のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 大鰐町   Tags: つがるみち  

居土熊野宮ーつがるみち302


大銀杏と社殿


 大鰐町居土地区は戦国時代に津軽為信の家臣であった多田玄蕃(三ツ目内玄藩)が領していた所です。
 多田玄蕃は、この地に城を構え、現在の三ツ目内・居土一帯を治めていましたが、関ケ原の戦いの際に為信に叛旗を翻し、抗戦の末、城もろとも爆死したと伝えられる武将です。
 そんな歴史をもつ居土地区に熊野宮が鎮座しています。

大銀杏と社殿


 住所(居土観音堂)が示すように、この神社は、津軽三十三霊場の31番札所・居土普門堂として知られている社で、私も以前に訪れたことがあります。
 そういうわけで、ここを訪れたのは2回目なのですが、以前はとにかく三十三霊場めぐりが中心だったので、「観音堂」ばかりが頭の中にあり、「熊野宮という神社」については、あまり注意して見ませんでした。
 あらためて訪ねてみると、以前には気づかなかった点が多々あります。

 一の鳥居の扁額には「熊野宮」とありますが、そばに立っている社号標には「居土神社」とあります。「熊野宮」「熊野神社」「普門堂」など、様々な名前で呼ばれている社ですが、やはり集落名が一番ふさわしいということなのでしょうか。
 鳥居の手前に建つ地蔵堂。かわいい姿形のお地蔵さまが祀られています。その中をよく見ると、むき出しの大岩も。ここから急な参道の登り道が続いています。

 大杉が左右に並び立つ参道は木の根っこが階段がわり。登り切ると視界が開け、畑の奥に赤い二の鳥居が見えました。
 特徴のある二本の大銀杏の間から社殿が見えます。右側には観音堂と神明社が並んで建っています、以前に来たときは、観音堂ばかりが気になっていたのですが、今回は境内の様子や拝殿など、ゆっくりと見てきました。

 観音堂として、古くから村人の崇敬を集めていたこと、神仏分離の際には、村人が本尊の千手観音を隠し持っていたことなどについては以前の記事でも紹介しましたが、神社としての由緒については、
【御祭神 (主神): 伊弉諾尊、伊弉册尊  (相殿神)  倉稲魂神  当神社は天正年間 (一五七三~一五九二) に創建、 当居土村民は勿論三ツ目内沢目中の農民の信仰厚く、 当城主三ツ目内玄藩は殊に崇敬し、 当沢目中の安泰の祈願所として年々金品の奉納あり。 其の後津軽藩公時代に観世音を祀り、 津軽三十一番の札所として善男善女挙げて信仰するに至る。 元和六年 (一六二〇) 再建と誌される。
  明治初めの神仏分離によって、 観音堂跡に熊野宮が建てられ、 明治六年五月十五日村社に列せられ、 昭和二十一年二月二日勅令七〇号神社制度改革により同年六月二十日宗教法人令による熊野宮となり、 昭和二十五年二月二十八日前記境内地譲与認可せられ今日に至る。 その後観音堂をも境内に祀る変転はあった。※青森県神社庁HP 】と記されています。

◇居土熊野宮

 
地蔵堂
観音堂
境内
拝殿
神馬と狛犬


 居土の集落からさらに山間部の方には高野新田という村があり、その先には神域である戸和田貴船神社がありますが、この辺り一帯には大きな杉の木をはじめ、大木が密集しています。

 この熊野宮の参道及び境内にも巨木が並んでいる分けですが、境内には樹齢600年以上ともいわれる大銀杏や形のよい夫婦杉などがあり、それぞれ注連縄が張られた御神木となっています。
 とりわけ、観音堂の後ろにあるかつらは、とても味わいのある古木です。

◇熊野宮の巨木

  
参道
大銀杏
夫婦杉
かつら


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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

中別所雷電宮と中畑稲荷神社ーつがるみち301


狛犬と末社


「中別所板碑群」で知られる弘前市中別所に雷電宮が鎮座しています。
 その由緒については、
【御祭神:別雷大神 創立年月日不詳。 昭和二十二年八月十日、 法人令により神社本庁に所属する。※青森県神社庁HP】と書かれているだけで詳しくは分かりませんが、『弘藩明治一統志神社縁起録』という古書(私は読んではいませんが)によれば、「天正年間に福島城主・七戸生計が津軽為信の招きに応じて当地へ訪れた際に、開墾の為に旧地で崇敬した雷神に誓願して水を得、その霊力に感謝し、祀るようになった」とされているようです。また、御祭神は、平内町の雷電宮から分霊したものなのだとか。。

 神社のある地域の名称は「雷(いかずち)」。おそらくはこの雷電宮に因んだものと思われますが、集落名が示しているように、この社は村の古くからの産土社であったようです。

 道路沿いの集落からは少し離れたりんご畑の中に立っている神社ですが、一の鳥居のそばの社号標には「加茂神社」と刻まれていました。明治初期に名称が変わったようです。加茂神社の御祭神は賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)ですが、「別雷は若雷の意味で、若々しい力に満ちた雷神」とされています。

 一の鳥居をくぐって、右回りに参道が続いていて、二、三と鳥居をくぐると境内へと出ます。社殿は杉林の中に建っていました。

 境内には、石灯籠や狛犬の他に、末社や「天照皇太神」、「岩木三所権現」などの碑がありました。
 拝殿の扁額には「雷電宮」とありますが、その額を挟むように、なぜか大きな天狗の面が2つ掲げられています。扉が開いていたので中を拝むことができましたが、正面には大きな「雷神」の絵馬が掲げられていました。

