西目屋村の役場から、上り坂が続く山道を通って、岩木山に向かう途中に白沢という集落があります。
ここに「観光案内温泉施設 大白(たいはく)温泉」という入浴施設がありますが、その名の通り、村営の休憩所や観光案内所を兼ねた建物です。
その温泉の近くに大山祇神社が鎮座しています。社殿の外にも内にも山の神の絵馬が掲げられていました。

この神社の由緒等については詳しくは分かりませんが、かつては山神宮と呼ばれ、寛文年間に再建されたという記録が残っているようです。




境内には赤色と黒色の二つの鳥居と三つの建物が立っていますが、黒の鳥居の方のお堂の扉を開けてみました。
中には、三つの祠がありましたが、それぞれの祭神については分かりません。ただ、「九頭龍」という文字は何とか読み取れたので、ここは龍神様を祀る祠なのかも知れません。


この龍神様?の隣に、コンクリートに覆われた小さな祠があります。
昔から、山神宮とともに馬頭観音堂があったとされていますから、この祠が馬頭観音堂なのでしょうか。
白沢の村には、誕生した馬が一歳になると、丈夫に育つように馬頭観音に祈願したという記録があるようです。
この地を訪れた菅江真澄も、
【・・・この村はずれの馬の神の祠のかたわらにたっている柱の先ごとに、馬のくらの形をしたものが付けられてある。これは牛でも馬でも、けがや病いにかかると、いたこが神がかりして、何の祟りかをつげるので、その罪をあがなうために奉ったものだという。祠のうちに駒の形を刻んだ石があり、宝暦と年号がしるされてあった】と、馬頭観音に対する村人の信仰の様子を述べています。
祠の中に置かれた自然石が、何となく馬の姿のようにも、馬の鞍のようにも見えてくるから不思議です。

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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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☆つがるみち☆
ここに「観光案内温泉施設 大白(たいはく)温泉」という入浴施設がありますが、その名の通り、村営の休憩所や観光案内所を兼ねた建物です。
その温泉の近くに大山祇神社が鎮座しています。社殿の外にも内にも山の神の絵馬が掲げられていました。

この神社の由緒等については詳しくは分かりませんが、かつては山神宮と呼ばれ、寛文年間に再建されたという記録が残っているようです。




境内には赤色と黒色の二つの鳥居と三つの建物が立っていますが、黒の鳥居の方のお堂の扉を開けてみました。
中には、三つの祠がありましたが、それぞれの祭神については分かりません。ただ、「九頭龍」という文字は何とか読み取れたので、ここは龍神様を祀る祠なのかも知れません。


この龍神様?の隣に、コンクリートに覆われた小さな祠があります。
昔から、山神宮とともに馬頭観音堂があったとされていますから、この祠が馬頭観音堂なのでしょうか。
白沢の村には、誕生した馬が一歳になると、丈夫に育つように馬頭観音に祈願したという記録があるようです。
この地を訪れた菅江真澄も、
【・・・この村はずれの馬の神の祠のかたわらにたっている柱の先ごとに、馬のくらの形をしたものが付けられてある。これは牛でも馬でも、けがや病いにかかると、いたこが神がかりして、何の祟りかをつげるので、その罪をあがなうために奉ったものだという。祠のうちに駒の形を刻んだ石があり、宝暦と年号がしるされてあった】と、馬頭観音に対する村人の信仰の様子を述べています。
祠の中に置かれた自然石が、何となく馬の姿のようにも、馬の鞍のようにも見えてくるから不思議です。

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☆つがるみち☆


恒例の田舎館村田んぼアートが、そろそろ見ごろを迎えたとのことで、今年も行ってきました。
第1会場は、お城型の役場前の田んぼで、展望所から眺めることができます。
休日ともなると待ち行列ができ混雑するのですが、私は平日、しかも混まない時間帯に行ったので、上までスイスイ上れました。

