鰺ヶ沢町浜横沢町の椛沢という集落に香取神社があります。10月の始め頃、鰺ヶ沢町の神社巡りをした折、見つけたので立ち寄ってみました。

道路沿いに大きな社号標と鳥居があり、そばに由緒書きがありました。ところどころ文字がかすれて見えなかったのですが、それには、
【香取神社の由緒と祭神 津軽初代藩主為信公の命によって西浜代官を勤め、中村の新田開発にあたった斎藤掃部介が、武運長久・五穀豊穣祈願のため、当社を建立したのが天正十三年(一五八五)と伝えられている。以来村中でこれを崇敬し社殿の再建や修覆をしてきた。正徳元年(一七一一)の「寺社領分限帳」に当社の名がないが、察するところ一祠として村民が守り続けていたものであろう。明治初年の神社統廃合によって「香取神祭神布津主命 浜横沢支村小野畑より遷し奉る」となって、中村久須志神社に合祀された。後に旧に復して再び小野畑に祀られ、明治十五年四月二十日寄棟造り九坪の拝殿が再建され、さらに明治四十一年四月十五日、一坪碁合の流破風造りの本殿を再建、今日再び氏子長年の宿願だった拝殿の再建が成就した。】とあり、その後に御祭神の武甕槌神について紹介されていました。

鳥居から社殿まではほんの少しですが、細い石段の左右には杉の大木が何本も生えていて、社殿が遠く見えます。参道の上り口には、弘法大使の像やいくつかの祠があり、神馬も屋根付きのお堂にていねいに祀られていました。


こじんまりとしていますが、杉の大木の間から見える赤い屋根の拝殿や鮮やかな朱色の本殿など、なかなか趣のある社です。

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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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☆つがるみち☆

道路沿いに大きな社号標と鳥居があり、そばに由緒書きがありました。ところどころ文字がかすれて見えなかったのですが、それには、
【香取神社の由緒と祭神 津軽初代藩主為信公の命によって西浜代官を勤め、中村の新田開発にあたった斎藤掃部介が、武運長久・五穀豊穣祈願のため、当社を建立したのが天正十三年(一五八五)と伝えられている。以来村中でこれを崇敬し社殿の再建や修覆をしてきた。正徳元年(一七一一)の「寺社領分限帳」に当社の名がないが、察するところ一祠として村民が守り続けていたものであろう。明治初年の神社統廃合によって「香取神祭神布津主命 浜横沢支村小野畑より遷し奉る」となって、中村久須志神社に合祀された。後に旧に復して再び小野畑に祀られ、明治十五年四月二十日寄棟造り九坪の拝殿が再建され、さらに明治四十一年四月十五日、一坪碁合の流破風造りの本殿を再建、今日再び氏子長年の宿願だった拝殿の再建が成就した。】とあり、その後に御祭神の武甕槌神について紹介されていました。

鳥居から社殿まではほんの少しですが、細い石段の左右には杉の大木が何本も生えていて、社殿が遠く見えます。参道の上り口には、弘法大使の像やいくつかの祠があり、神馬も屋根付きのお堂にていねいに祀られていました。


こじんまりとしていますが、杉の大木の間から見える赤い屋根の拝殿や鮮やかな朱色の本殿など、なかなか趣のある社です。



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☆つがるみち☆


青森市浪岡女鹿沢(旧浪岡町)の西増田という集落に稲荷神社が鎮座しています。私が訪ねたのは秋口で、まだ稲刈りが始まる前のことでした。

鳥居をくぐって境内に入ると、右手に庚申塔、猿田彦碑、十七面勢至観音の碑などが置かれています。
拝殿前の一対の狛犬は、互いにそっぽを向いた形で置かれていました。


その由緒については詳しくは分かりませんが、青森県神社庁の旧HPでは、
【御祭神:宇賀霊命 奇稲田姫命 草創の年月は不明であるが、文明年間 (一四六九~一四八七) の勧請という。 昭和二十一年三月三十一日、宗教法人令に依り届け出、昭和二十四年十一月三十日譲与許可により現在に至る。】と紹介されていました。
御祭神の奇稲田姫命は、その名前から、稲田(水田)を守る神として崇められてきたようで、近くには奇稲田姫命神社もあります。


