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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

町田八幡宮ーつがるみち328


八幡宮神馬


 先日、弘前市大川の熊野宮を訪ねた帰り道、信号待ちしていたところ、窓の外に鮮やかな黄色に染まった大きなイチョウの木が見えたので、少し寄り道して立ち寄ってみました。
 後で調べたのですが、この辺りは「町田」という集落で、かつてここには「町田館」と呼ばれる城郭があったということが分かりました。

 町田館は、その築城年代は定かではないものの、「文明年間(1469~1487年)には南部氏の家臣である町田孫十郎の居城であり、その後は津軽氏の家臣・町田藤三郎が居館とした城」とされています。
 
 戦国時代、南部氏の支配下にあった津軽の地は、津軽為信による統一が進むにつれて、次第に津軽氏の領地となっていく分けですが、その土地を治めていた武士達も、津軽氏に組する者が多かったようです。町田氏もまた、そのような一族だったのかも知れません。町名の「町田」は、この町田氏に因んだものなのでしょうか。
 

町田八幡宮


 その町田館は、東西170m、南北120m程の規模であったとされていますが、その中心は、現在の八幡宮の境内付近にあったといわれています。
 私が、目にとめた大きなイチョウの木のある場所は、この八幡宮の境内でした。
 因みに、この八幡宮の住所は「弘前市町田山吹」。町田館は別名「山吹の平館」と呼ばれていたといいます。
 昔、山吹の花が咲き乱れていた所だったかどうかは分かりませんが、「山吹の館」とは、なかなかきれいな名前です。

 道路沿いに大きな社号標があり、金属製の注連縄が架かった一の鳥居があります。そこからいくつか鳥居が続いていますが、社殿は、左側に折れた所にありました。
 参道には、狛犬や神馬、石仏などが立っています。大きなイチョウの木は、拝殿の右側(向かって)に、様々な記念碑を包み込むようにそびえていました。

◇八幡宮境内

  
参道
石仏
拝殿
大イチョウと記念碑



拝殿


 この八幡宮の由緒については、
【御祭神:誉田別尊  当神社は、 慶長十五年 (一六一〇年) 今(※町田?)藤三郎が館主の町田館の館神として祀られ、 明和の頃より町田村の氏神として村民の崇敬を集めていた。
 明治六年より藤内村をも氏子としている。 現在も館跡地を境内としている。 現拝殿は、 平成十二年七月に新築したものである。※青森県神社庁HP 】とあります。
 由緒にも、「町田館の館神として」とあります。現在はかつて城郭があったという面影はありませんが、周りに比べるとわずかながら境内は高い場所にあるように思えます。

 イチョウの木の下に、庚申塔があり、その前に猿田彦大神と月夜大神の木柱がありますが、それには「五穀豊年町内平安諸災退散」と書かれています。また、拝殿に掲げられている祈願札には「一、町民の健康と幸福 一、交通安全」とありました。現在も、地域の守り神として、厚い信仰を集めている社のようです。

◇庚申塔、本殿など
 
  
狛犬
神馬
庚申塔
本殿


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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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笹館八幡宮ーつがるみち327


笹館八幡宮


 弘前市の笹館は、鶴田町との境目にあたる地区で、すぐ近くには津軽富士見湖(廻堰大溜池)があります。
「笹館」という名前が示すように、ここは昔、城郭(館)が築かれていた所で、現在ここに鎮座している八幡宮はかつての主郭跡とされています。
 この城郭の築城時期や築城主などについては不明ですが、いつも勉強させてもらっているHP「陸奥の城」には、
【笹館は岩木山の北東麓、岩木川左岸の微高地(比高10-16m)に築かれた単郭の丘城で、蝦夷茶臼式形式の城郭と推定されます。城の規模は140mほど、城縄張りは頂部に構築された主郭を中心に四周に帯郭を巻いたシンプルな構造になっています。主郭の規模は東西60m×南北40mほど、現在は八幡宮の境内になっています。館からは岩木川が見渡せることから、もともと開発領主の拠点として築かれたと推測されます。】とありました。

 道路沿いに立っている一の鳥居から二の鳥居と参道が続いていて、最後の鳥居をくぐり抜けると境内へと出ます。社殿は左側にありました。
 境内全体が辺りの集落より少し高い位置にあり、社殿の後方は傾斜しており、段差が見られます。往時の城郭の面影が少し残っている感じがします。

