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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 田舎館村   Tags: つがるみち  

境内でひと休み「胸肩神社と八幡宮」ーつがるみち273


胸肩神社


 田舎館村の役場にほど近い所に胸肩神社があります。地図では「胸肩神社」となっていますが、一般的には「田舎館弁天堂」と呼ばれている社です。
 この弁天堂の境内にひとつの石碑が立っていますが、これは、二人の人物の戒名を刻んだ碑です。
「天正十三年五月十九日 誠忠院殿前雄鑑義大居士」 ー 田舎館城主・千徳政武の戒名です。日付は、津軽為信による攻撃で、田舎館城が落城、政武が城と運命をともにしたときです。戒名の「誠忠」「鑑義」からは、南部氏への義に殉じた政武の生き方が伝わってくるようです。
「慶長六年三月十日 心貞院殿義学妙堅大姉」 ー 千徳政武の妻・お市の戒名です。
二人の命日が、天正十三年(1585)と慶長六年(1601)とはなれているのは、お市が落城後も生き延び、津軽統一の際の戦死者の大法要に突然現れ、為信の前で自刃して果てたからです。
  → 田舎館城落城悲話
 この夫婦の戒名碑は、昭和5年(1930)に弁天堂の掃除をしているときに、戒名が書かれた張り紙が発見されたため、田舎館城址付近のこの境内に、村人の手によって建てられたとのことです。 

 さて、社殿の隣に、もうひとつお堂が建てられていますが、その前には「十一面観音像」と書かれた木柱と説明板がありました。説明には、
【十一面観音像は、寛文7-9年(1667-1669)に僧侶円空が彫った立像で、ヒバ材が使用され、像高が150cmで台座を合わせた総高は182cm、像厚が6cmとなっている。※以下略】と書かれています。
 説明にある通り、このお堂に祀られているのは、いわゆる「円空仏」です。県内には17体が現存するといわれていますが、ほとんどは座像で、立像のものは少ないとされています。
 私は、弘前市の普門院を訪ねたときに円空仏を拝んだことがありますが、ここの十一面観音菩薩立像は、県内の円空仏の中では最も早い時期の作品といわれているということで期待したのですが、残念ながら見ることはできませんでした。事前の許可が必要だということでした。

◇田舎館胸肩神社(弁天堂)

 
社殿
社殿内
千徳氏戒名碑
十一面観音菩薩堂
弘前普門院の円空仏



一の鳥居


 続いて、同じく田舎館村の畑中に鎮座している八幡宮まで足をのばしてみました。
 この八幡宮については、
【御祭神:譽田別尊  寛正年中 (一四六〇~一四六五) 阿保甚助なる者、 当社八幡大神を奉じて当地に来たりて原野の中に小屋を建て、 開拓に従事し、 営々苦心の末、 遂に八反歩の田を開墾し、 小宇を建てそこへ奉じてきた八幡大神を祀る。
 爾来、 人々次第に集まり村落をなし、 村名を八反田と称し、 当社八幡大神を産土神として奉齋した。 此の草創者阿保甚助を草分の甚助と云って、 その子孫は今に至るまで在住している。 貞享四年 (一六八七) 五月の検地水帳に畑中村八幡宮境内地東西二十四間南北二十間とあり。 享保十八年 (一七三三) 九月、 及び天保十二年 (一八四一) 四月の棟札あり。 ※青森県神社庁HPより】とあります。

 相当古い時代に勧請された神社のようですが、この由緒はまた、村の開拓の歴史をも伝えているようです。阿保甚助なる者が、「八反歩(※1反歩は約300坪、990㎡)」の田を開墾したことに因んで、村名が「八反田」になったといういきさつは面白いですね。一の鳥居に下がっている重そうな注連縄は、五穀豊穣の願いの表れでしょうか。

 この神社は、回りを水田に囲まれた道路沿いに建っていますが、そばに、庚申塔などがまとめて立っていました。その中に「力士 荒岩彦三郎之碑」
力士顕彰碑
と刻まれた石碑がありました。地元出身の力士の顕彰碑?のようです。 
 田舎館村出身の力士といえば、第49代横綱・栃ノ海が有名ですが、この荒岩というお相撲さん・・・いつの時代にどんな活躍を見せた力士だったのでしょうか。

