弘前市の大久保に鎮座する神明宮です。
県道260号線(かつての羽州街道)沿いにある社で、境内の前が道路、後ろは田んぼ、左右は住宅に囲まれています。

入口に大きな社号標と御神塔があり、その奥に木造の鳥居があります。御神塔の横には、二十三夜塔と庚申塔が立っていました。


御祭神は天照皇太神ですが、由緒など、その詳細については分かりません。
境内には、いくつかの末社や馬頭観音の碑が置かれていました。本殿の狛犬は木造のものでした。
私が訪ねた時には、本殿の後ろに刈り入れ前の黄色い田んぼが広がっていました。



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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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☆つがるみち☆
県道260号線(かつての羽州街道)沿いにある社で、境内の前が道路、後ろは田んぼ、左右は住宅に囲まれています。

入口に大きな社号標と御神塔があり、その奥に木造の鳥居があります。御神塔の横には、二十三夜塔と庚申塔が立っていました。


御祭神は天照皇太神ですが、由緒など、その詳細については分かりません。
境内には、いくつかの末社や馬頭観音の碑が置かれていました。本殿の狛犬は木造のものでした。
私が訪ねた時には、本殿の後ろに刈り入れ前の黄色い田んぼが広がっていました。





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☆つがるみち☆


鰺ヶ沢町の南金沢町に鎮座する軻遇突智神社です。場所が分からず、あっちこっちうろうろしながら、やっとたどり着きました。

どうやら私は神社の裏口から境内へ入ったようですが、ここに「軻遇突智神社」と書かれた木柱(社号標)がありました。
境内を横切って、参道の石段を下りるかたちで一の鳥居の方へ向かいました。

私が訪ねた時は、まだ草や木々が青々と茂っていた時期でしたが、緑の中の鳥居や拝殿、本殿の朱色がとても鮮やかでした。
境内には小さな祠もあり、中には不動尊が祀られていました。狛犬の頭にトンボが止まっている様子をパチリ。。。

由緒については詳しくは分かりませんが、『あじがさわ ふるさとの神社』の中で、
【御祭神は、軻遇突智命(かぐつちのみこと)で神社の名称そのもの。文禄3年(1594)に貴野宮として観音堂と共に創立されているが、明治初期の神仏別離の際に貴野宮が軻遇突智神社に、観音堂が高倉神社になって、種里八幡宮に合祀され間もなく軻遇突智神社は復社された。】と紹介されているようです。


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☆つがるみち☆

どうやら私は神社の裏口から境内へ入ったようですが、ここに「軻遇突智神社」と書かれた木柱(社号標)がありました。
境内を横切って、参道の石段を下りるかたちで一の鳥居の方へ向かいました。

私が訪ねた時は、まだ草や木々が青々と茂っていた時期でしたが、緑の中の鳥居や拝殿、本殿の朱色がとても鮮やかでした。
境内には小さな祠もあり、中には不動尊が祀られていました。狛犬の頭にトンボが止まっている様子をパチリ。。。

由緒については詳しくは分かりませんが、『あじがさわ ふるさとの神社』の中で、
【御祭神は、軻遇突智命(かぐつちのみこと)で神社の名称そのもの。文禄3年(1594)に貴野宮として観音堂と共に創立されているが、明治初期の神仏別離の際に貴野宮が軻遇突智神社に、観音堂が高倉神社になって、種里八幡宮に合祀され間もなく軻遇突智神社は復社された。】と紹介されているようです。




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