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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 中泊町   Tags: つがるみち  水虎様  

田茂木稲荷神社 - つがるみち436




 十三湖にほど近い岩木川下流には、かつて、富野、豊島、芦野、田茂木、長泥、福浦、豊岡の村々が点在していましたが、明治22年(1889)に合併し、「武田村」が発足しました。
 村名は、岩木川下流の開拓と治水につとめた江戸時代の奉行・武田源左衛門に因んで名づけられたとされていますが、その後、昭和30年(1955)に中里町の誕生により、武田村は消滅し、武田地区と呼ばれるようになりました。




 武田地区の田茂木は、寛文4年(1664)頃に開拓がはじまり、津軽藩田舎庄金木新田として成立したといわれていますが、村の産土社として崇敬を集めてきた社が鳴見という集落に鎮座する稲荷神社です。
 その由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  創立年月日 不詳 旧社格 村社 明治六年 列格 創立年月日不詳であるが、 元禄十三年の再建と伝えられる (神社微細調書記載)。 明治初年以前は長泥部落の稲荷宮と合祀してあったが、 昭和二十二年六月、 長泥の稲荷宮は復社した。 当神社は明治四十四年神饌幣帛料供進の指定神社となる。※青森県神社庁HPより】とありますが、その創建については、延宝3年(1675)や元禄13年(1700)とする説もあります。

 また、江戸時代の中期には岩木川氾濫による水害に悩まされ、何度も流されたようですが、「正徳元年(1711)と宝暦3 年(1753)に再建された」という記録は、そのことを物語っているように思います。

◇田茂木稲荷神社







 神社の入口の道路付近には地蔵堂が立っており、その傍らには、弘化3年(1846)の銘をもつ庚申塔をはじめ、明治・昭和・平成の時代に建立された二十三夜塔や百万遍塚などが並んでいます。
 それらの石碑群のそばには大黒様と恵比寿様。後ろの田んぼを見守るように立っていました。台座にはろうそくなどが置かれており、地域の方々が拝んでいるようです。

 境内は、社殿の右側が広く開けていて、新しい神馬像の後ろに鳥居を伴った境内社がありますが、これは保食神を祀る保食神社のようです。

 保食神社の後ろには、古びた祠が四つ並んで立っていますが、そのうちのひとつは石をくりぬいて造られたものでした。
 四つの祠をそれぞれ覗いてみましたが、二つの祠の中には両手を合わせた水神・水虎様が祀られていました。

◇水虎様ほか



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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市  

猿賀公園の秋

 秋は一足飛びに過ぎていくようで、近場の公園の紅葉も日増しにその色があせていくような気がします。

 画像は、一週間くらい前の猿賀公園の築山付近の様子です。


  


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

東公園の秋

 「日本一のポプラ」と称されるポプラの大樹がある黒石市の東公園です。

 春には公園いっぱいに桜の花が咲き、祭り期間中はたくさんの人々でにぎわいますが、今は静かな秋のたたずまいです。


  


  


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

浄仙寺の秋

 秋たけなわということで、黒石市でも中野山(中野神社)のもみじ祭りが行われていますが、そこを通り越して黒森山浄仙寺へ。いつ訪れても静かで落ち着ける境内です。


   


  


   

   

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

沖館神明宮 - つがるみち435




 平川市の沖館観音堂は津軽三十三霊場の第29番札所ですが、その創建は延暦10年(791)とされており、坂上田村麻呂が東夷東征の際、御堂を造営し歓喜天像と十一面観音を祀り戦勝祈願したことが始まりと伝えられています。
 戦国時代には大浦(津軽)為信が、ここで南部方との戦の勝利祈願を行い、念願成就したといわれていますが、この観音堂は神明宮の境内の中にあります。




