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こいこい神社ができた - つがるみち484
平川市の猿賀公園も、すっかり夏の佇まいとなり、園内の緑も濃くなってきました。時々訪れてみますが、園内を散策する人々や、ジョギング、神社にお参りする方々で賑わっています。



猿賀公園には「見晴ケ池」と「鏡ヶ池」という2つの池がありますが、見晴ケ池の方に赤い鳥居がひとつ立ちました。とはいっても、できたのは春先のことで、私が知らなかっただけなのですが。。。
新聞の記事などによると、
【平川市の猿賀公園にある見晴ケ池のほとりに「こいこい神社」と書かれた鳥居がお目見えした。・・・市観光協会が、100匹ほど生息しているとされる池のコイをPRしようと企画し、高さと横幅ともに約2.6mの朱色の鳥居を設け、さい銭の代わりとなるコイのエサの自動販売機も近くに設置…。】とあり、設置の理由については、
【池のコイは協会が管理しているが、観光客がスナック菓子を与えたり、コイを放したりして困っていたという。そこで、願いや悩みをエサに込めて投げ、コイが食いつけば解決するという「こいこい神社」を企画し、鳥居とエサの自動販売機を設置した。】とのことです。因みに「こい」は「恋」にひっかけているようです。いずれにしても、公園の新しい名物になったようです。


一方、鏡ヶ池には、例年7月中旬頃から淡いピンク色の蓮の花が咲き誇り、花祭りも開催されます。池は一面鮮やかな黄緑色になっていて、開花が待たれます。

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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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☆つがるみち☆



猿賀公園には「見晴ケ池」と「鏡ヶ池」という2つの池がありますが、見晴ケ池の方に赤い鳥居がひとつ立ちました。とはいっても、できたのは春先のことで、私が知らなかっただけなのですが。。。
新聞の記事などによると、
【平川市の猿賀公園にある見晴ケ池のほとりに「こいこい神社」と書かれた鳥居がお目見えした。・・・市観光協会が、100匹ほど生息しているとされる池のコイをPRしようと企画し、高さと横幅ともに約2.6mの朱色の鳥居を設け、さい銭の代わりとなるコイのエサの自動販売機も近くに設置…。】とあり、設置の理由については、
【池のコイは協会が管理しているが、観光客がスナック菓子を与えたり、コイを放したりして困っていたという。そこで、願いや悩みをエサに込めて投げ、コイが食いつけば解決するという「こいこい神社」を企画し、鳥居とエサの自動販売機を設置した。】とのことです。因みに「こい」は「恋」にひっかけているようです。いずれにしても、公園の新しい名物になったようです。


一方、鏡ヶ池には、例年7月中旬頃から淡いピンク色の蓮の花が咲き誇り、花祭りも開催されます。池は一面鮮やかな黄緑色になっていて、開花が待たれます。

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☆つがるみち☆


黒石市高賀野は、八幡宮に至るまで急な坂道が続く集落ですが、その坂道の登り口に馬頭観音堂があります。
歩道の脇に赤い鳥居が立っていますが、扁額には「保食神社」と書かれていました。石段のそばに史跡を示す標柱があり、少し上がった所が境内です。
境内には社殿と庚申塔がありましたが、特に目を引くのは、一本の大木です。
この大木は、かつて浅瀬石城があった頃、一人の武将が洗った馬をこの木に繋ぎ、無事を祈ったとされています。


馬頭観音堂を訪ねてから、近くに立っているという五輪塔を見に行きました。
場所は、浅瀬石城址を過ぎ、夫婦雷樹がある廣峯神社のそばです。
道端にこんもりとした土盛りがあって、その上にぽつんと五輪塔がありました。私が見に行ったのは4月下旬の日中でしたが、夕暮れ時にこんな光景を見たら、とても寂しい気持ちになるでしょう。
この五輪塔は、浅瀬石城主だった千徳一族の供養塔で、この辺りでは最古の史跡だといわれています。