◇畑中八幡宮

 
境内
狛犬
末社
拝殿
庚申塔ほか


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  名木めぐり  

隠れた名木「アカシデとハリギリ」ーつがるみち272


黒森山浄仙寺


 私の地元・黒石市に、今まではあまり知られていなかった「隠れた名木」があるということで訪ねました。
 はじめに訪れたのは名刹として名高い黒森山浄仙寺。お寺のある黒森山(606m)周辺は、豊かな自然に恵まれ、ウォーキングコースも整備されている所です。
 コースは、浄仙寺を周回しながら、地元ゆかりの文学碑を見ることができる「文学の森コース」をはじめ、うっそうと生い茂ったブナの原生林の中を歩く「ブナの森コース」など、7コースがあり、時間と体力に応じて選べるようになっています。
 その中のひとつに「黒森山のアカシデコース」がありますが、このコースについては、
【日本一の大きさを誇るアカシデの木を見ることができるコースです。樹齢約150年、樹高14メートルのアカシデの巨木からはたくましい生命力を感じます。コース自体も比較的短く、初心者にもお勧めのコースです。※黒石市HPより】と紹介されています。

「アカシデ(赤四手)」は、【カバノキ科クマシデ属の落葉高木。北海道南部、本州、九州、朝鮮に分布する。高さは15mほど。花期は4〜5月頃で、若葉が生えると同時に咲く。秋には葉が紅葉する。シイタケのほだ木、製炭材、公園木なに利用される。
 和名の由来は、若芽が赤いこと、秋に美しく紅葉することから。「しで」は、注連縄(しめなわ)などに使われる紙垂(しで)のことで、花穂の垂れ下がる様子が似ていることから。※wikipediaより抜粋】とありますが、この黒森山のアカシデが注目されるようになったのは最近のことで、市民団体「東北巨木調査研究会」の方々による調査の結果、「主幹の幹回りは3.38メートルで、アカシデとしては全国6位。支幹を含めた合計の幹回りは4.69メートルと全国最大」であることが確認されたとのことです。

 浄仙寺から少し進んだ所に駐車場がありますが、私はそこから「アカシデコース」を歩いてみました。小鳥の鳴き声を耳にしながら曲がりくねった林の中を歩くこと約1km。急に視界が開け、その場所にアカシデの木がありました。
 巨木・大木というよりは、むしろ「麗木」といった方がよいかも知れません。主幹から分かれた支幹の姿形がとても美しく、汗をかきながらここまで登り詰めてきた登山者をホッとさせるような「名木」でした。

◇黒森山のアカシデ

 
アカシデ①
アカシデ②
アカシデ③
アカシデ④



安入集落


 続いて訪れたのは、黒石市安入(あんにゅう)地区にあるハリギリの木です。
 恥ずかしながら、私は道順が分からず、とりあえず、以前訪れた長谷澤神社方面へ向かって進み、途中から分かれる別の道をたどったところ、偶然に発見しました。
 細い道を少し進んだ所が、分かれ道になっていて、そこに大きなハリギリの木が立っています。弘前の身代地蔵尊のハリギリや青森市孫内八幡宮のものは、いずれも境内にある巨木でしたが、このように、集落の入口にポツンと立っているハリギリは初めてです。

 前述の市民団体による調査では、高さは不明ながらも、「幹周5.6m、ハリギリでは国内7位の巨木」とのことです。

 その太い根に抱きかかえられるように立っているのは青面金剛の石碑。
青面金剛の石碑
「文化八年(1811)」の年号が刻まれているところをみると、約200年前にここに置かれたものなのでしょう。年月が経つうちに、現在のように、根っこに包まれるようになったものなのでしょうか。

 青面金剛は庚申信仰、猿田彦、道祖神とも関わりが深いとされていますが、古くから村の分かれ道に立つ樹齢300年ともいわれるこのハリギリの巨木は、変わらずに集落を見守ってきたのでしょう。

◇安入のハリギリ

 
ハリギリ①
ハリギリ②
ハリギリ③
ハリギリ④


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 大鰐町   Tags: つがるみち  

合祀・復社「熊野宮と羽黒神社」ーつがるみち271


熊野宮一の鳥居
 
羽黒神社一の鳥居


 







 神社の中には、「○○○○年建立。○○年、○○により、○○神社へ合祀されるが、○○年復社す。」といった由緒を持つ社が数多くあります。
 大鰐町虹貝に鎮座する熊野宮もそんな由緒を持つ神社のひとつです。

