のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

楢木稲荷神社 - つがるみち461




 弘前市鬼沢の集落から県道31号線を鯵ヶ沢方面へ向かう途中に郵便局があります。
 ここを右折すると、板柳町へ向かう県道133号線に入りますが、一帯の住所は「楢木」となっています。「楢木」と書いて、「ならのき」と読みますが、江戸時代には「楢野木」と表記されていたようで、その名残かと思われます。
 県道沿いに、りんご畑や田んぼが広がる農村地帯ですが、近辺には、熊野神社や白山神社、文化財にも指定されている「文永の板碑」などがあります。私も以前に、これらの場所を訪ねたことがありました。
 ⇒ 以前の記事へ
 そんな楢木の集落の中ほど、道路から少し離れた所に稲荷神社が鎮座しています。


「村社稲荷神社」と書かれた大きな社号標と、金属製の立派な注連縄が架かった一の鳥居があり、そこから参道が続いていて、左に曲がったところに社殿がありました。

 社殿の前には、御神燈と、稲荷神社らしく狐(狛狐)が置かれています。境内には、猿田彦碑などもありました。また、木の切り株の上に、小猿のような置物がちょこんとのっていたりします。


   


 この神社の由緒等については、全く分かりません。御祭神は倉稲魂神でしょうか。楢木の小字に「用田」という地名があり、この神社の住所も楢木用田となっていて、いかにも新田の開発を思わせるような名前です。地域の開発と村中繁栄を願って建立された社なのでしょう。

 境内からは、岩木山を間近に見ることができます。私が訪ねたのは先月の中旬でしたので、山頂は真っ白い雪に覆われていました。


  


  


  


  

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石渡羽黒神社 - つがるみち459

  


 先回お伝えした八代羽黒神社のすぐ近くに、石渡(いしわたり)の羽黒神社があります。詳しくは分かりませんが、この両羽黒神社が、石渡と八代町との境目になっているようです。

 石渡の交差点の信号を県道37号線の方に右折した所に赤い鳥居が立っていて、田んぼに沿って参道が続いていますが、私は、八代羽黒神社からの裏道を通って境内へと出ました。

 二の鳥居の注連縄は金属製の物で、境内には御神燈や狛犬などはなく、末社の祠が二つと石塔が一基立っていました。
 祠は、「南無妙法蓮華経南無地蔵菩薩」と書かれたものと「愛宕山」と書かれたものですが、それぞれに石仏が祀られていました。


   


 この神社の由緒については、全く分かりません、御祭神は隣の八代羽黒神社と同じ倉稲魂命でしょうか。

 かつてはこの地に「石渡村中抱えの観音堂」があったようです。この観音堂が神社の前身だと思われますが、祠の石仏は、そんな神仏習合の名残を伝えているようです。
 

  


  


  


  

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八代羽黒神社 - つがるみち456




 弘前市の八代町(やしろまち)は、県道37号線沿いに位置する地区ですが、ここに羽黒神社があります。
 住所はちがっていますが、この神社から歩いてすぐのところにもうひとつ羽黒神社が建っていて、境内からはその杜が見えます。
 二つの羽黒神社が隣に並んで立っているわけですが、こちらは町名を冠していて八代羽黒神社となっています。

 住宅とりんご畑に囲まれた所にぽつんと立つ小さな神社ですが、一の鳥居の注連縄は金属製の立派なもので、そこから参道が続いています。
 
 境内には、狛犬や御神燈などはなく、拝殿と本殿のみ。拝殿のとなりと、一の鳥居の近くにそれぞれ末社の祠が立っているだけの、いたってシンプルな社です。
 私が訪ねたときは天気も良く、白いりんごの花や境内に咲いている草花がとてもきれいでした。


   


 御祭神は倉稲魂命で、その由緒については、
【創建は不詳であるが、宝永二年 (一七〇五年) の「社堂縁起」には「船水村羽黒権現宮、貞享三年 (一六八六年) に建立」とあり、安政二年 (一八五五年) の「神社書上帳」には「藤代組八代村、石渡村の産神羽黒宮」とあり、当時は両村の産土神社だったようである。】とあります。
 津軽藩では貞享4年(1687)の総検地後、新たに行政区域25組を設置しましたが、由緒に書かれている「藤代組」もそのひとつでした。


     


 由緒には続けて、
【明治七年、制度改正により船水鎮座少彦名神社に合祀されるも、氏子の羽黒神に寄せる熱意強く、旧六月二日の例祭日には旧社地に氏子が集り盛大なる羽黒祭を行うのを例としてきたが、終戦後俄に旧社地、社殿に還遷しようとの気運が高まり昭和二十九年旧六月一日、実現に至り再興された。】と書かれていますが、地元の人々のこの神社に寄せる崇敬の念は強いものがあったようです。


    

※【】は、青森県神社庁の旧HPからの引用です。HPは現在、リニューアルされて新しくなっているようです。

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鬼沢牛頭天皇社 - つがるみち455




 岩木山麓の鬼伝説が残る弘前市鬼沢。その伝説の象徴である鬼神社へ向かう途中の道路沿いに、小高い丘があり、そこに赤い鳥居が立っています。
 この道路を通るたびに気になりながらも素通りしていたのですが、今回は車を降りて立ち寄ってみました。
 石段を上ると鳥居があり、その扁額には「牛頭天皇」と書かれています。地図上でも、この社は牛頭天皇社となっていました。

 丘の上には小さな社殿がひとつあって、中には御神酒が供えられ、大切に祀られています。そして、社殿を囲むように、数多くの庚申塔や猿田彦碑が立っていますが、その大きさ、形、年代ともさまざまです。社殿の後ろ側はちょっとした崖になっていて、川が流れていました。

 地元の方のHP「フジタ林檎園」では、鬼沢に伝わる伝説や神社の由来などについて数多く紹介していますが、私もこのHPを見て、鬼沢めぐりをしたことがありました。

 この牛頭天皇社については、
【牛頭天皇は、閻魔大王の側近とされ知られています。周囲に2分する河川の地点に祀られています。その理由は、その昔、村人たちが河川から流れる水取りの争い事を避けるためとの云われがあります。・・・村人が河川から流れる「水取り」の争い事が起きないよう、閻魔大王の側近である牛頭天皇をここに配置し、監視するといった云われから、ここに現在も丁重に祀られています。】と紹介されています。


    


 牛頭天皇社から、少し歩いた所に猿田彦神社があります。
 この社もまた、川に沿った小高い丘の上にあり、たくさんの庚申塔がずらっと並んで立っています。その様子は牛頭天皇社とそっくりで、「兄弟社」といった感じです。
 ひとつの庚申塔には、「言わざる、聞かざる、見ざる」の三猿が描かれていました。

 この場所に多くの庚申塔や猿田彦碑が祀られていることについては、
【猿田彦神は、この地では、昔から河川の水を引く大神様として村人から信仰される云われからも祀られているようです。】とありました。

 伝説では、鬼沢の鬼は、「水不足で困っている村人のために、一夜にして堰を造り、水を引いてくれた。」とありますが、この地では、農業に欠かせない水の確保を願って、鬼人、牛頭天皇、猿田彦などを祀る風習が根づいていたようです。

 
    


   

※【】は、前述のHP「フジタ林檎園」からの抜粋です。

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桜 さくら

 津軽の桜も、あっという間に葉桜になってしまいましたが、祭りで混み合う時間帯を避けて、近くの公園をブラブラしてみました。

◇黒石市東公園 (4月21日)

  


  

◇弘前市弘前公園 (4月30日)

  


  

◇平川市猿賀公園 (5月 2日)

  


  

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弘前天満宮へ

 禅林街から足を伸ばして弘前天満宮に行ってみました。
 卯年生まれの一代様として知られている神社ですが、境内には樹齢数百年とされるシダレザクラや多くの句碑などがあります。

  


    


