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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

修験の館「三世寺神明宮」ーつがるみち112

 三世寺館は、鎌倉時代末期に藤崎・安東氏の庇護を受けた天台宗三世寺の修験館だった分けですが、主郭であった仁王堂からは、かつて西の郭であった神明宮が見えます。方角は南西、距離はおよそ300mといったところでしょうか。
 神明宮そのものは、その創建の年代は詳らかではありませんが、【貞享四年、 弘前藩にて田畑免除法を定めた際、 現社地は、 三世寺、 小山両村抱え境内地として調定し、 寛政八年には社寺領に属する旨、 検地元帳に登録された。 ※青森県神社庁HPより】とされています。御祭神はもちろん天照皇大神です。

神明宮一の鳥居


 
 境内は、独立した小丘陵になっていて、掘の跡なども残されており、出丸として、三世寺館の防御ラインを形成していたようです。
 そんな往時を思わせるように、境内への入口は正面の他に2ヶ所あります。こちらは裏手(田んぼ側)入口
裏手入口
に立つ鳥居。拝殿へと続いています。主郭からの往来に使われていたのでしょうか。
 一方、こちらは道路側の入口
道路側入口
です。ここもまた、鳥居の注連縄は金属製の物
金属製の注連縄
でした。
 この神社は何回か火災に見舞われたということですが、一段と高くなっている場所に比較的新しい拝殿と本殿があり、そこには、天照皇大神の像
拝殿付近
などがありました。

神明宮二の鳥居


 さて、この神明宮の境内には、弘前市指定文化財である「三世寺板碑群(さんせじいたびぐん)」があります。ちょうど二の鳥居をはさむように左右に建物があり、その中に納められています。両方の建物のそばには、板碑の説明板もあり、その様子を詳しく知ることができます。 ⇒三世寺板碑群(画像複数)

 
 この板碑群については、神社の由緒書き
由緒書き
にも記されていますが、弘前市のHPでは、【三世寺一帯は、鎌倉時代鼻和郡尻引郷(しりひきごう)であり、藤崎安藤氏の領地であった。そしてこの地には、天台宗三世寺が独立丘陵に館を構えていた。同寺の大檀那は安藤氏で別当は熊野修験であり、したがって館は修験館である。神明宮はこの館跡に位置し、境内に7基の板碑がまとまってあるが、もとは付近一帯に散在していたものである。7基とも安山岩に種子を刻み、5基は鎌倉時代末期から南北朝中期までの紀年号を有している。この中には2対4基の連碑(れんぴ)があり、そのうち1対は講衆碑(こうしゅうひ)である。また釈迦種子碑としては県内最古の年号を有する碑もある。これらの板碑は、文書史料の乏しい当地方の中世の歴史を知るうえで貴重なものである。※弘前市HP「弘前の文化財」より】と、説明しており、この地方の個人あるいは集団が建てた卒塔婆であったようです。

 
 津軽地方には、深浦町・関の古碑群弘前市・兼平天満宮など、板碑が残されているところが多いのですが、それらは、鎌倉時代後期から南北朝時代のものがほとんどで、この時期に津軽に「板碑文化」が花開いていたことが分かります。そして、その時代の中心は安東氏だった分けです。

神明宮拝殿


 二の鳥居からは少し急な坂道が拝殿へと延びていました。途中に小さなお堂があったので、寄って見たら、「疱瘡神社」
疱瘡神社
とありました。中を覗いて見ると、表面が凸凹した自然石?
疱瘡神社御神体
が祀られていました。
 それにしても「疱瘡神社」・・初めてです。その名の通り、昔、天然痘で亡くなった人々の供養と、流行病治癒を願って建てられたものなのでしょうか。

 
 後で調べてみたのですが、広島市南区堀越の疱瘡神社には次のような伝説が残されているようです。【この疱瘡神社は、疱瘡で亡くなった平清盛の側室常盤御前の娘が埋葬された地に建てられたとの言い伝えが残っています。父平清盛と母常盤御前の愛娘はとても可愛らしく「天女姫」と呼ばれていましたが、幼い時から病気になることが多く、年頃になると不治の病として恐れられていた疱瘡(天然痘)にかかってしまいました。父清盛は何としても姫の病を治そうと、日本中の医者を集めましたが効果がなく、この上は神にすがるしかないと、ことのほか信仰をしていた嚴島神社に京の都から船で姫を連れてきました。宮島中の神仏のすべてに祈願を済ませ帰路に就こうとしたところ、姫の病気はますます重くなり、色々手を尽くしたものの、皆の願いもむなしく、遂に亡くなってしまいました。この時、姫はわずか14歳でした。その亡骸を埋葬する場所を神に伺い、お告げのあった場所に亡骸を葬り、疱瘡神社を建てたと言われています。※HP 「ひろしまナビゲーター」より

 余談ですが、ここ三世寺館の大檀那である藤崎・安東氏には、源平合戦の折、その水軍(安東水軍)を率いて、平氏を救うために壇ノ浦へと出陣したという伝承が残されています。 ー ここ神明宮の疱瘡神社は、清盛の愛娘・天女姫の悲劇とともに、往時の平氏と安東氏との深いつながりを感じさせます。

                              ☆つがるみち☆
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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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