◇中別所雷電宮
 
 
一の鳥居
境内
末社と石碑
拝殿
雷神



神社入口


 津軽三十三霊場の2番札所である多賀神社(清水観音堂)から西目屋方面に少し進むと中畑という集落がありますが、ここに稲荷神社があります。
「中畑」は、戦国時代に津軽為信の家臣であった中畑氏に因んで名づけられた地名だと思われます。中畑氏は、多賀神社一帯を領していた桜庭氏等と共に、為信の津軽統一に功があった武将とされていますが、その居城(館)が、稲荷神社付近にあったといわれています。

 神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命 創立年代不詳。 明治六年多賀神社へ合祀されるが、 明治八年復社となり、 同九年十二月村社に列格される。 ※青森県神社庁HP】ということしか分かりませんが、戦国期、多くの戦国武将が戦勝を祈願して稲荷神(荼枳尼天)を祀ったように、この地を領していた中畑氏一族が勧請した社なのかもしれません。

 ここもまた、田んぼとりんご畑に囲まれた道路沿いにある社なのですが、そばには竹林もあります。一の鳥居をくぐった右側には庚申塔や、二十三夜塔などがまとめて立っていました。そばには二の鳥居。そこから参道の石段が続いています。

 途中で90度右に折れると三の鳥居があり、付近は少し広い平らな場所になっていて、記念碑や「サイノカミ様」「ビシャモン様」を祀る祠がありました。石段登りも一休みといった感じです。
 ですが、そこからさらに上に向かって石段が延びており、まだまだ登りは続きます。登り切った所には何と農道が通っていました。社殿は、この農道の向かい側。今までよりも急な石段があり、木々の間から拝殿が顔を出していました。

◇中畑稲荷神社

 
一の鳥居から
庚申塔ほか
三の鳥居付近
末社群
拝殿


 なかなかきつい石段が続く参道ですが、休み休み行くと、途中の末社や石碑などをよく見ることができます。
 一の鳥居のそばの三角の庚申塔・・・よく見ると、台座が「亀?」の形をしています。亀の背にのっかった庚申塔。
 三の鳥居の両脇に立っている狛犬は、その大きさや姿形がとても印象に残るものでした。そしてそして、やっとの思いで登った拝殿の前にある石灯籠。台座には、かわいい狛犬
狛犬
が置かれていました。

◇庚申塔、狛犬

  
庚申塔
狛犬①
狛犬②
石灯籠


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

天照皇大神宮と新館八幡宮ーつがるみち300


本殿


 平川市に岩館下リ松という集落がありますが、ここに天照皇大神宮が鎮座しています。
 下り松には、寛永年間に勧請された観音堂があったと伝えられていますが、この神社がその跡地であるのかどうかは分かりません。
 青森県神社庁HPでは「神明宮」として、この神社について、
【御祭神:天照皇大神  草創の年月は不詳なるも、 寛永年中 (一六二四~一六四四) の勧請という。 昭和二十一年三月二十九日、 宗教法人令に依り届け出、 昭和二十五年二月二十八日、 境内地無償譲与許可になり現在に至る。 】と紹介しています。詳細は不明ながらも、古くから村の産土社であったようです。

 住宅に囲まれた所に「天照皇大神宮」と刻まれた大きな社号標が立っており、境内にはいくつかの末社や記念碑などが立っていました。

 とりわけ、一の鳥居の右側(向かって)に建てられている石灯籠の奥の祠は、門つきのとても立派なものです。中を拝むことはできませんでしたが、祠の下には石仏を思わせる自然石?
石仏を思わせる自然石?
が置かれていました。

 一方、鳥居の左側には、庚申塔と並んで「塞神三柱」と書かれた石碑が立っています。塞三柱神(サエノミハシラノカミ)とは、衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)の3柱の神で、イザナギが黄泉比良坂で、追ってくるイザナミに「これ以上追ってくるな」と投げた杖から化生した神とされています。
「塞神」は、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が集落に入るのを防ぐために、集落の道端などに祀られるものですが、この境内の中に祀ることによって、村の繁栄を願ったものなのでしょう。

◇天照皇大神宮

 
社号標
境内
末社
庚申塔
狛犬



本殿


 平川市の中心部から山手の方へ少し車を走らせると新館という集落に至りますが、集落の中心から少し離れた所に八幡宮が鎮座しています。
 新館八幡宮の由緒については、
【御祭神:譽田別命  慶長五年 (一六〇〇)、 村中安全のため、 譽田別命を御祭神として勧請、 産土神として村民崇敬の中心となると伝えられるも、 明治六年、 沖館神明宮に合祀となる。
  のち、 村民の熱い願いによって、 明治九年十二月、 ようやく復社許可されたと云われる。 しかし、 度々の請願にも関わらず、 村社昇格が許可にならず、 ついに昭和十四年七月二十日、 社格昇進し村社に列すと記録されている。※青森県神社庁HP 】 - 産土社を守ろうとする村人の思いが伝わってくるようです。

 すぐそばを東北自動車道が走り、周りはりんご畑ですが、農道の分かれ道にこんもりした森があり、石造りの鳥居が立っています。
 二の鳥居には、模様が織られた津軽独特のジャンバラ型の注連縄が張られていました。そこから高い木々に囲まれた参道が続いています。
 境内の端の方には、水はありませんでしたが、神池があり、その後ろには、貴船神社の鳥居と祠が建っていました。

◇新館八幡宮境内

 
一の鳥居
二の鳥居
拝殿
境内
貴船神社


 拝殿の隣にある手水舎には昔なつかしい釣瓶井戸・・いつ頃まで使われていたのでしょうか。

 参道の両脇と境内には、狛犬や神馬をはじめ、様々な記念碑などが立っていますが、特に目をひいたのが「オリンピック東京大会記念碑」。昭和の東京オリンピックは、地方にとっても大変大きな出来事だったようです。

