の雨量が少ないため、古くから水不足に悩まされ、水をめぐる争いも絶えなかったといわれています。また、一方では、ひとたび氾濫すると甚大な被害をもたらすことも多かったようです。
 沖浦ダムは、こうした事情を踏まえて、昭和20年に完成した多目的ダムで、「日本で初めて施工が開始された多目的ダム」として知られています。

 現在では、その役割を終え、昭和63年(1988)に完成した浅瀬石川ダムの湖底に沈んでいる分けですが、「水位の低下する7月頃からその姿を見せ、10月に入ると冬の発電に備えた貯水のため水位が上昇し再び水没する」このダムは、現在でも「砂防ダム」として、流域住民の生活に貢献しています。

 元々、この沖浦にあった稲荷神社が、どんな理由で、遠く離れたここ青山の地に移ってきたのか、その経緯についても知りたいところです。

※HP「ダム便覧」、建設コンサルタンツ協会誌・日本で最初の多目的ダム「沖浦ダム」 PDF 等を参照しました。

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二双子伏見神社ーつがるみち351


伏見神社


 黒石市に「二双子(にそうし)」という、一風変わった名前の集落があります。
 その地名の由来については定かではありませんが、寛政七年(1795)の十一月二日(旧暦)、村の産土祭りの日に、この村に立ち寄った菅江真澄は、
【「昔からこの村に住んでいる人で、月はじめの二日に亡くなることは絶対に無かった。それだから、この日は亡くなった人のために行う精進・物忌みもないので、村中の人がみんな出てきて神様にお神酒を供え、自分たちもこのように酔うのだ。
 月の一日の日に、今にも息が絶えようという重い病の人がいて、医者も夜の明ける前には亡くなるだろうと言われても、鶏が『カケロー。』とひと声鳴けば、二日になったので、亡くなることはない、と心が落ち着くのだ。」という。ほかの所には例のない、不思議な習わしである。】という村人の話を記しています。
 - 昔から、「二」という数を尊ぶ風習を持った村だったようですが、そんな二双子の村の産土神として崇められている社が伏見神社です。


神橋と二の鳥居


 慶長年間に創建されたといわれていますが、その由緒については詳しくは分かりません。「伏見」という名前からして、伏見稲荷大社と同様に、猿田彦尊(佐田彦大神)、宇賀御魂命、大宮姫命を祀った社だと思われます。
 菅江真澄は、
【・・・長い年月のたった木々が生えていて、雪の積もった小高い場所を左の方に見て進んだ。いつの頃のことなのだろうか、伏見の里から飛んできたという権現をこの下に埋めてから「獅子森」という名前で呼ばれていると聞いた。
 この森の下道を行き交う人の馬が病気になったり、人も馬から落ちたり、という不思議なことがあったので、よくお祈りし、別なところに「伏見権現」として祭ってあがめたと言われる。その場所に、雪の中にこんもりと茂っている森の高い梢と、半ばほど現れている鳥居が見えた。】と書いています。
 この神社の大祭は、毎年五月・八月・十二月の年三回行われますが、その期日はいずれも月初めの二日の日となっていて、ここにも「二」を尊ぶ風習が伺われます。

 いかにも重そうな金属製の注連縄が下がった一の鳥居をくぐって、野原の中の道を進むと「伏見橋」という神橋が見えてきます。そのそばには、猿田彦や青面金剛尊の碑が立っていました。
 二の鳥居、三の鳥居とくぐって行くと、右側の方に社殿があります。境内には、雪をかぶった狛犬や雪に埋もれた鹿の子の像などがありました。

◇伏見神社

  
猿田彦碑ほか
四の鳥居から
境内
拝殿


  
狛犬
鹿の子
拝殿内
本殿







 さて、菅江真澄の紀行文に「月初めの二日に、二双子村では『産土祭り』が昔から行われていた。」とありますが、「産土祭り」とは文字通り、「生まれた土地の守り神を祀る」ことです。
 例年、8月2日の伏見神社大祭の日には祭りが盛大に催され、「だげぐら」という行事が行われています。
 「だげぐら」とは、
【太夫の先導で、「獅子」が太鼓の囃子で二双子の全家庭を廻り、「家の中の神棚や台所をお祓いする。家人に病があればその痛むところを獅子に噛んでもらう。」など、獅子頭の動きによって、その家の「災いを祓い、豊作や健康安全を祈願する行事】です。神社総代の方の家に大切に保管されている獅子頭を神社に運び入れ、神前にて祝詞が奉じられた後に、村内を巡り歩きます。
 菅江真澄は、こうした風習について、
【陸奥(みちのく)のならわしとして、どこの浦、どこの山里でも、熊野の神様をまつる行事のはじめに、獅子頭を持って踊るということがある。そして、その獅子頭をひたすら権現様と言っている。】と書いていますが、ここ二双子も、そんな風習を今に伝えている集落です。

※黒石市民財団「わたしたちの黒石」を参照しました。

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野際稲荷神社ほかーつがるみち350


野際稲荷神社


 北海道を巡った後、下北半島に立ち寄って二年余りを過ごした菅江真澄は、寛政七年(1795)の三月に津軽領に入りました。
 これは、三回目の津軽訪問になりますが、津軽の地を巡った真澄は、その年の十一月五日(旧暦)には現在の黒石市にやってきて、その様子を紀行文に描いています。

【・・・田中村の方に出ると、遠く広い雪の上に人も馬も絶えず行き交う一筋の道があったので、迷う心配もなく歩いていった。夕飯を炊いているらしい煙が立ち上るのを見て進んで行くと、やがて野際という村についた。
 道を少しばかり進むと株梗木という村の家並みの軒が続いて、黒石の里についた。昔見ていなかったところを、このような雪の中で見るのも良いことであろう、と独り言を言いながら高田恵民という医者の家を訪ねた。】
 昔の黒石の村々の雪景色が浮かんでくるような文章ですが、ここには田中・野際・株梗木といった集落の名前も記されています。