 この神社の由緒は観音堂の歩みと重なっている分けですが、
【御祭神:天照皇大神   社伝に依れば、 「延暦十年 (七九一)、 田村麿将軍東夷征討に当り、 社殿一宇建立の上、 歓喜聖天及び十一面観音を勧請し祈願す」 とある。 神明宮の起源は、 観音堂創建に遡るが、 文亀三年 (一五〇三)、 神仏二道の道を修めた修験者一道坊全賢によって勧請建立された。 天正三年 (一五七五) 九月には、 津軽大守藤原為信公が時の五代目別当堯光に百日の戦勝祈願を命じ、 翌四年、 大光寺城攻略に成功した為信公は、 霊威に感動され、 「如意輪観音画像」 を始め鏡や祭具奉納の記録もあるが、 慶長十三年 (一六〇八)、 野火が原因の火災により、 今日に残るものは、 為信公直筆 「観音画像」 だけである。 慶長十四年仮殿を建て、 享保十四年 (一七二九) に建立された本殿が、 嘉永四年 (一八五一) 改築され、 のちに萱葺きからトタン葺きになり今日に至っている。 又、 本殿内陣には安政六年 (一八五九)、 津軽十二代藩主承昭公奉納の厨子に御神体が祀られている。 ※青森県神社庁HPより】とされています。

 石造りの鳥居をくぐると、奉納された御神燈が立ち並ぶ参道が続いていますが、道の右側に手水舎があり、その後ろには地域の方々によって造られた築山があります。一方、左側は小高い丘になっており、石段を上った所に観音堂があります。
 観音堂の上り口には大きな神馬。拝殿までの途中には狛犬が二対置かれていました。拝殿には石段を上っていきますが、ここにも小さな狛犬が一対置かれています。

◇沖館神明宮






 由緒に書かれてあるように、この神社は修験者・全賢によって建立されましたが、全賢の両親については次のような話が残っています。
【室町時代中期、時の関白・平房三男の政友は、藤原尚之の姫・貴増と恋に落ちた。しかし、姫は政友の兄・政知との婚約がととのい、妻となった。政友と貴増はその後も、ひそかに恋を語り続けた。その悲恋も兄・政知が知ることとなり、二人は老臣の州崎(
すのさき)政市を共に、駆け落ちすることとなった。そして、遠くみちのくの奥の奥、沖館の地に庵を結んだのである。二人は沖館に住み、山野を拓(ひら)き農耕、植林に励んだのだという。さらには十一面観音を信仰し、周辺に散在する庵所を1カ所に集め、修験の地とした。その場所は十九院と呼ばれているそうだ。二人に男子が生まれ、千代丸と名付けられた。この千代丸も父母と同じく修験の道に入り、長じて一道坊全賢と言う。※陸奥新報社『津軽三十三霊場』より抜粋

 この全賢の両親の墓碑が境内に立っているとのことですが、それらしきものはあるものの、はっきりとは分かりませんでした。

◇観音堂、御神木など



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Category: ふるさと【東北・青森】 > 田舎館村   Tags: 名木めぐり  

御神木の手入れ




 田舎館村川部の熊野宮は、以前にも訪ねたことがありますが、JR川部駅のすぐ近くにある神社です。
 その由緒については、
【御祭神:伊邪奈岐命 伊邪奈美命  「津軽一統志」 (享保十六年・一七三一) には 「初開年号不詳坂上田村麻呂建立焉往古真言宗寺院退転メ而今号ス新城館ト有大根子村領」 と記されてある。 仏体号の熊野大権現で真言宗派に属するというが詳しいことはわかっていない。 なお 「堂社帳又は山伏」 には 「川辺村熊野宮者従古来雖有之建立之由緒不分明其後明暦四年村中之者再興別当常福院」 と出ている。 明治四十二年七月十四日和泉の地に鎮座している村社稲荷神社を当社川部熊野宮に合祀したが、 その後稲荷神社は独立して現在に至っている。 ※青森県神社庁HPより】とあります。