参道


 その縁起については、
【御祭神:伊邪那岐命 伊邪那美命  長利家文書に依れば、 慶安五年 (一六五二)、 虹貝村では熊野新山宮と熊野宝量宮の二社を再建していたが、 両社とも創建年月日は明らかでない。 又、 明治六年、 神仏仕分けで一社にまとめ、 大鰐羽黒神社に合祀れるとある。
 明治八年、 羽黒神社より元熊野宝量宮地へ移す。 明治三十三年、 参道狭く且つ浮浪者住み着き社殿を汚すため、 前所在地より現在地へ移す。 明治四十年九月、 神饌幣帛料供進の指定を受ける。 昭和二十一年四月九日、 法人令により宗教法人となる。※青森県神社庁HP 】とあります。

 二社の統合→町内の神社へ合祀→元の地へ復社→移転と、幾たびかの変遷を経てきた社のようです。「浮浪者住み着き社殿を汚すため・・・」とありますが、かつては、そんなこともあったのでしょうか。名作映画『砂の器』の中で、放浪の旅をしてきた父と子が、島根県亀嵩へとたどり着き、村の神社の社殿の下に隠れているところを、善良な警察官に発見されるというシーンを思い出しました。

 虹貝の道路沿いに大きな社号標
社号標
が立っていて、そこからは境内へと急な石段が続いています。小高い丘の上に開けた境内には、小さいながらも貫禄のある狛犬や、龍神様が置かれた手水舎などがありました。拝殿の奥は、さらに高くなっていて、そこに本殿がありました。

◇虹貝熊野宮

 
境内
狛犬と龍神
拝殿①
拝殿②
本殿



狛犬


 熊野宮を合祀した羽黒神社は、大鰐町の名所「茶臼山公園」の中腹に鎮座しています。
 この神社は、大鰐温泉スキー場へと向かうトンネルの入口付近にあるわけですが、道路から上に向かって長い石段が続いているのが見えます。私は、石段を登らず、公園側から歩いたのですが、途中に「パワースポット羽黒神社へ」という道案内板が立っていました。この神社が町民の信仰を集めていることが分かります。

 石造りの二の鳥居は見事なもので、両柱には「昇り龍、降り龍」が施され、真ん中の扁額を支えるように、二匹の子獅子?が刻まれています。そこから、さらに石段を登ったところに社殿がありました。社殿には、ジャンバラ型の注連縄が張られていましたが、ここもその中を拝むことができました。

 由緒等、その詳細は分からないのですが、社殿の中に御祭神が書かれていました。「手力男命・大名持命・少彦名命・素戔嗚尊」など、七神を祭っているようです。
 その中の一柱に「八種雷神(やくさのいかずちがみ)」がありますが、「伊弉命が亡くなったとき、その屍に化成した神(大雷、火雷、黒雷等の八神)」で、「死の穢の象徴」とされています。
 ー 穢神を丁重に祀ることによって、穢や災いから逃れる・・・日本の祭祀のひとつの特徴でしょうか。

◇大鰐羽黒神社

 
二の鳥居①
二の鳥居②
拝殿①
拝殿②
拝殿③



茶臼山公園

俳句の小径


 さて、羽黒神社は前述のように茶臼山公園内にあるわけですが、この公園は山全体が県立自然公園となっています。眺望もすばらしく、また、園内には、約300種類を超える植物も育成している他、20数種類、総数約15,000本以上のツツジが花を咲かせるとあって、家族連れのハイキングなどで賑わう所です。
 頂上までの登り道の傍らには、合わせて69の俳句を刻んだ句碑が立てられており、ちょっとした「文学散歩」を楽しむこともできます。この道は「俳句の小径」と名づけられています。
 大鰐町は、俳人高浜虚子門下の四天王といわれ、俳壇で活躍した増田手古奈の故郷でもあり、その気風は現在にも受け継がれています。

 この公園では、例年、15,000本ものツツジが咲きそろう5月下旬には「ツツジ祭」が開催され、多くの人々で賑わいますが、今年は例年になく雪解けが早かったために、開花が早まり、私が訪れたときは、ちょうど見頃でした。

  
頂上へ
ツツジ①
ツツジ②
ツツジ③


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 鶴田町   Tags: つがるみち  名木めぐり  

トドロッポと「妙堂崎八幡宮」ーつがるみち270


妙堂崎のトドロッポ①
   
妙堂崎のトドロッポ②

 

 









