
力強く伸びた根が、足元の岩石を砕いて地面に潜り込んでいる木は「石割○○」と呼ばれていますが、私の地元の黒石市にも薬師寺の石割楓があります。
先日、何気に弘前市のHPを見ていたら、市の指定文化財に「石割ナラおよびハリギリ」があることを知ったので、さっそく行ってみました。
住所は弘前市大字八幡となっていますが、旧岩木町で、荒神山(106m)という小山の麓です。
この荒神山の山頂付近では、竪穴住居跡や空堀、墳丘状盛土の他、縄文中期の土器、平安時代の土師器や人骨、永楽通宝銭、等が出土しています。かつては安東氏の館があったともいわれている所で、荒神山遺跡と呼ばれています。

りんご畑の中の道路を走って行くと、荒神宮という小さな神社があり、そこから少し進んだ所に馬頭観音の碑と説明板が立っていました。そこが入口になっていて、農道が上の方にのびています。
そこから先が分からず、四苦八苦しましたが、それらしき森が見えたので、草やぶをかき分けながら坂を上りました。とちゅうに猿田彦大明神を祀る石碑が立っています。

藪をかき分けかき分け上りきると、めあての場所にたどり着きました。
大きな見るからに固そうな大石を、なたで真っ二つにしたような、迫力ある見事な大木の根っこです。あらためて、植物の生命力の強さに感心させられます。


入口の説明板には、次のように書かれていました。
【石割ナラおよびハリギリ 文化財の概要 [ナラ] 推定樹齢250年、樹高16メートル、幹周2.9メートル [ハリギリ] 推定樹齢100年、樹高16メートル、幹周0.8メートル ナラは、巨大な岩の割れ目に芽を出したもので、植物学上はコナラである。青森県内でもこのような例が2、3確認されているが、珍奇な形状をしているので大切にされている。また、ハリギリは比較的津軽地方の神社に見かける樹木であるが、野生もめずらしくない。つい最近まで、これらの樹木が薪炭材として利用されてきており、その大切さの証としてこの2本も守られてきたものである。】



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☆つがるみち☆ ☆名木めぐり☆


Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市
虹の湖公園のしゃくやく
地元の新聞に、「黒石市の虹の湖公園で、名物のシャクヤクが咲き始めた。」という記事がのっていたので行ってみました。


このしゃくやく(芍薬)は、1992年から植え始められ、株分けにより現在では、およそ30品種700株まで増えたのだそうです。
今年は、少し開花の時期が早かったみたいですが、例年、6月中旬から下旬にかけ見頃となり、赤紫・ピンク・白など鮮やかな色の花が咲き揃います。





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このしゃくやく(芍薬)は、1992年から植え始められ、株分けにより現在では、およそ30品種700株まで増えたのだそうです。
今年は、少し開花の時期が早かったみたいですが、例年、6月中旬から下旬にかけ見頃となり、赤紫・ピンク・白など鮮やかな色の花が咲き揃います。





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Category: ふるさと【東北・青森】 > 西目屋村
熊野宮神社 - つがるみち508
西目屋村田代は、道の駅や役場、小・中学校などが立ち並んでいる所ですが、ここに熊野宮神社が鎮座しています。
一の鳥居の向かい側には区画整理の記念碑が立ち、東屋があり、ちょっとした小公園になっています。私が行ったときには、ちょうど鳥居の補修作業が行われていました。

鳥居をくぐって参道を進むと右手に立派な神楽殿があり、奥の方に社殿が見えました。社殿の裏も公園になっていて、辺りは村で一番最初に色とりどりの山野草が花を咲 かせる場所なのだそうです。



『青森県:歴史・観光・見所』のHPでは、この神社について、
【詳細不詳。熊野宮神社は青森県中津軽郡西目屋村田代に鎮座する神社で旧郷社の為、由緒は深そうです。拝殿は木造平屋建て、入母屋、金属板葺き、妻入り、桁行3間、外壁は真壁造り板張り、正面」に「熊野宮」の社号額が掲げられています。本殿は拝殿とは独立していて一間社流造風、鉄板葺き。境内には神楽殿(木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き、平入、桁行6間、張間4間、外壁は真壁造り、正面に「神楽殿」の扁額が掲げられています)があり祭祀が行われているようです。熊の像が安置されているそうです。境内には龍水様、山神様、稲荷神、尾太鉱山の山神様等が祭られています。】と紹介しています。
拝殿の前に置かれた一対の熊の像が印象的な社です、