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☆つがるみち☆

鳥居をくぐって境内に入ると、右手に庚申塔、猿田彦碑、十七面勢至観音の碑などが置かれています。
拝殿前の一対の狛犬は、互いにそっぽを向いた形で置かれていました。


その由緒については詳しくは分かりませんが、青森県神社庁の旧HPでは、
【御祭神:宇賀霊命 奇稲田姫命 草創の年月は不明であるが、文明年間 (一四六九~一四八七) の勧請という。 昭和二十一年三月三十一日、宗教法人令に依り届け出、昭和二十四年十一月三十日譲与許可により現在に至る。】と紹介されていました。
御祭神の奇稲田姫命は、その名前から、稲田(水田)を守る神として崇められてきたようで、近くには奇稲田姫命神社もあります。




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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市
袋観音堂のイチョウ
晩秋の季節となり、県内のイチョウの木も「もうすぐ見ごろ」とか「見ごろを迎えた」とかいうニュースが新聞などにものっています。
ですが、イチョウは案外気難しく、つい何日か前まで青々としていた葉っぱがすぐに真っ黄色になっていたり、風や雨で葉っぱが落ちてしまっていたりします。
黒石市の袋観音堂の名物イチョウも、先日、中野のもみじ山に行った帰りに寄ったときは、葉っぱが青々としていましたが、いつの間にか、根元に黄色のじゅうたんができていました。





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ですが、イチョウは案外気難しく、つい何日か前まで青々としていた葉っぱがすぐに真っ黄色になっていたり、風や雨で葉っぱが落ちてしまっていたりします。
黒石市の袋観音堂の名物イチョウも、先日、中野のもみじ山に行った帰りに寄ったときは、葉っぱが青々としていましたが、いつの間にか、根元に黄色のじゅうたんができていました。







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鯵ヶ沢町は「高倉」と名づけられた神社がとても多い所で、津軽三十三霊場の観音堂も高倉神社と呼ばれたりします。
今回、訪れたのは南金沢町に鎮座する高倉神社ですが、行ったのは稲刈りが始まった頃だったので、境内から下を見下ろすと、そこには黄金色の田んぼが広がっているのが見えました。

石造りの一の鳥居から小高い丘に向かって、急な参道がありましたが、足元が心配だったので、私は神社の裏側から境内に入りました。
広い敷地には、社殿がぽつんと立っているだけで、御神塔や狛犬などは置かれていません。表側の急な参道を上りきった所に二の鳥居があり、そばに猿田彦碑と祠が立っていました。


南金沢(旧金沢村)は種里城址に近い所にある集落ですが、「金沢」という地名は、津軽氏の祖である大浦光信が延徳三年(1491)に種里に入部した折、この地の統治を、一族の金沢氏に委ねたことから、そう名づけられたともいわれているようです。

御祭神は高皇産霊命で、元和二年(1616)に村の繁栄を願って勧請されたといわれていますが、詳細については分かりません。
私が訪ねたときには、社殿の扉が開いていたので、その中を拝むことができました。


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今回、訪れたのは南金沢町に鎮座する高倉神社ですが、行ったのは稲刈りが始まった頃だったので、境内から下を見下ろすと、そこには黄金色の田んぼが広がっているのが見えました。

石造りの一の鳥居から小高い丘に向かって、急な参道がありましたが、足元が心配だったので、私は神社の裏側から境内に入りました。
広い敷地には、社殿がぽつんと立っているだけで、御神塔や狛犬などは置かれていません。表側の急な参道を上りきった所に二の鳥居があり、そばに猿田彦碑と祠が立っていました。


南金沢(旧金沢村)は種里城址に近い所にある集落ですが、「金沢」という地名は、津軽氏の祖である大浦光信が延徳三年(1491)に種里に入部した折、この地の統治を、一族の金沢氏に委ねたことから、そう名づけられたともいわれているようです。

御祭神は高皇産霊命で、元和二年(1616)に村の繁栄を願って勧請されたといわれていますが、詳細については分かりません。
私が訪ねたときには、社殿の扉が開いていたので、その中を拝むことができました。


