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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

鬼沢めぐり3「文永の板碑ほか」ーつがるみち284

   鬼の土俵鬼の腰掛カシワ鬼の足跡民次郎碑鬼神社馬頭観音熊野宮白山神社文永の板碑












 弘前市の鬼沢集落の入口に「歴史と伝説の里 鬼沢」という案内板が立っていて、その裏側に名所案内図が書かれています。
 以前、この図を見ながら鬼神社をはじめ、鬼の足跡、鬼の土俵、鬼の腰掛カシワなどを巡ってみました。
  → 鬼沢めぐり1(以前の記事)
  → 鬼沢めぐり2(以前の記事)
 
 今回は3回目。以前に訪ねそこねた所を回ってみました。
 ※上の画像の赤字が以前訪ねた所です。緑字は、今回訪れた所です。赤字緑字をクリックすると画像が見れます。


馬頭観音像

熊野宮一の鳥居

白山神社一の鳥居


 今回訪ねた所は、いずれも鬼沢の郵便局から少し進んだ所に位置しています。

◇馬頭観音社
 鬼沢研修会館や児童館などがある住宅地に赤い鳥居が立っていて、その奥に社殿が建っていました。村人の農作業や生活の中心となってきた馬を祀り、供養する意味合いが強い馬頭観音堂は各地にみられますが、ここもまたそのひとつ。地域の手で、大切に祀られているようです。社殿の中、祭壇のとなりには、自然木を利用したと思われる馬の像なども納められていました。

◇熊野宮
 馬頭観音社から続く坂道を少し下った所に鎮座しています。周りはりんご畑。「熊野宮」と刻まれた石碑と鳥居があり、その奥に社殿がぽつんと建っていました。鳥居の注連縄は、鬼神社の旧正月行事「裸参り」より奉納される神前物なのだそうです。多くの熊野宮(熊野神社)と同様、御祭神は伊邪那岐大神と伊邪那美大神。社殿の中を覗いて見ると、熊を描いた絵馬が奉納されていました。先の馬頭観音もそうですが、馬頭観音だから「馬の像」、熊野宮だから「熊の絵馬」・・分かりやすいですね。

◇白山神社
 熊の宮から道が続いているようですが、よく分からなかったので、違う道を進みました。ここもまたりんご畑のど真ん中。車がやっと通れる細道でした。
 この神社は昔から「女性のための神社」として信仰されてきたということです。やはり御祭神が白山比咩大神 (菊理媛神)だからでしょうか。境内には女性の神社らしく扇形の手水石(石扇)などもありました。
 また、境内には多くの石碑がありますが、中でも応安5年(1372)の銘をもつ板碑は、御神体扱いされている貴重なものだそうです。この板碑をはじめ、各碑の文字は風化のために、私には読めませんでした。
『貞亨4年検地水帳』によれば、この神社は「白山堂」という名で記録され、鬼神社とともに、古い由緒をもつ社であるとのことです。杉林に囲まれた静かな境内でした。

◇馬頭観音、熊の宮、白山神社
 
 
馬頭観音①
馬頭観音②
熊野宮①
熊野宮②


 
白山神社参道
白山神社境内
白山神社拝殿
扇型手水石と板碑



文永の板碑①

文永の板碑②


 白山神社一帯のりんご畑を過ぎると、水田が広がっていますが、そこに弘前市有形文化財に指定されている板碑があります。
「文永の板碑」と呼ばれるこの石碑は、
【この碑は、所有者小山内家(旧長内家)の先祖供養塔婆として、古くからこの地にまつられてあった。当地方には大変珍しい胎蔵界大日如来を表わす「ア」と見られる種字(仏を梵字一字で表わしたもの)と「文永四丁卯年九月十日」の年号が刻まれている。津軽地方には、この種の碑が、約360基余り発見されているが、文永4年銘のこの碑が最古のものであり、鎌倉時代の史料として貴重である。※板碑説明板より】とされています。
 県内最古のものとされているこの板碑は、高さ111cm、幅が78.5cm、厚さ21cmで、
【形姿内容ともに簡素であり、弱い筆跡や鏨たがね跡には、造立の苦心のあとをしのばせるものがある。※弘前市HPより】とのことですが、現在は屋根の下に大切に保管されています。

 なお、この板碑がある地域の住所は「鬼沢字二千苅」ですが、「刈」は、中世における田地の面積を表わす単位であるとされています。昔は一帯に「石仏」という地名があったとのことですが、かつては、多くの石碑(板碑)などがあったのかも知れません。いずれにしても、古くからの歴史が眠る地域のようです。

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境内でひと休み「野田神社と淡嶋神社」ーつがるみち283


野田神社本殿


 弘前市相馬(旧相馬村)藤沢野田・・この集落に野田神社が鎮座しています。近くには大助という集落があり、ここにも同名の神社(大助野田神社)がありますが、以前、訪れた時、ついでにこの藤沢の社にも立ち寄ろうと思ったのですが、そのままになってしまいました。
 相馬村は岩木町とともに、中津軽郡に属していましたが、中津軽郡の神社を訪ねると必ずといっていいほど神社入口にていねいな由緒書きが立っています。この野田神社にもそれはありました。
 少し文字がかすれていたので読めなかったのですが、概要は、
【御祭神:大山祇神 創立は慶長年中 (一三一一~一三一二) と伝えられ、 当初は山神宮・太子堂と称したという。 安政二年 (一八五五) の調査では寛永七年 (一六三〇)、 寛文五年 (一六六五)、 元禄三年 (一六九〇) の棟札があった。 明治四年に御改制により保食神社、 明治六年藤沢神社、 明治二十二年六月に野田神社と改称した。 明治八年当時は、 大助の愛宕神社、 坂市の雷電宮神社、 沢田の神明宮を合祭していた。 ※青森県神社庁HP】とのことです。