 本殿の方へと回ってみましたが、木々の間に挟まれて、天神様と金毘羅大神の石碑がひっそりと立っていました。

◇手水舎、石碑

  
手水舎
釣瓶井戸
東京オリンピック記念碑
天神と金毘羅大神


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 板柳町   Tags: つがるみち  水虎様  

鴨泊の八幡宮ーつがるみち299


百万遍塚


 板柳町柏木地区は県道38号線に沿って広がっている村落ですが、ここに「鴨泊(かもどまり)」という集落があります。
 道路沿いはりんご畑になっていますが、集落の中心部に注連縄が張られた百万遍の塚が立っています。
 その百万遍塚の斜め向かい側に鳥居が立っていますが、そこから参道を歩いて行くと八幡宮の境内へ出ます。

 この八幡宮の由緒については、
【御祭神:譽田別尊  大正四年十二月二十日、 斎藤伝左エ門が書いた柏木郷社八幡宮資料に 「寛永年中同村本尊弥陀薬師観之三尊堂建立ス」 とあり、 元禄十五年社堂社地境内記には 「延宝三年建立」、 又、 延宝九年堂宮神主山伏行人之覚に、 「上柏木村弥陀堂万治元年建立」 とあり、 万治元年、 弥陀、 薬師、 観音を勧請し三尊堂と称したと考えられる。 安永五年、 柏木十七ケ年の祈願所に指定され、 明治六年四月八幡宮と改め郷社、 同四十二年四月二日、 神饌幣帛料供進指定神社。 ※青森県神社庁HP】とあります。
 
 境内には「内神宮」などの末社や真っ白い神馬、とぼけた顔の狛犬などがありました。詳しい縁起については分かりませんが、昔からの神仏混合の名残を感じさせる神社です。

◇柏木八幡宮

 
境内
狛犬
拝殿
拝殿内
本殿



一の鳥居


 柏木八幡宮から少し進んだ所に「牡丹森(ぼたんもり)」という集落があります。ここにも八幡宮が鎮座していますが、その住所は「牡丹森字鴨泊」。同じくここも「鴨泊」です。
「鴨泊」という地名の由来については分かりませんが、車で数分の距離。かつて、この辺り一帯は、広い沼地で、水辺で水鳥たちが羽を休めていた・・・そんな感じもします。

 神社の入口には大きな松の木が植えられていて、そのそばには、庚申塔や二十三夜塔がありました。いくつかの鳥居をくぐりながら参道を進むと境内へと出ます。

 社殿を取り囲むように池がめぐらされ、なかなか趣のある境内です。本殿は、拝殿の後方、少し小高い丘の上に立っていました。

◇牡丹森八幡宮

 
庚申塔ほか
拝殿
拝殿内
本殿
末社


 拝殿のとなりに、鳥居をともなった末社が立っていますが、覗いて見ると、その中には大きな石と鏡、そして龍に乗った女神像が祀られていました。この女神様、両手を合わせたその姿からして、津軽の水神・水虎様だと思うのですが、水虎様は亀に乗っているのが一般的なのですが、ここは龍。水虎様なのでしょうか??
 拝殿前の狛犬達は、背筋がすっくと伸びた姿形です。神馬は白。後ろ足の部分の風化が進み、白いテープを巻かれた姿は、少し痛々しい感じがします。馬の首(たてがみ)を思わせる石碑に彫られている石仏は、不動明王でしょうか、馬頭観音でしょうか。

 この神社の由緒については、
【御祭神:譽田別尊  同社由緒書に 「勧請年月不詳、 寛永十七年再建、 境内牡丹多かりし故に村名とす」 とあり、 「延宝九年堂宮神主山伏行人之覚」 には 「牡丹森八幡宮寛文十年村中氏子建立」 とある。 当社は明治六年四月柏木八幡宮へ合祭、 同八年二月復社、 同九年十二月村社、 同四十二年八月二十七日神饌幣帛料供進指定神社。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。
 - 「境内牡丹多かりし故に村名とす」とありますが、「牡丹森鴨泊」とは、ほんとにきれいな地名です。

◇狛犬、神馬ほか

  
水虎様?
狛犬
神馬
馬頭観音?


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 板柳町   Tags: つがるみち  

野中八幡宮と横沢熊野宮ーつがるみち298


神馬


 七月から八月にかけて、各地の神社では例祭が行われます。例祭日が近づくと、鳥居に国旗が掲げられ、社殿にも華やかな幕が垂れ下がります。七月の末に、板柳町の神社を訪ねたのですが、ちょうど、例祭の日にあたっていました。
 板柳町に野中という集落がありますが、ここに八幡宮が鎮座しています。道路沿いにある神社なので、車をとめる適当な場所が見つからず、失礼とは思いましたが、神社の向かいのお宅の庭にとめさせてもらいました。
「えが。」
「えよ。」
 会話らしくない会話ですが、津軽ではこれで用が足ります。快く、車をとめることを承知してくれました。

 このお宅では、庭先でご主人と奥様が何か忙しそうにしています。ご主人は、ペットボトルが詰まった箱を神社の方へ。奥様はバケツにいっぱい水を汲んで雑巾を片手に、これまた神社の方へ。
「よみや(宵宮)だが。」と聞くと、「んだ(そうだ)。」と言って、にっこり笑いました。どうやら、今日は例祭のようです。

 一の鳥居には、二本の日の丸が掲げられ、幟旗も立っています。幟には「八幡宮稲荷神社」と書かれていました。
「八幡宮のはずだが・・」と思いましたが、この神社の由緒については、
【御祭神:譽田別尊 倉稲魂命  承応三年の勧請と伝えられる。 村役人の提出した天和書上帳を基礎とした貞享惣検地の水帳に 「野添村 八幡宮 寛文四年在建立」 とあるが、 延宝九年営宮神主山行人之覚には表れていない。 これは、 あるいは延宝八年八月の大洪水で壊れ、 天和から貞享にかけて再建されたものと思われる。 明治六年野中村の稲荷神社とともに境村八幡宮に合祭となったが、 参詣に不便のため両村協議のうえ、 稲荷神社と合祭して、 社地を野中村に定める事に申請。 同八年二月許可、 同九年十二月村社、 大正四年七月十三日神饌幣帛供進指定神社。 ※青森県神社庁HP 】という経緯があり、今は八幡様と稲荷様を祭っているようです。