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☆つがるみち☆


五所川原市の豊成という所に稲荷神社が鎮座しています。10月の中頃に、梅ケ枝天満宮を訪ねた帰りに立ち寄ってみました。

道路沿いにある一の鳥居から、境内へ続く参道が伸びています。
社殿の前には、ほっかむりをした狛犬ときつねが、一対ずつ置かれているほか、神馬は、屋根つきの台座の上に、ていねいに祀られていました。境内の中には集会所もあります。

豊成は、近隣の村々とともに、新田の開発によって、宝永元年(1704)に開村した村です。「とよなり」という名前の響きから、豊作祈願を込めて名づけられた・・・とか、昔、この地域に豊成公という殿様が住んでいたから・・・などと言われたりしているようですが、根拠のある話ではありません。
この稲荷神社は、新田の開発・開村に合わせて建立されたと思われますが、その詳細は分かりません。
御祭神は倉稲魂命だと思いますが、以前には近くの神社を合祭していたということですので、古くから地元の信仰を集めていた社だと思います。

社殿の横に、鳥居を伴った祠が二つありましたが、ひとつの方には両手を合わせた女神型の水虎様がいました。


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☆つがるみち☆ ☆水虎様☆

道路沿いにある一の鳥居から、境内へ続く参道が伸びています。
社殿の前には、ほっかむりをした狛犬ときつねが、一対ずつ置かれているほか、神馬は、屋根つきの台座の上に、ていねいに祀られていました。境内の中には集会所もあります。

豊成は、近隣の村々とともに、新田の開発によって、宝永元年(1704)に開村した村です。「とよなり」という名前の響きから、豊作祈願を込めて名づけられた・・・とか、昔、この地域に豊成公という殿様が住んでいたから・・・などと言われたりしているようですが、根拠のある話ではありません。
この稲荷神社は、新田の開発・開村に合わせて建立されたと思われますが、その詳細は分かりません。
御祭神は倉稲魂命だと思いますが、以前には近くの神社を合祭していたということですので、古くから地元の信仰を集めていた社だと思います。

社殿の横に、鳥居を伴った祠が二つありましたが、ひとつの方には両手を合わせた女神型の水虎様がいました。




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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市
今年も・・・
例年、この時期に行われる黒石市中野山のもみじ祭。期間中はライトアップがなされたりして、多くの人で賑わいます。
私も毎年訪れて楽しんでいますが、休日の日中ともなると、車の列ができ、駐車場も満杯になってしまうので、朝早く出かけることにしています。
今年も早起きして行ってみましたが、早朝にもかかわらず、何人もの方がカメラを持って訪れていました。ここ数日の冷え込みのせいか、例年よりも、もみじの赤が鮮やかな気がします。






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私も毎年訪れて楽しんでいますが、休日の日中ともなると、車の列ができ、駐車場も満杯になってしまうので、朝早く出かけることにしています。
今年も早起きして行ってみましたが、早朝にもかかわらず、何人もの方がカメラを持って訪れていました。ここ数日の冷え込みのせいか、例年よりも、もみじの赤が鮮やかな気がします。






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鰺ヶ沢町の県道191号線を赤石川の渓流に沿ってさかのぼって行くと、白神大然河川公園があります。
広い公園で、紅葉の時期などには家族連れで賑わうようですが、私が訪ねた時は、まだ紅葉には少し早かったようです。

この辺りは大然(おおじかり)と呼ばれる集落でしたが、昭和20年3月23日の未明、雪泥流の発生により、集落が埋没して死者87名を出す大惨事となりました。その悲惨な状況については、
【大然部落全滅 昭和二十年三月二十二日のことである。降り続く大雨のため、赤石川上流の雪、土が崩れ落ちて、流れがせき止められたが、だれ一人気付く者はなかった。ただ、急に川の流れが減水していることには気付いていた。大量の雪、土にせき止められた自然のダムの水は、この大量の水圧によって、一時に押し流され、氷塊土は高さおよそ十メートルほどの大洪水となって大然部落に襲いかかった。三月二十二日の深夜から二十三日の午前三時ごろまでの出来事であったから、部落民は家屋もろとも押し流された。このときの状況は「当時、具に実況を踏査したところ、父は子を擁し、母は乳児を抱き、夫は妻の手を取り、兄弟枕を並べ、姉妹は席を同じうして、そのまま数十尺の積雪裡に惨死し・・・・・」という有り様であった。※東北自然保護団体連絡会議HPより抜粋】とされており、現在は公園付近に追悼碑が立っています。
公園の一角に自然観察館ハロー白神がありますが、道路の向かい側に赤い鳥居が立っていて、ここに大山祇神社が鎮座しています。