 14世紀初頭の勧請(※慶長年中とありますが、応長年中と思われます)ということからしても、ずいぶん古い歴史を持つ神社のようです。大助の愛宕神社は大助野田神社であり、沢田の神明宮は「奇祭ろうそくまつり」で有名な所ですが、それらを合祭していたこの神社は、地域の中心となる社として崇敬されていたのでしょう。

 現在は道路沿いに位置していますが、境内には昔を思わせる大木が繁茂しており、かつては辺り一帯が「鎮守の森」だったと思われます。
 一の鳥居のそばには庚申塔や二十三夜塔と並んで地蔵堂
地蔵堂
もありました。地域の方々の手で大切に守られているらしく、よく整備された明るい感じのする境内です。小さな本殿には真新しい狛犬も奉納されていました。

◇野田神社

 
一の鳥居
参道
境内
拝殿
本殿の狛犬



淡嶋神社


 こちらは同じく旧相馬村薬師平に位置する淡嶋神社です。
 その由緒については、
【御祭神:少名彦名命 創立年月日不詳なるも伝うる所によれば、 大同二年、 田村麻呂将軍東夷征伐の時、 当地方に戦勝祈願所を建設勧請せりとある。 明治六年四月、 村社に列格、 昭和二十二年神社本庁に所属する。※青森県神社庁HP】と紹介されています。

「大同2年、 坂上田村麻呂、蝦夷征伐の戦勝を祈願して勧請」・・・津軽ではおなじみの神社の縁起ですが、この神社もまたそんな伝説が残る社です。

 どちらかというと山間部に位置するこの神社、少し道に迷いました。一の鳥居のそばには庚申塔と二十三夜塔の他、ここにも地蔵堂
地蔵堂
がありました。編み笠をかぶったお地蔵様や倒れかけた後生車など、まるで霊場への入口を思わせます。 → 神社入口
神社入口


 一の鳥居から山頂へと続く参道は急な上り坂で、しかも道筋めいた跡もなく、まさに「道なき道」といった感じでした。それだけに、頂上付近の赤い鳥居
頂上付近の赤い鳥居
が見えたときは正直ほっとしました。
 静かな雰囲気で、手水岩、末社、狛犬、拝殿へと続く石段など、とても趣のある境内です。石造りの玉垣に囲まれた本殿の中には、大黒天などの像
大黒天などの像
が置かれています。また、隅っこには、風化した小さな狛犬などもありました。本殿の裏側にはりんご畑
りんご畑
が続いています。花の咲く頃は、さぞかしきれいな景色が広がることでしょう。

 帰り道、「またあの急な坂道を下るのか」と思い、ぞっとしましたが、よく見ると境内から別の道が下へと続いています。その道をまっすぐに降りると舗装された農道へ出ました。こんなことならはじめからこの道を・・・と思いましたが、それはそれで・・・。

◇淡嶋神社

 
二の鳥居
末社
拝殿
本殿
本殿の狛犬


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光明真言庚申塔「白蛇神社」ーつがるみち282


白蛇神社


 津軽三十三霊場の1番札所である久渡寺へ行く途中に小沢という集落があります。
 現在は平坦な舗装された道路が続いていますが、昔は坂道がたくさんあったらしく、こんな話があります。
【弘前の南郷、小沢の入口に飢渇坂(けかつさか)がある。昔、凶作の年に、村人が空腹のあまりこの坂を上れずに倒れたまま死んだという。しかし今はこの話もうそのように、平らな舗道になってしまった。※『青森の伝説』角川書店

参道


 そんな小沢の集落・坂元地区に鎮座しているのが白蛇神社です。
 御祭神や詳しい縁起などについては分かりませんが、神社入口に由緒書きが立っていました。
【この神社の創建時期は定かではないが、今から約350年程前の「津軽知行高之帳」によれば、平賀郡の中に坂元という村名があり、そこの氏神様として久渡寺の北の日寄山に創立され、その後、現在地に移建したと伝えられている。江戸時代には、当時津軽藩の領内で流行した疫病の沈静を願い、村人達が詣でたといわれている。なお、神社境内にある板碑は、約230年程前に建立されたもので、平成5年に弘前市の有形民族文化財に指定されている。※由緒書きより

 平賀郡(ひらかぐん、ひらかのこおり)は、かつての「陸奥国」の岩木川流域に存在した郡のことですが、奥州藤原氏の時代に置かれたともいわれています。江戸時代前期の寛文年間には近郷の鼻和郡・田舎郡とともに、津軽郡の一部となりましたが、これは現在の弘前市をはじめ黒石市・平川市・南津軽郡などにあたります。
 由緒にあるように、かつてこの小沢の入口付近が「坂元」と呼ばれていた村であったことは、前述の飢渇坂の昔話を思い起こさせます。
 また、霊場・久渡寺との関係も深いものがあるようですが、あるいは「下宮」にあたるような役割を負っていた神社なのかも知れません。疫病退散を願って多くの村人が詣でたことなど、地域の中心となる社だったのでしょう。

 道路沿いに赤い一の鳥居と由緒書きが立っており、そこから奥へと参道が続いています。鳥居には、太い注連縄の下にもう一本細い注連縄が張られていました。近づいて見ると、その縄に挟まれていたのは唐辛子。魔除けの風習のようです。境内の中にはブランコなどもあり、子ども達の遊び場にもなっているようです。
 

光明真言庚申塔①


 さて、由緒書きにもあるように、この神社の境内には弘前市指定有形文化財である「光明真言庚申塔(こうみょうしんごんこうしんとう)があります。拝殿の手前の大きな木の下にそれは建っていましたが、そばに詳しい説明板がありました。
【光明真言庚申塔 一基  密教では、神秘性を保持するために梵字を翻訳せずに読誦(陀羅尼)するのが通例であるが、光明真言もその一つで、これを誦することによって一切の罪障を除くという。 ー中略ー 本碑は、安永二年(1773)の紀年名を有し、碑面上部に光明真言を、中央部に不動の種字(梵字)を薬研彫りで刻し、修験の介在を窺わせる。また、頂部を三角に、石碑表面を整形するなど本格的板碑形式を踏襲するものである。】