【天満宮(弘前市)概要: 境内は弘前藩内の修験(山伏)の触頭を勤めてきた大行院のあった場所です。大行院は慶長3年(1598)に弘前藩初代藩主津軽為信が大行院栄尊を招き南郡大根子村に祈願所として開いたのが始まりとされます。大行院栄尊は菅原道真を輩出した菅家の末裔の珍重丸から12代後裔とされ京都で修行を重ね越後の東光院の住職となっていました。慶長4年(1599)に八幡村に移り寺領30石を安堵され、寛永2年(1625)に新寺町に移り、境内地に報恩寺が造営することになり宝暦4年(1755)に現在地(西茂森)に移ってきました。明治4年(1871)に修験廃止令が出され、廃寺に追い込められと急遽津軽家に縁がある天神様を勧請して天満宮と社号を改称しました。この天神様は津軽家発祥の地とされる種里城(鯵ヶ沢町)の鎮守社の御神体でしたが、慶長15年(1610)に2代藩主津軽信牧が弘前城に移し、さらに元禄2年(1689)に4代藩主津軽信牧の生母久祥院が、植田村(現在の中津軽郡岩木町)の橋雲寺に寄進しました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により橋雲寺から神式が廃される事になり天神様が大行院に遷されました。天満宮は、大行院の鎮守社の岩木神社も合祀して茂森町一帯の鎮守となり村社に列しました。境内のシダレザクラは樹齢500年以上、樹高11m、幹周2.6m、大正9年(1920)に選定された「全国大桜番付」では18番目に番付され平成10年(1998)に青森県指定天然記念物に指定されています。祭神:菅原道真朝臣命、文殊菩薩、少彦名神、若木神、倉稲魂命。例祭:6月25日。  ※HP「弘前市・歴史・観光・見所」より


  


  


  

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長勝寺あたり

 弘前公園から禅林街へ。
 長勝寺に立ち寄ってから、となりの隣松寺観音山普門院を訪ねてみました。

  


  


    


  


    
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春待つ弘前城

 晴れた日の弘前公園とお城はやはりきれいです。
 公園の中では、春に備えて、桜の木の手入れが行われていました。

  


  


  


  

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岩木山神社へ

 穏やかな正月から一転、寒波が訪れ、大雪になりました。
 遅ればせながら、岩木山神社へお参りに行ってきました。

    


   

     

   

   

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あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 今年の初詣は、弘前市の高照神社にしました。


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  名水と霊泉  

黒瀧大神 - つがるみち441




 岩木山麓には多くの温泉がありますが、湯段温泉もそのひとつです。
 湯段は嶽温泉から1kmほど離れた所で、周辺には農村公園やゴルフ場などもあり、別荘が立ち並ぶ閑静な場所です。
 温泉の由来は古く、「享保9年(1724年)、賀田村(旧岩木町)の柴田長兵衛が発見した。柴田長兵衛に温泉の小屋主を命じられた。嶽温泉とともに、湯治場として知られた。」とあります。因みに温泉を発見した柴田氏は、戦国時代の猛将・柴田勝家の血を引く一族なのだとか。。



 温泉の裏側に深い渓谷があって、黒滝渓流が流れています。
 うっそうとした森林の中を、流れる渓流の様子はとても美しく、特に新緑や紅葉の時期は一見の価値があるといわれていて、隠れた観光スポットにもなっています。
 渓流の段差は二段、三段と滝をつくり、谷の上からも小滝が流れ込んでいます。下まで降りて見ることもできそうですが、今の時期はとても足場が悪く、滑り落ちそうになるので思いとどまりました。

 湯段からくねくね曲がった林道の中を進んで行くと、赤い鳥居が見えてきます。ここから先は「中村林道」となり、一般の人は立ち入り禁止のようです。
 鳥居のそばには、「黒瀧大神」と「黒瀧國龍大神」と刻まれた二つの石碑が立っていました。対岸に向けて赤い橋が架かっていて、滝壺のそばに小さな祠があります。祠の中に大神が祀られているのでしょう。村人にとって、ここは「龍神様が棲む淵」として神聖視され、古くから崇められてきた場所なのでしょう。

◇黒滝渓流
 
  


  


  


  


  


  

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雪が降る前に

 今朝は庭に雪が積もっていました。冬の訪れも間近なこの頃です。
 雪が積もる前に見ておこうと思い、印象に残る巨木を訪ねてみました。

 上から、
   ◇弘前身代地蔵尊のハリギリ①、②
   ◇黒石中野神社のモミの木
   ◇黒石袋(白山姫神社)のイチョウ
   ◇弘前鬼沢鬼の腰掛カシワ            です。


  


  


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  巨石と神石  

紙漉沢大石明神ーつがるみち406




 津軽の霊峰・岩木山は、各地域によってその姿形は少し違って見えますが、弘前側から見える姿は、中央の岩木山、左右の鳥海山と巌鬼山という三つの峰がちょうど漢字の「山」のように見え、「お山」と呼ぶにふさわしい感じがします。
「祖霊の住む山」として古くから崇められてきた岩木山ですが、現在のように登山ルートも整備されていなかった時代の参拝は大変難儀でした。また、かつては「女人禁制の山」だったということもあり、人々は地域の小高い山を遥拝所に見立てて「模擬岩木山」として崇めたり、神社の境内に大石を置いて
つがる市赤倉山神社
信仰の場を造ったりしてきました。




 郷土史家の小館衷三さんは、こうした「模擬岩木山」に関する信仰についても言及されていますが、その著書の中に、次のような記述があります。
【相馬村紙漉沢の奥にある大石明神もピラミッド型ー岩木山型の高さ三メートル近い大石で、その場所は岩木山の眺めもよく、昔は神楽なども行われた信仰の場であったという。※小館衷三『岩木山信仰史』より

 弘前市の紙漉沢(かみすきさわ ※旧相馬村)には、長慶天皇の御陵墓参考地があり、古くから天皇に関する様々な潜幸伝説が残っている所ですが、「紙漉沢」という地名も、天皇の潜幸の際に、紙漉きの技術が持ち込まれたことに因んで名づけられたといわれています。

 この大石明神、現在の住所は弘前市高野山越となっていて分かりにくかったのですが、紙漉沢周辺の山道を行ったりきたりしながら、やっとたどり着きました。

 四方をりんご畑に囲まれた小高い山の上に神社はあります。背後には頭に雲をかぶった岩木山が見えました。今は林の陰に隠れて少ししか見えませんが、かつては山全体がくっきり見えたのだと思います。小館衷三さんの文章に書かれているように、昔は村人の祈りの場として神聖視されていたのでしょう。

 赤い鳥居には「大石明神」と書かれた扁額が掲げられており、その奥に小さな祠がありますが、その後ろが御神体の大石です。その姿形は「正に岩木山」で、三つの峰をそのまま縮小したような感じがします。

 青森市入内の石神様には
入内の石神様
、「石を破壊しようと石工が派遣されたが、石工が石に触れると手がしびれ、氷雨が降るという奇異な現象が起きた。これに驚いた石工は怖くなって逃げ出し、ついに石神様を壊すことができなかった。」という話が伝えられているように、こうした巨石には神霊が宿るとされ、破壊しようとすると災いが起こるという伝承があります。
 ここの大石明神にも同様の話が残されており、「石工が大石を砕こうとして大けがをし、神威を恐れて祠を建立した。」といわれています。確かに、石の表面にはいくつかの楔の跡が残っていました。

◇大石明神






 先にも書いたように、この大石明神はりんご畑に囲まれた小山の上にある分けですが、小山を下って行くと、小さな池があり、そこに祠が立っていると聞いていたので山を下ってみました。
 最近は、あちこちでクマが出現していて、実際、ここへ来る途中の道路にも「熊に注意」という標識もあったので少し怖かったのですが、おそるおそる下りてみました。
 降りてみると、そこには小さな農道が通っていて、その傍らに小さな池があり、赤い鳥居が立っています。扁額には「九頭竜大権現」と書かれていました。
 鳥居をくぐって小さな神橋を渡った奥に祠があり、その中には御神体の「九頭竜大神」が祀られていました。「九頭竜」という名前のせいか、祠の後ろの大きな倒木が、何となく龍の背中に見えてくるから不思議なものです。

◇九頭竜大権現



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熊野宮ふたつーつがるみち405




 弘前市の新里(にさと)は、平川市と境を接する集落ですが、ここに熊野宮が鎮座しています。
 道路沿いに米俵が乗った豪華な注連縄が張られた一の鳥居がありますが、そこから二の鳥居、三の鳥居と続き、拝殿へと至ります。
 境内には手水舎のほかに御神燈と狛犬が一対ずつ立っていて、拝殿の隣には、猿田彦碑と庚申塔が置かれています。本殿の後ろからは、弘前市街へと続くバイパスが見えます。