 一の鳥居のそばには庚申塔などが立てられています。参道を歩いて拝殿の前へ進むと、何人かの人達が、内部を清めていました。年に一度の例祭、その準備に大わらわ・・といった感じでした。

◇野中八幡宮(稲荷神社)

 
野中八幡宮
庚申塔ほか
境内
狛犬
本殿



林の中に


 一方、こちらは同じく板柳町横沢に鎮座する熊野宮。横沢は藤崎町との境にあたる集落ですが、この神社は339号線沿いにあります。
 国道沿いということで、車の往来もはげしい分けですが、境内はこんもりとした森になっており、辺りの騒音も聞こえず、静かな雰囲気の社です。
 ここの鳥居の両脇にも国旗があったので、例祭かと思いましたが、どうやら前日だったらしく、境内は静まり返っていました。
 鳥居をくぐって参道を進むと、両脇の林の中に、何かしら赤いものが見えたので、近づいて見たら、赤い目をした小さな狛犬でした。

 拝殿の前には、大柄で貫禄のある狛犬が一対。左側(向かって)には稲荷社、右側には神明社が建てられています。拝殿には、幕が回され、昨日行われた例祭の名残が残っているようでした。

 ここの熊野宮については、
【御祭神:伊弉諾命 伊弉冊命   旧記不詳なれども貞享元年横沢・辻・両村にて観音堂を建立堂社は三尺四方にて同時に白木丸柱の鳥居をも建立せりとあり、 延寶五年堂社は大破に及びたるを以て再建せりとあり、 明治初年神社令公布に依り氏子相談の上にて熊野宮と改め崇拝し来る。 尚本殿に保存せる棟札は左の通りあり、
一、 寛永五年八月。 二、 明和七年七月。 三、 寛政八年八月。 四、 文政九年九月。 五、 天保十年八月。 六、 弘化二年八月。
文政九年八月講中にて稲荷神社建立せりとあり、 明治六年七月村杜に列格せられる。 昭和二十五年五月境内地無償譲与せられ現在に至る。※青森県神社庁HP 】と紹介されています。

◇横沢熊野宮

 
横沢熊野宮
参道
末社
狛犬
境内


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  縄文と弥生  

花巻山祇神社ーつがるみち297


花巻遺跡


「花巻」といっても、私の地元・黒石市の集落のことで、前回、ご紹介した稲荷神社のある牡丹平の隣村になります。
 江戸時代にこの地を訪れた菅江真澄は、
『花巻についた。むかし、牡丹平を大杭(おおぐい)村といい、この花巻を小杭(こぐい)村といった。そのころ、孫次郎というものがいて、「これは子をも食い、孫までも食ったのか。子喰村の孫倉というのは鬼であろう」などと人に言いたてられ、世間のきこえがよくないというので、村の名を花巻といいかえたという。
 しかし花巻の地名はむかしここに牧場があり、その牧のめぐりにさした古杭が、そこに朽ちのこっているところから、大杭、小杭などとよんだ名なのであろうか。とはいうものの、この土地は馬を飼った広い野もみえないので、別な方面からこの名だけついたのだろうか。』と記しています。

「大杭」「小杭」の名称の由来は定かではないようですが、実は、この花巻は昔から縄文時代の遺跡があることで知られていて、菅江真澄は、『追柯呂能通度』の中で、花巻遺跡から発見された土器や石器、土偶、遺跡の様子などについて記述しています。

  花巻遺跡は、大正から昭和初期において考古学界の代表的な遺跡でしたが、その存在を知らしめたのは中谷治宇二郎(なかや じうじろう:※物理学者・中谷宇吉郎の弟)という考古学者でした。
 治宇二郎は、花巻遺跡に関する論文を表し、その中で、遺跡から発見された円筒上層式土器を『花巻式土器』と命名しましたが、本人が若くしてこの世を去るとともに、この土器名も消滅してしまいました。

 遺跡は、浅瀬石川の北側の丘陵地帯にありますが、
【昭和60年と62年に黒石市教育委員会で花巻遺跡の発掘調査を行ったが、調査の結果、竪穴住居跡1棟、土坑跡20基、石棺墓10基などが発見されている。縄文時代前期から後期にかけての大集落が存在していたと思われる。もっとも注目されたのは、縄文中期末~後期初頭のものと思われる組石石棺墓7基である。
 石棺墓はその名のとおり石で造った棺桶で、青森県内では、この黒石市花巻遺跡ほか数か所で発見されているだけである。この組石石棺墓は、穴掘りだけでなく、大石の運搬や石組に大勢の人手を要する埋葬方法であるため、当時のムラで特別の地位にあった人物達の墓と推定されている。】
 - こうしたことから、この遺跡は、縄文期の埋葬方法を知ることができるだけでなく、当時の「ムラ」の構造を研究する上で貴重な遺跡とされています。
※上記写真と【】は黒石市HP、『青森県の歴史シリーズ』を参照しました。


花巻山祗神社


 そんな花巻の集落の中心に山祗神社が鎮座しています。神社の由緒については、
【御祭神:大山祇神  草創年月日不詳なるも、 古来より現境内に大山祇神を祀る小堂ありて小喰野村にて産土神として崇敬された。
 天正年間 (一五七三~一五九二) 当国戦の際、 村中並びに堂宇破損或いは焼失され、 再建ならず、 その後慶安三年 (一六五〇) 六月村中にて堂宇新築す。
 明治四年神社改正に付き村社に列せられ、 同六年五月九日豊岡村稲荷神社を合祀し、 同八年四月二十六日豊岡稲荷神社を復社す。 ※青森県神社庁HP】と説明されています。