 注連縄が張られたこの石碑は台座をふくめた高さが122.5cmとされています。密教とか光明真言とか種字など、私には難しくてよく分からないのですが、【近世に入り講集団によって光明真言塔の造塔を各地でみたが、弘前市ではこの1基のみ確認されているだけである】という、貴重なもののようです。

◇白蛇神社

  
一の鳥居
唐辛子
狛犬
光明真言庚申塔②


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中別所板碑群ーつがるみち281


中別所板碑群


 弘前市には有形、無形を問わず、数多くの文化財がありますが、各地に点在する板碑(板碑群)もそのひとつです。
 板碑は故人の供養のほか、来世の幸福を願って生前に造塔して礼拝するために建立されたものですが、青森県に遺されている板碑は、そのほとんどが津軽地方に集中しており、県南地方で確認されているものは、わずかに2基とのことです。

石仏板碑群①


 中でも弘前市の中別所(なかべっしょ)地区には、数多くの板碑が遺っており、「中別所板碑群」と呼ばれていますが、その数は62基といわれ、まさに「群」と呼ぶにふさわしい数です。
 この板碑群は、前回ご紹介した宮舘の稲荷神社から1km足らず。岩木山を望むりんご畑の中にありました。


正応の板碑


 板碑群の入口に説明板が立っていました。
【国指定重要美術品 正応元年々紀 板石塔婆(板碑)一基  津軽地方の鎌倉文化を表徴する雄建な佛種字が彫られているこの板碑は源光氏が高椙故西円禅門を弔う為に三五日忌に供養碑として建立したもので、鎌倉時代の正応元年(1288)の年紀がある。源光氏は長勝寺の梵鐘(重文)にある施銭旦那中にも見られる。岩木山麓の板状節理の輝石安山岩で造られている。
 当所の一群は「石仏」と称されており、大小47基あり、また隣地の一群は「公卿塚」と称され15基ある。いずれも鎌倉時代に建立された供養碑であり、地方史上極めて重要なものである。】

 大小ある板碑の中でも、ひときわ大きなものは年号から「正応の板碑」と呼ばれており、県立郷土館にも精巧な複製品が展示されています。
 造塔者は源光氏(みなもとのみつうじ)という人物で、辺り一帯の豪族ですが、説明にあるように長勝寺にある梵鐘(嘉元鐘:かげんのしょう)の銘文にも、その名が刻まれている人物です。
 多くの板碑の上部には、仏の実体を表す種字(しゅじ)が梵字(ぼんじ)で刻まれていますが、この種字によって石に魂が吹き込まれ、仏として扱われるといわれています。「正応の板碑」の種字は「バン」で、大日如来を意味しているとのことです。下部には、「立之志者奉為高椙故西円」「正応元年戊子7月廿3日源光氏敬白」などと刻まれており、源光氏が父・西円の35日供養のために建立したことが分かります。
 石碑の原材は「岩木山麓の板状節理の輝石安山岩」と記されていますが、この石は産出地の名前から兼平石と呼ばれ、コンクリートが普及する以前には、橋や石段などに多く用いられたものです。

 さて、説明に書かれているように、ここの板碑群は正応の板碑がある「石仏」と「公卿塚」の2カ所に分かれていますが、「公卿塚」の方は、大きなケヤキの木の下などに板碑が立てられていました。
「公卿塚」という名前の由来などは分かりませんが、2mほどの大きな板碑
公卿塚の板碑
などがあるところをみると、大きな力を持った土地の豪族達が建立したものと思われます。

◇中別所板碑群

 
石仏板碑②
石仏板碑③
公卿塚板碑①
公卿塚板碑②
公卿塚板碑③


 板碑の中には、近郷からこの場所に集められたものもあるとは思いますが、こうして数多くの板碑が並び立つ様はなかなか壮観です。
 菅江真澄は津軽地方の古碑に興味を持ち、ここ中別所の板碑群を訪れていますが、『都介路迺遠地』の中で、
「この中別所と宮館といふやかたありけるあはひに、(中略)石仏ヶといふ田のあぜ、畑中、木の下、草の中などに、石塔婆のこゝらたち、あるは、ふしまろび莓(苔)に埋れ、すれやれて、文字のすがたもやゝ見やらるゝは、(中略)しらぬ弘安、正和、延慶、永仁、元応は、よみもときたり」と記しています。 ー 1800年当時、様々な年号を持つ板碑が、木の下や草の陰に埋もれていた様子が分かります。

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境内でひと休み「独狐八幡宮と宮舘稲荷神社」ーつがるみち280


独狐八幡宮
  
宮舘稲荷神社





参道


 弘前市に「独狐(とっこ)」という所があります。「ひとりぼっちの子ぎつねが・・・」などど童話にでも出てくるような地名です。
 ここには、松笠森遺跡という遺跡があり、
『松笠森遺跡は、江戸時代の元禄7年(1694)に津軽藩が領内の道路調査で作成した「御国中道程之図」に、広陵と共に鉢巻き状の堀が描かれていることから、当時から遺跡として知られていたことが分かります。農村公園整備に伴い、平成11~13年度にかけて弘前市教育委員会が発掘調査を実施しました。その結果、縄文時代の土抗が4基、平安時代以降の掘跡が3本発見されました。また、出土遺物では縄文時代早期後半から前期、中期の土器や石器と平安時代後半の土師器などが出土しました。これにより松笠森遺跡は、縄文時代(早期~後期)に尾根部分を中心に縄文人が一時使用し、その後は、平安時代後半以降に山頂部に三重の堀を巡らし、住居区域とは異なる用途として使用されていたものと考えられます。※遺跡説明版より』と紹介されています。
 ー そんな独狐の集落に八幡宮が鎮座しています。