 その由緒については、
【御祭神:伊邪那岐命 伊邪那美命  慶長十三年(1608)村人等により産土神として奉戴された。※青森県神社庁HP】とあるだけで、詳細については分かりません。

 私が境内をぶらぶらしていると、一台の軽トラックに乗った方がやってきました。この人は氏子の総代さんで、「二の鳥居を、新しく塗りなおしたから。乾いたかどうか見に来た。」とのことでした。総代さんのお話によると、「400年も前から村の神様だった。」とのことです。

◇新里熊野宮










 一方こちらは土堂(つちどう)の集落に鎮座している熊野宮です。
 石造りのがっしりした鳥居に金属製の注連縄が架かっており、拝殿までの参道にはいくつかの鳥居が並んでいます。
 参道の横は広場になっていて、滑り台などもありますが、ここは、「土堂神社前」というバス停にもなっています。

 境内には神馬や狛犬などが置かれていますが、拝殿の左側には末社が立っていて、中は見れませんでしたが、ここは馬頭観音堂のようです。その隣には、猿田彦大神の碑が立っていました。
 一方、右側には注連縄が張られた大木がありますが、この木は菩提樹で、この神社の御神木になっているようです。

 その由緒については、
【御祭神:伊邪那岐命 伊邪那美命 速玉男之神   安政二年の神社微細調、 社司由緒書上帳によれば 「藤代組土堂村、 熊野宮一宇。 右草創建立年月相分不申候」 とある。 明治六年、 神社改革の際、 廃社となり、 藤代稲荷に合祀されたが、 明治八年願済みの上復社、 翌年十二月、 村社に列せられる。 明治四十年四月十九日 神饌幣帛料供進指定。 ※青森県神社庁HP】とあります。

◇土堂熊野宮






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藤代稲荷神社ーつがるみち401




 弘前市の革秀寺は、「岩木山の見える場所に埋葬せよ。」という津軽為信の遺言に基づいて建立された寺院ですが、確かに辺りからは、秀麗な津軽富士を望むことができます。
 革秀寺の近くには二つの稲荷神社が鎮座しています。ひとつは隣接している革彦稲荷神社で、もうひとつの社は、お寺から、1Kmほど離れた所に鎮座する稲荷神社です。





 一帯の住所は藤代(ふじしろ)になっていますが、かつてこの地には「藤代館」という城が築かれていました。
 藤代館は、主郭である北郭の他に、南郭と東郭を持つ三郭で構成されていたといわれていますが、その詳細については、遺構が残っていないため、よく分かっていないようです。
 築城主や築城年代も不明なのですが、一説には、革彦播磨の居館であったとされており、稲荷神社の境内付近が、その中心だったようです。

 神社の社号標は道路沿いに立っていますが、そこからは、住宅地の中を細い道が通っており、家並に囲まれた所に境内がありました。

 鳥居をくぐって参道を進んで行くと、まもなく石段があり、林を背にして拝殿が立っていました。後ろ側には赤い玉垣に囲まれた本殿があります。背後には水田が広がり、岩木山が見えます。

 拝殿の隣に、鳥居をともなった末社が立っていますが、扁額には「稲荷神社・八幡神社」と書かれていました。
 稲荷神社らしく、拝殿の前には一対のきつね像が置かれています。境内には、庚申塔や猿田彦大神、月夜見大神の碑も立てられていました。

 






 その由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  創建年代明らかでない。 明治六年四月、 村社に列せられる。 明治三十九年四月、 神饌幣帛料供進指定される。 ・・・境内末社として諏訪神社がある。※青森県神社庁HP】とあります。
 その詳細についてはよく分からないのですが、寛文10年(1670)に、津軽藩4代藩主・信政が建立し、津軽氏の祈願所として崇敬されたといわれています。

 以後、同村の諏訪神や革彦稲荷神が遷座したり、隣村の加茂神、羽黒神、八幡神を合祀したりと、地域の産土社として信仰を集め、現在に至っているようです。




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大和沢稲荷神社ーつがるみち395




 アップルロードを旧相馬村に向かう途中、いくつかの集落を通ります。
 小栗山神社を過ぎ、アップダウンの坂道を走り抜けたところに大狼神社があり、家並が見えてきますが、ここが大和沢(おおわさわ)の集落です。
 大和沢には、かつて「大和沢館」と呼ばれる堀をともなった中世の平城があったとされていますが、その築城時期や館主などは不明で、館跡は現在、畑地になっているようです。




 その大和沢の沢田という所に稲荷神社があります。
 道路沿いに社号標が立っていますが、そこから坂道を少し進んだ所に一の鳥居があります。鳥居は二の鳥居、三の鳥居と続きますが、社殿は三の鳥居を右側に折れた所に立っています。
 境内は、わりとガランとした感じですが、後方には、岩木山を望む広大な景色が広がっていました。
 木々が少ないこともあり、拝殿横のイチョウの木がとても印象的です。注連縄は張られていませんでしたが、この神社の御神木といってもいいでしょう。その枝と葉っぱが、まるで傘のように拝殿に覆いかぶさっています。根元には、社の由緒書き板がありました。

 稲荷神社ということで、ここでは狛犬ではなく、稲荷神のお使いの狛狐。合わせて四体置かれていました。

◇御神木、きつね像



 この稲荷神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  創立年月日不詳。 明治六年四月中津軽郡小栗山村旧郷社小栗山神社に合祭されるが明治八年二月復社して、 更に同郡一野渡村八幡宮へ合祭する。 然るに、 明治十年六月再び現地に復社、 同十二年六月村社に列せられる。 昭和二十二年宗教法人令に基き宗教法人となる。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。

◇稲荷神社境内






 大和沢稲荷神社と大狼神社はすぐ近くなのですが、以前の記事でも取り上げましたが、大狼神社の裏山には、陸羯南の詩碑が立っています。

 名山出名士(名山名士を出す) 
 此語久相伝(この語久しく相伝う) 
 試問巖城下(試みに問う巖城の下) 
 誰人天下賢(誰人か天下の賢)  
~ 名山の見える土地はすばらしい士を出すという。この言葉が世におこなわれて久しいが、しかし試みに問うに岩木山の秀峰を見るこの弘前城下から一体どんな天下の賢が出ただろう。 ~

 若者の士気を鼓舞するような五言絶句ですが、大和沢の小学校の子どもたちは、この詩碑のある高台から「岩木山に向かって、大声で自分たちの将来の夢を叫ぶ」という活動を行っているようです。夢が叶うといいですね。
 ⇒ 地元紙記事
『Web 東奥』記事より 


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嶽 稲荷神社ーつがるみち387




 岩木山には、「嶽」「百沢」「弥生」「赤倉」「長平」という5つの登山道があり、それぞれ特長のあるコースになっていますが、嶽コースについては、
【300年の歴史を持つ岳温泉からのこの道は、標高から最短の距離であり、急斜面もなく快適なブナ帯を2時間でスカイラインターミナルへ。鳳鳴小屋

昭和39年(1964年)1月、秋田県大館鳳鳴(おおだてほうめい)高校の山岳部員が遭難する事故が起きた。この小屋は、遭難事故の翌年に避難小屋として建てられた。
で百沢道と合流し、山頂へと至る。※岩木山観光協会HPより】と紹介されています。




 嶽温泉は、この登山道の起点にあたる分けですが、道の入口付近に稲荷神社が鎮座しています。
 その由緒については、
【御祭神:倉稲魂命 少彦名神  延宝二年の頃、 岩木村百沢の野呂長五郎という人、 薪材取りに入山の際、 稲荷大神の霊感によりて温泉 (現在の通称嶽温泉なり) を発見し、 その霊験に感謝して倉稲魂神、 少彦名神の二神を奉祀して稲荷神社と奉称したのが当社の起源である。 明治初年神社改正の頃までは村民の尊崇厚く祭祀も行いなりしが、 明治六年に至り氏子数少数にして維持経営等困難のため廃社となり旧県社高照神社に合祀し同社の氏子として尊崇し来れりが、 昭和二十四年十月十日部落民の敬神の念止み難く氏神復活の熱意に燃えて高照神社より分離、 ここに宗教法人令により宗教法人として登記し即日神社本庁に所属の神社として現在に至る。 ※青森県神社庁HP】とあります。
 倉稲魂命とともに、病気平癒の神である少彦名神を御祭神としているあたりは、いかにも温泉地の神社という感じがします。