◇川部熊野宮






 この神社の境内で、ひと際異彩を放っているのが御神木の「エゾエノキ」です。
 そばにある説明板には、
【エゾエノキ大樹は、樹齢450年以上、標高17.0m、幹周・主幹570cmを計測する。この種の樹木は高木となることから、境界や一里塚などの道しるべとして植えられたり、神社やお寺の神木や縁起樹として植えられることが多い。この種のエノキ科の樹木は、腐植菌に犯されやすく、樹齢が短いとされており、このような巨木は珍しいといわれている。ー 以下略 -】と書かれています。

 私が訪ねたときは、二人の方が、忙しそうに樹木の手入れをなさっていました。

 太い幹の真ん中あたりにキノコが生えていたので、珍しそうに眺めていると、作業をしている方が、
「そのキノコの菌が木にはよくないんだ。」と、笑いながら話してくれました。
 風格のある堂々たる巨木ですが、その雄姿を保ち続けるのは大変なようです。

◇御神木「エゾエノキ」

  

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不浪寄八幡宮 - つがるみち434




 平川市碇ヶ関古懸(旧碇ヶ関村)に鎮座する八幡宮は、不動尊で有名な国上寺のとなりにある神社です。
 国上寺は以前訪ねたことがありますが、この神社はざっと回っただけでした。今回は再訪になります。
 参道の入り口に鳥居が立っていて、松並木に囲まれた道が続いていますが、まっすぐ進むとお寺の本堂になり、その手前に神社の一の鳥居が立っています。




 社号標には「不浪寄八幡宮」とありますが、不浪寄(よせなみしらず)とは、
「昔、大規模な白髭水(山津波)が起きたことがあったが、八幡様の霊験により被害を最小限で食い止めることができた。」という言い伝えに基づいていて、それが神社名にもなっています。なかなか一発では読めません。

 境内は、国上寺の大きな伽藍が立ち並ぶ所の隣の敷地、少し低い所にあります。

 鳥居をくぐって神社の参道を進むと、社号標があり、そのそばに一対の狛犬が置かれています。傍らには手水舎。拝殿の手前には昇り龍と降り龍の神門が立っていました。
 拝殿の屋根の下には八幡宮と書かれた扁額がありますが、その前にねぶた絵が描かれた灯篭が下がっています。地域の方々のアイデアでしょうか。

 拝殿の横がちょっとした丘になっていますが、その下を小川が流れています。丘の上には末社がひとつと観音像が立っていました。

◇不浪寄八幡宮
 





 この神社の由緒については、
【御祭神:譽田別命  由緒不詳。 社伝に依ると、 人皇三十代敏達天皇の御代、 津軽郡が大津波のため入海となった時、 入水を祓退け、 霊験あらたかなるによって、 不浪寄八幡宮と称されるようになり、 参拝者は船によって往来し、 その古跡が今もあり、 其の時船をつないだ所が船岡森と称され、 又、 碇石として天保年間 (一八三〇~一八四四) の頃までは、 柵がめぐらされていたが、 近年は石だけが残っている。 又、 坂上田村麿東夷の折り、 八幡大神の霊験顕著なるを以て、 大神の尊像を彫り、 堂宇建立されたと云い伝えられ、 のち、 天正年間 (一五七三~一五九二)、 津軽土佐守藤原朝臣が御堂を建立し、 以来度々再建修造された。 神仏分離令により一時弘前八幡宮へ合祀され、 明治六年古懸村に復社遷座され今日に至る。 ※青森県神社庁HPより】とありますが、ここでもまた、「不浪寄」のことが語られています。

◇昇り龍ほか



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紅葉はもう少し先

 めっきり寒くなりましたが、付近の神社の紅葉はもう少し先のようです。

◇猿賀神社東屋から
  


















◇中野神社不動の滝
 



















◇長谷沢神社境内
 



















【御祭神:日本武尊  延暦年間 (七八二~八〇六)、 田村麿将軍東夷を征討して帰洛した後、 大同元年 (八〇六) 当国の守護神として、 長谷沢の地に社殿を創建した。 明治初年の改革により、 明治四十年四月九日村社に列格し、 更に昭和二十一年に至り、 国有境内地譲与の申請をし、 昭和二十二年法律第五十三号に依り、 昭和二十五年三月三十一日付けを以て無償譲与となる。 ※青森県神社庁HP