 独狐は弘前と鰺ヶ沢とを結ぶ31号線沿いに開けた集落ですが、道路沿いには八幡宮の大きな社号標も立っているようです。私は、裏側の山沿いの方から入りました。
 小高い丘陵地帯になっている辺りは「独狐の森公園」となっていて、岩木山
岩木山
が眺められる展望所もある所です。また、最近では映画『奇跡のりんご』のロケが行われたことでも有名になりました。

 その公園からの坂道を下った所に八幡宮の一の鳥居がありました。そこからは、背の高い杉の木が密集している参道の石段が続いています。杉の木にからまるカズラの色が鮮やかです。石段を登り切った所には大きな狛犬が一対。境内には八幡宮と書かれた石碑や各種の記念碑、末社の稲荷宮などが建てられていました。黒と薄いクリーム色の社殿は、あたりの緑に溶け込んで、とてもきれいです。

 ところで、「独狐(とっこ)」という少し変わった地名ですが、一説によると、「かつて修験が当地にいて、仏具"独鈷杵"からきたものといわれている。」とされています。「独鈷杵(トコショ)」は、密教やチベット仏教における法具・金剛杵(こんごうしょ)
金剛杵(こんごうしょ)
のひとつです。

 この八幡宮の由緒については、
【御祭神:誉田別尊  創建の年月は明らかでないが、 社堂縁記修験道由緒に、 「独狐村、 正八幡宮、 旧舘を松笠森と名つく。 寛永十七年、 同村、 小右ェ門、 氏神に勧請す。 円光坊。」 とある。 弘前在浦々社堂帳には、 「独狐村八幡宮、 延寛七年」 とある。 明治六年四月、 村社に列せられる。※青森県神社庁HP】とあり、ここでも、その縁起と修験道との関係が述べられています。かつて、辺り一帯に修験の道があり、この社もまた、中心となる役割を持っていたようです。

◇独狐八幡宮

 
境内へ
狛犬
境内
拝殿
稲荷宮



一の鳥居


 独狐八幡宮からの帰り道、宮舘に鎮座する稲荷神社に立ち寄りました。
【御祭神:宇迦之御魂神・大宮能売命・猿田彦命   当社の草創年月日不詳なるも、 東日流通観録によれば 『承平四年、 芝山玄蕃祐高、 西畠式部少輔、 宮舘城を築き城主、 管領職相勤めたる際、 城内に一社を勧請して稲荷明神と称し、 領地安全の祈願社とす。 また、 高杉城主源有氏累代崇敬せり。 後に村民にて改築し崇敬し来れり』 とある。 明治六年四月村社に列せられる。 ※青森県神社庁HP】と紹介されている神社です。

 承平年間(931年~)に城(館)が築かれていたとあるように、一帯は、当時から交通の要所だったようですが、一の鳥居のそばには、二十三夜塔とともに大日宮
大日宮
と刻まれた石碑が立っていました。かつては、大日如来も祀られていたのでしょう。末社の中には、大日堂と書かれた奉納札とともに、石仏も置かれていました。
 稲荷神社らしく、大きなきつね像や神馬、狛犬などもありますが、本殿横には、「八幡大菩薩」「天照皇太神宮(※天照大神は大日如来と同一視されることもある)」「春日大明神」と刻まれた石碑が立っているなど、神仏習合の名残を感じさせる社です。

◇宮舘稲荷神社

 
きつねと狛犬
拝殿
末社①
末社②
本殿


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大杉と水神様「戸沢白山姫神社」ーつがるみち279


白山姫神社


「白山姫」と名のつく神社はいくつか訪ねましたが、黒石市の白山姫神社は袋観音堂とも呼ばれ、津軽三十三霊場のひとつでした。また、弘前市鳥井野の白山姫神社は、鳥居に鬼っコを掲げていることでも知られています。さらには、鶴田町の白山姫神社・・津軽富士見湖の近くにある神社です。
 いずれの社も主祭神は白山比咩神(シラヤマヒメノカミ)です。菊理媛神(ククリヒメノカミ)と同一神とされていますが、菊理媛神は謎の多い神で、神話ではイザナギとイザナミの間をとりもった神となっています。菊理(ククリ)は「括り」に通じることから、万事をくくる(まとめる)神、縁結びの神としても知られます。 

 ー 今回は、五所川原市戸沢の白山姫神社を訪ねました。

 この戸沢の白山姫神社については、
【御祭神:白山姫命  慶長二年勧請。 明治六年四月白山権現を白山姫神社と改め飯詰村八幡宮へ合祭。 明治八年二月復社。 明治九年十二月村社に列せられる。 昭和十一年一月十八日神饌幣帛料供進指定神社に列格せられる。 本殿、 拝殿大正二年新築。 幣殿昭和八年六月新築。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 慶長2年(1597)年の勧請ということは、津軽藩による藩政が本格的に行われる少し以前のことであり、古くから村の守り神として崇敬を集めてきた社のようです。「白山姫神社」と書かれた社号標には五穀豊穣祈願
五穀豊穣祈願
と刻まれていました。
 集落から枝分かれしている小道が神社の方へと続いていますが、大きな鳥居が立っており、そこから丘の上の社殿が見えます。周りに広々とした水田が広がっている様子が境内からも見えました。

◇白山姫神社

 
二の鳥居
境内へ
境内から
拝殿
本殿



大杉①
大杉②

大杉③
大杉④


 私は、「全国巨樹探訪記」というHPの中の「青森県の巨樹」のページをよく見ているのですが、この白山姫神社の大杉を紹介している記事の中に、こんな記述がありました。
【境内では、2人の男性がしっかり身支度をして、境内平面と斜面の境界部に溝を切っておられた。排水路を確保しておかないと、大雨の時に斜面から境内に大量の雨水が流れ込み、境内面の表土を削り取ってしまうのである。】 ー 確かに、社殿の右側(向かって)は急な斜面になっていて、境内の環境維持も大変なようです。 