 紀行文に出てくる「野際(のぎわ)」は、市の中心から少し離れた所にある集落ですが、ここに稲荷神社が鎮座しています。
 その由緒については、
ー 御祭神:倉稲魂神 高おかみ神  創立は正徳年間だが月日は不詳。 正徳年間、 工藤一族の祖工藤荘司という者が堂祠を建立し深く崇敬したと伝えられる。 宝暦十年 (一七六〇) 四月十六日、 小野河遠江守祠官の時、 村中にて社殿を改築、 文化二年 (一八〇五) 三月十五日、 小野河靭負(ゆげい)が社殿を新築御神楽を奉納した。 天保十五年 (一八四四) 五月二十一日、 新たに稲荷大明神の 御神像を勧請し尊崇した。 嘉永元年 (一八四八) 十月十日、 社殿を修復し同三年五月八日、 祠官小野河遠江守行京の時、 正一位稲荷大明神の御神号を受け益々御神威を高め民衆の尊崇を集めた。 明治四十二年十一月十八日、 許可を得て中郷村北田中鎮座村社高おかみ神社を合祀す。 ※青森県神社庁HP - とあります。
 野際の集落の道路沿いにあり、朱色の鳥居が鮮やかな神社です。

◇野際稲荷神社

  
参道
境内
拝殿
拝殿


  
狛犬
きつね
きつね
本殿






「道を少しばかり進むと株梗木という村の・・」と真澄が書いているように、「株梗木(ぐみのき)」は野際の隣村です。ここには、次のような面白い昔話が伝えられています。
◇嫁をもらったお地蔵様
【株梗木のお地蔵様は、株梗木に来てから長い年月を重ねていましたが、いまだ独身でした。村のためにがんばっても、村のはずれの祠の中に、ぽつんとひとりぼっちでいました。「火鉢もないし、火箸一本もない、味気ない世の中だ」と嘆いていたお地蔵様は、ある日、とてもよい案を思いつきました。それは、「寝ている信者の夢の中に現れて気持ちを伝えれば、イダコ(亡くなった人の言葉を伝える人)の語りを聞く集まりにでも、みんなに話が伝わるだろう」というものでした。そして、ある夜、佐左衛門という信者の夢の中に現れ、その思いを伝えました。イダコの集まりで佐左衛門の話を聞いた信者たちは、「そりゃあ、地蔵様もさびしいべ」と同情し、「嫁っこの地蔵様を一体つくってそばに置ぐべ」ということになりました。そこで村中の女性の人たちがお金を出し合って、町の石屋に嫁地蔵の制作をお願いしました。嫁地蔵が出来上がった日には、村の手車を引き出し、白木綿の引き綱を結わえて迎えに行きました。嫁地蔵を乗せた手車の行列が祠に着くと、開眼供養とともに、盛大な結婚式があげられました。ひとりぼっちだったお地蔵様の喜びようは言うまでもありません。株梗木のお地蔵様が結婚してからというものは、四方の村々や町々へも流行し、ほかのお地蔵様もまねるようになりました。】
 - アニメ『日本昔話』に出てくるようなお話ですね。

※記事の中の【】は、黒石市民財団『わたしたちの黒石』からの引用です。

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南神社ーつがるみち345


浅瀬石川の白鳥


 浅瀬石川と平川が合流する藤崎町は白鳥の飛来地として知られていますが、黒石市を流れる浅瀬石川でも、この時期、多くの白鳥を見ることができます。
 黒石市の追子野木と市内を結ぶ千歳橋の下は広い河川敷になっていますが、例年、たくさんの白鳥たちが訪れ、可憐な姿を見せてくれます。もっとも、雪の白さもあって、少し離れたところからはなかなか見つけづらいのですが。。


狛犬


 この千歳橋の近くに南神社が鎮座しています。
 住所は黒石市追子野木(おこのき、おっこのき)になりますが、追子野木という町名は、「昔、集落に岩木山から見えるような大きなオンコノキ(イチイの木)があった」ことに由来するともいわれています。
 南神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命 伊弉諾命 早玉男神 泉津事解男神    昭和三十七年七月十五日、 生活合理化運動の一つとして稲荷神社 (追子野木字宮崎四七) と熊野宮 (久米字若柳一) を統合。 旧稲荷神社は延徳元年 (一四八九) 六月一日に、 又、 旧熊野宮は天文三年 (一五三四) 二月の勧請と伝えられる。 ※青森県神社庁HP】とあります。
 昭和37年に建立された比較的新しい神社です。私は追子野木の住人なのですが、子どもの頃に、一時期、住所が「追子野木」から「南町」に変わったことがありました。「南神社」という名前も、そんな町名変更に基づいたものなのかも知れません。

 神社の入口には赤銅色の大きな一の鳥居が立っていますが、その奥の二の鳥居には「南神社」と書かれた扁額が掲げられ、金属製の注連縄が下がっています。両脇には、大きな社号標と「合祀記念」と書かれた碑が立っていました。
 三の鳥居には、それをくぐると疫病や罪穢が祓われるといわれる「茅の輪」が下がっていますが、年末年始の参拝で、多くの町民が訪れたことでしょう。

 境内にはいくつかの御神燈と二対の狛犬などが置かれていますが、拝殿の隣に馬頭観音の祠が二つ建っています。
 どちらも赤い鳥居をともなった立派なもので、町民の信仰を集めている祠ですが、昭和12年に境内の近くの場所に建立され、昭和37年に稲荷神社と熊野宮と共に合祀されたものです。合祀以前は、その前の広場で、馬市や馬力大会が頻繁に行われ、賑わったとされています。

◇南神社

  
南神社
二の鳥居
三の鳥居
境内



  
拝殿
御神燈
馬頭観音
本殿と記念碑



稲荷神社碑と熊野宮碑


 由緒にあるように、この神社は稲荷神社と熊野宮という二つの社を合祀したものです.
 前述したように、二の鳥居のそばには「合祀記念碑」が立っていますが、本殿の後ろ側には、「稲荷神社」と「熊野神社」と書かれた二つの大きな社号標が並んで立っています。

 それぞれの神社については、
○稲荷神社
【御祭神:倉稲魂命  延徳元年(1489)、浅瀬石城主・千徳政久公が勧請して、代々豊念神として崇め奉った。代々の城主によって庇護され、寄進、再建がなされる。宝暦元年(1751)、追子野木村で造営。以後、大洪水で大破したこともあったが、村中で再建。】
○熊野宮
【御祭神:伊弉諾命 早玉男神 泉津事解男神  天文三年(1534)、相馬才次郎、手塚杢左衛門が、荒無地を開拓して、浅瀬石城主・千徳政胤公より許可を得て熊野大権現を勧請した。天正十三年(1585)、大浦為信の来襲により、堂宇は焼失。慶長元年(1596)、村中で再建。以後、造営等を重ね、明治三年(1870)、熊野宮と改称。】     とあります。
 - どちらも、戦国時代に黒石の支配者であった千徳氏の時代に勧請された社だったようです。