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☆つがるみち☆
歩道の脇に赤い鳥居が立っていますが、扁額には「保食神社」と書かれていました。石段のそばに史跡を示す標柱があり、少し上がった所が境内です。
境内には社殿と庚申塔がありましたが、特に目を引くのは、一本の大木です。
この大木は、かつて浅瀬石城があった頃、一人の武将が洗った馬をこの木に繋ぎ、無事を祈ったとされています。


馬頭観音堂を訪ねてから、近くに立っているという五輪塔を見に行きました。
場所は、浅瀬石城址を過ぎ、夫婦雷樹がある廣峯神社のそばです。
道端にこんもりとした土盛りがあって、その上にぽつんと五輪塔がありました。私が見に行ったのは4月下旬の日中でしたが、夕暮れ時にこんな光景を見たら、とても寂しい気持ちになるでしょう。
この五輪塔は、浅瀬石城主だった千徳一族の供養塔で、この辺りでは最古の史跡だといわれています。





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☆つがるみち☆


板柳町夕顔関(ゆうがおぜき)の八坂神社。ここに来たのは2回目です。前回は、この神社の二の鳥居に「鬼っこ」が掲げられているとのことで訪ねたのでした。今回は4月に行ってみたので、境内から見る岩木山にはまだ雪がたっぷり残っていました。

この神社の御祭神は素戔嗚尊で、その由緒については『北津軽郡神社誌』等に、
【かつては「夕顔関正観音堂」と呼ばれていた。開発の時に、異石が二つあり、その前を掘ると長三寸の観音像が出てきたので、それを祭った。寛永二年、当村の草開者永山六左衛門が建立。明治六年に正観音堂を五林平村八幡宮へ合祀。明治八年復社して八坂神社に改称。】とあります。
地中から出てきた観音像は、今も本殿内に納められていると言われていますが、かつては、境内に山伏たちが集まり、盛大に神事が執り行われていたようです。


鳥居の赤い鬼っこを見ながら参道を進むと、大きなトチノキがあります。樹齢が約450年、板柳町の名木に数えられている大木です。拝殿の前には狛犬が一対。本殿の後ろはりんご畑になっていました。

この神社を再訪しようと思ったのは、ここに津軽の水神・水虎様が祀られていると聞いたからです。
村内の水難防止や開発の安全を祈願して祀られることが多い水虎様ですが、かつてはこの地でも大規模な用水工事や堤防建設が行われたようです。
拝殿の右側に、注連縄が張られた庚申塔と小さなお堂がひとつありましたが、お堂の扉を開けて見ると、亀の背中に乗った女神姿の水虎様がいました。

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☆つがるみち☆ ☆水虎様☆

この神社の御祭神は素戔嗚尊で、その由緒については『北津軽郡神社誌』等に、
【かつては「夕顔関正観音堂」と呼ばれていた。開発の時に、異石が二つあり、その前を掘ると長三寸の観音像が出てきたので、それを祭った。寛永二年、当村の草開者永山六左衛門が建立。明治六年に正観音堂を五林平村八幡宮へ合祀。明治八年復社して八坂神社に改称。】とあります。
地中から出てきた観音像は、今も本殿内に納められていると言われていますが、かつては、境内に山伏たちが集まり、盛大に神事が執り行われていたようです。


鳥居の赤い鬼っこを見ながら参道を進むと、大きなトチノキがあります。樹齢が約450年、板柳町の名木に数えられている大木です。拝殿の前には狛犬が一対。本殿の後ろはりんご畑になっていました。

この神社を再訪しようと思ったのは、ここに津軽の水神・水虎様が祀られていると聞いたからです。
村内の水難防止や開発の安全を祈願して祀られることが多い水虎様ですが、かつてはこの地でも大規模な用水工事や堤防建設が行われたようです。
拝殿の右側に、注連縄が張られた庚申塔と小さなお堂がひとつありましたが、お堂の扉を開けて見ると、亀の背中に乗った女神姿の水虎様がいました。



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☆つがるみち☆ ☆水虎様☆