 黒石市中野神社は、巨木が多いことでも知られています。隋神門の両脇には、推定樹齢約200年以上といわれる大きなモミの木がありますが、鶴田町妙堂崎の集落には、それよりもさらに古い樹齢をもつ巨木があります。

 この一本のモミの木には、「トドロッポ」という少し変わった名前がつけられていますが、この老木については、
【推定樹齢350年、樹高約30m、目通り幹囲約6mである。このモミの木の植栽の年代は明らかでないが、樹の大きさから推定して、元和年代(1615~1623)から寛永年代(1624~1643)のころ、津軽藩が木造新田の開拓に本腰を入れた頃、植えられたものと思われる。最近まで地上約7m付近にサクラ(樹種不明)が根付いていたが、昭和61年(1986)10月にサクラに栄養分が取られるというので、切ってしまった。そのあとを雨水が入らないようにコンクリートでふさいでいる。「トドロッポ」と地域の人々が呼んでいるが、アイヌ語だともいわれ、詳しいことは分からない。※青森県HP「あおもりの文化財」より
 この「トドロッポ」は、かつては6本ほど並んで立っていたそうですが、落雷の被害などにより、現在は1本になってしまったということです。
 古くから地元の人に「トドロッポ」と呼ばれ、その名称の由来はわかっていませんが、トドロッポとはアイヌ語で「トドマツ」という意味だとされており、この木が昔は、モミの木ではなく、トドマツだと思われていたために、そう呼ばれ始めたともいわれているようです。
 青森県の天然記念物に指定されているこの巨木は、鶴田町の名物のひとつでもあるわけですが、斎藤さんという方の私有地内にあるために、間近には見ることができませんが、道路からその雄姿をを見ることができます。太いその幹には注連縄が張られ、奥の方には祠も建てられていました。
 
◇トドロッポ

  
黒石中野神社のモミの木
 
トドロッポ③
 
トドロッポ④
 
トドロッポ⑤



妙堂崎八幡宮


 妙堂崎は、「鶴の舞橋」で有名な津軽富士見湖の北方にある集落ですが、ここに八幡宮が鎮座しています。
 付近の住宅に挟まれたところに一の鳥居。その奥の参道には、さらに多くの鳥居が立ち並んでおり、中には、自然木(あまり手が加えられていない)に朱色を塗ったような素朴なものもあります。

 境内の狛犬は、だいぶ風化が進んでいましたが、片方の頭には角が生えていました。二体ともに小さな造りですが、その表情は厳めしく、なかなか迫力があります。
 灯籠のそばに「御鎮座 三百五十年記念」と刻まれたりっぱな記念碑が建っていました。「トドロッポ」の樹齢も350年・・・この地で本格的な新田開発が行われた時期に植樹されたり、祀られたりしたもののようです。
 この記念碑には、鶴田町のシンボルが描かれています。まずは「鶴」、そして「米(稲)」と「りんごの木」。「亀」は鶴亀にあやかったものでしょうか。

◇参道、狛犬、記念碑

 
一の鳥居から
参道
狛犬
鎮座記念碑
鎮座記念碑より


 境内は、参道より少し高くなっていて、石造りの玉垣に囲まれていました。
 拝殿には、小さなジャンバラ型の注連縄が張られていましたが、真ん中にピンク色の模様?があります。まるでバラの花のようで、目を惹きます。
 拝殿の扉が開いていたので、中を拝むことができました。たくさんの扁額や奉納額に混じって、神馬像や獅子頭なども置かれていました。

 鎮座記念碑の裏側に、この神社の由緒が記されていました。それによると、
【御祭神:譽田別尊  正保二乙酉年(1645年)、大開、玉川両村の新田開発の守護神として村繁栄の為勧請された。中野孝一氏と斎藤常太郞氏の間の桑野木田道路の東方の小丘の森に小祠があった。この社が妙堂崎八幡宮の前身である。その後、宝暦四年大開、玉川両社が合祀され、現在地に建立せられた。】

 ー 津軽藩による大がかりな新田開発が始まった頃、各村々には、豊作祈願のため多くの小祠が建てられた。やがて、開発が進むにつれ、集落どうしが統合したりして、より大きな村が形成され、地域の産土社が建立された。 ー 神社の由緒は、村発展の歴史でもあるようです。