境内には大きな忠魂碑があり、その脇にいくつかの祠が並んで立っています。龍神様や稲荷様、馬頭観音、地蔵尊などらしいのですが、私には見分けがつきませんでした。この中のひとつが、尾太鉱山の山の神様を祀っている祠なのだそうです。
「尾太(おっぷ)鉱山」は、尾太岳(1083.4m)中腹一帯に分布していた複数の鉱山の総称で、銅や亜鉛、金、銀が産出した所でした、奈良時代から銅が採掘され、その一部は東大寺の大仏にも使われたとか、江戸時代には九州・天草のキリスト教弾圧による隠れキリシタン達が尾太鉱山まで来たという言い伝えも残っています。
その最盛期には、総延長77キロの坑道が掘られ、1965年ごろは毎月約2万5000トンの粗鉱を掘り出しました。当時、尾太地区には1500人の鉱山関係者が住んでおり、同村最大の集落だったそうですが、時代の流れにより、1978年、閉山になりました。※Web東奥「あおもり110山」等を参照しました。

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☆つがるみち☆
一の鳥居の向かい側には区画整理の記念碑が立ち、東屋があり、ちょっとした小公園になっています。私が行ったときには、ちょうど鳥居の補修作業が行われていました。

鳥居をくぐって参道を進むと右手に立派な神楽殿があり、奥の方に社殿が見えました。社殿の裏も公園になっていて、辺りは村で一番最初に色とりどりの山野草が花を咲 かせる場所なのだそうです。



『青森県:歴史・観光・見所』のHPでは、この神社について、
【詳細不詳。熊野宮神社は青森県中津軽郡西目屋村田代に鎮座する神社で旧郷社の為、由緒は深そうです。拝殿は木造平屋建て、入母屋、金属板葺き、妻入り、桁行3間、外壁は真壁造り板張り、正面」に「熊野宮」の社号額が掲げられています。本殿は拝殿とは独立していて一間社流造風、鉄板葺き。境内には神楽殿(木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き、平入、桁行6間、張間4間、外壁は真壁造り、正面に「神楽殿」の扁額が掲げられています)があり祭祀が行われているようです。熊の像が安置されているそうです。境内には龍水様、山神様、稲荷神、尾太鉱山の山神様等が祭られています。】と紹介しています。
拝殿の前に置かれた一対の熊の像が印象的な社です、



境内には大きな忠魂碑があり、その脇にいくつかの祠が並んで立っています。龍神様や稲荷様、馬頭観音、地蔵尊などらしいのですが、私には見分けがつきませんでした。この中のひとつが、尾太鉱山の山の神様を祀っている祠なのだそうです。
「尾太(おっぷ)鉱山」は、尾太岳(1083.4m)中腹一帯に分布していた複数の鉱山の総称で、銅や亜鉛、金、銀が産出した所でした、奈良時代から銅が採掘され、その一部は東大寺の大仏にも使われたとか、江戸時代には九州・天草のキリスト教弾圧による隠れキリシタン達が尾太鉱山まで来たという言い伝えも残っています。
その最盛期には、総延長77キロの坑道が掘られ、1965年ごろは毎月約2万5000トンの粗鉱を掘り出しました。当時、尾太地区には1500人の鉱山関係者が住んでおり、同村最大の集落だったそうですが、時代の流れにより、1978年、閉山になりました。※Web東奥「あおもり110山」等を参照しました。

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☆つがるみち☆



弘前市百沢(旧岩木町)の山田という所に那智山神社という小さな社があります。
百沢にある「津軽カントリークラブ百沢コース」の敷地内を、いくつか農道が通っていますが、その道路際に、ポツンと赤い鳥居が立っています。道路の周りは水田とりんご畑になっていて、農家の方々が忙しそうに働いていました。
鳥居のそばに、庚申塔が一基立っているだけで、境内には社殿のみという、いたってシンプルな神社です。扉が開いていたので、社殿の中を拝んできました。
その由緒などについては全く分かりませんが、「那智」という名前からして、岩木山麓に伝わった熊野信仰の表れかも知れません。





実は私は、この神社を目当てに訪ねた分けではありません。付近に弘前市の指定天然記念物である「カエデ」の木があることを知り、それを見たくてやってきました、そして、大木の向かい側に小さな神社があるのを見つけたという分けです。
この木は、市のHPでは単に「カエデ」とだけ紹介されていますが、そばに説明板が立っており、それには、
【文化財の概要 推定樹齢五百年、樹高十八メートル、幹周四・二五メートル
植物学上の種名はイタヤカエデである。イタヤカエデの古木は、二百~三百年程度のものは時々あるが、樹齢推定五百年レベルのものは、青森県では貴重な存在である。】と書かれていました。
見る角度によって、さまざまな表情を見せる堂々とした老木です。ファインダー越しに見える迫力ある姿は、まるでゴジラのようでした。




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☆つがるみち☆ ☆名木めぐり☆