鳥居から参道を少し上った所に境内がありますが、途中に鳥居があり、稲荷神の祠が祀られています。
御祭神は大山祇命。境内は小高い山の上にありますが、建物は社殿のみという、いたってシンプルな社です。
赤石川沿いには昔からマタギ集団が住む集落が多く、「赤石マタギ」と呼ばれますが、彼らはこの神社で安全と収穫を願ってから入山するところから、社は「マタギ神社」と呼ばれているそうです。




この神社の社号標は「マタギ記念銘」とも呼ばれ、鰺ヶ沢町の有形文化財になっていますが、説明板には、
【大山祇神社の社標側面にマタギの記念銘が刻まれている。マタギとは熊狩り等をする人のことで、赤石川沿いの一ッ森村・大然村のマタギ集団を昔から赤石マタギといった。大正10年(1921)に建立されたこの社標の側面には、大正3・4年に大熊6頭を狩った記念として、当時のマタギの名が刻まれている。裏面には、藩政時代以来のマタギの名が刻まれている。かつては神社前の一帯が大然村の集落であったが、昭和20年(1945)の大洪水により消滅した。】と書かれていました。

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広い公園で、紅葉の時期などには家族連れで賑わうようですが、私が訪ねた時は、まだ紅葉には少し早かったようです。

この辺りは大然(おおじかり)と呼ばれる集落でしたが、昭和20年3月23日の未明、雪泥流の発生により、集落が埋没して死者87名を出す大惨事となりました。その悲惨な状況については、
【大然部落全滅 昭和二十年三月二十二日のことである。降り続く大雨のため、赤石川上流の雪、土が崩れ落ちて、流れがせき止められたが、だれ一人気付く者はなかった。ただ、急に川の流れが減水していることには気付いていた。大量の雪、土にせき止められた自然のダムの水は、この大量の水圧によって、一時に押し流され、氷塊土は高さおよそ十メートルほどの大洪水となって大然部落に襲いかかった。三月二十二日の深夜から二十三日の午前三時ごろまでの出来事であったから、部落民は家屋もろとも押し流された。このときの状況は「当時、具に実況を踏査したところ、父は子を擁し、母は乳児を抱き、夫は妻の手を取り、兄弟枕を並べ、姉妹は席を同じうして、そのまま数十尺の積雪裡に惨死し・・・・・」という有り様であった。※東北自然保護団体連絡会議HPより抜粋】とされており、現在は公園付近に追悼碑が立っています。
公園の一角に自然観察館ハロー白神がありますが、道路の向かい側に赤い鳥居が立っていて、ここに大山祇神社が鎮座しています。

鳥居から参道を少し上った所に境内がありますが、途中に鳥居があり、稲荷神の祠が祀られています。
御祭神は大山祇命。境内は小高い山の上にありますが、建物は社殿のみという、いたってシンプルな社です。
赤石川沿いには昔からマタギ集団が住む集落が多く、「赤石マタギ」と呼ばれますが、彼らはこの神社で安全と収穫を願ってから入山するところから、社は「マタギ神社」と呼ばれているそうです。




この神社の社号標は「マタギ記念銘」とも呼ばれ、鰺ヶ沢町の有形文化財になっていますが、説明板には、
【大山祇神社の社標側面にマタギの記念銘が刻まれている。マタギとは熊狩り等をする人のことで、赤石川沿いの一ッ森村・大然村のマタギ集団を昔から赤石マタギといった。大正10年(1921)に建立されたこの社標の側面には、大正3・4年に大熊6頭を狩った記念として、当時のマタギの名が刻まれている。裏面には、藩政時代以来のマタギの名が刻まれている。かつては神社前の一帯が大然村の集落であったが、昭和20年(1945)の大洪水により消滅した。】と書かれていました。



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