◇八幡宮境内

  
境内
拝殿
庚申塔と二十三夜塔
末社



狛犬


 拝殿の左側(向かって)には神馬像や庚申塔、二十三夜塔、猿田彦碑などが立っていました。
 朽ち果てた老木などもあり、石碑と老木の間から本殿が顔を出しています。
 一方、拝殿の右側は広い森になっており、大きなケヤキの木もありました。木の下には末社や馬頭観音の碑などが立っています。
 拝殿の前の狛犬は二体とも平べったい顔つきで、つりあがった目や大きく開けた口など、小さい体ながらも、なかなか愛嬌があります。
 残念ながら、扉が閉まっていたため、拝殿の中を拝むことはできませんでした。

 この八幡宮の由緒については、
【御祭神:誉田別尊 玉依姫命   八幡宮神社御棟札に 「八幡大神 延暦二十巳年七月、 津軽左衛門建立也」 とあり、 津軽為信公の遠祖で津軽左衛門秀光公が正中四年没している事から、 正中年間建立と考えられる。
  安政二年の神社微細書上帳に 「右者 草創建立年月日相分不申候得共貞享二丑年より村中にて再建改来候」 とある。
 明治六年四月三和村日吉神社へ合祭、 同八年二月復社、 同九年十月村社、 同四十四年九月八日神饌幣帛料供進指定神社。 ※青森県神社庁HP 】とあります。

 詳細は不明ながらも、由緒に「正中年間(1324~1326)の建立」とあるところをみると、相当古い時代から、城郭「笹館」の館神として、あるいは地域の産土社として信仰を集めてきた社といえそうです。
 
 誉田別尊とともに玉依姫命(タマヨリビメ)が御祭神となっていますが、玉依姫は【「霊(たま)の憑(よ)りつく神であり、即ち「タマヨリ」という神名は「神霊の依り代」を意味し、タマヨリビメは神霊の依り代となる女、すなわち巫女を指す。全国にタマヨリビメという名の神を祀る神社が鎮座しているが、その多くはその地域の神の妻(神霊の依り代)となった巫女を神格化したと考えられる。※wikipediaより抜粋】とされています。この八幡宮もまた、そのような社のひとつなのでしょうか。

◇末社、本殿など
 
   
狛犬
老木
本殿
御神木


※記事の画像(写真)は、6月中旬のものです。


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猿賀神社の紅葉ーつがるみち326




 あっという間に紅葉の時期も終わり、辺りの景色は様変わりしてしまいましたが、少し前の猿賀神社のスナップです。
◇猿賀神社
【御祭神:上毛野君田道命  桓武天皇の御代、 坂上田村麻呂将軍が暴夷を平定することになり、 兵を進め苦戦となった際、 田道命の霊感を受けて大勝した。 よって将軍はその趣を天皇に奏上したところ、 勅命により大同二年 (八〇七) 八月十五日社殿を造営、 奥州猿賀山深砂大権現として勧請し、 神威天長、 国家安穏、 黎民豊楽、 悪鬼退散を祈願した。 以来猿賀の深砂宮と崇められ御神徳四辺に遍く、 地方唯一の霊場と仰がれるに至った。 かつては藤原秀衡、 北畠顕家、 安倍氏代々等の国司、 探題の崇敬篤く、 藩政時代に入り津軽為信公により祈願所と定められ、 代々の藩主の守護のもと、 社殿の改修造営、 また社領の寄進などしばしばであった。 明治四年太政官政令にて権現号を廃して猿賀神社と改称し、 明治六年郷社、 更に明治十三年県社に昇格、 昭和三十四年神社本庁別表神社に加列され今日に及んでいる。 辰年、 巳年生まれの守護神として広く崇敬されている。 ※青森県神社庁HP

 ⇒ 以前の記事   記事①    記事②

◇猿賀神社の紅葉

  



  