 ホテルの駐車場のそばに一の鳥居が立っていますが、両脇には「岩木山嶽登山道入口」と書かれた木柱や「入山心得」が立っています。この神社の参道が即ち、登山道の入口になっている分けです。
 参道を少し歩いて行くと間もなく二の鳥居があり、大きな2本の木の間から赤い社殿が見えてきます。木の根元には庚申塔が一基立っていました。

 二の鳥居をくぐると道は二つに分かれますが、まっすぐの石段を上がると社殿、左の方の道を進むと登山道になります。分かれ道付近には、大きな木が立っており、いくつかの大石が置かれていました。
 社殿の前にも鳥居が立っていて、その後ろには稲荷神のお使いのきつねが二体置かれていました。登山客は、この神社を参拝した後に、頂上を目指します。

◇嶽 稲荷神社
 








 由緒については前述しましたが、一の鳥居の後ろに、この神社の紹介が書かれています。それには、
【寛文年間(一六六一~)の頃、百沢村の野呂長五郎なる人が「シトギ森」(岩木山の紫柄沢の出口)に薪取りに行き伐木中、どこからか一匹の野狐が現れ、長五郎の昼飯を盗み逃げて行くのを、取り返さんと追いかけて行ったところ、狐はその飯を雪穴に落としたまま逃げ去った。長五郎がそこに至ってみるとあつい湯が湧き出て地面の雪が消えている所であり、初めて温泉となっていることを発見した。以上が岳温泉の発見譚であり、当社は発見当時の野狐を祀ったとされている。】とあります。
 また、岩木山の三つの峰は、厳鬼山が観世音菩薩、岩木山が阿弥陀如来、鳥海山が薬師如来として信仰されていますが、
【当社の祭神は倉稲魂命、また病気平癒の神少名彦命であるが、鳥海山が薬師如来とされていることから、明治初年まで薬師如来も相殿とされていた。そのため、「薬師の宮」とも言われていたとある。】とも記されています。

 文中に「シトギ森(※しとげ森とも)」という森(山)が出てきますが、嶽温泉と道路を挟んだ向かい側に岩木青少年スポーツセンターがあり、その敷地の中に「仕遂森」という山があります。学校の宿泊学習でフィールドワークなどが行われている山です。
 この小山は、由緒に出てくる野呂長五郎が薪取りをしていた山とは違うようですが、「仕遂森」という名前は、「昔、坂上 田村麻呂が、ここで、岩木山麓の鬼(蝦夷)を滅ぼした」ことに由来するとされています。即ち、「鬼征伐を成し遂げた」「鬼を仕留め(げ)た」から「しとげ森」という分けです。

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向外瀬諏訪神社ーつがるみち364


諏訪神社の御神木


 弘前市では、いくつかの条件を満たし、「健全で、かつ、樹容が美観上特に優れていると認められる樹木」を「保存樹木」に指定し、保護しています。
 身代地蔵尊のハリギリ銀杏寺の大イチョウなど、市内の神社やお寺の境内には、指定された樹木が数多く見られ、それぞれ趣のあるものばかりですが、向外瀬に鎮座する諏訪神社の御神木もそのひとつです。

 指定を受けているのは御神木の「フジの木」ですが、説明板には、
【フジは、古来より神聖な樹木とされており、ツル性の植物でも成長が早い。ここのフジは、弘前市内では最大であり、青森県内でも有数の大きさである。樹齢は推定二百五十年。】とありました。

 なかなか見応えのある大フジですが、その枝は、もうひとつの御神木であるイチョウの木と絡み合い、二の鳥居の後ろに大きなアーチをかけていました。


  



諏訪神社


 向外瀬(むかいとのせ)は、弘前公園から少し離れた岩木川沿いに開けた集落ですが、その名前は「岩木川を挟んだ対岸の外瀬(とのせ)の向かいに位置する」ことから名づけられたといわれています。 
 周囲には学校や公共施設をはじめ、住宅が立ち並ぶ閑静な所ですが、諏訪神社は、その中心部に位置しています。

 その由緒については、
【御祭神:建御名方神  本神社は建御名方神を主神として奉斎し、 創立年月日は不評であるが、 元は諏訪宮と称され、 堂社破損等の節あり村中にて再建された。 明治三十四年神饌幣帛料供進の村社に指定。 ※青森県神社庁HP】とありますが、その詳細については分かりません。

 一の鳥居のそばには、庚申塔と二十三夜搭。その後方に末社がひとつ立っています。
 フジとイチョウのアーチをぐぐった境内には、狛犬が二対置かれていました。
 本殿はなかなかりっぱな造りのもので、その扁額には剣が埋め込まれていました。

  



  





 境内に立つ御事歴には、御祭神の建御名方神(タケミナカタ)について書かれています。
【武南方命ハ大國主命ノ御子ニシテ事代主命ノ御弟ナリ天孫降臨ニ先立ッテ健甕槌命経津主命ノニ神出雲ニ降リ大國主命ニ大御神ノ勅命ナリ此ノ國土ヲバ挙ゲテ天孫ニ奉献スベシト傳ヘラル御兄事代主命は直ニ之ヲ諾セラレ武南方命ハ多少異議ヲ唱ヘラレシモ後信濃國諏訪ニ退キテ大御神ノ勅命ニ従フベキコトヲ約セラル夫ヨリ命ハ此地方ノ開拓ニ着手シ草木生茂リ猛獣毒蛇等群棲セルヲ次第ニ伐採シテ民ニ農耕ノ業ヲ教ヘ又養蚕ノ法ヲモ傳ヘラレタレバ後世武南方命ヲ耕作ノ神トシテ五穀豊穣ヲ祈レリ又軍神トシテ崇敬セラル】

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一町田八幡宮ーつがるみち363


一町田八幡宮


 弘前市一町田(旧岩木町)の早稲田の集落に八幡宮が鎮座しています。
 その由緒については、
【御祭神:誉田別尊  長享二戌申年、 津軽家の祖先種里城主大浦信濃守光信公の創建になりしが其後元和の大凶歳に当り元和二丙辰年に至り在方建立仰付らる。 ※青森県神社庁HP】とありますが、一の鳥居に立っている説明板には、
【当八幡宮はもと二本木にあったものが、明治初期、兼平天満宮に移り、後、現在地の深山宮境内に移ったものである。二本木には、安東氏にまつわる伝承もあり、その関係をうかがうことができる。】と書かれていました。




 一の鳥居の両脇には説明板が二つ立っています。ひとつは、前述の八幡宮のものですが、もうひとつは「深山宮」の由緒について次のように述べられています。
◇深山宮(一町田)
【深山宮の元来の主神は、速玉男神であり、紀州熊野速玉大社の主神である。
 深山の地名は深山宮に由来し、延宝年間の宮帳によると、永正元年(一五〇四)建立とあるが、中世の津軽の雄であった安東氏が紀州熊野神社に失地回復祈願の記録があり、熊野信仰の古さを物語る。
 当社は明治初年神仏分離により、兼平天満宮に移り、後、二本木の八幡宮と共に現在地に復元、合祀して八幡宮の社号のもとに祀られた。】

 八幡宮と深山宮という二つの社が、一時期、兼平天満宮に合祭され、その後、現在の場所に移った分けですが、そういういきさつもあって、この神社は「深山八幡宮」とも呼ばれています。
 境内には、八幡宮と刻まれた大きな社号標の他に、頭でっかちの狛犬や神馬、二十三夜搭、庚申塔、青面金剛の碑などがありますが、「深山大神」と書かれた碑も立っていて、この神社の縁起を示しているようです。

  



  





 由緒にも書かれているように、この神社は安東氏と深い関わりを持つ社のようです。
 藤崎城を中心にして津軽地方を支配していた安東氏は、やがて南部氏の攻撃をうけ、次第に衰退していった分けですが、両者の戦いの足跡は旧岩木町にも残されています。
 新法師(しんぼうし)という集落には「安東義季一族の板碑」と伝えられている板碑が残っています。
【伝安東義季一族の板碑  津軽地方土着の豪族である安東(安藤)氏は、福島城に拠って勢威を誇ったが徐々に南部氏に圧倒され、享徳2年(1453年)に狼倉(おいのくら)館に立て籠もった安東(安藤)義季が南部氏の大軍に攻められて自害し、滅亡したと伝えられている。この板碑は安東(安藤)義季一族の墓所から移されたと言われるものである。※弘前市HPより

