
弘前市の五所神社は、弘前市役所相馬庁舎の近くに鎮座する社です。
住所が示しているように、ここは弘前市と合併する以前は、中津軽郡相馬村だった分けですが、神社の由緒については、
【御祭神:久介廼智神 創立年月日不詳であるが、元来、当村の下五所里見という所に宮を建立し、寛延年中岩木川大水の節に社地に石残して流出する。その節に当社へ引越して安置し奉り、以来崇敬する。】と伝えられています。

御祭神の久介廼智神(くくのちのかみ)については、私はよく知らなかったのですが、【イザナギとイザナミが生んだ神の一柱で、「木」の神格化したもの。ククノチの「クク」は「木々」が転訛したものとされている。】ようです。



旧相馬村といえば、長慶天皇に関する伝説が残っている所ですが、この神社の前身であった社は、長慶天皇との関わりも深く、さらには「五所川原」という地名の発祥とも関係しているという話も残されています。即ち、
【岩木川の上流にあった五所村の“御所権現社”が水害によって度々流されたが,その都度五所川原市元町あたりに流れ着いたため,この場所は「御所川原」と呼ばれ,後に「五所川原」になった】という分けです。
五所川原元町八幡宮由来
【ここの御神体はその昔中津軽郡五所の長慶天皇が崩御大葬されたという場所に祠られてあったが洪水にあい,ここ元町の岩木川原に流れ着いたものである。柳の大木にひっかかっているのを発見した新宮の人が拾いあげ宅地内に祠ったが,やがて五所村の人達が探しあててもらいうけて行った。ところが再三流れては不思議に同じ場所に着いたので,これは神様の思召しによるものだと五所村の人達も認め以来この地に祠ることにしたと伝えられている。その年代は明らかではないが,万治三年(1660年)の頃と考えられている。】



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☆つがるみち☆

