
平川市石郷(旧平賀町)は、縄文遺跡のある地区として知られていますが、集落内には「縄文の故郷石郷」と書かれた木柱も立っています。
また、村内の闇おかみ神社には、遺跡について記した説明板があります。
【平賀町は県内有数の遺跡の多い町で、現在180余の遺跡が確認されています。平賀町の平野部に遺跡が多くなる時期は、縄文時代後期(約4000-3000年前)です。この時期には、石郷地区の両側を平川の一大支流が北流していたと想定され、その氾濫と堆積による自然堤防状の微高地一帯に集落が形成され発達したものと考えられ、昭和49年に実施された発掘調査により、石郷遺跡が最も栄えた時期は、縄文時代後期末から晩期前半(約3000-2500年前)である事が判明し、夥しい土器や石器などが出土し大集落が営まれていたことが判明しました。遺跡の大半はいまだ地中に埋もれており、今後の調査研究が待たれます。 ※説明板より】
闇おかみ神社は、民家にはさまれた道路沿いに鎮座していますが、酒樽をのっけた一の鳥居のそばには、遺跡の説明板。そのとなりに大きな社号標があります。
「おかみ」という漢字は、水神ですので「雨+龍」のものが多いのですが、この神社の「おかみ」は、「龍」の左半分がが「帝」になっている珍しい字形でした。

境内の敷地は、あまり広くなく、庚申塔や狛犬、末社などが並んで立っています。
拝殿の中には、大きな絵馬や神馬などが置かれていました。



その由緒については詳しくは分かりませんが、江戸中期頃に勧請されたと伝えられており、拝殿に次のような説明がありました。
【今迄発掘された埋蔵文化遺跡に示されるように相当早くから開田耕作されて居たと思われるが水の不自由の上で困難を感じていた爲、雨を降らせる神として闇おかみ神を勧請して産土神と崇敬して来たという。但し、何時の頃からか不明である】



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☆つがるみち☆