「天正年間 (一五七三~一五九二) 当国戦の際」とは、戦国時代にこの地を支配していた浅瀬石千徳氏と南部氏との抗争、及び、その後の千徳氏と津軽氏との争いを指していると思いますが、かつて、村の産土神として崇められていた社が再建されたのは、津軽氏の時代になってからのようです。

 住宅地に囲まれた道路沿いに「山祗神社」という扁額が掲げられた赤い鳥居がありますが、反対側の通りには大きな庚申塔も立っています。
 境内には、狛犬が2対(4体)ありますが、そのうちの1対は風化が進み、もう少しで原型が分からなくなるような姿でした。

 拝殿の両脇には大きな草鞋が掲げられ、地域の崇敬ぶりが偲ばれます。神社の後ろには小川が流れていて、その先の浅瀬石川流域には、花巻遺跡が眠っています。

◇花巻山祗神社

 
一の鳥居
鳥居から
境内
狛犬
拝殿



  
燈篭・狛犬①
燈篭・狛犬②
末社
庚申塔


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

高舘と牡丹平の稲荷神社ーつがるみち296


高舘稲荷神社


 黒石市の高舘地区は、かつて高舘城という城(館)があった所ですが、現在の稲荷神社がその場所にあたります。
 神社の下を流れる高舘川を天然の堀として、境内のさらに上の方に郭が築かれていたようですが、すぐそばを東北自動車道が走っている現在では、その面影を見ることはできません。
 この城がいつ頃築かれたかは定かではありませんが、戦国期には千徳氏の居城だったといわれています。

 浅瀬石城主であった千徳氏は、南部氏の一族で、当時の黒石地方を治めていた分けですが、後に、津軽統一を目指す大浦(津軽)為信と結託し、南部氏に叛旗を翻すことになります。
 南部氏は、千徳氏を討つために武将・名杭日向を派遣しましたが、千徳氏はこれを撃退。その攻防の舞台のひとつが、この高舘城でした。
 ⇒ 浅瀬石千徳氏について(以前の記事)


庚申塔


 一の鳥居は、高舘の集落がある通りに立っていますが、高速道路が走るガード下の隣に赤い神橋が架かり、橋を渡って参道の石段を上ることになります。
 金属製の注連縄が張られた二の鳥居のそばには、注連縄が回された大きな庚申塔が2基と二十三夜塔が置かれていました。

 石段を登り切ると、左右にそれぞれ鳥居が立っています。右側の道は、りんご畑へと続いているようですが、その入口にあるのが大山祇神社で、祠には大山祇神を中心にして、左右に薬師大神と馬頭観音が祀られていました。

 左側に立つ三の鳥居からは、二本の大杉(御神木)に挟まれて、社殿までの参道が続いています。大振りな造りの狛犬や、拝殿の木鼻と龍の彫り物、きつねが居る本殿の造りなど、なかなかに見ごたえがある社殿でした。
 この稲荷神社については、
【御祭神:倉稲魂命  草創不詳。 延宝三年 (一六七五) 六月十日、 村中で建立。※青森県神社庁HP】とあるだけで、その詳細については分かりません。
 私が訪ねた日は、どうやら例祭の日だったようで、社殿の中には多くの人々が集まって談笑していました。神社の例祭は、地域の交流の場でもあります。

◇高舘稲荷神社

 
大山祇神社
参道
狛犬
拝殿
本殿



牡丹平稲荷神社


 高舘の稲荷神社からの帰り道、牡丹平(ぼたんだいら)地区に鎮座する稲荷神社を尋ねました。
 牡丹平の集落は、温湯方面へと向かう大通りに面していますが、この神社は、そこから少し離れた場所に位置しています。
 その由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  寛永八年 (一六三一) 六月十日、 村中にて初めて勧請す。 伝え聞くに、 この所は寛文年間 (一六六一~一六七二) 黒石二代領主津軽信敏公が折々、 御鷹狩りをなされた所で、 藩主代々常に崇敬篤く、 社堂建立なされ、 同時に御饌米として一ケ年白米一俵宛て、 廃藩に至る迄、 御寄付戴く。 宝暦二年 (一七五二) 四月、 三代領主津軽采女政とら(たけ)公、 馬術御調律のため境内の北側に馬場を開設せられ、 今尚その跡がある。 明治四年神社改正につき村社に列せられる。 ※青森県神社庁舎HP】と記されています。
- 由緒にも書かれているように、黒石藩代々の藩主の崇敬が篤かった社のようです。

 由緒に出てくる黒石藩4000石の3代当主・津軽采女(政たけ)は、吉良上野介の娘婿であり、いわゆる「赤穂事件」を身近に見た人物なのですが、後年、日本最古の釣り指南書とされる『何羨録』を執筆したことで知られています。
 ⇒ 津軽采女の記事①       ⇒津軽采女の記事②

 2代領主・津軽信敏が鷹狩を行い、津軽采女が開設したとされる馬場の場所が、この神社の境内付近だとされているようですが、確かに境内の周りには広大な杉林が広がっており、その面影が残っているようです。 
 静かな林の中に見える赤い色鮮やかな本殿が、印象に残る神社でした。