 拝殿の手前に大きな杉の木が一本立っています。どちらかというと、がらんとした境内に佇立しているこの巨木は、よいアクセントになっいて、神社全体をひきたたせているように見えます。
 この大杉は、樹高27m、幹周り5.1mとされていて、樹齢は不明ながらも、古くからこの神社のシンボルとして崇められてきた巨木のようです。貫禄は十分ですが、若々しい感じのする杉の木で、まだまだ上に向かって伸びていきそうな感じです。


 神社の入口付近には地蔵堂があります。中には十字前掛けをしたお地蔵様が何体か祀られていました。そして、その地蔵堂のとなりには、神社とは別の鳥居が立っており、そこから何本か奥に向かって鳥居が立てられていました。
 手前にあった小祠の中を覗いて見ると、祀られていたのは大山咋神(おおやまくいのかみ)と罔象女神(みつはのめのかみ)。大山咋神は、「大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神」とされ、罔象女神は里山(農村地帯)では、「灌漑用水の神、井戸の神として信仰され、祈雨、止雨の神得がある」とされる神です。
 そして、鳥居をくぐって、奥へと進むとそこには祭壇があり、中央に祠が築かれていました。特徴的なのは、祭壇両脇の大石。人の目を思わせる穴が所々にあいている自然石です。この祠は北東北の代表的な水神・十和田様でした。

◇地蔵堂と十和田様

 
地蔵堂①
地蔵堂②
末社
十和田様①
十和田様②


 私が訪ねたとき、田んぼの世話をしていた方が気さくに話しかけてくださり、神社のことを少しお話してくれました。その方によると、「この山(神社一帯)は、水の神様を祀っているんだ。」とのこと。罔象女神、大山咋神、そして十和田様は、治水を司る神様として信仰されている分けですが、神社の御祭神である菊理媛神もまた、「ククリ」は「潜り」に通じるところから、水神であるという説もあるようです。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

境内でひと休み「貴船神社と稲荷神社」ーつがるみち278


貴船神社の狛犬
  
稲荷神社のきつね像


  

一の鳥居


 農業にとって大切な水。その状況によって収穫が左右されることから、水の神は田の神と結びつき、水田のそばや用水路のそばに祀られるようになりました。
 そんな農耕地帯の代表的な水神は「闇おかみ神」ですが、名前そのももの「闇おかみ神社」とか「貴船神社」に祈雨・止雨・灌漑の神として祀られています。
 平川市新屋町(旧尾上町)に鎮座する貴船神社もそのひとつです。

 新屋町は、周りを水田に囲まれた集落ですが、道路沿いに少し高い丘があり、そこに神社があります。社号標のとなりに庚申塔がありますが、これは文政五年(1822)のもののようです。そこから上に石段が延びていて、登り切ったところに一の鳥居、二の鳥居と続いていました。

 その由緒については、
【御祭神:闇おかみ神  由緒不祥。 元和年間 (一六一五~一六二四) の創建と伝えられる。 古来観音堂として崇拝されていたが、 明治になって貴船神社と改称した。※青森県神社庁HP】と簡潔に記されていますが、古くから地元の人々の信仰の対象になっていた観音様を祀るお堂だったようです。貴船神社として水神・闇おかみを祀るようになったのは、やはり五穀豊穣の願いからだったのでしょう。

 比較的狭い境内ですが、二の鳥居のそばに末社が2つ建っています。大きい方の名前は「御隠居様」。何とも珍しく不思議な名前の祠ですが、かつて本尊として祀られていた観音様が隠居した後の住まいなのでしょうか?
 小さい方の祠は稲荷堂で、中には大小のきつね
きつね
が納められていました。たくさんのお賽銭・・拝む人々が絶えないようです。
 小さな社ですが、大きな狛犬や朱色鮮やかな本殿など、印象に残る神社です。

◇新屋貴船神社

 
庚申塔
二の鳥居
末社
境内
本殿



一の鳥居


 新屋の貴船神社には、明治になってから平田森の稲荷神社を一時合祀したという記録が残っているようです。
 平川市は平賀町、尾上町、碇ヶ関村が合併して発足した市ですが、平田森は旧平賀町にある集落です。
 名前の通り、昔は多くの木々が繁茂する村だったのかも知れませんが、現在では住宅と水田に囲まれた集落です。ここに稲荷神社が鎮座しています。新屋の貴船神社から、少しの距離です。

 この稲荷神社は古くからの由緒を持つ社であるらしく、
【御祭神:宇賀御魂神  社伝に依れば、 往古草創幾星霜を経て、 慶長年間 (一五九六~一六一五)、 氏子にて建立す。 正保二年 (一六四五)、 平田森村開村の折り、 小兵衛と云う者一夜瑞夢有りて、 社地を定め堂宇を建つ。 延宝九年 (一六八一)、 堂宮神主山伏行人の覚えに、 平田森村稲荷堂別当東覚坊と記されている。 延享元年 (一七四四) 六月、 隣の町居村法院より鳥居の寄進あり、 当時の神威思う。 後、 文化六年 (一八〇九) 二月四日と弘化二年 (一八四五) 五月十三日に再度御厨子並びに堂宇の寄進あり。 安政四年 (一八五七) 稲荷堂再建す。 明治四年、 社格村社に列せられる。 ー以下略ー ※青森県神社庁HP】と紹介されています。
 開村以来、村の産土社だったようですが、【平成三年、 台風十九号により御本殿並びに境内樹木壊滅す。 翌年御本殿を新築す。 】とあり、変わらぬ地域の崇敬を集めているようです。

 稲荷神社らしく、一の鳥居から社殿までの間にいくつかの鳥居が立ち並んでいる境内です。拝殿のとなりには、玉垣に囲まれた神馬像が2体。鳥居も立っていて、奥の方には祠がありました。馬頭観音堂なのでしょうか。

