平川市小国(おぐに)は、市東方の山間部に位置する集落で、十和田湖へ向かう国道102号線を右折し、大鰐方面へと続く道の途中にあります。
明治時代、八甲田雪中行軍を行った弘前31連隊が、弘前を出発し、この村に一泊し、十和田湖へと向かったという記録も残っています。
舗装された道路を進んで行くと、道路沿いに八幡宮が見えます。この辺りが集落の中心でしょうか。

境内には社殿の前に、狛犬と神馬、石灯篭がそれぞれ一対ずつ置かれています。
神馬のとなりに「小国温泉誕生記念」と書かれた大きな記念碑が立っていました。
温泉地というわけではありませんが、この神社のすぐそばには温泉の入浴施設があります。「小国町会保養所」という名前がつけられていて、その名の通り、もともと地元民専用の浴場だったのですが、現在は一般の人々も入浴できるようです。


この神社の詳しい由緒などについては分かりませんが、縁起では「正長七年四月小国丹波勧請」となっているようです。
小国丹波は、鎌倉時代末期・南朝方の小国弥三郎泰経という武将を指すとされていますが、この地に逃れ、城を築いていたようです。因みに、「正長」の時代は、2年間だけだったので、縁起の「正長七年」は15世紀の始め頃と考えた方がよさそうです。
小国丹波が築いた小国城は、いくつかの郭と堀を有する城でしたが、小国氏の没落後は城主がかわり、戦国時代まで続いたとされています。


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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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☆つがるみち☆
明治時代、八甲田雪中行軍を行った弘前31連隊が、弘前を出発し、この村に一泊し、十和田湖へと向かったという記録も残っています。
舗装された道路を進んで行くと、道路沿いに八幡宮が見えます。この辺りが集落の中心でしょうか。

境内には社殿の前に、狛犬と神馬、石灯篭がそれぞれ一対ずつ置かれています。
神馬のとなりに「小国温泉誕生記念」と書かれた大きな記念碑が立っていました。
温泉地というわけではありませんが、この神社のすぐそばには温泉の入浴施設があります。「小国町会保養所」という名前がつけられていて、その名の通り、もともと地元民専用の浴場だったのですが、現在は一般の人々も入浴できるようです。


この神社の詳しい由緒などについては分かりませんが、縁起では「正長七年四月小国丹波勧請」となっているようです。
小国丹波は、鎌倉時代末期・南朝方の小国弥三郎泰経という武将を指すとされていますが、この地に逃れ、城を築いていたようです。因みに、「正長」の時代は、2年間だけだったので、縁起の「正長七年」は15世紀の始め頃と考えた方がよさそうです。
小国丹波が築いた小国城は、いくつかの郭と堀を有する城でしたが、小国氏の没落後は城主がかわり、戦国時代まで続いたとされています。




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☆つがるみち☆