◇牡丹平稲荷神社

 
一の鳥居
狛犬
拝殿
本殿
本殿のきつね


  
幼杉
石碑と燈篭
猿田彦碑
境内


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  名木めぐり  

馬場尻稲荷神社ーつがるみち295


馬場尻の庚申塔①


 黒石市に「馬場尻(ばばしり)」という少し変わった地名がありますが、ここに市の民俗文化財に指定されている庚申塔があります。
「馬場尻の庚申塔」と名づけられたこの庚申塔群は田んぼを背にした道路沿いに立っていますが、そばに説明板があります。
【馬場尻の庚申塔  この庚申塔は、元文五年(一七四〇)八月二十二日に馬場尻村の藤治郎ほか八人が創建した。碑面に庚申信仰の由来等を彫り込んである貴重なもので、市内で最も古い庚申塔である。※説明板より

 黒石市には、竹鼻八幡宮赤坂八幡宮の境内にも指定民俗文化財の庚申塔がありますが、説明板に書かれてあるように、ここの庚申塔は黒石市最古のもののようです。

 石碑の隣には地蔵堂もありますが、さらにその隣の奥は八幡宮の境内になっています。この八幡宮については、
【御祭神:誉田別尊 草創年月不詳。 南津軽郡役所記録によれば 「享保二年 (一七一七) 九月に、 村中にて建立」 とある。※青森県神社庁HP】とあります。庚申塔とともに、地域の産土神として崇められてきた社のようです。

◇馬場尻の庚申塔と八幡宮

  
馬場尻の庚申塔②
地蔵堂
八幡宮
境内
拝殿



馬場尻稲荷神社


 庚申塔を見た後、西馬場尻の方へ向かいました。ここに稲荷神社が鎮座しています。
 この神社は、住宅地に囲まれた道路沿いに位置していますが、金属製の注連縄と大きな社号標が立っています。鳥居の横は少し小高くなっていますが、そこには大きくてごっつい感じのする庚申塔と、それとは対照的にスリムな二十三夜塔が置かれていました。
 そこからは少し曲道になっていて、二の鳥居、三の鳥居と続く参道になっています。
 横幅のある拝殿や、少し頭が平べったい貫禄のある狛犬、注連縄が張りめぐらされた手水舎など、地域の方々に大切に守られてきた神社という感じを受けました。

◇馬場尻稲荷神社

 
庚申塔
参道
境内
狛犬
拝殿



境内の御神木


 この馬場尻稲荷神社の由緒については、
【御祭神:宇賀御魂命  寛文五年 (一六六五) 八月十日、 西馬場尻にて堂宇建立初めて勧請す。 宝永五年 (一七〇八) 二月、 村中にて堂宇再建、 正徳二年 (一七一二) 八月十日、 村中にて精舎一宇造立す。 其の後再三改築を成し、 明治四十二年八月二十七日、 村社に列せられ、 三大祭及び臨時大祭には村長は供進使として幣帛料を供え参列した。 昭和二十一年に至り、 国有境内地譲与申請の処、 昭和二十二年法律第五十三号に依り昭和二十六年八月十日附を以て譲与される。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。
 - 「村中にて勧請、再建、造立・・」「大祭には村長は供進使として・・」という文からも分かるように、正に村の信仰や文化の中心として崇められてきた社だったのでしょう。

「稲荷様」ということで、きつねを探してみましたが、拝殿の前には像がなく、本殿へと回ってみたところ、その中に一対のきつねが向かい合って祀られていました。

 ところで、この神社の境内には、とても姿形のよい御神木が2本そびえているのですが、それは杉と松。玉垣に囲まれ、注連縄が張られた2本の大木は、仲良く寄り添うように立っています。
 大杉は、空に向かって真っすぐに伸び、大松はなだらかな曲線を描きながら伸びています。どうやら根元は合体しているようで、異種の木々がこうした形で並び立つ姿は、とても珍しいこともあって、「御神木」として大切にされてきたのだと思います。「夫婦杉松」といったところでしょうか。

◇本殿、御神木ほか

  
木鼻
本殿
本殿のきつね
御神木


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

小屋敷と飛内の稲荷神社ーつがるみち294


小屋敷稲荷神社
  
飛内稲荷神社


 黒石市内から旧浪岡町へ向かう途中に小屋敷(こやしき)と飛内(とびない)という集落があります。隣どうしの村ですが、いずれの集落にも稲荷神社が鎮座しています。


二十三夜塔ほか


 小屋敷に鎮座する稲荷神社については、
【御祭神:倉稲魂命  寛文二年 (一六六二) 十二月九日、 黒石藩の祖先津軽十郎左衛門信英公は、 次男十郎兵衛信純に所領千石を以て分地させ、 下目内沢、 小屋敷、 飛内、 馬場尻四ケ村の領主となる。 その後、 元禄二年 (一六八九) 九月六日、 二代信俗が嫡子なくして死去したので、 御家名廃絶となり幕府の天領となった。 後、 黒石領に復する。 創立年月日は不詳といえども、 一書には 「正徳二年 (一七一二) 九月、 村中で建立し、 同四年四月十日御神体を安置す」 とある。 明治四年神社改正に付き、 同六年五月五日、 中郷村飛内の稲荷神社へ合祀、 その後、 同八年四月、 復社願いを申請の上許可され村社に列せられる。※青森県神社庁HP 】とあるように、黒石藩の始祖・津軽信英とその子孫達が領地の村々を拓いていった過程で勧請された社のようです。

 そばには小学校や工場、住宅などが並び立つ一角にこんもりとした森がありますが、そこが稲荷神社です。
 参道へと続く一の鳥居の隣にもうひとつ赤い鳥居が立っていますが、その下には二十三夜塔などが置かれていました。この鳥居の奥には祠がひとつ。風化のためでしょうか、足の長さを失った神馬
神馬
が奉納されているところをみると、どうやら馬頭観音を祀っているようです。
 参道を進み、二の鳥居をくぐると社殿が見えます。両脇の狛犬は少し風化が進んでいますが、社殿は比較的新しいものらしく、木々を背にぽつんと建っていました。

