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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

軍師の眠る寺「誓願寺 4」ーつがるみち82

「津軽の名軍師」といわれる沼田面松斎は、慶長12年(1607年)に津軽為信が亡くなった後も2代目・信枚を支え続け、慶長17年(1612年)にこの世を去り、ここ誓願寺に葬られる分けですが、晩年の面松斎が尽力をつくしたのが、弘前城の築城とそれにともなう「まちづくり」であるといわれています。
 易学や陰陽道に通じていた面松斎は、その深い見識をいかして築城や城下の「縄張り」に取り組んだとされていて、その構想が信枚をはじめ歴代藩主に受け継がれ、「城下町弘前」が誕生する分けです。

弘前城


 弘前城は慶長8年(1603年)に為信によって、高岡(鷹岡)の地に築城が開始されますが、為信の死去により一時中断。その後、信枚により築城が再開され、慶長16年(1611年)に一応の完成をみたとされています。
 弘前は「みちのくの小京都」と呼ばれるように、平安京を範として築かれた町ですが、平安京は「風水説」

風水説

ふうすいせつ【風水説】

 中国で秦・漢時代から伝承されてきた術数の一派。堪輿,地理,青烏などの別称がある。その原理は,人間に及ぼす地気の作用を信じ,山脈,丘陵,水流などの地勢を観察して,さらに陰陽五行や方位(青竜=東,朱雀=南,白虎=西,玄武=北)をも考え合わせ,その最も吉相と見られる地を選んで,これに都城,住居,墳墓をつくらせる地相学,宅相学,墓相学で,生人の住居の場合を陽宅,墓地の場合を陰宅とよぶ。とくに陰宅を重視し,最良の地を選んで父祖を葬れば,祖霊が安定するだけでなく,その一家一族が繁栄して,子孫の中から科挙合格者や高位高官の者を出すであろうと説く。
         
                       ~kotobankより~
に基づき、方角を東の「青龍(流水)」、西の「白虎(大道)」、南の「朱雀(湖沼)」、北の「玄武(高山)」の四神に見立ててつくられた都であることはよく知られているところです。即ち、京都は鴨川(流水)、山陰道(大道)、巨椋池(湖沼)、船岡山(高山)に囲まれた「四神相応の地」だった分けです。

弘前城絵図


 沼田面松斎は、この風水に基づいて造られた平安京や江戸の街にならって「四神相応の地」を求め、高岡を選んだとされています。
 高岡は、東に土淵川(流水・青龍)が流れ、西に西浜街道(大道・白虎)が延びている所で、その条件を満たしていました。東には猿賀神社
猿賀神社
、西には岩木山神社(百沢寺)
岩木山神社
を配し、守り神としたとされていますが、猿賀神社の拝殿の青龍や岩木山神社拝殿の白虎は、その象徴であるともいわれています。この岩木山神社の白虎の目は、弘前城(旧名・高岡城)の方を見つめているのだとか。。
 ⇒岩木山神社・白虎と猿賀神社・青龍
岩木山神社・白虎、猿賀神社・青龍


 朱雀が宿る南側には、湖沼にあたる天然の池がなかったため、大きな溜池を造ったとされていますが、「南溜池」と呼ばれるこの池は、平時は人馬の水練の場として活用し、有事の際は、その土手を破り、巨大な「濠」とする意図があったといわれています。この辺りには3代藩主・信義の時に寺院が集められ、「新寺町」
新寺町
となり現在に至っています。
 また、北側にはあいにく玄武にあたる高山や丘陵がなく、「玄武=亀」ということから、北門付近に
弘前城北門
亀の甲羅に模した「亀甲町(かめのこまち)」が造られました。
 

 ー こうして面松斎が苦心の末考え出した「四神相応の地」が、その後、実現されていく分けです。

誓願寺


 陰陽道にも通じていた沼田面松斎の志を受け継いだ藩主達は、「鬼門」と呼ばれる北東の地に弘前八幡宮
弘前八幡宮
、「裏鬼門」の南西には長勝寺
長勝寺
、そして、南側の新寺町に大円寺(現在の最勝院)
最勝院(旧大円寺)
をそれぞれ配置しますが、これらは鎮護のための寺社であるばかりでなく、防御施設としての役割もあり、「長勝寺構」、「新寺構」という遺構が現在も残っています。
 実は、誓願寺もまた「西の出城的」な性格を持っていたとされており、往時には、お寺から岩木川の支流にかけて「掘」が続いていたとされています。例えていうならば、北東「鬼門」が弘前八幡宮、南西「人門(裏鬼門)」が長勝寺、南東「風門」が大円寺、そして誓願寺は北西の「天門」として、城を守護していたということでしょうか。

 ともあれ、こうした町づくりの基礎を築いた沼田面松斎は、「城下町・弘前の生みの親」として、人々から敬愛されている分けです。

 ところで、先回ご紹介した『津軽太平記』の著者・獏不次男さんは、取材で為信の霊廟がある革秀寺
革秀寺・津軽為信霊屋
を訪ねてから、誓願寺に寄り、革秀寺の方向を振り返ったとき、「胸に戦慄に似たものを感じた」として、次のように書いています。
【・・急いで帰宅して地図を広げ、本丸の天守閣と革秀寺に定規をあてた。・・何と、天守閣・誓願寺・革秀寺の三点が一直線に並んでいた。
弘前城・誓願寺・革秀寺
しかも誓願寺は、奇しくも正確に三点の中心に在り、直線は二等分されている。】

 ー 名軍師・沼田面松斎は、
沼田面松斎の石像
自分が仕えた為信と自ら創り上げた弘前城を見守りながら、ここ誓願寺に眠っているのでしょうか。

※HP「弘前公園」、獏不次男『津軽太平記』東奥日報社、工藤英寿『弘前城物語』東奥日報社、等を参考にしました。

                               ☆つがるみち☆
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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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