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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > つがる市   Tags: つがるみち  縄文と弥生  

縄文ロード4「亀ヶ岡・田小屋野遺跡」ーつがるみち61

 メロンロードからの寄り道です。隣の県道12号線(十三道)へ抜けて、「しゃこちゃん広場」にやってきました。「亀ヶ岡石器時代遺跡」のあるところです。
 夏に一度訪れて記事にまとめましたが、それ以来です。辺りの景色はすっかり色が変わっていましたが、しゃこちゃん(遮光器土偶石像)は、変わらずヌーッと立っていました。


 
 ところで、この亀ヶ岡遺跡のすぐ近く、北側の丘陵地に「田小屋野(たごやの)貝塚」
田小屋野貝塚 ※「北海道・北東北縄文遺跡群」リーフレットより
と呼ばれる遺跡があります。縄文時代前期から中期にかけての貝塚遺跡ですが、「貝塚」は全国的には太平洋岸に多く分布しており、田小屋野貝塚は日本海側の数少ない貝塚として重要視され、亀ケ岡遺跡とともに1944年(昭和19年)に国指定史跡となっています。
 この遺跡からは、縄文前期の竪穴住居
竪穴住居内の貝塚 ※「北海道・北東北縄文遺跡群」リーフレットより
の他、魚類、鳥類、ほ乳類など大量の骨や骨角器
海獣などの骨と骨格器 ※「北海道・北東北縄文遺跡群」リーフレットより
が発見されており、当時の食生活や狩猟・漁労の様子を知ることができます。
 また、ヤマトシジミやイシガイなどの貝類もたくさん見つかっている他、主に南方で採れる約60点のベンケイガイも出土しています。このことは当時の気候は今よりも温暖で、海岸線も内陸近くまで迫っており、十三湖もこの辺りまで広がっていたことを思わせます。ここに住んでいた縄文人達は、このベンケイガイで「貝輪(アクセサリー)」
貝の層とンケイガイの貝輪 ※「北海道・北東北縄文遺跡群」リーフレットより
をつくり、それは北海道まで運ばれていたと考えられていて、盛んな交易が既に縄文前期から行われていたことが分かります。

縄文住居展示資料館「カルコ」


 さて、私は、以前訪ねたときは亀ヶ岡遺跡の近くにある「縄文館」に行き、出土したたくさんの土偶や土器類を見ましたが、今回はもうひとつの展示館である「カルコ」に行ってみることにしました。
 「カルコ」のある旧木造町は、正に「縄文一色」といった感じで町のあちこちに「しゃこちゃん」がいますが、特に駅舎の巨大な遮光器土偶像
駅のしゃこちゃん
にはびっくりさせられます。町の中心、役場庁舎前にある「カルコ」は、亀ヶ岡遺跡をはじめ、つがる市や県内各地の出土品が展示されている所です。

復原住居


 中に入ると、復原(復元)された竪穴住居がありました。この復原住居はあの大森勝山遺跡で発見されたものをもとにして復原したものだそうです。
 住居内には当時の服装や髪型をした男女二体の「縄文人」がいて、その生活の様子が
住居内部
再現されています。
 この縄文人、来訪者に「・・いずくより来たりし者ぞ・・」などと、変な「縄文語?」で語りかけてきて、子ども達には人気があるようです。

展示室


 住居の上の2階が展示室になっています。県内の多くの土偶や石器、土器などが展示されていました。
 亀ヶ岡遺跡は縄文晩期の遺跡ですが、晩期から続く弥生にかけて、土器の文様が変化していく過程
土器の文様の変化
なども見ることができます。
 この遺跡のすばらしさを広く紹介したとして、二人の人物の事績が掲げられていました。一人は、菅江真澄。
菅江真澄と描いた土器
津軽の史跡を語るとき、必ずといっていいほど登場してくる人物です。
 もう一人は、蓑虫山人。
蓑虫山人
私はこの人物についてよく知らなかったのですが、中泊町HPでは【放浪の画人として知られる蓑虫山人は、天保7年(1836)美濃国(岐阜県)安八郡結村に生まれました。本名は土岐源吾、ほかに「蓑虫仙人」「三府七十六県庵主」「六十六庵主」とも称しました。 嘉永2年(1849)14歳のときに郷里を出て以来、48年間にわたって諸国を放浪し、その足跡は全国各地に残されています。・・山人は、青森県をはじめとする北奥羽各地へ長期にわたって逗留する傍ら、名勝や文化財あるいは寄留先の様子などを詳細に記録しました。近代の北奥羽地方の雰囲気を如実に伝えるそれらの作品群は、民俗学研究の一級資料として評価されています。また考古学に対してはとくに深い関心を抱き、多くの遺物を収集しつつ、明治20年(1887)には木造町亀ヶ岡遺跡の発掘調査を手がけています。この調査の模様を記す書簡は、「人類学雑誌」に掲載され、同遺跡の名を全国に広げる役割を果たしました。】と紹介されています。
 展示室には、土器や発掘の様子などを
山人の作品
描いた山人の作品なども展示されていました。亀ヶ岡遺跡の出土物の多くは乱掘のため、貴重な物が流出してしまったといわれています。山人はどんな思いで発掘を見つめていたのでしょうか。。
 それにしても、展示されている結髪土偶・籃胎漆器・彩文鉢形土器などを見ると、縄文の人々の「芸術性」の高さを感じとることができます。

                            ☆つがるみち☆
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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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