 また、高館山という山に安東氏一族が立てこもり、南部氏と攻防を繰り広げたといわれていますが、「南部氏に水の手を止められた一族は空堀に米を入れて、水が十分あるように見せかけた」という話(白米城伝説)も残されています。
 ここ一町田も、そんな中世津軽の歴史を伝える地域のようです。

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葛原春日神社ーつがるみち361


春日神社


 弘前市の葛原(旧岩木町)は、岩木山の麓に広がるりんご畑に囲まれた集落です。
「葛原(くずはら)」という地名の由来については、
【地名は平氏の祖、葛原親王(桓武天皇の皇子)からという伝承があり、当地の対馬氏は平氏の流れを汲み、もと対馬の国に住んでいたが、弘安四年(1282年)蒙古襲来時、日本海を経て当地に遁れ住んだものと言われているように、この地に集落が形成されたのは相当古い時代に遡る。後長根川に沿った地からは唐銭が出土。また、同地や山麓からは、縄文後期晩期の遺物が出土し、春日神社付近からは土師器が出土している。
 また、当地には誰の居館かはっきりしないが、館跡が認められている。現在、宮地研修館の地は葛原祐清の居館であったことから、葛原の地は豪族が居った広大な地であったことがうかがわれる。※町内由緒書き】と伝えられています。

 葛原親王(かつらばらしんのう)は、
【桓武天皇の第3皇子(※第5皇子ともいわれる)。名は「かずらはら」とも。桓武平氏の祖。大蔵卿・式部卿などを経て大宰帥(だざいのそち)。天長2年(825)、平(たいら)の姓を賜り臣籍に下った。※デジタル大辞泉より】とされる人物ですが、「幼いころから聡明で知られ、大陸の書物を歴覧して生活を律し、奢るところがなく人々から畏敬されていたという。式部卿に永く任じられていて、旧典に深く通じ、その知識は大変重んじられていた。輦車に乗って内裏に入ることを勅許されており、他の皇族たちとは一線を画していた親王であった。」と伝えられています。
 また、かつてここ葛原には「葛原館」という城(館)がありましたが、戦国末期には津軽為信の臣下であった葛原佑清の居館であったようです。




 そんな葛原の集落に春日神社があります。
 その由緒については、
【御祭神:天児屋根命 武甕槌命 伊波比主命 比売大神   初発建立年月不詳なれども葛原部落発生の歴史の古さからみて藤原氏の落人の創建になるものと思考せられる。 ※青森県神社庁HP】とありますが、その詳細については分かりません。
「藤原氏の落人の創建」とあるのは、前述の葛原親王が、当時権勢を誇っていた藤原氏と深いつながりがあった(兄弟の親王の母は藤原氏)ことや、平氏の祖とされることから、いわゆる「平家の落人伝説」と関連しているのでしょうか。
 バス停の近くに一の鳥居があり、境内には春日神社らしく「狛鹿」が一対置かれています。
 拝殿には「成就願心」と書かれた札が掲げられており、地域の信仰の厚さがうかがわれます。

◇春日神社

  





 旧岩木町の神社の入口には、御祭神やその縁起を記した説明板が立っているのですが、ここにもありました。文字がかすれているので正確ではありませんが、
【当社の社名は、貞享4年(1687)検地水帳に見て、祭神は武甕槌命、斎主神、天児屋根命、比売大神の四神である。安政2年(1855)神社微細帳に、「右は草創建立の年月日相分り申さず候へ共、村中安全の為に建立仕り候、尤も貞享の御調表には神明社地と御座候へ共元来は、春日宮に御座候」とある。
 奈良市の春日神社は戦後春日大社となったが、古来藤原氏の祖、中臣氏の氏神として藤原氏はもとより、朝廷からも永く尊崇されているが、当地葛原との関わりは歴史的に詳らかでない】と書かれていました。

 葛原は、葛原親王や落人に関わる伝説が残る山里ですが、加えて、津軽氏は「藤原姓」を名乗っていたために、「春日四神」を祀っていたという経緯があります。この神社もそんな社のひとつではないでしょうか。


  


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革彦稲荷神社ーつがるみち360


革秀寺山門

津軽為信霊屋


 弘前市の革秀寺(かくしゅうじ)は山号を「津軽山」、釈迦牟尼仏を本尊とする曹洞宗のお寺です。
 その由緒については、
【津軽山革秀寺の創建は慶長3年(1598)、長勝寺(津軽家の菩提寺)の格翁和尚の隠居寺として開かれたのが始まりと伝えられています。当初、藤崎村にありましたが弘前藩初代藩主津軽為信が慶長12年(1607)に京都で死去すると、「岩木山が良く見える場所に埋葬せよ」との遺言に従い2代藩主津軽信牧が現在地に境内を移し菩提を弔う為に伽藍の整備を行いました。革秀寺の周囲には池や2重の土塁が築かれ家臣でも出入には制限が設けられるなど聖地化し、藩祖為信を神格化させると同時に弘前城は四神相応の思想に基づいて計画されている事から革秀寺の東側の蓮池は西方浄土に見立てられたとも考えられます。※HP「青森 歴史・観光・見所」より】とあります。
 このお寺には、関が原の戦いの後、津軽に逃れてきた石田三成の二男・重成が持参してきた豊臣秀吉の木像(座像)が安置されています。秀吉像は、「秘仏」扱いされ、弘前城の館神として祀られていたのですが、明治になって、このお寺に移されたといわれています。
 ⇒ 以前の記事へ


革彦稲荷神社


 その革秀寺のとなりにひとつの神社があります。名前は革彦稲荷(かくひこいなり)神社。蓮池の端っこの方に鎮座している社です。
 一帯の町名は「藤代」ですが、かつてここには「藤代館」という城(館)が築かれていたといわれています。
 この館の詳細については不明ですが、城主は革彦播磨という人物だったとされており、「革彦」という地名(?)は古くからあったようです。




 この神社についてもその詳細は分からないのですが、革秀寺のHPには、
【当山鎮守・革彦稲荷。革秀寺と同じ歴史を持つ神社。革彦稲荷講では奇数月に例祭を行い、革秀寺の行事の運営、等々を行っています。】とあります。いわゆるお寺のお抱えの神社です。
 片方は蓮池、反対側は住宅に挟まれたところに境内はありますが、金属製の注連縄が張られた鳥居をくぐると、狛狐が二体置かれていました。
 その奥に社殿がぽつんと立っています。中には入れませんでしたが、穴から覗きこむと祭壇に白狐が祀られているのが見えました。
 御祭神は倉稲魂神と思われますが、社殿の扁額には「荼祗尼尊天」と書かれています。境内には同じく荼祗尼尊天と刻まれた碑も立っていました。明治の神仏分離以前は、荼枳尼天(だきにてん)を祀るお堂だったようですが、社殿に仏具の一種である鰐口が下げられているのは、その名残りでしょうか。

 荼枳尼天は、仏教の神で、ヒンドゥー教のヤクシニー(半女神)に由来するといわれていますが、日本では稲荷神と習合し、白狐に乗る天女の姿で表されることが多いようです。
 戦国時代には、戦いの神様として多くの城内に祀られたりもしましたが、一方では「憑き物落としや病気平癒、開運出世の福徳神」として信仰されるなど、多彩な顔を持つ神様です。
 神仏分離以来、荼枳尼天を祀っていた稲荷社の多くは宇迦之御魂神などを祭神とする稲荷神社となりましたが、今日でも寺院の鎮守稲荷の多くは荼枳尼天を御神体とするところも多いといわれています。この革彦稲荷神社もそのひとつなのでしょう。


  



  


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動いた天守ーつがるみち359


弘前城石垣


 弘前城石垣修理事業に伴い、高さ14.4メートル、総重量約400トンの3層からなる弘前城(天守)を移動する「曳屋工事」は、昨年の10月末に終わり、現在は本丸跡近くに天守閣が立っています。
 約70メートル離れた仮設の天守台への引っ越し作業は、連日、新聞やTVのニュースなどで取り上げられていました。




 桜祭りのときには、天守のそばの堀を歩いて石垣を眺めることができました。
「曳屋」が始まってからも、ニュースを見るたびに「いつか出かけてみよう」と思っていましたが、ずるずると時期を逃し、冬になってしまいました。
 先日、朝からとても良い天気で、岩木山もくっきりと見えたので、思い立って弘前公園に出かけました。

