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Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: 津軽統一までのあゆみ  

となりのまちー青森市「浪岡城」

文字色 青森市にある浪岡城址
を訪ねてきました。浪岡城は、応仁の乱(1467年~)の頃に築かれた城郭で、築城主は北畠氏です。あの北畠顕家の嫡流がここ浪岡の地に入ったのは、14世紀末のことといわれ、その子孫は『浪岡御所』 と尊称されていたといいます。戦国の世になると、南部氏の津軽地方支配の拠点になっていました。
 さて、津軽統一を目指す大浦為信(津軽為信)が、この城を落としたのは天正6年(1578年)のことです。最後の当主北畠顕村は捉えられ、幽閉の後、自刃し、約150年続いた浪岡北畠氏は滅びました。為信は堅固な構えを誇るこの城を攻めるにあたって一計を案じました。北畠家臣団の内部分裂を誘うために、家臣団から内通者を出したり、城下の”あぶれ者”をつかって流言(城主の「悪政」に対する批判)を流させたりしました。いわゆる「内から攻める」というこの作戦は、豊臣秀吉が「調略」というかたちで得意にしていた手ですね。そうしたことがどの程度功を奏したのかは分かりませんが、為信は北畠家の重臣の一人が城を留守にしていた時を見計らって、突如、兵を挙げ、浪岡城を急襲したのです。
 それにしても、為信という武将は大変な知略をもっていた人だと思います。あの石川城を攻めた時も、城主の油断を誘って奇襲したり、大光寺城(現平川市)を攻め滅ぼした時は、天正4年(1576年)の正月元旦、新年の祝賀中だったといわれています。ーこういうところから、為信は”策士”で”こすっからい”という印象をもたれることもあるようです。為信の策にはまって滅びた南部氏の各支城に対する”判官びいき”もあるのかも知れませんね。ー 
 浪岡城は、ここを流れる浪岡川や正平津川を自然の濠とする大規模な城館でした。城跡は、総面積が約136,500㎡(東西1,200m、南北600m)で、本丸である「内館」他8つの郭が、幅20m、深さ5m程の二重堀で分けられています。道路沿いには、何か所か入口が設けられ、市民の憩いの場所となっており、桜の名所としても知られています。広大な城郭の跡は、なかなか趣があり、時間をかけてじっくりと巡りたい気持ちにさせてくれます。私もゆっくり散策してきました。
                         ☆津軽統一までのあゆみ☆ 


                     浪岡城を訪ねて!                              
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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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