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米田稲荷神社ほかーつがるみち325


きつね像


 前回の記事でもふれましたが、江戸時代、津軽藩による新田開発は四代藩主・津軽信政のときに積極的に進められ、五所川原新田をはじめ、いわゆる三新田(広須新田、金木新田、俵元新田)の大規模開発が行われました。その結果、いくつかの新しい村落も誕生した分けですが、米田(よねた)村もそのひとつです。
 この村は俵元新田の開発に伴い誕生しましたが、
【新田開発当初、名前のない所だったので、郡奉行が津軽藩の家老の許可を得て、生田(いくた)村と名づけた。ところが、広須新田にも同名の生田村があったため、混同をさけるために米田村に改名された。※五所川原市立図書館「五所川原の地名」より】という経緯があります。
 今回は、その米田地区に鎮座している稲荷神社を訪ねました。

 その由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  元文二年勧請。 安永五年八月より俵元新田八ケ村の守護の為祈願所に指定せられ、 明治元年迄公費を以って年々六月十日祭祀を行う。 安永五年大神宮大麻鳴絃御守俵元新田守護の為、 飯詰組の御代官を以って御奉納仰せつけられる。 明治六年四月金山泉神社へ合祭。 明治八年二月復社。 明治九年十二月村社に列せられる。※青森県神社庁HP 】とあります。

 住宅が並び立つ集落の道路沿いに大きな赤い鳥居があり、社殿は道路からも見ることができます。稲荷神社らしく、境内には大きなきつね像や背筋がピンとのびた狛犬などがありました。
 社殿の左右にはそれぞれ末社が立っていますが、道路側の方の祠は馬頭観音でした。そばには注連縄が張られた庚申塔と二十三夜塔がありました。

 実は、この社にも水神・水虎様が祀られているということでやってきた分けですが、その祠は社殿の奥の方にありました。両手を合わせた女神型の水虎様です。

◇米田稲荷神社

  
境内
拝殿
拝殿内
庚申塔と二十三夜塔



  
きつね像
狛犬
馬頭観音
水虎様



泉神社


 米田稲荷神社の由緒に「金山泉神社へ合祭、復社」とありますが、金山地区は、米田地区のとなりの集落にあたります。
「金山(かねやま)」・・・何となく金銀を連想させる地名ですが、鉱山があった分けではありません。
 この地区の周辺には、大溜池・姥溜池・上溜池・下溜池など多くの溜池があり、早くから新田開発が盛んに行われてきた所です。最も大きい金山大溜池は、津軽藩の新田開発初期(二代藩主・信枚の頃)には既に造られていたと伝えられていますが、最近は、溜池の底に堆積している良質の粘土を原料とする「津軽金山焼」という焼き物も名物となっているようです。
 泉神社は、そんな金山地区の産土社として信仰を集めてきた神社です。

 その由緒については、
【御祭神:別雷命  勧請年月不詳。 明治六年四月金山天満宮合祭。 同年同月村社に列せられる。 昭和八年八月十七日指定神社に列格せられる。※青森県神社庁HP 】とありますが、詳細については分かりません。
 別雷命を祭っている神社の多くは、「雷電宮(雷電社)」ですが、この神社もかつてはそう呼ばれていたのでしょうか。社殿の後方に田んぼを背にしてポツンと立っている赤い祠(稲荷社)が印象的でした。

◇泉神社

   
拝殿
拝殿内
本殿
末社


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広田神明宮ーつがるみち324


広田神明宮


 江戸時代の津軽藩による新田開発の時期は、一般に次の四期に分けられるとされています。
・第一期 開発奨励期(初代藩主為信~3代信義)  
・第二期 積極的推進期(4代信政)
・第三期 開発休止期(5代信寿~7代信寧)
・第四期 廃田復興期・小新田開発期(8代信明~12代承昭)
 現在の五所川原市の大半は、主に第一期と第二期の間に開発されました。 

 貞享4年(1687)には、総検地が終了し、在方行政機構の改革を行い、領内を25に分割した「組」が設けられましたが、五所川原市域は「柏木組」「広田組」「飯詰組」「金木組」「藤代組」に属していました。
 その中の「広田組」には、本村23カ村、枝村5カ村の計28カ村が属していましたが、地域の祈願所として信仰を集めてきた社が広田神明宮です。