◇拝殿、本殿

 
社殿へ
拝殿①
拝殿②
拝殿③
本殿


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  

境内でひと休み「長沼大石神社」ーつがるみち269


大石神社


「大石」と名のつく神社は私の近場にもいくつかあります。
 その代表は、巨石信仰で知られる弘前市の大石神社ですが、鯵ケ沢町中村町にも同名の社があり、この神社については、
【享保五年 (一七二〇) 四月講中にて勧請し、 昭和二十二年四月から氏子一同崇敬、 昭和四十五年七月本殿・拝殿建立認可される。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。
 ー 今回訪れたのは、青森市浪岡(旧浪岡町)長沼に鎮座している大石神社です。


二の鳥居


 集落の大通りに一の鳥居
一の鳥居
が立っていますが、境内へは、その鳥居をくぐって少し進むとたどり着きます。入口には色鮮やかな二の鳥居と、末社とその鳥居、そして神社の由緒書きが立っていました。
 二の鳥居のそばには、庚申塔と社号標がありますが、社号標を見てびっくり。加茂明神
加茂明神
と刻まれています。
「えっ」と思いましたが、この神社の由緒によると、
【御祭神:高皇産霊命 神皇産霊命 別雷命  草創不詳。陸奥国誌に日く、 大石神社は享保十年 (一七二五) 七月建立、 西の徳才子村(※隣の集落)に接している関係で明治四十二年加茂神社を合祀し、 大正元年村社となる。 ※青森県神社庁HP】とあり、納得しました。合祀により、高皇産霊命、神皇産霊命とともに、各地の加茂神社の御祭神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)も祭られているわけです。

 この神社は、左右に道が分かれるところにありますが、二の鳥居をくぐるとしばらくは杉の木立に囲まれた参道が続きます。三、四とそれぞれの鳥居を過ぎると、やがて拝殿が見えてきます。私が訪ねたときは運よく扉が開いていたため、その中を拝むことができました。

◇参道と拝殿

 
参道
境内
拝殿①
拝殿②
拝殿③


 拝殿手前の両脇に向かい合うようにしてお堂が二つ建っています。中を覗いて見ると、そこには着飾った神馬が祀られていました。
 奥の方には祠が二つ。白と青の衣装を着けた御神体がありました。何の神様なのでしょうか。
 境内と道を隔てた所にも鳥居が立っていて、そこにも祠が二つ並んでいました。

◇末社など
 
 
神馬
末社①
末社②
末社③
末社④


 さて、弘前、鰺ヶ沢、そしてここ浪岡の三つの「大石神社」の御祭神は、いずれも高皇産霊神(タカミムスビノカミ)と神皇産霊神(カミムスビノカミ)です。
 先日、ネットを見ていたら静岡市清水区河内というところに、高さ19m、周囲60mという巨石があることが分かりました。「河内の大石(こうちのおおいし)」と呼ばれているこの巨大な石は、「元々は、西にある真富士山(1343m)の中腹にあったものが嘉永7年(1854)に起きた安政東海地震で崩れ、翌年の豪雨で発生した土石流によって約1.6kmも流されてきたもの」なのだそうです。HP上の写真を見て、その巨大さに驚きました。巨石のそばに神社が建てられていますが、名前は「大石神社」で御祭神は、ここでも高皇産霊神と神皇産霊神でした。

 この両神は、日本神話で「天地開闢のとき、高天原に出現した神で、天御中主神(アマノミナカノヌシノカミ)とともに造化の三神」とされています。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味することから、農業・工業・商業の発展をはじめ、安産・子孫繁栄など、広く敬われている神様です。

 特に高皇産霊神は「高木神」とも呼ばれ、天照大神とともに、高天原の至上神とされていて、「葦原中国平定(国譲り)」や「天孫降臨」などの神話においては、しばしば「天照大神と高皇産霊神の命により・・・」といった表現が使われているところをみると、八百万の神々の統括者であったといえそうです。
 一方、神皇産霊神は、須佐之男命、大国主神を中心とした「出雲系の神話」に数多く登場し、兄神たちに殺された大国主命を、その霊力で蘇生させたという伝承が語られています。

 では、なぜ「大石神社」の御祭神が高皇産霊神と神皇産霊神なのか・・。とても興味がありますが、浅学のため分かりません。 
 ー 「大石」は「要」とか「土台」を連想させるところから、国造りの基を成したこの両神が祀られる ー などと思ったりします。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