 昭和37年に両社は統合された分けですが、決定までには様々な紆余曲折があったようです。やはり、両社とも村落の産土社として「心の拠りどころ」であっただけに、場所を替えることに対しては住民の抵抗も大きく、「三年越しの激論が戦わされた」とのことです。

※『黒石史』、『追子野木沿革史』などを参照しました。

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黒石神明宮ーつがるみち338


黒石陣屋絵図


 黒石の御幸公園内に幕末の頃の黒石陣屋周辺を描いた絵図があります。
 絵図には陣屋を真ん中にして、浅瀬石川から現在の市内に向けて「上ノ坂」と「下ノ坂」という二本の坂道が続いている様子が描かれています。
 今は、「上の坂」と並行する形でもう一本の坂道「新坂」が通っており、「新坂」は三本の坂道の中では最も交通量の多い道路になっています。
「新坂」と比べると、静かな佇まいをみせる「上ノ坂」と「下ノ坂」は、昔ながらの情緒を残す坂道だといえるでしょうか。


黒石神明宮


 この三本の坂道の上りの終点付近、市内へ入る手前にはいずれも神社が置かれています。
 ⇒三つの神社
稲荷神社・黒石神社・神明宮

 即ち、「下ノ坂」には先回お伝えした「黒石稲荷神社」があり、「新坂」には黒石藩の藩祖・津軽信英を祀る「黒石神社」、そして、「上ノ坂」側には「黒石神明宮」が鎮座している分けです。


参道


 黒石神明宮の入口、一の鳥居のそばに由緒書きが立っていますが、それには、
【起源不明なるも文禄年間 (一五九二~一五九五)、 第百七代後陽成天皇時代現地にすでに小祠があったと伝えられているが、 それは或いは正保年間 (一六四四~一六五一)、 津軽三十三観音の二十六番目の札所となった黒石観音堂ではなかったかと思われる。 寛延四年 (一七五一)、 「津軽三十三所順礼」 によれば二十六番黒石とある。】と記されています。
 津軽三十三観音霊場の26番札所は、現在はこの神社の近くの法眼寺になっていますが、法眼寺の縁起の中にも「明治2年の大火により、(神明宮にあった)観音堂が消失したため、札所は自然消滅したが、その後、霊場巡り復活に伴い、26番札所となる」とあり、ここが元々の観音堂であったことが分かります。

 また、黒森山浄仙寺は、是空という修行者が黒森山を霊地と定め、寺を建立した分けですが、
「その当時は、みだりに寺を創建することは許されなかったが、黒石藩側の特別なはからいにより、黒石の上ノ坂(現在の神明宮付近)の廃庵状態にあった、浄仙庵の“再興”という名目で、黒森山への開山が許された。※黒石市HPより」と伝えられており、黒石の名刹のルーツもここにあったことが分かります。

◇黒石神明宮

  
境内
拝殿
拝殿内
児童公園から


 御祭神は主祭神が「天照大御神」で、相殿神が「松尾大神」「住吉大神」「牛頭天皇」「天神」となっていますが、由緒にも、
【堂一間四面西むき、 前に一間に二間の拝殿あり、 住吉大明神の堂あり、 牛頭天王の堂あり、 二間に三間の神楽殿あり、 神明宮あり、 天神の堂あり、 松尾大明神の堂あり、 この所を上の坂という。
 天和二年 (一六八二) 九月十六日、 黒石藩主津軽信秀公願主となり武運長久子孫繁栄領内安穏の為、 家老発田茂太夫城代澤井直右衛門を遣はし奉行、 町年寄、 棟梁等を督励して本殿、 神楽殿を建設し藩主の御祈願所とし永代御神楽を勤めさせた。 明治二年五月十四日黒石町大火により焼失。 同十二年新築す。 】と書かれていて、多くのお堂が立ち並んでいた往時の様子が偲ばれます。

「上ノ坂」は、碇ヶ関、大鰐、平賀(平川市)など浅瀬石川南部から青森方面へと向かう往還路で、藩政時代には黒石の繁華街に通じる坂道でもありました。神明宮付近には、前述の多くの堂宇をはじめ、寺子屋などもあったとされており、当時の宗教・文化の中心地であったようです。

  
獅子頭
狛犬
祈願札
冬囲い


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黒石稲荷ーつがるみち337


久須志大神


 黒石陣屋跡(黒石城址)は現在は「御幸公園」という公園になっていますが、その下を一本の用水堰が流れています。
 浅瀬石川から水を引いたこの堰は「宇和堰(うわぜき)」と呼ばれ、領内の水田開発の基となっていましたが、一方では、もうひとつの堰である「小阿弥堰」とともに、陣屋を防御する「堀」の役目も負っていたとされています。

 この宇和堰のそばに、赤い鳥居をともなった小さな社・久須志神社(久須志大神)があります。詳細は分かりませんが、御祭神は少彦名神と思われます。小さなお堂と神馬、そして地蔵堂がある可愛らしい社です。

 ここには「御穀水」と書かれた石碑が立っていて、その井戸が現在も残っていますが、石碑の脇の方に「花山院忠長」の名前が見えます。
 黒石は花山院忠長にまつわる伝承が数多く残る町ですが、かつて、忠長もこの社を詣で、通りを歩いたということなのでしょうか。

 久須志大神からは坂道が上の方に延びていて、市内(大工町)へと続いていますが、この坂は「下ノ坂」といって、藩政時代には両脇に武家屋敷などがあった所です。

◇久須志大神

  
下ノ坂古図
地蔵堂
御穀水碑
花山院忠長




公園側の鳥居


 久須志大神の向かい側には石段があり、稲荷神社の境内へと続きます。裏側(公園側)にも鳥居があり、扁額には「稲荷神社 八幡宮」と書かれていますが、そこのあたりの由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  (配祀)譽田別尊   草創年月は不詳だが、 当初黒石村支配の内に黒石稲荷と称えて三尺四方の小堂があった。 黒石村中にて産土神として崇敬し、 文安三年 (一四四六) 九月十日、 秋覚と申す者を別当にして初めて勧請す。
  慶安四年 (一六五一) 五月、 黒石村などで拝殿、 鳥居を新規に増築す。 元禄四年 (一六九一)、 寂照院境内三十間四方の内に社殿を建立、 現今の社地へ遷座し、 爾来、 御家門繁栄の祈願所として黒石藩の藩費を以て維持、 社殿の改修造営がなされた。 以後、 境内に八幡宮社堂をも建立、 両社の祭事を年々執行したが、 明治初年に八幡宮御祭神を稲荷神社に合祀した。 明治六年四月、 社格郷社に列せられる。※青森県神社庁HP 】とあります。