 その由緒については、
【御祭神:天照皇大神   創建年代不詳。 『元禄十五年堂社縁起修験道由緒』 に 「広田村 大日如来堂 寛永年中 (一六二四~四四) 同村開発砌、 往古堂地河添有、 洪水損崩之故検堂地、有小森此、 穿土地古礎顕則一宇建立……」 とある。
 安永五年 (一七七六) 広田組中安全五穀成就の祈願所として吹畑村八幡宮、 喰川村の神明宮とともに三年目毎に組神楽の執行方仰せつけられる。
  明治三年神仏混淆分離調の際、 祭神を天照皇大神に改め、 社名を神明宮とした。 それまで祀っていた大日如来像は別に堂を建立し残された。 明治六年四月村社に列せられる。 明治四十四年十月本殿造営。 大正二年八月神饌幣帛料供進指定神社に列格せられる。 ※青森県神社庁HP 】とあります。
 これを見ると、その前身は、開発の守り神として崇められていた大日如来を祀るお堂だったようです。

 境内にはいくつか末社がありましたが、ひとつひとつ覗いてみました。
 入口の一の鳥居の隣にあるのは馬頭観音堂。中には三体の馬頭観音と奉納された絵馬などが納められています。

 社殿の近くに祠が二つありますが、そのうちの一つの祠の中には二柱の神様の像がありました。そばに木札があり、それには、「奉鎮祭  手置帆負神 屋船久久能智神 屋船豊受姫神 彦狭知神  廣田水神宮新築神祠 壱宇」と書かれています。
 私にとってはあまりなじみのない神様たちですが、
【手置帆負命(たおきほおいのみこと)と彦狭知命(ひこさしりのみこと)は、天照大神が天の岩屋に隠れてしまわれた時、共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営した。二柱はともに工匠の守護神とされ、木造建築の上棟式(棟上げ)などにおいて祭神とされる。 ※wikipediaより】「手置」とは「手を置いて物を計量する」意味なのだとか。
 また、屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)は「木の神」であり、屋船豊受気姫命(やぶねとようけひめのみこと)は豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)のことですが、二柱とも家屋の守護神として信仰されています。社殿の新築にふさわしい神様たちです。

 木札に「廣田水神宮」とありますが、由緒にも「往古堂地河添有、 洪水損崩之故・・」とあるように、たびたび水害に悩まされてきた土地だったようで、この社は「水神様」としても信仰されてきたのでしょう。それは、もうひとつの祠に津軽の水神・水虎様が二体祀られていることからも分かります。

◇広田神明宮
     
 
馬頭観音
神馬と末社
手置帆負命と彦狭知命
水虎様



大日堂


 由緒には、神仏分離に伴い、「それまで祀っていた大日如来像は別に堂を建立し・・」とありますが、その大日如来堂は、神明宮のすぐ近く、道路を挟んだ所にありました。
「大日如来」と書かれた社号標と鳥居があり、その奥に社殿が建っています。境内には庚申塔や二十三夜塔、そして末社の中には石仏(大日如来か?)が祀られていました。

 大日如来は神仏習合の解釈では天照大神と同一神とされていますが、神明宮と同様、このお堂もまた変わらぬ崇敬を集めているようです。

◇大日如来堂

 
庚申塔と二十三夜塔
拝殿
末社
末社


※五所川原市立図書館「五所川原市のなりたちと地名」PDF版を参考にしました。

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福村熊野宮ほかーつがるみち323


福村熊野宮


 弘前市の福村地区は国道102号線沿いに位置していて、黒石方面から進むと弘前市の入口にあたる所です。
 辺りを流れる平川に沿うように広がっていて、平川をはさんで平川市と境を接している分けですが、ここに熊野宮が鎮座しています。時々立ち寄る大型家電店の裏側にある神社なので、気になっていたのですが、先日訪ねてみました。

 この神社の由緒については、
【御祭神:伊弉諾尊 伊弉册尊  当神社は正徳三年四月勧請したるものと伝えられ、 熊野大権現と称へられて、 町民深く之を崇仰し、 享和三年堂宇を再建して現在は福村町会・福田町会・両町会の産土守護神として敬信され、 現在に至る。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。
 弘前市は津軽藩の御祈願所であった茜町の熊野宮をはじめ、熊野権現を祀る神社が多い所ですが、ここもまたそのひとつです。