 ここの神使は狛犬ではなくてきつね。巻物(鍵?)をくわえている目つきのするどいきつねや親子ぎつねなど、新旧のきつね像が立ち並んでいました。

◇平田森稲荷神社

 
境内
馬頭観音堂?
本殿
きつね像①
きつね像②


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 五所川原市   Tags: つがるみち  名木めぐり  水虎様  

ケヤキと水虎様2「水野尾稲荷神社と横萢八幡宮」ーつがるみち277


水野尾稲荷神社
  
横萢八幡宮





境内

 

 五所川原市水野尾に鎮座する稲荷神社です。
 その由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  元文二年 (一七三七) 勧請。 明治六年六月松野木大山祇神社へ合祭の処、 明治八年二月復社。 明治九年二月村社に列せられ、 大正十年一月四日指定神社に列格せられる。 昭和二十六年三月二十四日国有境内地無償譲与許可。 昭和四十一年幣殿、 拝殿改築。※青森県神社庁HP 】とあります。

 水野尾は、その周囲を水田に囲まれた集落です。集落に沿って五所川原広域農道が走っていますが、この農道は藤崎町から板柳町、五所川原市を経て、中泊町に至る広域農道で、通称「米マイロード」と呼ばれています。この神社もまた、社殿の後ろは遮る建物などもなく、広々とした水田が続いており、遠くの岩木山がとてもきれいでした。

 稲荷神社らしく、境内には狛犬の他に頬被りをしたきつね像なども置かれていますが、社殿の周りには庚申塔や二十三夜塔の他に、神馬厩舎や馬頭観音碑が建てられています。そんな祠の中のひとつを覗いて見ると水神・水虎様が祀られていました。
 この水虎様・・・よく見ると、そのとなりに何やら一匹の動物を伴っています。どうやらこれは稲荷神のお使いのきつねのようです。いかにも稲荷神社らしい石像です。

◇稲荷神社

 
拝殿①
拝殿②
二十三夜塔と本殿
馬頭観音
馬頭観音と水虎様


 この神社は一の鳥居から左回りに二の鳥居、さらに右回りに三の鳥居と続いていますが、その二の鳥居の傍らに一本のケヤキの大木が佇立しています。
「水野尾稲荷神社のケヤキ」として、県内の巨樹・巨木関係のH`Pなどでも紹介されているケヤキですが、樹高は約20m、幹周りは5.3mといわれています。
 かつては、大きな幹が2つに分かれてのびていたようですが、残念ながら現在では大きな幹の方は失われています。境内には樹木がほとんどないこともあって、このケヤキの大木はひときわ目立つ存在です。

◇水野尾稲荷神社のケヤキ

   
ケヤキ①
ケヤキ②
ケヤキ③
ケヤキ④



境内


 水虎様の多くは、神社の境内の祠の中に祀られています。岩木川流域の西北津軽の社の小祠を覗いて見ると、それが水虎様だったりします。
 ですが、中には、何体かの水虎様をまとめて祀っているお堂もあります。鶴田町横萢に鎮座する八幡宮もそのひとつです。

 社号標の上に鳩が乗ったいかにも八幡様らしい感じのする神社ですが、その由緒については、
【御祭神:譽田別尊  慶安四年、後光明正保天皇時代に横萢村中にて建立。 明治六年四月瀬良沢八幡宮へ合祭。 明治八年二月復社。 明治九年十二月村社。 ※青森県神社庁HP】とあり、詳細は分かりませんが1651年頃に創建された社のようです。

 いくつかの鳥居をくぐって参道を進むと、境内の入口にひとつのお堂が建っています。中央には大きな馬頭観音像?。そしてその両脇には4体の水虎様が祀られていました。像の大きさや形、色つき等のちがいはありますが、いずれも亀に乗り、両手を合わせた女神型の水虎様です。祠の中に隠れているのではなくて、まるで地蔵堂のように、こうした形で祀られている水虎様は、私にはとても珍しいものでした。

◇横萢八幡宮と水虎様

 
拝殿①
拝殿②
境内手前のお堂
水虎様①
水虎様②


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  

伝統の獅子踊「吉野田八幡宮」ーつがるみち276


一の鳥居


 青森市浪岡吉野田地区(旧浪岡町)は、名水・十和田霊泉への入口にあたる集落ですが、昔から獅子踊りが盛んな所です。
 青森県の無形民俗文化財に指定されている吉野田獅子(鹿)踊
吉野田獅子(鹿)踊
は、【踊り手は男獅子2、女獅子、笑可児からなり、演目は追い込み、橋かけ、山かけ、注連縄、山担ぎ、女獅子狂い、和楽、暇乞がある。胡蝶のように可憐に踊るのが特色であるといわれる。昔は神前で領内の社家等を招いて「神楽獅子」として3本の榊の枝を奉納し、旧正月2日、8月15日に踊ることが定例とされた。現在は獅子踊保存会が踊りの継承と普及活動を担い、吉野田地区にある十和田神社の大祭で踊りを奉納している。】と紹介されています。
 その由来については、【初代浪岡城主・北畠顕成が築城に際し、領地内の平和と五穀豊穣の祈願のため京都から踊り手を招いたのが始まり。】とされていますが、浪岡北畠氏の祖ともいわれる北畠顕信(北畠顕家の弟)は、獅子踊について、【東の方より男獅子に跨りて 南の方より女獅子に跨りて 西の方より神馬に跨りて 北の方より弁財天女 白く浄めし大蛇に跨りて 中央上下は大慈大悲の観世音・・※以下略】と謳っているとのことです。 
※【】はHP「あおもりの文化財」 「青森県音楽資料保存協会」等を参考にしました。