◇小屋敷稲荷神社

 
馬頭観音
参道
狛犬
境内
拝殿



庚申塔ほか


 小屋敷を過ぎると、ほどなく飛内の集落に至りますが、ここに鎮座する稲荷神社については、
【御祭神:倉稲魂命  元和二年 (一六一六) 八月十日、 飛内村中にて堂宇建立、 初めて勧請す。 寛永元年 (一六二四) 四月、 花山院少将忠長卿が宮地へご遊覧され、 その後、 同年八月、 小堂宇を新規造営、 慶安三年 (一六五〇) 四月、 村中にて拝殿を再建す。 その後、 明暦二年 (一六五六) 六月、 黒石藩の祖先津軽信英公巡村の節、 堂宇再建す。 これより代々の祈願所となる。 明治四年四月村社に列せられる。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。

 余談ですが、先の小屋敷稲荷神社の住所は「小屋敷宮岸」、ここは「飛内宮岸」・・共に「宮岸」という地名になっています。その由来などについては分かりませんが、両社の「宮地」を中心に発展してきた所といえそうです。

 由緒に出てくる花山院忠長は、「藤原北家の流れの江戸初期の公家で左近衛少将だった。慶長14年(1609)、後陽成天皇の女官と密通した罪により、徳川家康の裁定で蝦夷流罪が決定し、その後津軽に移された。忠長は、松前や津軽の配流地に京風の文化を伝えた。」とされる人物ですが、黒石市は、温湯地区をはじめ、忠長にまつわる逸話や伝説が多く残っている町です。この飛内稲荷神社もまた、そんな伝説を伝える神社のひとつなのでしょう。

 金属製の注連縄が張られた一の鳥居から二、三の鳥居と参道が続いていますが、社殿までは時計回りに半回転するかたちになります。
 参道の途中には大きな庚申塔などが置かれていますが、稲荷神のお使いのキツネは、三の鳥居をくぐったところに居ます。いかめしい感じではなく、どことなく「いたずらっ子」のような愛嬌のあるキツネ像です。

 社殿の横に「明治百年記念」と彫られた石碑があり、その隣に、注連縄が張られ、玉垣で囲まれた御神木がありますが、その由緒が書かれていると思われる説明板は文字が消えていて読み取れませんでした。きっと、何かいわれのある古木なのだと思います。

 一見、民家を思わせる茅葺屋根の社殿は、とても趣があります。扉が開いていたので、その中を拝むことができました。

◇飛内稲荷神社

 
境内
きつね像
御神木
拝殿
拝殿内



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大性神明宮ーつがるみち293


大性神明宮


 鶴田町大性(だいしょう)は、板柳町との境目にあたる集落ですが、ここに神明宮が鎮座しています。
 万治3年(1660)に創建されたと伝わるこの神社の由緒については、
【御祭神:天照皇大神  藩主信枚公の三男信隆公の草創にして、今の西津軽郡亀ヶ岡雷電宮の前社司にして当時当村に移住せる工藤権之太夫に社務被仰付、御供田並幕燈籠寄進の上、宮社普請の御手入料御渡し下され候云々とあり、由緒ある神社なり。明治六年四月、菖蒲川神明宮へ合祭。同八年復社。※『北津軽郡神社誌』より】とあります。


二の鳥居から

 
 由緒に語られている「藩主信枚公の三男信隆公」とは、津軽藩2代藩主信枚の三男・津軽信隆(つがるのぶたか:1620~1659)のことですが、通称を百助(ももすけ)といい、代々家老を務めた「津軽百助家」の始祖とされる人物です。現在の弘前公園の隣に高校がありますが、その敷地はかつては、この百助信隆の広大な屋敷があった場所であるといわれています。

 津軽信隆には信義(津軽藩3代藩主)と信英(黒石藩初代藩主)という兄がいましたが、この時代には津軽家騒動のひとつである「正保の変」が起きています。
 この騒動は、「じょっぱり殿様」などといわれ、暗君のイメージが強かった3代藩主・信義とその子(後の4代藩主・信政)を退かせ、信英を擁立しようとする企てだったのですが、そこのあたりと信隆の関わりについては、
【正保4年(1647年)、弘前第3代藩主津軽信義を強制隠居、嫡子の信政をも廃嫡させ、幕府旗本の兄・信英を藩主に擁立しようとする主君押込の企て、いわゆる正保の騒動が起こった。しかし、これは計画段階で信義側へ密告があり大きな騒動となる前に防がれている。この後、家臣だけでなく、異母弟や妹婿もが処罰される中、擁立された信英と百助信隆には何の沙汰(咎め)もなかった。百助は信英擁立派ではあったものの、(後に改心してからか、)その密告者であったとされ、自ら騒動を起こしたというよりはむしろ企ての情報を信義に密告した功があったことが原因であったとされる。この功により知行を加増されている。※wikipediaより】と説明されています。

 結果的に信英と信隆には何の咎めもなかった分けですが、信英についてはその人物が英邁であったことに加えて、徳川の血筋を引く人物であったことがその大きな理由と考えられています。
 一方、信隆は「沈勇の士で、お家第一と考える人であった」といわれており、大局をみて適切な判断ができた人物だったようで、そういう意味では、この騒動の芽を事前に摘み取った功が評価されているようです。
 この津軽信隆と昔の鶴田町、及び大性地区との関わりについては詳しくは分かりませんが、前述の『北津軽郡神社誌』には、
【信義・信政二代の家老職を務め、徳行を以て聞こえたる人物なり。卒去に際して、領民その死を惜しむ。】と記されています。