 閑静な住宅街の一角にこんもりとした森があり、そこに大きな社号標と一の鳥居が立っていました。鳥居をくぐって参道を進み、右側に折れた所に二の鳥居があり、その奥に社殿が見えます。
 境内には小ぶりな狛犬をはじめ、手水舎や神馬、石灯籠などが並んでいます。足元には落ち葉がびっしり。晩秋を思わせる佇まいでした。

◇福村熊野宮

  
参道
境内
狛犬
本殿



  
敷石碑
神馬
石灯籠
切株



大川熊野宮


 こちらは県道37号沿いにある弘前市大川奈良田に鎮座している熊野宮です。
「大川」は文字通り「大きな川」で、岩木川を指します。即ち「大川」という地名の由来は、「大川(岩木川)沿いに形成された集落が発達したから」だといわれていますが、実際、この集落は岩木川とその支流沿いに位置しています。

 この熊野宮については、
【御祭神:伊邪那岐命 伊邪那美命  創立年月は不明であるが、 弘前并在々浦々建立堂社帳に依れば、 「大川村、 熊野宮、 永禄六年」 とある。 又、 安政二年の神社微細調、 社司書上帳には、 「大川村、 熊野宮一宇、 右者、 初創年月不明に候えども、 慶安四年、 村中繁栄のため再建仕り候」 とある。
 明治六年の神社御調べの際には、 一時廃社となり、 隣村の新和村青女子(あおなご)の、 日吉神社へ合併せられたるも、 仝八年、 願済みて復社となり、 翌九年十二月、 村社に列せられる。 明治四十年四月九日、 神饌幣帛料供進指定。 昭和二十一年四月八日、 法人令に依る宗教法人となる。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 金属製のがっしりした注連縄が架かった鳥居から参道が続いていますが、拝殿の手前に米○記念(※○は読めませんでした)
米○記念碑
という碑があり、「明治の大戦、大正の飢饉、昭和の敗戦にもかかわらず、こうして平和に過ごせるのは御神徳のおかげである」という意味の文言が記されていました。集落のこの社に対する崇敬の厚さが分かります。本殿の後ろはりんご畑になっており、雪化粧した岩木山が見えました。

◇大川熊野宮

  
参道
境内
本殿
境内から


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  

中野もみじ山ーつがるみち322


中野神社本殿


 黒石市の中野神社は、私の地元ということもあり、ちょくちょく出かけるのですが、その由緒については、
【御祭神:日本武尊 大山祇神 坂上田村麿命 岩戸姫命 倉稲魂命 少名彦命  延暦十四年 (七九五)、 坂上田村麿が建立、 更に軍が東夷を討ち帰洛せられし後、 当国の守護神として社殿を創建したと伝えられる。
  御神体の不動尊は推古帝十八年 (六一〇) 唐僧円智上人の作で一木より三体を彫刻し一体は古懸山国上寺に、 一体は長谷沢の東光山五輪寺に一体を中野の黒瀧山に勧請したと言われ、 世にこれを津軽三不動尊と称せられる。 ※青森県神社庁HP】とあります。

 ◇津軽三不動尊   ⇒古懸山国上寺  ⇒長谷澤神社  ⇒中野神社


観楓台


 この神社の境内は昔から青森県下有数の紅葉の名所として知られており、「中野もみじ山」と呼ばれ、シーズンにはたくさんの観光客が訪れます。
 ここがもみじの名所となったのは、亨和2年(1802年)に津軽寧親(つがる やすちか ※黒石藩第6代当主、弘前藩第9代藩主)が京都から百余種の楓苗を取寄せ、移植したのがその始まりとされています。

【全山燃えるような紅葉は滝と渓流に映え、あざやかな世界を展開し、その美観が称賛されています。また、イギリス人女性紀行家イザベラ・バードもこの地を訪れ、「ここはすべてが魅力的である。」と紹介しています。※黒石市HPより】とあるように、その景観はなかなか見事なもので、期間中は夜間ライトアップも行われています。