 ー そんな吉野田集落の中心部に八幡宮が鎮座しています。

 私がこの神社を訪れたのは4月の半ばでした。参道を歩いて行くと、正面に赤い二の鳥居、そして右側には別の白い鳥居が立っているのが見えます。これは馬頭観音堂の鳥居でした。
 観音堂の前には両脇に神馬像が置かれていますが、よく見ると右側は台座だけが残っており、神馬は見当たりません。お堂のそばに行って、その分けがわかりました。どうやら、この神馬像は壊れたようです。お堂の石段に大事そうに置かれていました。少し、痛々しい姿です。あれから約2ヶ月・・その後、どうなったでしょうか。お堂には、5基の馬頭観音碑が納められていました。

◇参道と馬頭観音堂

 
参道
馬頭観音堂①
神馬
馬頭観音堂②
境内



本殿①

本殿②


 吉野田八幡宮については、
【御祭神:譽田別尊  寛永年中 (一六二四~一六四四)、 松倉山の祠を当地に奉遷したと言われている。 貞享元年 (一六八四)、 村中で社殿を建立す。 安政四年 (一八五七) 九月十四日、 拝殿を新築して御神体を拝殿に祀る。 明治六年四月、 村社に列せられる。 明治二十一年、 神楽殿を新築す。 明治四十二年九月十日、 本殿を新築し、 拝殿を改造す。 明治四十四年九月十日、 神饌幣帛料供進の指定を受ける。 大正二年、 幣殿を新築す。 昭和二十四年三月十四日、 国有境内地を無償で譲与される。 昭和二十七年八月、 本殿、 幣殿、 拝殿を改築し現在に至る。 ※青森県神庁HP】と紹介されています。

 境内には、紫の衣をまとった神馬や大きな狛犬が拝殿の前に置かれています。りっぱな手水舎の隣には神馬厩舎が建てられていました。中には二体の馬の像。私が訪れたときには拝殿が開いていたので、その中を拝むことができました。本殿は小ぶりな建物ですが、その向背に彫られた龍や木鼻は見事なものでした。

◇拝殿ほか
 
 
狛犬と神馬
神馬
拝殿①
拝殿②
拝殿③


 ところで吉野田獅子踊の演目ですが、
1 「追い込み」・・・獅子が自分の安住の地を求めて、山奥に入る出発の場面。
2 「橋かけ」・・・獅子が川にさしかかり、橋を見つけ、危険を感じ、安全を確保す
          るため、男獅子が交互捜索する場面。
3 「山かけ」・・・ようやく川を渡って希望の山に入り、山中に潜む敵の捜索を入念
          に行う場面。
4 「しめ縄」・・・安住の地を見つけた獅子達が、しめ縄を張り、神を呼び、四方を
          祓い清める場面。
5 「山担ぎ」・・・四方を祓い清め、晴々しく、神とともに踊り戯れる場面。
6 「女獅子狂い」・・・踊り戯れる中、行方が分からなくなった女獅子をめぐって、
            男獅子が争う場面。
7 「和楽」・・・争いも終わり、共に働き楽しむ平和な安住の生活をおくる場面。
8 「暇乞い」・・・安住の地(踊り場)に暇を乞い、一別の挨拶をし、去る場面。
というように、「獅子たちが安住の地を求めて山中に分け入り、様々な困難を克服し、平和を得る」というストーリーになっています。踊りに先立って三本の榊の枝を立てる(奉納)のは、「三」を「山」に見立てているからだともいわれます。

 この獅子踊りの物語は、山岳修行とも通じるところもあり、北畠氏が踊りを伝えてから修験信仰の影響をうけ、発展していったと考えられています。一方、村人の間に広まった獅子踊りは、いろいろな農耕儀礼とも結びつき、豊作祈願・感謝の舞として定着していったと思われます。 ー 山中に入った獅子たちが、いろいろな艱難辛苦に耐え、喜びを分かち合う姿は、天災や土地や水をめぐる争いを克服しながら豊作を得ようとする村人達の姿であるといえるでしょうか。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 五所川原市   Tags: つがるみち  名木めぐり  水虎様  

ケヤキと水虎様「高瀬熊野宮」ーつがるみち275


高瀬熊野宮


 神社やお寺、霊場の御神木といえば、大杉や老松、大イチョウなどがあり、「名木」として知られていたりしますが、ケヤキの木もそのひとつです。
 私は、常々、「青森県の名木」とか「青森県の巨樹」などを紹介しているサイトをよく見るのですが、先日、五所川原市高瀬地区に鎮座している熊野宮の境内のケヤキの木が紹介されているのを見て、さっそく出かけてみることにしました。
 かつては五ヶ所の河原があったとされ、それが地名の由来ともいわれている五所川原市ですが、それだけに岩木川をはじめ、十川などの氾濫による洪水被害も甚大だったようです。
 五所川原新田の開発が進んだのは、1665年頃のことといわれており、以来、岩木川の水運による米の集散地として発展し、多くの集落が形成されていったわけですが、この高瀬地区もそのひとつです。

 高瀬熊野宮については、
【御祭神:伊邪那岐命  創建は明暦年中。 明治六年四月鶴ケ岡八幡宮へ合祭の処、 明治八年二月復社。 明治九年十二月村社に列せられる。 ※青森県神社庁HP】とあり、その詳細についてはわかりませんが、明暦年中(1655年~)とあるところをみると、新田開発が始まった頃に建立された社のようです。

 高瀬の集落の中心部にあるこの神社の境内は、明るく開放的な感じがしました。拝殿の隣に、特徴のある2本の大木がありますが。その根元には「出征軍人安全祈祷」と彫られた庚申塔をはじめ、猿田彦大神碑、二十三夜塔などがまとめて建っていました。注連縄こそ張られてはいないものの、この大木はこの社の御神木なのでしょう。

◇熊野宮境内

  
一の鳥居
拝殿①
拝殿②
本殿と末社
庚申塔ほか



水虎様


 大木を取り囲むような石碑群の後ろ側に、2つの小さな祠が置かれてrいます。
 扉が開いていたので、その中を覗いてびっくり。何と、大きな獅子頭
獅子頭
が納められていました。いかにも、熊野神社といった感じです。
 そして、もう一方の祠の中には、「亀に乗り両手を合わせた女神様」・・津軽の水神・水虎様でした。この水虎様、陰にも何体か隠れているようで、まとめて祀られているようです。地域の水の安全と五穀豊穣を願って祀ったものなのでしょう。