 ですが、公園に着いたときには何とくもり空。冬の天気はほんとに気まぐれです。「天気にぐだめでも(ぶつぶつ文句を言っても)仕方がない」と思い直し、久しぶりに公園内を歩いてみました。

 下乗橋から臨む天守は、弘前公園第一の撮影スポットだったのですが、今はそこに天守の姿はなく、少し離れた位置に見えています。

 見慣れた光景と違っていたので、少し違和感がありましたが、本丸付近に移動した天守は、これはこれで、なかなかいいのではないかと思います。平成33年度には、元の位置に戻るということです。やはり、大事業なのですね。

  
 
 
 





 築城当時、弘前城(当時は高岡城)の天守は五層六階のものでしたが、寛永四年(1627)、落雷のため、本丸御殿とともに焼失しています。
 このときのことについて、平川市の国上寺に次のような話が伝わっています。
【国上寺の本尊である不動明王は、世の中に不吉なことが起こる際には、汗をかく(湿ってくる)という言い伝えがあり、「汗かき不動様」と呼ばれていた。二代藩主・信枚は、当時、頻繁に続いていた地震や災害に心を痛めていたが、そんな折も折、国上寺の「汗かき不動様」が、びっしょりと汗をかいたという話を伝え聞き、急いでお参りにやってきた。弘前城に雷が落ち、天守閣に吊されていた鐘が熱で真っ赤に燃え、地下の火薬庫に落ち、火薬に引火し、大爆発を起こしたのは、その直後のことだった。】

 以来、約200年間は天守のない時代が続きましたが、幕府の許可を得て、三層櫓(天守)が新築されたのは文化七年(1810)のことでした。

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三ツ森神社ーつがるみち358


三ツ森神社


 弘前市に「富栄(とみさかえ)」という集落があります。
 明治9年(1876)に、近郷の「鶴田村」「三ッ森村」「四戸野沢村」「小島村」の四村が合併して成立した村ですが、「富栄」という名前は、
「合併した新しい村が、将来、富んで栄えるように」という願いから名づけられたものとされています。
 



 合併した四村の中のひとつである「三ッ森村」は、文字通り、かつて地内に「三つの森」があったので、そう名づけられたといわれていますが、ここに三ツ森神社が鎮座しています。
『県史』などによると、
「万治二年(1659)、長利甚左衛門なる者が、この地域において、多数の墾田を開発した功績により弘前藩へ召し抱えられた」とあり、三ッ森村はその当時から開発が進んでいたと思われます。
 また、「当時、村中抱えの観音堂があった」とされており、この観音堂が現在の三ツ森神社の前身であったようです。




 その由緒については、
【御祭神:伊邪那岐命 伊邪那美命   県庁備付の県内各神社由緒調によれば 「創立年月日不詳。 明治六年四月、 村社に列せらる」 とある。 元禄の社堂縁記、 及び安政二年の神社微細調等には 「高杉組、 三森村産神之社、 千手観音堂壱宇。」 とあるが、 これは、 元来、 飛龍宮、 又は飛龍権現と称えられてあったのを、 明治三年、 神仏混淆御仕分けの際、 現在の神社名に改められた。※青森県神社庁HP 】とあります。
 御祭神の伊邪那岐命・伊邪那美命や、かつて「飛龍宮」とよばれていたところをみると、熊野修験と深い関わりのある社のようです。
  隣接して独狐(とっこ)という集落がありますが、独狐という地名は、「かつて修験が当地にいて、仏具"独鈷杵"から名づけられたもの」といわれており、一帯は、かつて修験の場であったとされています。

 そのような歴史を示すように、参道の入口には「飛龍宮」の碑が立っています。道の途中には庚申塔や猿田彦の碑がありました。

 境内は無数の杉の木に囲まれており、とても静かでした。大木というほどではないのですが、趣のある杉の木も何本か生えています。
 拝殿の前には、神馬や狛犬が置かれていましたが、ここの狛犬は、その目と口元が白く塗られており、面白いのですが、少しギョッとします。

◇三ツ森神社

  



  


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取上貴船神社ーつがるみち355


貴船神社


 弘前市取上(とりあげ)は、昔は「取挙」とも書かれ、戦国時代から見られる地名ですが、江戸時代には、弘前城下から秋田領へ抜ける羽州街道沿いを中心に集落が形成された所です。
 ここには、かつて津軽藩の刑場が設置されていましたが、『国日記(※弘前藩庁日記:津軽藩の藩政記録で、江戸で書かれた「江戸日記」に対して、弘前で書かれたものをいう)』には、「寛文4年(1664)に火罪による刑が取上にて執行された」とあります。

「取上」という名前は、「首を取り上げる」という、この刑場跡に因んだものという話もありますが、一方では、産婆さんが「子どもを取り上げる」ということから来たともいわれています。「先ず地名ありき」で、いずれも「取上」という名前からの連想のようです。




 そんな取上の集落に貴船神社が鎮座しています。
 その由緒については、
【御祭神:闇おかみ神  当神社は 寛文四年勧請、 同村地内三嶽十八番地に鎮座奉斎し、 産神守護神として、 深く敬仰し来るにある処、 参拝の便利の爲に明治十三年同所より同村地内豊田一二六番地へ社地引換の儀出願のところ同年四月十四日許可となり、 明治十四年六月二十六日遷座せるものなり、 自来、 村民篤く之を崇敬し現代に至る。※青森県神社庁HP】とあります。

 重複しますが、一の鳥居のそばに立っている由緒書きには、
【取上町内の産土(ウブスナ)の大神(地域お守り下さっている神ということ)貴船神社は寛文4年(1664年)319年前勧請せられ三嶽18番地に鎮座されたもので守護神として深く敬仰されておりましたところ参拝者の便宜を与えるため明治13年豊田126番地へ社地引換えの儀出願のところ明治13年6月26日御遷座をおこなって以来地域内の篤い崇敬を受け今日にいたっております。御祭神は闇おかみ神(クラオカミノカミ)通称龍神様であります。農業をはじめ業務繁栄家内安全開運厄除諸難退散の御神徳のある神社であります。御本社は京都市左京区鞍馬貴船町貴船神社旧官幣中社であります。】と書かれていました。
 龍神様を祀っている社らしく、拝殿内に掲げられている奉納絵馬には、龍を描いたものもありました。

◇拝殿ほか

  





 境内には稲荷神社があり、赤と白の頬かむり姿の子ぎつねがいました。
 となりが馬頭観音の祠で、石碑を囲んでいるお堂の壁には、馬のわら人形などが納められています。横には、青い前掛けをした石仏が何体か並んで立っていました。
 ところで、「取上村には、かつて座王堂地と稲荷社地があった」とされていますが、この「座王堂」が現在の貴船神社の前身のようです。
 座王堂(蔵王堂)は蔵王権現をまつる仏堂のことですが、
【蔵王権現は、日本独自の混淆宗教である修験道の本尊である。正式名称は金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。※wikipediaより】とあります。

 菅江真澄は、「陸奥のならわしとして、どこの浦、どこの山里でも、熊野の神様をまつる行事のはじめに、獅子頭を持って踊るということがある。そして、その獅子頭をひたすら権現様と言っている。」と津軽を訪ねた際の紀行文に書いていますが、ここ取上もまた、昔は修験道が盛んな土地だったように思われます。そのことを示すように、祭壇には権現様(獅子頭)が祀られていました。

  


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清野袋八幡宮ーつがるみち347


清野袋八幡宮


 弘前市の清野袋(せいのふくろ)は、岩木川沿いの東側に開けた地域で、現在は弘前市周辺にある工業団地のひとつになっている所です。
「○○袋」という地名は、「川と川の間に挟まれた所」「川が蛇行して袋状になっている所」につけられることが多いとされます。清野袋も、そんな地域のひとつと思われますが、近くには「向外瀬」とか「船水」とか、「水」に関係する地名もみられます。
 明治24年(1891)当時の記録によれば、「人口584、戸数89、厩22、学校1、船2」とあり、岩木川の水運の発達によって開けた集落といえそうです。

 そんな清野袋の集落に八幡宮が鎮座しています。
 神社の手前に清野袋の町民会館がありますが、そこから道路がY字状に枝分かれしていて、2本の道路の間に挟まれたところが境内になっています。