平日とはいえ、見物客もけっこう多く、眼下に広がった見事な作品を見て、「すごいね」とか「本物みたいだ」とか、つぶやいていました。
私も毎年やってきて、写真を撮りながら楽しんでいるのですが、広角レンズを持っていないせいか、いつも同じような構図の写真になります。
今年のテーマは、放映以来、何度もブームを巻き起こしている「おしん」。七歳のおしんが奉公のために両親の元を離れ、最上川を筏で下っていく場面でした。
農道を挟んで左におしん(小林綾子さん)、右側に父(伊東四朗さん)と母(泉ピン子さん)が描かれていましたが、その真に迫った表情は、さすがの迫力でした。やっぱり名シーンですね。




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第1会場は、お城型の役場前の田んぼで、展望所から眺めることができます。
休日ともなると待ち行列ができ混雑するのですが、私は平日、しかも混まない時間帯に行ったので、上までスイスイ上れました。

平日とはいえ、見物客もけっこう多く、眼下に広がった見事な作品を見て、「すごいね」とか「本物みたいだ」とか、つぶやいていました。
私も毎年やってきて、写真を撮りながら楽しんでいるのですが、広角レンズを持っていないせいか、いつも同じような構図の写真になります。
今年のテーマは、放映以来、何度もブームを巻き起こしている「おしん」。七歳のおしんが奉公のために両親の元を離れ、最上川を筏で下っていく場面でした。
農道を挟んで左におしん(小林綾子さん)、右側に父(伊東四朗さん)と母(泉ピン子さん)が描かれていましたが、その真に迫った表情は、さすがの迫力でした。やっぱり名シーンですね。




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☆つがるみち☆


平川市小国(おぐに)は、市東方の山間部に位置する集落で、十和田湖へ向かう国道102号線を右折し、大鰐方面へと続く道の途中にあります。
明治時代、八甲田雪中行軍を行った弘前31連隊が、弘前を出発し、この村に一泊し、十和田湖へと向かったという記録も残っています。
舗装された道路を進んで行くと、道路沿いに八幡宮が見えます。この辺りが集落の中心でしょうか。

境内には社殿の前に、狛犬と神馬、石灯篭がそれぞれ一対ずつ置かれています。
神馬のとなりに「小国温泉誕生記念」と書かれた大きな記念碑が立っていました。
温泉地というわけではありませんが、この神社のすぐそばには温泉の入浴施設があります。「小国町会保養所」という名前がつけられていて、その名の通り、もともと地元民専用の浴場だったのですが、現在は一般の人々も入浴できるようです。


この神社の詳しい由緒などについては分かりませんが、縁起では「正長七年四月小国丹波勧請」となっているようです。
小国丹波は、鎌倉時代末期・南朝方の小国弥三郎泰経という武将を指すとされていますが、この地に逃れ、城を築いていたようです。因みに、「正長」の時代は、2年間だけだったので、縁起の「正長七年」は15世紀の始め頃と考えた方がよさそうです。
小国丹波が築いた小国城は、いくつかの郭と堀を有する城でしたが、小国氏の没落後は城主がかわり、戦国時代まで続いたとされています。


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明治時代、八甲田雪中行軍を行った弘前31連隊が、弘前を出発し、この村に一泊し、十和田湖へと向かったという記録も残っています。
舗装された道路を進んで行くと、道路沿いに八幡宮が見えます。この辺りが集落の中心でしょうか。

境内には社殿の前に、狛犬と神馬、石灯篭がそれぞれ一対ずつ置かれています。
神馬のとなりに「小国温泉誕生記念」と書かれた大きな記念碑が立っていました。
温泉地というわけではありませんが、この神社のすぐそばには温泉の入浴施設があります。「小国町会保養所」という名前がつけられていて、その名の通り、もともと地元民専用の浴場だったのですが、現在は一般の人々も入浴できるようです。


この神社の詳しい由緒などについては分かりませんが、縁起では「正長七年四月小国丹波勧請」となっているようです。
小国丹波は、鎌倉時代末期・南朝方の小国弥三郎泰経という武将を指すとされていますが、この地に逃れ、城を築いていたようです。因みに、「正長」の時代は、2年間だけだったので、縁起の「正長七年」は15世紀の始め頃と考えた方がよさそうです。
小国丹波が築いた小国城は、いくつかの郭と堀を有する城でしたが、小国氏の没落後は城主がかわり、戦国時代まで続いたとされています。




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☆つがるみち☆