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Category: ふるさと【東北・青森】 > 中泊町   Tags: つがるみち  水虎様  

若宮稲荷神社 - つがるみち433




 中泊町の田茂木(たもぎ)地区は、岩木川下流の低地に広がる集落ですが、ここを馬鹿川(ばかがわ)という小さな川が流れています。岩木川の分流のひとつですが、勾配がとてもゆるく、水の流れが停滞しがちな河川です。
 一帯は十三湖南岸の三角州地帯にあたりますが、冬の西風による日本海の高波で十三湖の水位が上昇し、そのため下流から上流へと逆流することがあったため、水害防止の放水路として作られた川です。しかし、放流効果がなく、そのため馬鹿川(※役に立たない)という蔑称で呼ばれるようになったといわれています。
 そんな田茂木地区の若宮という所に若宮稲荷神社が鎮座しています。




 若宮の集落は、昭和2年(1927)、 「岩木川改修工事に伴う新堤防造築のため、長泥地区から分かれて馬鹿川沿岸に入植したものであり、当初は下長泥と称したが、戦後若宮と改称した。」とされています。
 村の道路沿いに赤い大きな一の鳥居が立っており、参道が続き、二の鳥居、三の鳥居をくぐると境内へと出ます。境内の背後は田んぼになっていて、黄金色の稲が波打っていました。

 入口には水道竣功記念碑があり、そのそばに紫色の衣を身に着けた神馬が置かれています。社殿は、緑色の藤棚の奥に立っていて、その前には青色のほっかむりをした狛狐が一対置かれていました。

 社殿の右側は広い敷地になっていて、赤い祠や鳥居を伴った石碑群があります。「昭和13 年(1938)建立の庚申塔、甲子塔、昭和57年(1982)建立の二十三夜塔」とのことです。

◇石碑、神馬、狛狐






 神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  創立年月日 昭和二年月日不詳。 大正年間入植せる開拓村の守護神として、 近隣長泥稲荷神社の御分霊を小祠に奉祀。 以来、村民の厚き尊崇を受く。 河川の築堤工事に伴い現在地に移転、 社殿改築、 昭和五十六年十二月二日遷座祭、 竣工祭斎行。 昭和五十八年七月、 宗教法人設立及神社本庁被包括承認申請。 ※青森県神社庁HPより】とありますが、集落が長泥地区から分離するにともなって建立された社のようです。

 社殿のそばに赤い祠がぽつんと立っていましたが、その中を覗いて見ると、木彫りの水虎様が祀られていました。水害から村を守る守護神として祀られたのでしょう。少し珍しい姿の水虎様です。

◇若宮稲荷神社



※「中泊町史跡・文化財マップ」を参照しました。

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長泥稲荷神社 - つがるみち432




 中泊町長泥(ながどろ)地区については、次のように紹介されています。
【岩木川下流部右岸堤防沿いに展開する集落。元々は現在地よりも2 キロほど下流に位置したが、大正末~昭和初年現在地に移転した。旧村の開拓は、文化元年(1804)で弘前藩田舎庄金木新田福泊村として成立した。天保飢饉で廃村となったが、安政5 年(1858)に復興し、文久元年、(1861)長泥村と改称した。※「中泊町史跡・文化財マップ」より要約・抜粋




 そんな長泥集落の産土社として人々の信仰を集めてきた社が稲荷神社です。
 十三湖へと続く岩木川の堤防のそばに鎮座している神社ですが、堤防の上から境内全体を見渡すことができます。
 入り口付近に赤い屋根のお堂がありましたが、そこにはお地蔵様が祀られていました。お参りの人が絶えないようです。