「下ノ坂」の方には石造りの立派な鳥居があり、社号標の傍らには庚申塚が置かれていました。石灯籠の手前には御神木の大イチョウの木がありますが、なかなかの大きさです。広い境内には神馬やきつね像などがありました。高台にある境内からは、浅瀬石川や岩木山を望むことができます。

◇稲荷神社

 
稲荷神社
庚申塚
境内から
御神木
境内



 由緒にも書かれているように、古くから「黒石稲荷さま」として崇められてきた社ですが、やはりここにも花山院忠長卿が深く関わっており、江戸時代初期に忠長が黒石に配流になった際に「稲荷宮」として、この地に遷座したと伝えられています。
 忠長がその罪(後陽成天皇の女官と密通した罪)を許されて黒石の地を去った後、明暦2年(1656)に津軽信英に黒石領5千石が与えられ、黒石陣屋が築かれる分けですが、その後、この稲荷宮は黒石津軽家の祈願所となりました。「弘前藩領と黒石領との境界を決める際、稲荷神が関わった」という話も残されているように、この社は黒石陣屋の「館神」として崇敬を集めていたようです。


 
拝殿と八幡宮
拝殿
拝殿
木鼻
本殿


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浅瀬石羽黒神社ーつがるみち333


羽黒神社


 黒石市浅瀬石は、その名の通り浅瀬石川沿いに開けた集落ですが、その中心部に羽黒神社が鎮座しています。
 拝殿の入口に、
ー 「村中のもといの 羽黒様 参る心は 後の世のため」 - 
という手書きの歌が掲げられていましたが、「村のもとい(基)」という言葉が示しているように、この社は古くから村の産土社であり、村民の崇敬を集めてきた神社のようです。

 十和田湖方面へのバイパスができるまでは、この神社のある道路がいわば「表通り」でした。住宅が立ち並ぶ道路沿いに一の鳥居があり、となりは長寿院という浄土宗のお寺になっています。
 鳥居をくぐって中に入ると、境内には猿田彦の碑や神馬、狛犬、社務所、末社などがありますが、拝殿の横には大きな土俵があります。この土俵では「子どもの心身を鍛え、地域・家族のつながりを深め、五穀豊穣を祈念する」ために、例年、子ども会相撲大会などが行われていて、例大祭の奉納行事となっています。
 拝殿の建物や、その内部、本殿などは朱色がとても鮮やかで、美しい神社です。拝殿の中に、顔(頭部)が隠された二体の像が祀られていましたが、どうやらこれはオシラ様のようでした。

 この羽黒神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命 誉田別命  延暦十三年(七九四)、 坂上田村麿により勧請され、 寛治 七年(一〇九三)、 八幡太郎源義家が守兵を遣わせ国家安泰、 武運長久を祈ったと伝えられる。
 建長四年(一二五二)、 初代浅石城主千徳行重が再興以来、 千徳家代々厚い信仰を寄せ、 しばしば御社殿を修築し、 田村羽黒宮と尊称し、 領内第一の大社として殷賑を極めた。 しかし、 慶長二年 (一五九七)、 浅石城落城と共に灰塵に帰したが、 同四年、 大浦為信により再建され、 浅瀬石村の氏神と定められた。 当時の鎮座地は、 旧浅石城の寺社屋敷にあり、 村落から離れていた為、 宝永七年(一七一〇)現在地に奉遷された。
 明治三年、 羽黒神社に改称、 高賀野村八幡宮を合祀し、旧浅瀬石村の村社となった。※青森県神社庁HP 】とあります。

◇羽黒神社

  
参道
境内
拝殿
拝殿内



  
一の鳥居
拝殿入口
村中の・・
オシラ様



雄石と雌石


 拝殿の左側(向かって)に大きな木があり、その根元には特徴のある大石が二個。
 この二個の大石の名前は「雄石・雌石」といいますが、そばに立てられている説明板には、
【その昔、浅瀬石城主千徳氏は栄華の限りを尽くし、その繁栄は、この地方の独特の文化と信仰の聖地を形成したといわれております。
 慶長二年、浅瀬石城が戦禍で灰燼にきした時、浅瀬石城本丸の横の中庭に大事に保管され、浅瀬石の産土神として崇め奉られておりました汗石が、ここに安置されている雄石・雌石だといわれております。本来、浅瀬石の呼称は「汗石」だということが「汗石御領内社宮調上書」に記されており、それによりますと、現在の浅瀬石川が汗石川であり、それが室町中期頃、名称が浅瀬石川に変えられたと言い伝えられております。】と書かれていました。

 神社の由緒や、この「雄石・雌石」の説明にも書かれているように、かつての浅瀬石は千徳氏の居城があり、黒石地方の中心地として栄えた所ですが、やがて、津軽統一の波に呑み込まれ、城は落城、千徳氏は滅びました。
 - 「雄石・雌石」は、そんな地方史の証人であり、また、「浅瀬石」という地名の源でもあった分けです。

 この由緒ある大石・・・落城以来、行方不明だったようですが、説明板には続けて、次のように記されていました。
【落城の時、杳としてその行方がわからなかったのが今回(昭和六十二年より)浅瀬石羽黒神社造営工事の際、偶然に楓の根元から発見され、ここに再び世上の注目を浴びることとなりました。古よりの言い伝え通り、形体・風格は昔のままそのとおりといわれております。】

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ひっそりと「白山姫神社」-つがるみち330




「袋の観音堂」と呼ばれ、津軽三十三霊場の27番札所である黒石市の白山姫神社。
 温湯温泉の近くに鎮座するこの社は「午年生まれの津軽一代様(守り本尊)」ということもあり、多くの人々が参詣に訪れる神社です。
 小高い山の上に社殿があるため、参道の登り口には参拝者用の杖なども置かれています。境内までは、右、左、右、左と曲がりくねった参道が続き、けっこうきつい登りです。私も初めて登ったときは、途中に立っている三十三観音の数を数えながら休み休み登りました。
 今回、久しぶりに訪れてみましたが、名物の大イチョウの葉っぱもすっかりなくなり、冬の装い。参道も境内もひっそりと静まり返っていました。


