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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

獅子頭のお告げ「小栗山神社 2」ーつがるみち78

「獅子踊りに見とれて岩木山の神になり損ねた」という姉妹神の話に惹かれて、その伝説が残る平川市大坊・熊野神社と弘前市・小栗山神社を訪ねたところ、両神社の縁起には「獅子頭」にまつわる伝承があることが分かりました。
 「獅子」はもちろん空想上の動物ですが、日本では古来、猪や鹿などはともに「しし」と呼ばれていたように、獅子は「獣」の総称でした。それらの動物を生活の糧としていた「マタギ」といわれる狩猟民達は、獣の霊を慰めるために祭りを行い舞い踊ったとされていますが、それが「獅子踊り」の起源であるともいわれています。

獅子岩


 津軽における獅子踊り(※地域によって「獅子舞」とも呼ばれる)は、そのような狩猟民達の素朴な祭りが、やがて修験者等の山岳信仰と結びつき、「五穀豊穣」「悪霊退散」を祈念するものとして行われるようになったとされています。
 その多くは男獅子が2、女獅子が1という三匹の獅子と、猿面をかぶった「オカシコ」という道化役、それに数人の囃子方で構成されている分けですが、その形態は「鹿獅子系」のものと「熊獅子系」のものに大別されていて、明確な区別はないものの、それぞれ次のような特徴があるといわれています。
鹿獅子踊り
鹿獅子踊り
・・「鹿=春日大社」ということから春日信仰と関係が深いとされる。獅子の頭の角は
鹿獅子角
鹿の角を模して長く枝分かれしている。赤、白など華やかで明るい衣装が多く、踊り方はテンポがはやく軽快で、跳躍が見られる。主に、平野部の新田地帯に多く分布している。
熊獅子踊り
熊獅子踊り
・・「熊=熊野」で、熊野信仰と結びついているとされる。頭の角は
熊獅子角
短く、先が丸い。地味な柿色や紺の衣装が多く、テンポがゆるく雄渾荘重で重厚な感じがする踊り方である。岩木山を中心にして山間部に多く分布している。 
 ー その踊りの所作の違いから、鹿獅子踊りは豊作に対する「感謝の舞」、熊獅子踊りは「豊穣祈願の舞」ともいわれるようです。

 このような獅子踊りが盛んになったのは、弘前藩2代藩主・津軽信枚が地鎮祭を行った時に、京都から舞楽を招いて踊らせたのが始まりとも、4代藩主・信政が弘前八幡宮の大祭で踊らせてから領内に広まったともいわれています。
 しかし、広がり方が急速であったため、藩では、農民の生活が華美に流れないよう、その回数や祝儀などに制約を加えたといわれており、例えば黒石市・長谷澤神社の奥の山間部・獅子沢には、表面に獅子(鹿)の角・目・鼻・口などが描かれた獅子石
獅子石
という自然石がありますが、これは、藩政時代に獅子踊りが禁制になったため、獅子頭を埋めたところ、この石に獅子が姿を現したものだとされ、【・・獅子石の前で歌を歌うと石に彫られた獅子が踊るとか、ときには笛・太鼓ではやしながら、獅子踊りの歌を歌うのが聞こえる。※『青森の伝説』角川書店】という伝説は、それを物語るものです。

小栗山神社拝殿


 さて、獅子踊りをはじめ、津軽における様々な民俗芸能などは、山岳信仰をもつ修験者たちによってもたらされたものも多い分けですが、平川市大坊・熊野神社
熊野神社
は、鎌倉時代に津軽曽我氏が建てた社で、そのために紀州熊野から山伏達が、津軽に往来するようになり、獅子頭を回して舞っていたといわれています。
 祈祷を主とする山伏達によってもたらされた「熊獅子踊り」が、勇壮な感じの舞であることも頷けます。因みに平川市の獅子踊りは、ほとんどこの「熊獅子」です。

 ここ小栗山神社もまた、地元の木こり・重五郎が「獅子頭のお告げ」を得たことが、その縁起とされますが、由緒書きには、【・・何なる神号にて宜しからんと日夜案じけるが或夜枕辺に立ち託して曰く「吾は天の七星地の主にて五行人間を化育し給う故自今十二所権現と神号すべし」と言い給いければ当國の衆人御神徳を感じ当國の鎮守となる。】とあります。「十二所権現」は即ち熊野信仰の表れで、熊野三山の御祭神を勧請した神社だったようです。

 ところで、日本の修験道には、大峯山を修行の場とする真言宗系の「当山派」と、熊野三山の天台宗系・「本山派」があり、その行者達はそれぞれ「真言山伏」、「天台山伏」と呼ばれ、時には対立し、時には共存しながら、各地に信仰や文化を伝えていったとされています。

 津軽には、岩木山をはじめ、阿闍羅山や梵珠山などの「修験の山」や寺社が多い分けですが、かつては、岩木山神社
岩木山神社
猿賀神社
猿賀神社
、そして小栗山神社は、熊野信仰・天台系修験道で密接に結びついていたとされています。三社の祭りが「津軽三大祭り」といわれる所以はそんなところにもあるのだと思います。

 ー 「小栗山の村人は(大坊の人々も)、岩木山に詣でることをしない。」という話は、「その信仰が共通であったために、小栗山神社への参詣で済ませた」ことから、その伝承が生まれたともいわれていますが、別の言い伝えとして、津軽為信が、その宗教政策の一環として、「天台系修験道」を「真言系修験道」に改めさせたが、小栗山の氏子達はそれに従わなかった・・という話も残っているようです。
ー 古くから受け継いできた伝統や信仰に対する「誇り」がそうさせたのでしょうか。

   ※【山岳信仰の山】及び【青森県音楽保存協会】等のHPを参考にしました。
                               
                               ☆つがるみち☆
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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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