再訪「巌鬼山神社と多賀神社」ーつがるみち268


巌鬼山神社①


 以前に訪れた神社にも、ときどき立ち寄ることがあります。
 最近訪ねたのは巌鬼山神社。かつては「十腰内観音堂」とも呼ばれた津軽三十三霊場の5番札所です。
【御祭神:大山祇神  延暦十五年 (七九六) 岩木山頂の奥宮に対して下居宮として鎮座したのが始まりと言われている。 本尊観世音菩薩は大同二年 (八〇七) 坂上田村麻呂が勧請したとも伝えられている。 当社より山頂に参詣する者怪異の難に合う者が多く、 近江国の花輪其が勅宣を奉じて越前敦賀より来て、 山中に篭居して山神に祈願したところ神託があり、 百の沢を越えた所に社殿を建立せよとの事、 そうしたところ災難が無かったと言われている。 寛治五年 (一〇九一) 現在の岩木山神社と言う。 当社は文安五年 (一四四六) 山火事にて焼失、 寛正四年 (一四六三) 長見孫太夫によって再建された。 慶長二年 (一五九七) 津軽為信が巌鬼山観音院を修復したが、 再び元禄元年 (一六八八) 焼失同四年四代藩主信政が建立、 明治以前まで御本尊十一面観音を奉り巌鬼山西方寺観音院十腰内観音堂と言われていた。※青森県神社庁HPより

 しばらくぶりに名木として名高い二本の大杉を見たくて立ち寄りました。以前、訪れたときには本殿の中へは入れなかったのですが、今回は扉が開いていたので、本殿内の狛犬や木鼻なども見ることができました。

◇巌鬼山神社

 
巌鬼山神社②
巌鬼山神社③
巌鬼山神社④
巌鬼山神社⑤
巌鬼山神社⑥


 
巌鬼山神社⑦
 
巌鬼山神社⑧
 
巌鬼山神社⑨
 
巌鬼山神社⑩
 
巌鬼山神社⑪
 
巌鬼山神社⑫



多賀神社①


 続いて訪れたのは多賀神社。ここもまた、「清水観音堂」と呼ばれている霊場の2番札所です。
【御祭神:伊弉諾神  創立年月日は不詳なるも寺伝によれば、 大同二年 (八〇七) 坂上田村麿の創建とも云われており、 又天平三年 (七三一) 行基菩薩がこの地を巡錫し、 千手観音像を刻み、 大高森山の岩窟へ安置したのにはじまると
伝えられている。 岩屋観音の名もこれによるが、 安奉した時近くの老松に牡丹のごとき白い花が咲いたので、 「花咲松の観音様」 と別称されたという。 歴代藩主は霊場護持に関心を持ち、 為信が建物を、 信牧は大鳥居、 信義が石段を寄進し、 信政は御本尊を高森山から現在地の桜庭に移遷している。 明治三年の神仏分離で御本尊の千手観音像は弘前市の陽光院へ移遷されるが、 今なお、 三十三観音巡りの二番札所、 また子年一代の守護神として、 巡礼、 参拝の人々が絶えない。 ※青森県神社庁HPより

「懸造(がけづくり)」といわれるこの神社の社殿は、崖に舞台を組むように建てられており、小規模ながらも、なかなか趣があります。また、社殿横の岩の間から流れる「清水龍神水」は名水として知られています。私も一口味わってきました。

◇多賀神社

  
多賀神社②
多賀神社③
多賀神社④
 
多賀神社⑤
 
多賀神社⑥


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  

蛾虫坂「稲荷神社」ーつがるみち267


 
黒石の八郎伝説
 
蛾虫坂からの眺望


 黒石市の温湯には、「昔、八郎という若者が浅瀬石川の水を飲み過ぎて、体中鱗だらけになり、龍になった」という面白い伝説があります。
 温湯温泉から板留温泉へ行く途中の坂道は小高い丘になっていますが、ここにも次のような八郎の話が伝えられています。
【昔八郎が、この下を流れる浅瀬石川と中野川をせき止めて、ここに飲み水を溜めようと、エビ(※柳の枝を折り曲げて、ざるのように作った土砂の運搬具)一杯の土を盛った。しかし、中野のお不動様に叱られて、そのまま逃げた。そのときの土盛りだという。※『青森の伝説』角川書店
 
 この八郎が造った土盛は「蛾虫(がむし)坂」と呼ばれていますが、新道が開通するまでは、人々の往来が絶えなかったようです。 
 ー 【いで湯の地である温湯村や板留村は、浅瀬石川に沿う温泉と景勝の地として津軽郡中に知られていました。温湯村と板留村の間、浅瀬石北岸の断崖を登る大坂道であった蛾虫坂とその峠からは、大川(浅瀬石川)をはじめ、温湯村、板留村、中野紅葉山・・・などが眺望でき、絶景であったとされています。※黒石市HPより】 ー