 実は私は紅葉の頃に訪ねたことはあまりないのですが、今回、久しぶりに境内から「観楓台」と呼ばれている山の上までぶらぶら歩いてみました。

◇中野もみじ山
 
  
もみじ山
もみじ山
もみじ山
もみじ山



  
もみじ山
もみじと渓流
参道
境内



  
大杉
観楓台へ
観楓台
観楓台


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

下宮からーつがるみち321


大石神社下宮


 神社の中には複数の社をもつものがありますが、一般的に位置が最も上方(奥)にある社が上宮(上社)、最も低い位置にある社が下宮(下社)と呼ばれています。
 下宮の多くは、上宮が人里を遠く離れた山中などに位置するため、参詣の「便」を考慮した遥拝所としての役割を負っていますが、弘前市の大石神社も下宮をもつ神社です。

 私は大石神社へ行くときは、弘前から鯵ヶ沢へと続く県道31号線を通るのですが、行く途中に大石神社下宮があります。

 巨石信仰で知られる大石神社については何度か取上げましたが、上宮の境内にある由緒書きには、
【往古桓武天皇の延暦19年征夷大将軍坂上田村麿東夷勘定の時、当山の霊験を蒙りしにより、十腰内に下居宮を建立、当時当社は岩木山登拝口にして、巨石大余の者三四併立神体石にて、工人群集登山の安全を祈願せり。堀河天皇の寛治5年十腰内の下居宮は壱百の渓潤を越せる土地、即ち百沢に遷され跡地の社堂は岩木山三所大権現の内一社厳鬼山御西方寺観音院として、俸禄百石を検行し巨石大石明神の信仰弥高まりたり。
 一・ 寛正5年大浦信濃守信代厳鬼山西方寺観音院の古佛再興
 一・ 慶長17年津軽家二代藩主越中守信牧公赤倉山御祈願所として大石明神を勧請、爾来津軽一園の信仰を集め御霊験現妙、子授け安産の神として信仰高し  ※以下略】とありますが、末尾の方に
【第三大区小区大森貝沢両村産土大石神の儀は山中故大石神社下宮江神体安置し無別崇敬仕来得候」】と書かれていて、この下宮の縁起が簡単に述べられています。

 道路沿いにブロック塀で囲まれた境内があり、一の鳥居と「大石神社」と書かれた社号碑が何基か立っています。社殿の横には、鳥居をともなった末社がふたつ。大きな御神木を真ん中にして、二十三夜塔や庚申塔が何基かありました。この神社は、昔、「庚申様」と呼ばれ、地域の信仰を集めていたとのことですが、庚申塔の数はとても多く、社殿を取り囲む形になっていました。

 上宮の由緒に「山中故大石神社下宮江神体安置し」とありますが、境内には大雪に埋まった上宮の写真
大雪に埋まった上宮の写真
も飾られていました。村人総出で、上宮の雪かきに出かけたときの様子ですが、崇敬の厚さが伝わってくる写真です。

◇大石神社下宮

 
末社
社殿
庚申塔ほか
庚申塔ほか
神馬と狛犬



大石神社中宮


 この下宮から少し進んで、左へと折れると上宮へと続く道がある分けですが、その曲がり角に「大石神社前」と書かれたバス停があり、赤い鳥居が立っている場所があります。実はここも大石神社なのですが、上宮、下宮に挟まれた「中宮」になります。上社、中社、下社の三社に分かれる神社を「三社制の神社」というのだそうですが、大石神社もそのようです。

 ここはこじんまりとした社ですが、祠を中心にして社号標や狛犬
社号標と狛犬
などがありました。上宮は、ここからさらに数km進んだ所にあります。
 ⇒下宮、中宮、上宮
上宮へ



大石神社上宮


 ここまで来たついでなので、上宮へも足を延ばしてみました。あらためて走ってみると、確かに冬場は難儀しそうな道だということが分かります。
 大鳥居をくぐって、駐車場から境内へと歩いたのですが、どうも以前にきたときと様子がちがうような気がしました。よく見ると、二の鳥居に大きな「昇り龍」と「逆さ龍」が巻きついています。確か以前にはなかった気がするのですが、いつ頃掲げられたものなのでしょうか。

 久しぶりに訪れてみましたが、境内の祠や石仏、何基もの社号標、龍神宮、無数の神馬厩舎、そして御神体の巨石を祀る本殿など、ここはやはり、独特の雰囲気を感じさせる神社です。

◇大石神社上宮

 
二の鳥居
参道
拝殿
厩舎
本殿


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 早いものでもう3月になりました。雪解けを待ち、また史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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