 一の鳥居には、奉納された草鞋が左右に掲げられており、小さな二の鳥居、三の鳥居が続いています。境内の脇の方には庚申塔が立っていました。御神燈、神馬、狛犬と続き、奥の方に赤い屋根の社殿があります。
 本殿のとなりには末社がひとつ。中には一体の神様と何体かの石仏、奉納者の願文などが納められていました。

 この八幡宮の由緒については、
【御祭神:誉田別尊  当社創建年月不詳なりといえども、 往時より当部落産土神として、 深く崇敬せられ、 年々の祭事絶たず、 安政二年弘前最勝院より、 吉田表に上進したる、 神社由緒書調書に記載され今日に至る。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 境内には、御祭神の誉田別尊について記された大きな碑が立っています。原文は漢字とカナ文字ですが、
【当社御祭神は誉田別尊と曰す即ち人皇第十五代應神天皇の御名なり天皇夙に内政を整へ且又盛に大陸文化を輸入せらし我が国に文字の傅来せるも實に此の御宇なり第四十七代元明天皇始めて天皇の御神霊を豊前国宇佐に祀り八幡大神宮と称し次きて第五十六代清和天皇山城国男山に勧進して石清水八幡宮と稱し歴朝崇敬して今日に至れり余等大神の氏子に生を享ヶ幸にして初老を迎ふるを得たり乃ち茲に御祭神の御略歴を石に勒して以て神恩の一端に對へ奉る 昭和十六年六月十五日 高山松堂敬書】とありました。
 格調の高い文章ですが、作者の高山松堂(1869~1959)は弘前市出身の書家です。隷書の大家といわれ、津軽地方の社寺号や石碑などを数多く手がけとされる人物です。

◇清野袋八幡宮

  
参道
庚申塔
境内
拝殿


 
奉納草鞋
末社
末社
神馬
御事歴



狛犬


 この神社の狛犬ですが、とても見ごたえがあります。
 二体とも、そんなに大きなものではありませんが、小柄な体に似合わないほど大きな「毬(玉)」を持ち、「子ども」を連れています。特に、子連れの方の「子ども」は、なかなかの大きさです。
(にわか勉強ですが)このような姿形の狛犬は、「玉取り・子取り」と呼ばれているようで、「玉取り」は雄で、「家運隆盛(運が良くまわる)」を、「子取り」は雌で子孫繁栄を表しているとのことです。

 どちらが雄とか雌とかは、特に決まってはおらず、地域や作者によって違うようですが、この「玉取り・子取り」の狛犬やきつね像は、津軽の神社でもよく見かけます。ですが、こんなに大きな子どもを抱いた「子取り狛犬」は初めてでした。

◇子取り狛犬

 
清野袋八幡宮
五所川原八幡宮
弘前市中畑稲荷神社
平川市愛宕神社
平川市天照皇大神宮


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小金崎廣峰神社ほかーつがるみち344


廣峰神社


 弘前市の小金崎は、国道7号線沿いにある集落です。
 辺りを流れる平川に沿って開けた地域で、大鰐町の八幡館、森山、弘前市の石川と境を接していますが、元々は石川村(現弘前市)でした。その後、1957年(昭和32年) に、周辺の村々と共に弘前市の大字になっています。
 ですが、1964年(昭和39年)に住民の反対運動が起こり、森山と八幡館の一部などと共に、小金崎の一部も大鰐町に編入されたといういきさつがあります。

 私は、大鰐町森山の鹿嶋神社を訪ねたときに、ここを通りかかったのですが、川沿いに小さな神社をみつけたので立ち寄ってみました。社殿の後ろには平川が流れ、境内の前方には田んぼが広がっています。

 一の鳥居の扁額には「廣峰神社」とありました。その名前からして、かつては牛頭天皇を祀る社だったようで、神仏分離以後は、素戔男命が御祭神のようです。境内には、大きな庚申塔や馬頭観音の碑が並んで立っていました。

 その由緒についてはよく分かりませんが、小さな祠の中を覗いてみると、「鹿嶋大明神」とあり、次のように書かれたものがありました。
【森山鹿嶋神社は当小金崎部落結村以来、両部落にて敬拝して来ましたところなるも、去る40余年前、両部落間に意思疎通の事が出来、当村では森山鹿嶋神社より離脱する事になりましたが、先祖代々より信神祭儀致して来ました。
 今これを分離してしまったことは鹿嶋大明神をはじめ、我々の代々の先祖に対しても、誠に申し訳なき事と思い、ここに些なる小社を立て、敬神宗祖の念を表したきものと思い、これを献納致す事にしました。】
 - 前述した「村の編入問題(弘前市か大鰐町か)」を受けて、地域の産土神を残そうとする思いから建立された社のようです。

◇廣峰神社

  



  




熊野宮


 こちらは、同じ弘前市の外瀬(とのせ)という地区にに鎮座している熊野宮です。
 その由緒については、
【御祭神:伊弉諾尊 伊弉册尊   当神社は元久二年に創建せられたものと伝えられ、文政二年の神社調上帳によれば、 御棟札宝暦十三年・文政五年・嘉永七年と記録しある故に、 古来、 同村の産土守護神として篤く崇敬せられ、 年々祭事を斎行現代に至る。 明治六年四月神社制度の改正にともない村社に列格せられる。 大正二年八月二十六日幣帛供進の村社指定せられる。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 辺りには学校などの文化施設や工場、大型店舗などが立ち並んでいる所ですが、この神社は、町の中から少し離れた所にあり、とても静かな環境です。境内には特徴のある狛犬や月夜見尊などの碑が並んで立っています。

◇熊野宮

  


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今年もよろしくお願いします。


 



 あけましておめでとうございます。

 例年、初詣は岩木山神社や猿賀神社などに出かけるのですが、今年は巌鬼山神社に行ってみました。
 津軽三十三霊場の五番札所であり、また、境内には名物の二本の大杉があることもあって、何回か訪れているのですが、初詣に来たのは初めてです。






◇巌鬼山神社

【御祭神:大山祇神  延暦十五年 (七九六) 岩木山頂の奥宮に対して下居宮として鎮座したのが始まりと言われている。
 本尊観世音菩薩は大同二年 (八〇七) 坂上田村麻呂が勧請したとも伝えられている。
 当社より山頂に参詣する者怪異の難に合う者が多く、 近江国の花輪其が勅宣を奉じて越前敦賀より来て、 山中に篭居して山神に祈願したところ神託があり、「 百の沢を越えた所に社殿を建立せよ」との事、 そうしたところ災難が無かったと言われている。
 寛治五年 (一〇九一) 現在の岩木山神社と言う。 当社は文安五年 (一四四六) 山火事にて焼失、 寛正四年 (一四六三) 長見孫太夫によって再建された。
 慶長二年 (一五九七) 津軽為信が巌鬼山観音院を修復したが、 再び元禄元年 (一六八八) 焼失同四年四代藩主信政が建立、 明治以前まで御本尊十一面観音を奉り巌鬼山西方寺観音院十腰内観音堂と言われていた。 ※青森県神社庁HP


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水木在家大山祇神社ーつがるみち341


庚申塔


 9月の終わり頃、弘前市相馬(旧相馬村)の「水木在家」という所に鎮座する大山祇神社 を訪ねました。
 神社へ向かう途中に、庚申塔と二十三夜塔がいくつか並んで立っている場所があります。
 道路の端に、大小合わせて七、八基ほどの塔がありましたが、そばに立てられている説明板によると、「相馬村には、ここにあるような庚申塔が十五ヶ所に二十五基ある」と書かれていました。旧村内の中でも、ここは数多く塔が立っている場所のようです。


大山祇神社


 大山祇神社は、その庚申塔のある場所からさらに山手へ進んだ所にありますが、坂道を登って行くと、右側に細い下り坂があり、そのそばに大きな鳥居が立っているのが見えます。
 白い一の鳥居と二の鳥居をくぐると赤い三の鳥居があります。そこから参道が続いていて、境内へと出ますが、広い境内の一番奥に拝殿と本殿がありました。

「森の中」といった感じの境内には、大きな狛犬が一対と二十三夜塔などが立っています。「御遷座記念」と彫られた石碑のとなりには、鮮やかな朱色の祠がありましたが、その中には龍に乗った神様が一体祀られていました。後ろ側に池らしきものがあったので、この祠は龍神宮のようです。