「蛾虫(がむし)」という少し変わった名前ですが、地名にもなっており、その蛾虫坂の麓に稲荷神社が鎮座しています。


稲荷神社入口


 坂道の入口にあたるこの神社については、
【御祭神:倉稲魂命  一羽の鶴が傷ついて芦辺に居りしが、 後に元の如く癒えて飛び去ったのを神山右沖なる人がこれを見て芦原を捜したところ、 湯気の立つ処があるのを発見して名称を鶴泉と名づけた。 天正十九年 (一五九一) 夏、 陸奥浪岡城主源中納言唯秋の家臣工藤次郎左衛門なる者あり。 訳ありて浪人をし、 此の地へ参り川原に小さな葛家を建て妻子を伴い居住し湯の恵みを受けたが、 十数年後、 廃湯を思い、 浴する人々のために芦を結び風雪の凌ぎをなした。 後の人、 これを山形の湯と唱え浴する人が増えていった。 寛永元年 (一六二四) 八月中旬、 花山院忠長卿が御入浴の際、 山方の温湯と名付け、 百年も後には奥州一の湯になるだろうと云われた。 宝永七年 (一七一〇) 元の宮地であるがむし坂へ同村の六右衛門が社殿を再建、 更に寛政七年 (一七九五) 村中にて再建す。 ※青森県神社庁HPより】とあります。
 神社の縁起というよりも、温湯温泉の由緒について述べられていますが、それだけ、この社は、温泉を主とした村の発展に深く関わってきたのでしょう。

 境内の手水舎のそばに大きな石がありますが、この石は松尾芭蕉の句碑でした。
「行秋や手をひろげたる栗のいが」 ー 元禄7年(1694)9月、芭蕉は最後の旅で故郷の伊賀に立ち寄りますが、芭蕉の衰弱ぶりを見かね伊賀の門人たちは、出立しようとする芭蕉を引きとめます。この句はそんな門人への挨拶句だと言われているようです。
 石の正面にこの句が刻まれているわけですが、側面には、天保3年(1832)この句碑を建立した吉村子文という方の句がありました。 ー 「行秋や古巣に帰る鳥の影」
 かつて、多くの旅人達が往来した蛾虫坂にふさわしい句といえるでしょうか。

◇稲荷神社と芭蕉の句碑

 
二の鳥居から
拝殿
本殿
芭蕉句碑①
芭蕉句碑②



頂上へ①


 本殿のわきからは頂上へと至る坂道が続いていますが、県内最古の芭蕉の句碑
県内最古の芭蕉の句碑
の案内板が立っていました。
「この先二百米位」と書かれてあったので登ってみることにしましたが、これがまちがいのもとでした。曲がりくねった道が延々と続き、息が切れて何度も休憩する始末。。やっとの思いで頂上へたどり着きました。

 頂上の木々の間からは温湯や板留の町並みが見えますが、ここにひとつのお堂が建っていました。そして、その前には句碑らしき大石。これが、県内最古の芭蕉の句碑なのでしょうか。残念ながら刻まれた文字は読めませんでした。

 後で調べてみたら、蛾虫坂の頂上には七面堂というお堂があり、その傍らに安永2年(1773)3月に建立された芭蕉の句碑 ー 「梅の香にのつと日の出る山路かな」 ー があるとのことですが、ここが本当にそれなのか?

 青森県の各地にも芭蕉の句碑は数多くありますが、この稲荷神社と同じ温湯・薬師寺にも「山中や菊は手折らぬ温泉の匂ひ」の句碑があります。
「旅の詩人」松尾芭蕉は、やはり、多くの人々に敬愛されているようです。

◇県内最古の芭蕉句碑を訪ねて

 
頂上へ②
頂上へ③
頂上から
七面堂?
県内最古の芭蕉句碑?


