弘前市石川に鎮座する八幡宮です。
数年前の冬に一度訪ね、記事にしました,
⇒石川八幡宮① ⇒石川八幡宮② ⇒石川八幡宮③

今回は、夏場の境内の様子が見たくて行ってみました。
鳥居をくぐったところに、龍神様を祀る祠があります。
神池の水面には、付近のりんご畑の風景が映っていました。


右回りに石段を上ると、そこに社号標と二の鳥居があり、赤い小さな鬼がいます。


そこから先が社殿に続くのですが、煙が立ち込めて境内は真っ白で、写真におさめることはできませんでした。氏子の方達が、何か物を燃やしていたようです。
仕方がないので、社の近くのりんご畑に行ってみました。
遠くに八甲田の山々がくっきり見え、赤いりんごがたわわに実っていました。



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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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☆つがるみち☆ ☆鬼ツコめぐり☆
数年前の冬に一度訪ね、記事にしました,
⇒石川八幡宮① ⇒石川八幡宮② ⇒石川八幡宮③

今回は、夏場の境内の様子が見たくて行ってみました。
鳥居をくぐったところに、龍神様を祀る祠があります。
神池の水面には、付近のりんご畑の風景が映っていました。


右回りに石段を上ると、そこに社号標と二の鳥居があり、赤い小さな鬼がいます。




そこから先が社殿に続くのですが、煙が立ち込めて境内は真っ白で、写真におさめることはできませんでした。氏子の方達が、何か物を燃やしていたようです。
仕方がないので、社の近くのりんご畑に行ってみました。
遠くに八甲田の山々がくっきり見え、赤いりんごがたわわに実っていました。



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☆つがるみち☆ ☆鬼ツコめぐり☆


鳥居の鬼っこを探して、冬の時期に訪ねた神社はいくつかありますが、弘前市中崎の月夜見神社もそのひとつです。

金属製の立派な注連縄が架かる鳥居から、参道を少し進むと二の鳥居があり、そこに赤い鬼がいます。

そこからも赤い鳥居が何本か立っており、その先に社殿がありました。
境内には、御神燈や狛犬、神馬の他に、小さな末社などがあります。



御祭神は月読命ですが、由緒については旧青森県神社庁HPに、
【当社は創立年月日不詳なれども明治以前は大師堂と称する。小野万太夫抱へ部上納米二斗五升免除 明治八年四月村社に列せられる。明治三十九年四月勅令第六号仝年六月内務省令二十号に依り神饌幣帛料供進指定せられる。】とあります。
米俵をのせた大きな鳥居の手前に、一本の老木があります。
以前、冬に見たときも印象に残った木です。だいぶ空洞化が進み、朽ちかけてはいますが、緑の葉を茂らせていて、まだまだだいじょうぶそうです。注連縄が張られているところをみると、社の御神木なのでしょう。


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☆つがるみち☆ ☆鬼ッコめぐり☆

金属製の立派な注連縄が架かる鳥居から、参道を少し進むと二の鳥居があり、そこに赤い鬼がいます。



そこからも赤い鳥居が何本か立っており、その先に社殿がありました。
境内には、御神燈や狛犬、神馬の他に、小さな末社などがあります。



御祭神は月読命ですが、由緒については旧青森県神社庁HPに、
【当社は創立年月日不詳なれども明治以前は大師堂と称する。小野万太夫抱へ部上納米二斗五升免除 明治八年四月村社に列せられる。明治三十九年四月勅令第六号仝年六月内務省令二十号に依り神饌幣帛料供進指定せられる。】とあります。
米俵をのせた大きな鳥居の手前に、一本の老木があります。
以前、冬に見たときも印象に残った木です。だいぶ空洞化が進み、朽ちかけてはいますが、緑の葉を茂らせていて、まだまだだいじょうぶそうです。注連縄が張られているところをみると、社の御神木なのでしょう。




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板柳町の掛落林(かけおちばやし)に鎮座する稲荷神社です。
以前、鳥居の鬼っこを探して冬場に訪ねたのですが、その時は鬼の写真を撮っただけで、境内には入りませんでした。
二の鳥居に鬼っこがいます。


御祭神は倉稲魂命で、創建は寛永20年(1643)あるいは正保3年(1646)といわれていますが、かつては「飛竜宮」とも称したようです。
その後、明治6年に稲荷神社と改めて海童神社に合祀され、明治8年に復社しました。



