のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: 津軽統一までのあゆみ  

となりのまちー弘前市「石川城址」

 弘前市の 石川城址
を訪ねてきました。別名「大仏ヶ鼻城」と呼ばれるこの城は、田舎館城
や 浅瀬石城
とともに、津軽為信が攻略した城のひとつです。当時、ここ(現弘前市石川字大仏)は、南部氏の津軽郡代である南部高信の城でしたが、元亀2年(1571年)、為信の謀略による奇襲攻撃を受け、城主高信は自刃し、落城しました。石川城は津軽における南部氏の拠点であり、高信は郡代であったので、まず為信は石川城の近くにある自分の城(堀越城)を修復したいと高信に申し出ました。そして、修復すると見せかけて兵糧や武具を運び、大工や人夫、兵を引き入れ、戦いの準備を整えたのです。城の修復が終わると(攻撃のめどがたつと)為信は、堀越城修理の完了の宴を行うことを高信に伝え、高信側の家臣をもてなしました。「明日は端午の節句、高信殿に祝いを申し上げたい」と言ったといわれています。そうして、油断させ、その夜、わずか八十余騎の兵を率いて石川城を奇襲して落としたといわれています。うーん。。。という感じですね。
 さて、この大仏ヶ鼻城を中心として、当時は周りに13の城館があり、「石川城」というのはその総称であったといいます。現在は「大仏公園」として、整備が進み、春にはソメイヨシノ、初夏には園内一帯に植えられたアジサイが、見事な花を咲かせることでも有名です。また、周辺はりんご畑となっており、私が訪ねたときは、りんごの花がとてもきれいでした。公園内は、確かに往時の平山城の面影を残してはいますが、私には館の跡とかがどこにあったのかよく分からず、うろうろしながら、歩き回りました。下調べが足りなかったと思います。
 余談ですが、小さい頃、なぜ「大仏ヶ鼻城」というのか不思議に思い、聞いてみたことがあります(相手は忘れました)。答えは、 「寝ている大仏様の鼻に似ているからだ。。。」 というものでした。いわれてみれば「確かにそうだな。」とその時は思いました。まっ、所在地が「石川字大仏」なので、自然にそう名づけられたのかも知れません。でも、「」というのは顔の中心であることから考えると、ー計13の館の中核となる城ーという意味合いもあったのかな?と勝手に思ってみたりします。
                          ☆津軽統一までのあゆみ☆ 
                       ⇩ご覧ください。
                        石川城うろうろ!
                                            
                     isikawa17.jpg
関連記事

記事を読んでいただき、ありがとうございます。よろしかったら、応援をお願いします!

                 日本史 ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ にほんブログ村    


Comment

Trackback
08-2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

«   »

カテゴリー

openclose

グループ別記事

よろしくお願いします!
⇩に参加しています。応援してくださると励みになります!
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村        

歴史 ブログランキングへ
Welcome
 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
My Profile
Author:korekarada       ふるさと「東北・青森県」の史跡を巡り、感想などを綴っています。ときには、まだ見ぬ地方への憧れを「バーチャル旅行記」として、書いていきたいと思います。
My Friend
Thanks!
現在の閲覧者数:
My Contents
記事で紹介しているContentsをまとめています。ご覧ください!
コメント&トラックバック
Comments<>+-
Trackback <> + -
QRコード
QR