 奥の方に社殿があり、その後ろには黄金色の田んぼが見えました。社殿の前には、ほっかむりをした狛狐が一対置かれています。

 境内の中央付近に赤い鳥居が立っていて、その後方には明治42 年(1909) 建立の二十三夜塔や百万遍の塚などが三基並んで立っていました。

◇長泥稲荷神社






 この神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  文政二年の勧請で、 醍醐帝の御代坂場八郎家資卿勤五ノ兵を擧ぐるに際し帝の謁見を得、 京都伏見稲荷神社の御分霊を捧持し来たけれども越後国で戦いに破れ海路津軽に落延びたと云われ、 家資津軽地に遊去の後子々孫々稲荷社を厚く崇敬し来たけれども、 文政二年に至り家資の後裔義道より長泥部落開発守護神として勧請するに至り、 天保年間、 凶作のため廃家続出離村するに及び田茂木稲荷神社合祀した。 昭和二十二年六月に至り新たに神社創設の承認を得、 今日に至った。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。
 また、「中泊町史跡・文化財マップ」にも、
【文政2 年(1819)創建。天保飢饉時廃社となるも、慶応2 年(1866)再建。】とあり、天保の大飢饉の甚大な被害を今に伝えています。

◇社号標、狛狐ほか



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下高根稲荷神社 - つがるみち431




 中泊町高根地区については、
【高根(たかね) 上高根溜池南側の上高根と、北側の下高根からなる集落。 城館跡である黒崎館遺跡や、 製鉄址である小金石遺跡などが認められるが、詳細は不明である。上高根溜池の築造が寛 永年間(1624-43)とされることから、近世高根集落もそのころの成立と考えられる。当 初は黒崎村と称していたが、貞享3年(1686)高根村と改称。※中泊町史跡・文化財マップより】と紹介されています。
 その上高根と下高根との境目にあたる道路沿いに、赤い鳥居が2つ並んで立っている場所があったので立ち寄ってみました。

 右側の鳥居のそばには昭和42 年(1967)に建立された「高根保安林碑」があり、鳥居をくぐって石段を上ると、大正15年(1926)に建てられた「植樹報恩碑」がありました。隣にはお堂があって石仏が祀られています。
 一方、左側の鳥居の奥には祠が2つ。後で分かったのですが、この場所は清水が湧き出ている場所で、「冷水コ・惣染堂」と呼ばれているようです。2つの祠は馬頭観音と勢至観音を祀っています。







 惣染堂を過ぎると下高根の集落になりますが、ここに稲荷神社が鎮座しています。
 十三湖へと向かう国道339号線沿いにある神社ですが、道路沿いに干支の猿が描かれた絵が鳥居に架かっており、上の方に白っぽい社殿が見えました。
 鳥居からは小高い丘に向かって、参道の石段が延びていますが、上りきった所が境内です。




 石段の頂上付近に二の鳥居が立っており、そばには大きなケヤキの木がそびえていますが、そこから境内は左右に分かれており、左の方には鳥居を伴ったお堂がひとつ立っていました。
 右に曲がった方は稲荷神社の境内ですが、ここからは集落の様子が見渡せます。社殿がポツンと立っているという、いたってシンプルな境内ですが、御神燈とほっかむりをした狛狐が置かれています。

 この稲荷神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命  旧社格 村社 明治六年四月列格。 往昔大日堂と称して祀り来れるものなり、 明治初年稲荷神社と改む。 御棟札宝暦十辰年二月 文化九申年九月 文政十二丑年十月 嘉永五 丑年九月 大正二十四年八月二十六日神饌幣帛料供進指定神社に列せらる。※青森県神社庁HP】とあります。
 また、中泊町史跡・文化財マップには、【江戸時代は大日如来を祀る大日堂であったが、明治初年神仏分離令により稲荷神社となった。創建年代不詳であるが、貞享4 年(1687)『検地水帳』に「大日堂地」がみえることから、それ以前の創建である。宝暦10年(1760)再建。】と書かれています。

◇下高根稲荷神社






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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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