◇白山姫神社

【御祭神:伊邪那美命 菊理姫命   大同年間 (八〇六~八一〇)、 坂上田村磨将軍が観音様のお姿を袋に入れ、 大木の枝にかけ、 武運長久を祈願した故事にはじまり、 後にお堂を建立し、 観音様を祀り、 国家安泰・万民豊楽を祈ったと伝えられている。
 文明年間 (一四六九~一四八七)、 南部光政が再建し、 延徳元年 (一四八九) には、 浅石領内十七社に加えられ、 元亀二年 (一五七一)、 千徳大和守政氏が社殿を改築し、 領内の大社として殷賑を極めた。
 慶長二年 (一五九七)、 浅石城落城と共に廃社となり、 数年間荒廃していたが、 寛永四年 (一六二七)、 袋村の住民等が産土神として再興し、 袋の観音堂と称せられた。 藩政中期には、 津軽三十三霊場二十七番札所に指定され、 又、 午年生まれ一代様として、 津軽一円に親しまれている。 明治以来、 袋観音堂を白山姫神社と改称し、 今日に至っている。 ※青森県神社庁HP


  



 


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うっすらと「浄仙寺」-つがるみち329




 地元の新聞記事によると、今年は例年よりも里の初雪が遅かったのだとか。。
 先日、朝起きてみたら庭にうっすらと雪が積もっていたので、雪景色を期待して黒森山の浄仙寺へ行ってみました。
 下手な写真をバシャバシャ撮っていると、住職さんらしき方が話しかけてきて、
「昨日はほんとにきれいな雪景色だった。今日は少し(雪が)とけてしまった。」と言っていました。
 それにしても、ついこの間まで、「紅葉真っ盛り」といった感じでしたが、境内はすっかり冬の佇まいです。やがて、辺り一面銀世界になるのでしょう。


◇黒森山浄仙寺


【浄仙寺は、文政7年(1824年)是空行者が開山(黒石来迎寺良諦の弟子)。寺宝、本尊、阿弥陀如来立像(恵心僧都作と伝えられる)。
 是空は中野不動尊境内の洞窟にて断食修行中『これより北の方清泉の湧き出たるところにて修行されよ』との霊告により、黒森山中に至り、清泉(現在本堂脇にある)を見付け、終世陰遁修行の地と定め、後に浄仙庵と号し、明治8年浄仙寺となる。
 二世寂導行者は、文政8年(1825年)13才にして是空の弟子となり、専ら浄教を修し、師を助けて当寺の開拓整備に尽力され又学僧としても誉れ高く、92才にて入滅した。幼少よりよく仏像を彫刻し、一刀彫数千躰に及び、博く信者に施され、遠くは北海道・秋田までも分布されたといわれる。
 四世明空は、明治3年教師補を拝命し、寺小屋「黒森学校」運営に専念し、津軽一円より学を志すもの多数ここに学ぶ。政治、経済、有名人多数を輩出している。
 明治40年明空本堂を新築。昭和19年火災により本堂、庫裡全焼し、昭和41年本堂を再建し現在に至る。※黒石観光協会HPより



  




  


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中野もみじ山ーつがるみち322


中野神社本殿


 黒石市の中野神社は、私の地元ということもあり、ちょくちょく出かけるのですが、その由緒については、
【御祭神:日本武尊 大山祇神 坂上田村麿命 岩戸姫命 倉稲魂命 少名彦命  延暦十四年 (七九五)、 坂上田村麿が建立、 更に軍が東夷を討ち帰洛せられし後、 当国の守護神として社殿を創建したと伝えられる。
  御神体の不動尊は推古帝十八年 (六一〇) 唐僧円智上人の作で一木より三体を彫刻し一体は古懸山国上寺に、 一体は長谷沢の東光山五輪寺に一体を中野の黒瀧山に勧請したと言われ、 世にこれを津軽三不動尊と称せられる。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 ◇津軽三不動尊   ⇒古懸山国上寺  ⇒長谷澤神社  ⇒中野神社


観楓台


 この神社の境内は昔から青森県下有数の紅葉の名所として知られており、「中野もみじ山」と呼ばれ、シーズンにはたくさんの観光客が訪れます。
 ここがもみじの名所となったのは、亨和2年(1802年)に津軽寧親(つがる やすちか ※黒石藩第6代当主、弘前藩第9代藩主)が京都から百余種の楓苗を取寄せ、移植したのがその始まりとされています。

【全山燃えるような紅葉は滝と渓流に映え、あざやかな世界を展開し、その美観が称賛されています。また、イギリス人女性紀行家イザベラ・バードもこの地を訪れ、「ここはすべてが魅力的である。」と紹介しています。※黒石市HPより】とあるように、その景観はなかなか見事なもので、期間中は夜間ライトアップも行われています。

 実は私は紅葉の頃に訪ねたことはあまりないのですが、今回、久しぶりに境内から「観楓台」と呼ばれている山の上までぶらぶら歩いてみました。

◇中野もみじ山
 
  
もみじ山
もみじ山
もみじ山
もみじ山



  
もみじ山
もみじと渓流
参道
境内



  
大杉
観楓台へ
観楓台
観楓台


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牡丹平大山祇神社と豊岡稲荷神社ーつがるみち303


本殿

奉納草鞋


 菅江真澄が「・・・牡丹平を大杭(おおぐい)村といい、この花巻を小杭(こぐい)村といった。」と記している黒石市牡丹平地区。温湯方面に向かって長い坂道が続きますが、その上り口に大山祇神社が鎮座しています。
 その由緒については、
【御祭神:大山祇神  建立年月日不詳なるも古来より観音堂の祠があり産土神として崇敬してきたが、 天正年間 (一五七三~一五九一)、 当国戦の軍勢により村中並びに堂宇焼失され、 以来一一〇余年間再建ならず、 宝永七年 (一七一〇) 六月十七日、 旧社地に村中にて堂宇再建の上、 観世音菩薩を勧請す。
 正徳元年 (一七一一) 六月、 住吉大明神を村中にて勧請、 明治初年神社改正の際、 観世音の佛体を除き元文三年 (一七三八)、 勧請の大山祇神を出石田の稲荷神社に合祀したが明治七年復社す。 明治九年十二月一日村社に列せられる。 昭和十二年二月二十二日、 山祇神社社名を大山祇神社と改称、 許可され今日に至る。 ※青森県神社庁HP】とあります。
 黒石市や平川市に鎮座する神社の多くは戦国期の争乱の影響をうけ、堂宇消失→衰退→村民の願いにより再建という経緯をたどるものが多いのですが、ここもまた、そのひとつのようです。やはり、地域の中心となる「産土神」に対する崇敬は根強いものがあるようです。
「山祇神社社名を大山祇神社と改称」とありますが、隣村の花巻の社は「山祇神社」・・大杭村(牡丹平)、小杭村(花巻)という旧名と合わせて、この名前のつけ方もおもしろいですね。