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 鰺ヶ沢町   Tags: つがるみち  

藩祖の建立「種里八幡宮」ーつがるみち266


種里八幡宮


 鰺ヶ沢町を流れる赤石川は、白神山地に源を発し、日本海へと注ぐ河川です。上流は深い渓谷が続き、赤石渓流など数多くの支流があり、美しい風景が見られます。また、赤石川に生息するアユは、魚体が金色を帯びていることから「金アユ」と呼ばれていますが、これは、赤石川に含まれる黄鉄鉱の成分がアユに吸収され、背や腹部を金色にするのではないかと言われているようです。
 かつては、流域沿いに、いくつかの城館があったとされていますが、河口から8kmほど遡った所に種里城跡があります。
 種里城は、大浦光信が築いた城ですが、光信は津軽藩の初代藩主・津軽(大浦)為信の祖であることから、この城跡一帯は「津軽氏発祥の地」とも呼ばれています。その大浦光信が勧請したとされる社が種里八幡宮です。


入口


 種里八幡宮へは赤石川を遡って行くわけですが、その途中には津軽三十三霊場8番札所である日照田観音堂(高倉神社)があります。ついでなので少し立ち寄って、名木とされているイチョウの大木
イチョウの大木
を見てきました。観音堂からさらに種里城跡を目指して進んでいくと、間もなく八幡宮へとたどり着きます。

 神社の入口には注連縄が張られた門。まるでお寺の山門のようですが、神仏混合の名残でしょうか。そばには「種里八幡宮」と書かれた扁額が置かれていました。
 門をくぐると、そこからは参道の石段が続いていますが、その両脇に見事な杉の大木がそびえ立っています。この杉は、鰺ヶ沢町の天然記念物に指定されているものですが、推定樹齢350年以上とされており、津軽為信が社殿再建時に植樹したものと伝えられています。

 この神社の社宝は、町の有形文化財となっていますが、石段の登り口に、その説明板が立っていました。その中の弓具(滋藤の弓と鏑矢)と獅子頭は、いずれも為信が社再建の折に寄進したものですが、「身正体」といわれる懸仏は、初代の神官であった奈良主水貞親(ならもんどさだちか)が、奈良の国から首につるして来たものといわれています。 ー 説明板から何段か石段を上って行くと、一の鳥居があり、小高い丘の境内へとたどり着きます。

◇種里八幡宮の社宝と境内

 
文化財説明板
社宝①
社宝②
境内へ
狛犬



境内


 この八幡宮の由緒については、
【創建は大永3年(1523)、大浦光信(種里城の城主)が、武運長久、一門繁栄を祈願して勧請したのが始まりと伝えられている古社で、神官には奈良主水貞親があたり代々奈良家が祭祀を司っています。
 大浦光信は後の弘前藩津軽家の祖と言われた人物で死後神格化され慶長2年(1597)に光信の御霊が種里八幡宮に合祀されると歴代津軽家に庇護され、社領15石が安堵され永禄12年(1569)や慶長2年(1597)に社殿の寄進が行われ、例祭の際は藩主の代参が欠かさず行われたと言われています。
 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、明治6年(1873)に郷社に列し、昭和12年(1937)に八幡宮から現在の社号である種里八幡宮に改称、明治39年(1906)に神饌幣帛料供進社に指定されています。※HP「青森県:歴史・観光・見所」より】と紹介されていますが、歴代藩主の崇敬も厚かったこの社は、「津軽家の聖地」でもあったのでしょう。

 由緒にも出てくる初代神官・奈良主水貞親は、大浦光信の忠実な家臣だった人物で、次のような話が残されています。
ー 光信公が病に倒れて死期を悟った時、家臣で種里八幡宮の初代神官である奈良主水貞親を枕元に呼び、「汝 冥途に先立ちて 我に供養せよ」と告げた。 ー ・・・即ち光信は奈良主水に殉死を命じたわけですが、主水は、主の意を悟り、殉死したと伝えられています。少し残酷な話ではあります。
 種里城跡には大浦光信の廟所がありますが、その隣には、主に寄り添うようにして、この奈良主水貞親のお墓
奈良主水貞親のお墓
もあります。

 今まで津軽の多くの神社を訪ねてきましたが、様々な理由から拝殿が施錠されているところがほとんどです。しかし、ここ種里八幡宮の拝殿は開いており、その中を拝むことができました。
 拝殿の奥の両側には隋神像が二体置かれていますが、さらにその奥が本殿へとつながっていました。本殿の向拝の竜虎や木鼻の龍は、とても緻密な彫り物でした。

◇拝殿と本殿

 
拝殿①
拝殿②
本殿①
本殿②
本殿③


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 風薫る5月を迎え、辺りが少しずつ緑にそまってきました。今後も、ぼちぼちと史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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