◇大性神明宮

 
境内
末社
庚申塔ほか
二十三夜塔ほか
大黒天と・・



大イチョウ①


 神明宮は大性の集落の道路沿い、民家に挟まれた所に位置しています。
 境内には、社殿の他、狛犬や鳥居を伴った末社などが立っていますが、端っこの方に庚申塔や二十三夜塔があります。庚申塔のそばには小槌を持った大黒様。一方、二十三夜塔の隣には、何やら風変わりな石像が・・。風化しているため、胡座をかいた猿の姿のようにも見えますが、鬼っコでしょうか、何かの石仏なのでしょうか。

 境内の中で、ひときわ存在感があるのが一本のイチョウの巨木です。このイチョウの木は、とても大きくて、神社の外からもよく見えますが、まるで民家の屋根から枝がのびているような光景です。

 鶴田町の名木のひとつにも数えられているこのイチョウは、樹高32.5m、幹周5.56mで、樹齢はおよそ400年といわれています。いわゆる「乳根」が垂れていたり、横幅が巨大な形の木ではありませんが、この神社の御神木にふさわしい形のよいイチョウです。

◇大性神明宮のイチョウ

  
大イチョウ②
大イチョウ③
大イチョウ④
大イチョウ⑤


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

龍ノ口八幡宮と勝剣神社ーつがるみち292


一の鳥居


 弘前市に龍ノ口(竜ノ口)という集落があります。現在は弘前市になっていますが、旧岩木町で、同じく旧相馬村とは岩木川を挟んで向かい合っている地区です。
 この龍ノ口に八幡宮が鎮座しています。以前、「鳥居の鬼っコさがし」で訪ねた白山姫神社のすぐ近くです。
 その由緒については詳しくは分かりませんが、
【御祭神:誉田別尊  安政二年、 神社微細調社司由緒書上帳によれば 「駒越組、 龍口、 産神之社、 八幡宮、 壱宇。 右、 草創年月相分り不申候」 とある。
「元文三年十月の御棟札は、 村中にて造營仕り来り候」 とある。 明治六年四月、 村社に列せられる。 昭和二十一年七月二十六日、 法人令により、 宗教法人となる。 ※青森県神社庁HP】と記されています。

「駒越組」というのは、江戸時代に津軽藩が設置した行政区域25組の1つであり、主に津軽平野の南側、岩木川上流の区域を指しています。この神社は由緒に「産神之社」「村中にて造營」とあるように、昔から地域の産土社として崇敬されてきた社です。

「八幡様」らしく、境内には大きな神馬などがありますが、いずれも足に草鞋が結びつけられており、小さい方の神馬は、まるで動いているような姿形をしています。
 境内にはいくつか末社の祠が立っていますが、拝殿の前には石仏が納められたお堂がありました。拝殿の戸が開いていたので中を拝むことができました。祭壇の横にきらびやかな布で全身が覆われた像が2体祀られています。その姿形からして、どうやらこれはオシラ様
オシラ様
だと思われます。

 境内には、大きなイチョウの古木が一本ありますが、たぶん、この神社の御神木なのでしょう。その根元には、庚申塔や二十三夜塔が置かれていました。このイチョウの木、なかなか趣のある形をしていて、下から見上げるとロケットの発射台のようにも見えます。

◇龍ノ口八幡宮

 
二の鳥居から
境内
庚申塔ほか
末社と本殿
拝殿


  
神馬と狛犬
石仏
神馬
御神木



一の鳥居


 龍ノ口から少し離れた集落が真土。「真土」は文字通り「混じりけのない土」のことですが、集落に鎮座する愛宕神社に次のように書かれた木柱が立っていました。
【地名由来  地名の初見は寛永十七年(1640)。語源は良質の土を産するところから「真土(まつち)」となった。
 藩政時代よりこの土を使い下川原焼等数種の焼物を焼き、特に悪戸焼は藩主の奨励をうけ、松前等に移出。藩の財政充実に資した。※愛宕神社木柱より
 この真土の集落内に「勝剣林(かつけんばやし)」という、少し変わった地名がありますが、周りをりんご畑に囲まれた所に勝剣神社が鎮座しています。

 一の鳥居の横に庚申塔や猿田彦碑などが立っていますが、そこに由緒書きがありました。それには、
【当神社は明治初期神社統合の際、駒越愛宕神社に遷され相殿となっていたが、その後復社して今日に至っている。祭神は天之尾羽張神(または、伊都文尾羽張神)とされるが、神名の意味するものは、鉾の両刃が張出している鋭い剣であり、ご神体は古剣である。当社の縁起によれば鎌倉時代末期、当地の開拓者が土中より古剣を発見した伝承があり、「勝れた剣」とするところからこの社名になった。当社は、勝剣(しょうけん)→勝剣(かっけん)→脚気(かっけ)と通ずるところから脚気治療の霊験著しと言われ、古くは北海道の人達からも信仰されていたという趣意書もある。※由緒書きより】と書かれていました。

「天之尾羽張(あめのおはばり)」については、
【日本神話に登場する刀であり、また神の名前である。神名としては天之尾羽張神(あめのおはばりのかみ)という。別名 伊都之尾羽張(いつのおはばり)。『古事記』の神産みの段において、伊邪那岐命が迦具土神を斬ったときに使った十拳剣の名前として登場する。その別名が天尾羽張であると記す。天尾羽張についたカグツチの血から、建御雷之男神などの火・雷・刀に関する神が化生している。。※wikipediaより】とされています。神社の由緒によると、土中から古剣が発見されたとのことですが、かつてはこの地に大きな鍛冶場があったのでしょうか。
 それにしても、「勝剣(かっけん)」が「脚気(かっけ)」に転移し、その治癒の神様として信仰されたというくだりは面白いですね。

「勝剣」という神社名とその縁起を示すように、拝殿の中には「剣」を描いた奉納絵馬
「剣」を描いた奉納絵馬
が数多く掲げられていました。

◇勝剣神社

 
参道入口
庚申塔ほか
境内
拝殿
奉納絵馬


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