 神社のそばにはバス停があり、そこから長い下り坂が続く分けですが、本殿の後ろ側には地蔵堂があります。そしてその隣には大きな庚申塔が立っています。
 他にも坂道の途中には、庚申塔や甲子塔がありますが、街道沿いの道祖神として祀られてきたもののようです。境内は、道路と並行する形で築かれていました。

◇牡丹平大山祇神社

 
地蔵堂
庚申塔
境内①
狛犬
境内②



一の鳥居


 牡丹平は付近を流れる浅瀬石川の丘陵地帯にあたる分けですが、そこからの坂道は「石名坂」や「長坂」といった集落名にもなっています。
 大山祇神社からの坂道を降りていくと、102号線のバイパスにつきあたり、長坂(豊岡長坂)の集落に出ますが、ここに稲荷神社が鎮座しています。


 102号線から見ると小高い丘があり、こんもりとした森になっていますが、神社の入口は旧道沿いにあり、白い一の鳥居を挟むように庚申塔が立っています。

 鳥居をくぐって参道を進むと、やがて下り坂となりますが、小川の向こうに二の鳥居があり、上の方に石段が続いています。石段を登り切った所に三の鳥居があり、境内へと出ます。

 境内には石灯籠や大きな狛犬、末社などがありますが、そこからの眺望はなかなかのもので、通ってきた坂道や温湯・十和田湖方面へと続く街道、岩木山などを見ることができました。

 この神社については、
【御祭神:倉稲魂命  古来より稲荷宮と称え小堂があった。 天正年中に戦いのため村中並びに堂宇破損し、 果ては焼失した。 その後七十年あまり再建されずにいたが、 ようやく寛文三年 (一六六三) 四月、 村中には稲荷宮を再建し産土神として祀った。 又、
この西に古来より高さ五尺余り、 直径二間余りの石森があり、 この上にも小堂を建立して産土神同様に崇め祀った。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。

 ここもまた、戦国の争乱を生き延びてきた社のようです。 - 「この西に古来より高さ五尺余り、 直径二間余りの石森があり」と書かれていますが、どんな所なのでしょうか。

◇豊岡稲荷神社

 
参道
三の鳥居
境内
狛犬
本殿


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花巻山祇神社ーつがるみち297


花巻遺跡


「花巻」といっても、私の地元・黒石市の集落のことで、前回、ご紹介した稲荷神社のある牡丹平の隣村になります。
 江戸時代にこの地を訪れた菅江真澄は、
『花巻についた。むかし、牡丹平を大杭(おおぐい)村といい、この花巻を小杭(こぐい)村といった。そのころ、孫次郎というものがいて、「これは子をも食い、孫までも食ったのか。子喰村の孫倉というのは鬼であろう」などと人に言いたてられ、世間のきこえがよくないというので、村の名を花巻といいかえたという。
 しかし花巻の地名はむかしここに牧場があり、その牧のめぐりにさした古杭が、そこに朽ちのこっているところから、大杭、小杭などとよんだ名なのであろうか。とはいうものの、この土地は馬を飼った広い野もみえないので、別な方面からこの名だけついたのだろうか。』と記しています。

「大杭」「小杭」の名称の由来は定かではないようですが、実は、この花巻は昔から縄文時代の遺跡があることで知られていて、菅江真澄は、『追柯呂能通度』の中で、花巻遺跡から発見された土器や石器、土偶、遺跡の様子などについて記述しています。

  花巻遺跡は、大正から昭和初期において考古学界の代表的な遺跡でしたが、その存在を知らしめたのは中谷治宇二郎(なかや じうじろう:※物理学者・中谷宇吉郎の弟)という考古学者でした。
 治宇二郎は、花巻遺跡に関する論文を表し、その中で、遺跡から発見された円筒上層式土器を『花巻式土器』と命名しましたが、本人が若くしてこの世を去るとともに、この土器名も消滅してしまいました。

 遺跡は、浅瀬石川の北側の丘陵地帯にありますが、
【昭和60年と62年に黒石市教育委員会で花巻遺跡の発掘調査を行ったが、調査の結果、竪穴住居跡1棟、土坑跡20基、石棺墓10基などが発見されている。縄文時代前期から後期にかけての大集落が存在していたと思われる。もっとも注目されたのは、縄文中期末~後期初頭のものと思われる組石石棺墓7基である。
 石棺墓はその名のとおり石で造った棺桶で、青森県内では、この黒石市花巻遺跡ほか数か所で発見されているだけである。この組石石棺墓は、穴掘りだけでなく、大石の運搬や石組に大勢の人手を要する埋葬方法であるため、当時のムラで特別の地位にあった人物達の墓と推定されている。】
 - こうしたことから、この遺跡は、縄文期の埋葬方法を知ることができるだけでなく、当時の「ムラ」の構造を研究する上で貴重な遺跡とされています。
※上記写真と【】は黒石市HP、『青森県の歴史シリーズ』を参照しました。


花巻山祗神社


 そんな花巻の集落の中心に山祗神社が鎮座しています。神社の由緒については、
【御祭神:大山祇神  草創年月日不詳なるも、 古来より現境内に大山祇神を祀る小堂ありて小喰野村にて産土神として崇敬された。
 天正年間 (一五七三~一五九二) 当国戦の際、 村中並びに堂宇破損或いは焼失され、 再建ならず、 その後慶安三年 (一六五〇) 六月村中にて堂宇新築す。
 明治四年神社改正に付き村社に列せられ、 同六年五月九日豊岡村稲荷神社を合祀し、 同八年四月二十六日豊岡稲荷神社を復社す。 ※青森県神社庁HP】と説明されています。

「天正年間 (一五七三~一五九二) 当国戦の際」とは、戦国時代にこの地を支配していた浅瀬石千徳氏と南部氏との抗争、及び、その後の千徳氏と津軽氏との争いを指していると思いますが、かつて、村の産土神として崇められていた社が再建されたのは、津軽氏の時代になってからのようです。

 住宅地に囲まれた道路沿いに「山祗神社」という扁額が掲げられた赤い鳥居がありますが、反対側の通りには大きな庚申塔も立っています。
 境内には、狛犬が2対(4体)ありますが、そのうちの1対は風化が進み、もう少しで原型が分からなくなるような姿でした。