 さて、石碑と水虎様を根元に抱いているこの大ケヤキ、見たところ樹勢もあり、若々しい感じのする木です。樹高は約28mで、幹周りはおよそ5mとされているようです。
 駐車場を挟んで、熊野宮と地区の集会所の境に立つこの巨木は、根元の石碑と祠と相まって、なかなか見応えのある姿形をしていました。地域のシンボル的な樹木なのでしょう。

◇境内の大ケヤキ

  
ケヤキと末社
ケヤキ①
ケヤキ②
ケヤキ③


 ケヤキは、
【木目が美しく、磨くと著しい光沢を生じる。堅くて摩耗に強いので、家具・建具等の指物に使われる。日本家屋の建築用材としても古くから多用され、神社仏閣などにも用いられた。※wikipediaより】とされていますが、樹形が美しく、その巨木が天然記念物になっているものも多いようです。

 私も、いくつかの神社を巡るうちに、春、夏、秋、冬と、それぞれに美しい姿を見せるケヤキの木に出会いました。ここ熊野宮の巨木も、そのひとつになりました。

◇訪れた神社のケヤキたち

  
平川市七柱神社のケヤキ
藤崎町鹿島神社のケヤキ
平川市愛宕神社のケヤキ
五所川原市香取神社のケヤキ




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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  名木めぐり  

隠れた名木2「浅瀬石廣峯神社ほか」ーつがるみち274


東公園のポプラ


【ポプラ(英語: poplar 学名Populus)は、双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属またはハコヤナギ属 に属する樹木(ハコヤナギはヤマナラシの別名)。北半球の温帯に約100種が分布する。日本のポプラ属は、ヤマナラシ、ドロノキ、チョウセンヤマナラシの3種が自生する。一般には明治期に導入された外来種をポプラと呼ぶ。※wikipediaより】とありますが、特に北日本に大きな木が多いようです。

 黒石市に桜の名所としても知られる東公園がありますが、公園の境界付近に2本のポプラの巨木が佇立しています。
 2本ともに樹種は「セイヨウハコヤナギ」で、大きさもほとんど同じなのですが、右側(向かって)が樹高28m・幹周6.56mで、左の木が樹高25m・幹周6.47mとなっています。実は、この2本のポプラ・・・前々回ご紹介した「東北巨木調査研究会」の方々の調査などによると、全国で1位と2位の大きさを誇る巨木とされています。

樹齢はおよそ150年以上とされていますから、外来種が日本に根付いた頃のものなのでしょうか。両方とも雌木であり、まるで姉妹のように寄り添っているところから、「東公園の姉妹ポプラ」と名付けられる予定でしたが、地元の方からの要望で、「じょんからポプラ」に決まりました。さすが、じょんがら節のふるさと・黒石です。以前は、2本のポプラの間に多くの木があったために、この姉妹ポプラは、その大きさがあまりよく分かりませんでしたが、現在は間の木々が伐採されたために、その雄姿をはっきりと見ることができます。

◇東公園のポプラ

 
ポプラ説明板
ポプラ①
ポプラ②
ポプラ③
ポプラ④



浅瀬石城址
  
廣峯神社


  中世から戦国期にかけて、各地を支配した領主達は、城(館)を築き、領地の安定と繁栄を願い、「まちづくり」を進める中で、多くの神社や寺院を築きました。津軽でいえば、津軽氏の弘前、安東氏の藤崎、北畠氏の浪岡などがそうですが、千徳氏の黒石・浅瀬石もそのひとつです。

参道


  浅瀬石城址から少し離れたりんご畑に囲まれたところに廣峯神社があります。かつては、牛頭天皇を祭る「牛頭天皇社」でしたが、神仏分離を機に、現在の神社名になったと思われます。浅瀬石城の館神として建立されたのでしょう。御祭神は、多くの廣峯神社と同様に、素戔嗚尊と五十猛命と思われますが、牛頭天皇は素戔嗚尊の本地仏とされています。

 城跡からりんご畑の中を進んで行くと、やがて赤い鳥居が見えてきます。鳥居の脇には「史跡 牛頭天皇社」と書かれた木柱が立っていますが、その隣に「国内最大級ポプラの木」という大きな看板があります。東公園と同じく、ここにもポプラの名木があります。


 境内に、この巨木の説明板がありました。
【名称 夫婦雷樹  (雷樹の「雷」は)昔、雷が落ちたためといわれるが不明】
「夫婦」は2本のポプラが夫婦のように寄り添っているところから命名されたものですが、説明板には、
【検査結果から、夫婦ではなく、女性同士と判明】とありました。 ー 2本とも雌株である・・と、味気ない書き方ではなく、何となくユーモアを感じさせる記述ですね。
【樹齢 百五十年 樹高約二十五メートル(各) 主幹周 右:四七二センチ(国内六位) 左:三八十センチ】【ポプラの巨木として対になっているのは国内随一】と、誇らしげに書かれてありました。

 鳥居をくぐって進んで行くと、なるほど2本のポプラがまるで大きな門のように立っているのが見えます。両木の間には注連縄が張られていました。
 境内は狛犬や末社などもなく、社殿が立っているだけのいたってシンプルなものですが、それだけにこの夫婦雷樹の存在が目立ちます。社殿を挟み込むように、2本の太い幹が立っている様は、まるで巨象の大足のようでした。

◇廣峯神社の夫婦雷樹

 
夫婦雷樹①
社殿
夫婦雷樹②
夫婦雷樹③




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 風薫る5月を迎え、辺りが少しずつ緑にそまってきました。今後も、ぼちぼちと史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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