 この神社の由緒については、
【御祭神:大山祇神   当社は現鎮座地附近一帯に築城せし桜井玄藩の舘神として創立せられ、 廃城後も附近住民の氏神として尊崇を受け、 明治十二年六月村社に列格する。 昭和二十年十二月、 神道指令により内務省の管轄下を離れ、 昭和二十一年二月神社本庁に所属。 昭和二十二年四月五日、 宗教法人令に基き宗教法人として新発足し・・(以下略)※青森県神社庁HP】とあります。

 一帯の住所は「水木在家桜井」ですが、由緒に「桜井玄藩の舘神として・・」とあるところをみると、「桜井」という地名は、この桜井氏に因むもののようです。
 境内の由緒碑には、「伝ふるに文治三年(一一八七)桜井玄藩館を新築せんとせす時、一夜夢に白雲東方よりたなびく中に甲胴を著けたる霊神十二顯出せり。仍て社殿造立せしと云ふ。その後慶長三年(一五九八)六月十二日当村氏神に崇敬す」と書かれていました。

◇大山祇神社
 
  
参道
境内
末社
拝殿


  
二十三夜塔
狛犬
龍神
本殿





「水木在家(みずきざいけ)」という、一風変わった地名の由来ですが、文字通り、かつてこの地に「水木氏の家(相馬水木館)が在った」ことに因んだものとされています。
 水木氏は浪岡北畠氏の類族であるとされています。
 即ち、北畠顕信(きたばたけあきのぶ:北畠顕家の弟)の子孫は浪岡に入部し、居館を構え、「川原御所」と呼ばれましたが、水木氏の祖は、これにつながるものといわれている分けです。
 戦国時代には、水木氏は北畠氏の重臣として水木館を築くなど、大きな勢力を持っていたようですが、ここ相馬の地も、そのひとつだったのでしょうか。

 また、旧相馬村には長慶天皇御陵墓参考地があり、長慶天皇に関する伝説が残っていますが、「14世紀半ば、長慶天皇とともに武将・水木監正の一族が津軽へ落ち延びてきた」という話も伝えられています。
 水木氏は長慶天皇崩御の後、現在の大鰐町付近に移り住んだとされていますが、ここで語られている水木氏と「水木在家」の主であった水木氏・・同じ苗字とはおもしろいですね。

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蒔苗稲荷神社ーつがるみち336


稲荷神社一の鳥居


 弘前市の蒔苗(まかなえ)は、後長根川に沿って開けた集落で、その中央部を県道41号線が走っています。
 ここにはかつて「蒔苗館」という平城が築かれていたとされていますが、その概要は、
【規模は東西80m×南北120mほどで、周囲を堀で囲んだ典型的な在地勢力の方形居館と推測されます。築城時期・築城主体ともに不明。通説では文明年間(1469-86年)、南部氏が津軽支配のため鼻和郡に配した十二館城衆のひとり蒔苗新兵衛の居館とされています。※HP「陸奥の城」より】とあります。
 地名の「蒔苗」はこの蒔苗氏に因んだものと思われますが、ここに稲荷神社が鎮座しています。


狛犬


 その由緒については、
【御祭神:宇迦之御魂命  当社の創立詳かならざれども、 蒔苗を拓きたりと言伝えられる蒔苗八右衛門 (約七百年前頃) の御祈祷所の宮とある記録 (安政二年神社微細社司由緒調書上帳) より見れば、 其の頃の草創と見ゆ。
 当地方に於ける社堂縁記社堂書上帳 (元禄十五年、 宝永元年、 宝暦九年、 安政二年等) に当社の名称の記載あるが故に其の存続を見る。 当神社に保存さる御棟札によりて、 時に依る補修造営等ありて、 祭祀の絶えざりしを恩はしむ。 ※青森県神社庁舎HP】と説明されています。
 なかなか格調高い由緒書きですが、ここにも蒔苗氏の名前が出てくるところをみると、「蒔苗館」の館神として勧請された社であるといえそうです。

 この神社は道路沿いに鎮座している分けですが、境内から田んぼが見渡せる小高い丘の上にあります。石段を登って境内へ入ると、広い敷地に拝殿や本殿をはじめ、多くの石碑や末社などが並んでいるのが見えます。
 本殿の隣には八幡宮、さらにその隣には白山神社。様々な時代に、いろいろな人々が信仰する神様を祀ったのでしょう。それは八幡様であったり、白山信仰の菊理媛神だったりした分けですが、総じて村の産土社として崇敬を集めてきた神社と思われます。

◇稲荷神社境内

  
拝殿
本殿ほか
白山神社
末社



 境内には大きな狛犬や稲荷様のお使いのきつねなどの他に、「正一位稲荷宮」と記された石碑や祠などがあります。由緒に「時に依る補修造営等ありて、 祭祀の絶えざりしを恩はしむ」とありますが、これらは修築・造営のときにその都度建てられたものなのでしょうか。
 
 この修築や造営の事業には、大変難儀をしたようで、庚申・二十三夜塚の隣に立っている記念碑の由来には次のように書かれていました。
【古来我村社地は 西北方は平坦なるも東南方は断崖にして 是か修築事業は多年氏子の念願なるも其機を得す 此を遺憾とし單身私財を以て数千円を投し 間地土止工事を施し 社地の風致を改変したるのみならず 神社の壮厳更に一段を加へたり 此の人即ち蒔苗松氏なり 氏は本村に居を有し土木建築の請負を業とし 敬神の思想特に深く常に其鼓吹に努む 氏子の人相図り碑を建て氏の高徳を記し以て永久に傳へんとす】

 由来に出てくる「蒔苗松氏」は、戦国期の蒔苗氏の一族の流れを汲む人物だったのでしょうか。いずれにしても、社の修築及びこの地の開発は難事業であったことを伺わせる記述です。

 
社号標
神馬と力士顕彰碑
きつね
きつね
庚申塚ほか


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ゆうゆうと「高照神社」-つがるみち334




 岩木山神社へ詣でた帰り道に、ちょくちょく立ち寄るのが高照神社です。弘前方面へ初詣に出かけるときは、たいていこの二つの神社を訪れます。
「津軽藩の名君」として名高い4代藩主・津軽信政公を祀るこの神社は、岩木山神社とともに、最も津軽氏の崇敬が厚かった社でもあります。
 宝物殿には、初代・為信が豊臣秀吉から拝領されたという名刀「友成の太刀」をはじめ、貴重なものが数多く収められていて、「津軽藩300年の歴史」が眠る蔵としても知られています。
 本殿をはじめとする建物の多くは国の重要文化財に指定されていますが、社殿の奥から続いている杉木立を見ながら小道を進むと、信政公の御廟所に至ります。途中には名水「御茶の水」などもあり、なかなか趣のある参道です。




◇高照神社
【高照神社の創建は不詳ですが古くから春日四神(武甕槌命・伊波比主神・天児屋根命・比売神)を祀る小祠があったと伝えられています。
 津軽家は南部家の一族である久慈氏出身とされ、本来は源氏(南部家の祖)の氏神、八幡神を崇敬していましたが、南部家からの独立に際し、自らの祖を藤原氏とした為、藤原氏の氏神、春日神(春日大社の分霊)を祀る必要性があったと思われます。 
 特に弘前藩4代藩主津軽信政は吉川神道の創始者である吉川惟足に師事し、高岡の地に社殿を再建する計画を立てました(高岡の地は弘前城から西方にあたる為、東西軸に社殿を配置すれば弘前城を見下ろせる位置関係となっています)。
 しかし、信政は宝永7年(1710)に計画半ばで弘前城で死去した為、5代藩主信寿が引き継ぐ事になり、信政の遺言に従い神式の霊廟を小祠の背後と定め吉川惟足から授けられた神号「高照霊社」を社号としました(享保15年に高照神社と改称)。
 境内の伽藍配置は吉田神道の教えに基づき東西方向に建物が一直線に並ぶ独特な配置であり、現存社殿としては全国唯一と言われています。
 高照神社には現在でも多くの建物が残されており本殿、西軒廊、中門、東軒廊、拝殿、幣殿、随神門、廟所拝殿、廟所門、津軽信政公墓、太刀(銘友成作・平安末~鎌倉初期)、太刀(銘真守・鎌倉時代)が国指定重要文化財に指定されている他、津軽信政着用具足、高照神社刀剣類(11口)、高照神社奉納額絵馬(54枚)、が青森県重宝に指定され数多くの社宝が弘前市指定文化財となっています。※HP「青森県・歴史・観光・見所」より抜粋


  



  


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