 拝殿の両脇には大きな草鞋が掲げられ、地域の崇敬ぶりが偲ばれます。神社の後ろには小川が流れていて、その先の浅瀬石川流域には、花巻遺跡が眠っています。

◇花巻山祗神社

 
一の鳥居
鳥居から
境内
狛犬
拝殿



  
燈篭・狛犬①
燈篭・狛犬②
末社
庚申塔


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高舘と牡丹平の稲荷神社ーつがるみち296


高舘稲荷神社


 黒石市の高舘地区は、かつて高舘城という城(館)があった所ですが、現在の稲荷神社がその場所にあたります。
 神社の下を流れる高舘川を天然の堀として、境内のさらに上の方に郭が築かれていたようですが、すぐそばを東北自動車道が走っている現在では、その面影を見ることはできません。
 この城がいつ頃築かれたかは定かではありませんが、戦国期には千徳氏の居城だったといわれています。

 浅瀬石城主であった千徳氏は、南部氏の一族で、当時の黒石地方を治めていた分けですが、後に、津軽統一を目指す大浦(津軽)為信と結託し、南部氏に叛旗を翻すことになります。
 南部氏は、千徳氏を討つために武将・名杭日向を派遣しましたが、千徳氏はこれを撃退。その攻防の舞台のひとつが、この高舘城でした。
 ⇒ 浅瀬石千徳氏について(以前の記事)


庚申塔


 一の鳥居は、高舘の集落がある通りに立っていますが、高速道路が走るガード下の隣に赤い神橋が架かり、橋を渡って参道の石段を上ることになります。
 金属製の注連縄が張られた二の鳥居のそばには、注連縄が回された大きな庚申塔が2基と二十三夜塔が置かれていました。

 石段を登り切ると、左右にそれぞれ鳥居が立っています。右側の道は、りんご畑へと続いているようですが、その入口にあるのが大山祇神社で、祠には大山祇神を中心にして、左右に薬師大神と馬頭観音が祀られていました。

 左側に立つ三の鳥居からは、二本の大杉(御神木)に挟まれて、社殿までの参道が続いています。大振りな造りの狛犬や、拝殿の木鼻と龍の彫り物、きつねが居る本殿の造りなど、なかなかに見ごたえがある社殿でした。
 この稲荷神社については、
【御祭神:倉稲魂命  草創不詳。 延宝三年 (一六七五) 六月十日、 村中で建立。※青森県神社庁HP】とあるだけで、その詳細については分かりません。
 私が訪ねた日は、どうやら例祭の日だったようで、社殿の中には多くの人々が集まって談笑していました。神社の例祭は、地域の交流の場でもあります。

◇高舘稲荷神社

 
大山祇神社
参道
狛犬
拝殿
本殿



牡丹平稲荷神社


 高舘の稲荷神社からの帰り道、牡丹平(ぼたんだいら)地区に鎮座する稲荷神社を尋ねました。
 牡丹平の集落は、温湯方面へと向かう大通りに面していますが、この神社は、そこから少し離れた場所に位置しています。
 その由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  寛永八年 (一六三一) 六月十日、 村中にて初めて勧請す。 伝え聞くに、 この所は寛文年間 (一六六一~一六七二) 黒石二代領主津軽信敏公が折々、 御鷹狩りをなされた所で、 藩主代々常に崇敬篤く、 社堂建立なされ、 同時に御饌米として一ケ年白米一俵宛て、 廃藩に至る迄、 御寄付戴く。 宝暦二年 (一七五二) 四月、 三代領主津軽采女政とら(たけ)公、 馬術御調律のため境内の北側に馬場を開設せられ、 今尚その跡がある。 明治四年神社改正につき村社に列せられる。 ※青森県神社庁舎HP】と記されています。
- 由緒にも書かれているように、黒石藩代々の藩主の崇敬が篤かった社のようです。

 由緒に出てくる黒石藩4000石の3代当主・津軽采女(政たけ)は、吉良上野介の娘婿であり、いわゆる「赤穂事件」を身近に見た人物なのですが、後年、日本最古の釣り指南書とされる『何羨録』を執筆したことで知られています。
 ⇒ 津軽采女の記事①       ⇒津軽采女の記事②

 2代領主・津軽信敏が鷹狩を行い、津軽采女が開設したとされる馬場の場所が、この神社の境内付近だとされているようですが、確かに境内の周りには広大な杉林が広がっており、その面影が残っているようです。 
 静かな林の中に見える赤い色鮮やかな本殿が、印象に残る神社でした。

◇牡丹平稲荷神社

 
一の鳥居
狛犬
拝殿
本殿
本殿のきつね


  
幼杉
石碑と燈篭
猿田彦碑
境内


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馬場尻稲荷神社ーつがるみち295


馬場尻の庚申塔①


 黒石市に「馬場尻(ばばしり)」という少し変わった地名がありますが、ここに市の民俗文化財に指定されている庚申塔があります。
「馬場尻の庚申塔」と名づけられたこの庚申塔群は田んぼを背にした道路沿いに立っていますが、そばに説明板があります。
【馬場尻の庚申塔  この庚申塔は、元文五年(一七四〇)八月二十二日に馬場尻村の藤治郎ほか八人が創建した。碑面に庚申信仰の由来等を彫り込んである貴重なもので、市内で最も古い庚申塔である。※説明板より

 黒石市には、竹鼻八幡宮赤坂八幡宮の境内にも指定民俗文化財の庚申塔がありますが、説明板に書かれてあるように、ここの庚申塔は黒石市最古のもののようです。

 石碑の隣には地蔵堂もありますが、さらにその隣の奥は八幡宮の境内になっています。この八幡宮については、
【御祭神:誉田別尊 草創年月不詳。 南津軽郡役所記録によれば 「享保二年 (一七一七) 九月に、 村中にて建立」 とある。※青森県神社庁HP】とあります。庚申塔とともに、地域の産土神として崇められてきた社のようです。

◇馬場尻の庚申塔と八幡宮

  
馬場尻の庚申塔②
地蔵堂
八幡宮
境内
拝殿



馬場尻稲荷神社


 庚申塔を見た後、西馬場尻の方へ向かいました。ここに稲荷神社が鎮座しています。
 この神社は、住宅地に囲まれた道路沿いに位置していますが、金属製の注連縄と大きな社号標が立っています。鳥居の横は少し小高くなっていますが、そこには大きくてごっつい感じのする庚申塔と、それとは対照的にスリムな二十三夜塔が置かれていました。
 そこからは少し曲道になっていて、二の鳥居、三の鳥居と続く参道になっています。
 横幅のある拝殿や、少し頭が平べったい貫禄のある狛犬、注連縄が張りめぐらされた手水舎など、地域の方々に大切に守られてきた神社という感じを受けました。