拝殿の横に御神木である「サイカチ」の木があります。説明を記した木柱には、
【掛落林は、正保2年(1645)の『津軽知行高之帳』に石高122石5斗5升とあり、寛永年間(1624~1643)に拓かれたと考えられる。寛永20年(1643)勧請の観音堂(現稲荷神社)の境内に生えるサイカチの主幹は、地上5メートルの所まで空洞である。マメ科に属するサイカチの実は石けんの代用や、漢方薬として利用されることがある。】とありました。
木柱の裏側には、【樹齢 300年 樹高 約8m 幹周り 4m48cm】と書かれていました。説明にあるように、かなり空洞化が進んでいますが、なかなか風格のある老木です。

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☆つがるみち☆
☆名木めぐり☆
☆鬼ッコめぐり☆
以前、鳥居の鬼っこを探して冬場に訪ねたのですが、その時は鬼の写真を撮っただけで、境内には入りませんでした。
二の鳥居に鬼っこがいます。




御祭神は倉稲魂命で、創建は寛永20年(1643)あるいは正保3年(1646)といわれていますが、かつては「飛竜宮」とも称したようです。
その後、明治6年に稲荷神社と改めて海童神社に合祀され、明治8年に復社しました。



拝殿の横に御神木である「サイカチ」の木があります。説明を記した木柱には、
【掛落林は、正保2年(1645)の『津軽知行高之帳』に石高122石5斗5升とあり、寛永年間(1624~1643)に拓かれたと考えられる。寛永20年(1643)勧請の観音堂(現稲荷神社)の境内に生えるサイカチの主幹は、地上5メートルの所まで空洞である。マメ科に属するサイカチの実は石けんの代用や、漢方薬として利用されることがある。】とありました。
木柱の裏側には、【樹齢 300年 樹高 約8m 幹周り 4m48cm】と書かれていました。説明にあるように、かなり空洞化が進んでいますが、なかなか風格のある老木です。



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だいぶ前、冬の時期に行った神社を訪ねなおしています。
先日は、板柳町の海童神社に行ってきました。

由緒等の詳細は、以前の記事を見ていただければと思います。
※以前の記事 ⇒海童神社① ⇒海童神社②


HP「青森県:歴史・観光・見所」には、
【海童神社(青森県板柳町)の創建は文禄2年(1593)、当時の領主津軽為信が豊臣秀吉の朝鮮出兵の際(肥前名護屋城の本陣付近に着陣したとの記録が残されています)、海上安全の祈願する為に板屋野木の船岡の地に宝量大権現を勧請し宝量宮と称したのが始まりとされます。江戸時代に入ると津軽家は徳川家に転じた事などから衰退し信仰が疎かになっていたところ、川端町の懇願により正保元年(1645)に大川(岩木川)の守護神として現在の五所川原市川端町に遷座、しかし、洪水などが続いた為、当時の板柳は舟運の拠点となった川湊であった事からも海神、水神が祀られる地としては適地と考えられ、承応元年(1653)に現在地に遷座しています。※以下略】とあります。




今回、行ってみて、あらためて由緒ある大きな社であると感じました。
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☆つがるみち☆
先日は、板柳町の海童神社に行ってきました。

由緒等の詳細は、以前の記事を見ていただければと思います。
※以前の記事 ⇒海童神社① ⇒海童神社②


HP「青森県:歴史・観光・見所」には、
【海童神社(青森県板柳町)の創建は文禄2年(1593)、当時の領主津軽為信が豊臣秀吉の朝鮮出兵の際(肥前名護屋城の本陣付近に着陣したとの記録が残されています)、海上安全の祈願する為に板屋野木の船岡の地に宝量大権現を勧請し宝量宮と称したのが始まりとされます。江戸時代に入ると津軽家は徳川家に転じた事などから衰退し信仰が疎かになっていたところ、川端町の懇願により正保元年(1645)に大川(岩木川)の守護神として現在の五所川原市川端町に遷座、しかし、洪水などが続いた為、当時の板柳は舟運の拠点となった川湊であった事からも海神、水神が祀られる地としては適地と考えられ、承応元年(1653)に現在地に遷座しています。※以下略】とあります。




今回、行ってみて、あらためて由緒ある大きな社であると感じました。
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