

鶴田町のHPでは町内の主な神社仏閣について紹介していますが、それによると「闇(くら)おかみ」と名のつく神社は、町内に3つほどあります。
⇒鶴田町の闇おかみ神社
ひとつは沖地区に鎮座している闇おかみ神社ですが、ここは鳥居に「鬼っコ」を掲げている神社で、一度訪ねました。
残りの2つは、いずれも158号線に沿って鎮座しています。私が訪ねたのは昨年の11月初旬のことでした。

胡桃舘(くるみだて)字北田の闇おかみ神社は、小学校のすぐ近くに鎮座しています。
神社の社頭には、百万遍や庚申、二十三夜などの塚や塔が立っているのをよく見かけますが、地蔵堂もそのひとつで、ここにも田んぼを背にして三体のお地蔵様を祀っているお堂がありました。
また、一の鳥居の近くに別の赤い鳥居が立ち、その奥に小さな祠や塔が立っている神社もよくありますが、たいていは馬頭観音を祀っているようです。馬を「神様」と崇める農村地帯の特徴でしょうか。この神社にも馬頭観音が祀られていました。
金属製の注連縄が張られた一の鳥居をくぐると、境内にはベンチなども置かれており、ちょっとした小公園という感じです。拝殿にも大きく太い金属の注連縄が張られていました。
境内には、灯篭や狛犬と並んで神馬像がありますが、この神馬、 屋根つきのお堂の中に大切に祀られていました。
◇闇おかみ神社(北田)






北田の闇おかみ神社から鶴田の町へと進んで行くと山道という集落がありますが、ここにも闇おかみ神社があります。
入口に由緒書きが立っていますが、それには、
【御祭神:闇於加美神(くらおかみのかみ) 日本最古の文献古事記によると闇於加美神は神代の時代イザナミノミコトとイザナギノミコトの子として生まれ降雨止雨をつかさどる水の神と記されている。昔は飛龍権現と称され、一時惣染堂(馬頭観音)に移管されたとも伝えられるが、明治六年四月闇?神社と改め、亀田村稲荷神社へ合祭された。明治八年二月復社、同九年十二月に村社に列せられ、同四十年四月十九日神饌幣帛料供進指定神社に列格され現在にいたる。】と記されています。
この神社は交差点の近くにあるため、入口の鳥居が二つありますが、由緒書きがある方の鳥居をくぐると、庚申塔や二十三夜塔の隣に小さな祠があります。その中には男女二体の神様 が祀られていました。姿からして山ノ神なのでしょうか?
闇おかみ神、高おかみ神 - いわゆる「おかみ神」は日本の水神で、
【農耕民族にとって水は最も重要なものの一つであり、水の状況によって収獲が左右されることから、日本においては水神は田の神と結びついた。田の神と結びついた水神は、田のそばや用水路沿いに祀られていることが多い。また、水源地に祀られる水神・水分神(みくまりのかみ)は山の神とも結びついている。※wikipediaより】とされているわけですが、「おかみ神」は特に農村において、祈雨、止雨、灌漑の神として信仰されてきたといわれています。
神社の後ろには刈り取りを終えた田んぼが広がっていましたが、社殿の隣に祠が2つ立っていました。その中のひとつを覗いて見ると、それは津軽の代表的な水神・水虎様。姉妹でしょうか、二体並んで祀られていました。
◇闇おかみ神社(山道)





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☆つがるみち☆