◇馬場尻稲荷神社

 
庚申塔
参道
境内
狛犬
拝殿



境内の御神木


 この馬場尻稲荷神社の由緒については、
【御祭神:宇賀御魂命  寛文五年 (一六六五) 八月十日、 西馬場尻にて堂宇建立初めて勧請す。 宝永五年 (一七〇八) 二月、 村中にて堂宇再建、 正徳二年 (一七一二) 八月十日、 村中にて精舎一宇造立す。 其の後再三改築を成し、 明治四十二年八月二十七日、 村社に列せられ、 三大祭及び臨時大祭には村長は供進使として幣帛料を供え参列した。 昭和二十一年に至り、 国有境内地譲与申請の処、 昭和二十二年法律第五十三号に依り昭和二十六年八月十日附を以て譲与される。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。
 - 「村中にて勧請、再建、造立・・」「大祭には村長は供進使として・・」という文からも分かるように、正に村の信仰や文化の中心として崇められてきた社だったのでしょう。

「稲荷様」ということで、きつねを探してみましたが、拝殿の前には像がなく、本殿へと回ってみたところ、その中に一対のきつねが向かい合って祀られていました。

 ところで、この神社の境内には、とても姿形のよい御神木が2本そびえているのですが、それは杉と松。玉垣に囲まれ、注連縄が張られた2本の大木は、仲良く寄り添うように立っています。
 大杉は、空に向かって真っすぐに伸び、大松はなだらかな曲線を描きながら伸びています。どうやら根元は合体しているようで、異種の木々がこうした形で並び立つ姿は、とても珍しいこともあって、「御神木」として大切にされてきたのだと思います。「夫婦杉松」といったところでしょうか。

◇本殿、御神木ほか

  
木鼻
本殿
本殿のきつね
御神木


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

小屋敷と飛内の稲荷神社ーつがるみち294


小屋敷稲荷神社
  
飛内稲荷神社


 黒石市内から旧浪岡町へ向かう途中に小屋敷(こやしき)と飛内(とびない)という集落があります。隣どうしの村ですが、いずれの集落にも稲荷神社が鎮座しています。


二十三夜塔ほか


 小屋敷に鎮座する稲荷神社については、
【御祭神:倉稲魂命  寛文二年 (一六六二) 十二月九日、 黒石藩の祖先津軽十郎左衛門信英公は、 次男十郎兵衛信純に所領千石を以て分地させ、 下目内沢、 小屋敷、 飛内、 馬場尻四ケ村の領主となる。 その後、 元禄二年 (一六八九) 九月六日、 二代信俗が嫡子なくして死去したので、 御家名廃絶となり幕府の天領となった。 後、 黒石領に復する。 創立年月日は不詳といえども、 一書には 「正徳二年 (一七一二) 九月、 村中で建立し、 同四年四月十日御神体を安置す」 とある。 明治四年神社改正に付き、 同六年五月五日、 中郷村飛内の稲荷神社へ合祀、 その後、 同八年四月、 復社願いを申請の上許可され村社に列せられる。※青森県神社庁HP 】とあるように、黒石藩の始祖・津軽信英とその子孫達が領地の村々を拓いていった過程で勧請された社のようです。

 そばには小学校や工場、住宅などが並び立つ一角にこんもりとした森がありますが、そこが稲荷神社です。
 参道へと続く一の鳥居の隣にもうひとつ赤い鳥居が立っていますが、その下には二十三夜塔などが置かれていました。この鳥居の奥には祠がひとつ。風化のためでしょうか、足の長さを失った神馬
神馬
が奉納されているところをみると、どうやら馬頭観音を祀っているようです。
 参道を進み、二の鳥居をくぐると社殿が見えます。両脇の狛犬は少し風化が進んでいますが、社殿は比較的新しいものらしく、木々を背にぽつんと建っていました。

◇小屋敷稲荷神社

 
馬頭観音
参道
狛犬
境内
拝殿



庚申塔ほか


 小屋敷を過ぎると、ほどなく飛内の集落に至りますが、ここに鎮座する稲荷神社については、
【御祭神:倉稲魂命  元和二年 (一六一六) 八月十日、 飛内村中にて堂宇建立、 初めて勧請す。 寛永元年 (一六二四) 四月、 花山院少将忠長卿が宮地へご遊覧され、 その後、 同年八月、 小堂宇を新規造営、 慶安三年 (一六五〇) 四月、 村中にて拝殿を再建す。 その後、 明暦二年 (一六五六) 六月、 黒石藩の祖先津軽信英公巡村の節、 堂宇再建す。 これより代々の祈願所となる。 明治四年四月村社に列せられる。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。

 余談ですが、先の小屋敷稲荷神社の住所は「小屋敷宮岸」、ここは「飛内宮岸」・・共に「宮岸」という地名になっています。その由来などについては分かりませんが、両社の「宮地」を中心に発展してきた所といえそうです。

 由緒に出てくる花山院忠長は、「藤原北家の流れの江戸初期の公家で左近衛少将だった。慶長14年(1609)、後陽成天皇の女官と密通した罪により、徳川家康の裁定で蝦夷流罪が決定し、その後津軽に移された。忠長は、松前や津軽の配流地に京風の文化を伝えた。」とされる人物ですが、黒石市は、温湯地区をはじめ、忠長にまつわる逸話や伝説が多く残っている町です。この飛内稲荷神社もまた、そんな伝説を伝える神社のひとつなのでしょう。

 金属製の注連縄が張られた一の鳥居から二、三の鳥居と参道が続いていますが、社殿までは時計回りに半回転するかたちになります。
 参道の途中には大きな庚申塔などが置かれていますが、稲荷神のお使いのキツネは、三の鳥居をくぐったところに居ます。いかめしい感じではなく、どことなく「いたずらっ子」のような愛嬌のあるキツネ像です。

 社殿の横に「明治百年記念」と彫られた石碑があり、その隣に、注連縄が張られ、玉垣で囲まれた御神木がありますが、その由緒が書かれていると思われる説明板は文字が消えていて読み取れませんでした。きっと、何かいわれのある古木なのだと思います。

 一見、民家を思わせる茅葺屋根の社殿は、とても趣があります。扉が開いていたので、その中を拝むことができました。

◇飛内稲荷神社

 
境内
きつね像
御神木
拝殿
拝殿内



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 早いものでもう3月になりました。雪解けを待ち、また史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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