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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  鬼ッコめぐり  

鬼沢めぐり2「鬼と民次郎」ーつがるみち144

 鬼の伝説が伝わる鬼沢の地は、今はりんごの花がとてもきれいです。
 鬼沢めぐりの2回目、今回は鬼神社を再び訪ねてみました。
「鬼は内、福は内・・」という節分の風習が残る鬼沢地区、その中心となっている社、「’つの」がない扁額を掲げている社・・それが鬼神社です。
 以前、訪ねたときは、大変な雨の中でしたが、今回は天気に恵まれました。
 ⇒以前の記事へ

鬼神社境内


 鬼神社の由緒については、【当社創立年月日不詳。伝聞の延暦年中征夷大将軍坂上田村麿、東夷征討の勅命の時、岩木山頂上奥宮鎮座顕国魂の高照比売命の霊験を蒙れるにより、岩鬼山に社宇を再建すると云う。その後、大山祇命を配祀すると云う。※青森県神社庁HP】とありますが、顕国魂(うつしくにたま)命とは、大国主命を指し、岩木山神社の御祭神でもあります。
 また、高照比売命(高比売命。下照比売命とも)は、神話によると「葦原中国平定のために高天原から遣わされたアメノワカヒコと結婚した」女神とされています。

 
 しかしながら、御祭神はともかく、この神社は古くから「おにがみさま」と呼ばれていたように、農作や潅漑の技術を教えてくれた「鬼」を祭っている社といってもいいでしょう。拝殿の屋根の下に掲げられた大きな鉄製の農具は、岩木山の鬼を神として崇め、その力を敬ってきた証ともいえます。
 実は、この神社の本殿の地下室には、巨大な刀剣が隠されているともいわれていますが、その刀は何百年経っても、黒光りしたままで、まったく錆びない・・などど、鬼の神秘的な力を思わせる不思議な話も伝えられています。

 
 不思議といえば、この鬼神社の参道。一般的な神社は、一の鳥居から数本の鳥居をくぐり、社殿まで真っ直ぐに道が延びている分けですが、何故かここでは、ぐるっと左回りしないと、そこには行き着けません。即ち、御祭神は、通りに背中を向けている分けです。境内には古い鳥居の跡なども残されているところをみると、昔からこんな道筋だったようです。まるで、鬼達を外に出させないような不思議なつくりです。
 ⇒鬼神社参道
鬼神社参道


 
 もうひとつの不思議は、本鳥居(四の鳥居)に掲げられている「卍」。
本鳥居の「卍」

 卍は、津軽氏の旗印でもあり、弘前市の市章でもある分けですが、その由来は、かつて坂上田村麻呂が岩木山麓の蝦夷を征討したときに、卍を掲げたところ、その霊験によって蝦夷達は退散したといわれているものです。いわば、鬼(蝦夷)の力を封印した象徴でもある分けです。 ー 曲がりくねった参道と社殿の配置、そして、この本鳥居の卍・・次のように想像してみました。
 「鬼たちよ、お前達の霊は、ここにこうして鄭重に祀ってあるから、災いを起こさないでくれ。出てきて祟らないでくれ。」

◇鬼神社 ※画像はクリックで拡大します。

 
一の鳥居
拝殿
本鳥居
狛犬
鬼の農具



拝殿の鬼


 しかし、鬼たちは祟った・・という分けでもないのですが、鬼を信奉するこの鬼沢の地で、後に津軽地方最大といわれる農民一揆が起こります。
 それは文化10年(1813)のことで、当時、弘前藩は、度重なる天災地変や凶作が相次ぎ、おまけに幕府からは蝦夷地騒乱鎮圧の援兵を命じられていたこともあって、その財政は逼迫していました。そのために、過酷な年貢取りたてが続き、疫病の流行などもあって、農民の生活は極度に困窮し、集団で離村、逃亡する者が後を絶たなかったといわれています。生活に困窮した農民達は、ついに決起することになった分けですが、それは、鬼沢や十腰内だけにとどまらず、東青西北津軽地方にまで及んだとされています。

 この一揆のリーダー格だった人物が藤田民次郎(たみじろう)で、民次郎は「義を尊び、農民の信望も篤かった」といわれています。決起にあたって民次郎は、後に妻子に害が及ぶことのないよう、離縁し、事の成就を鬼神社に祈願したといわれています。
 生死をかけた農民達の勢いは止まらず、城門まで押し込み、藩士達ともみ合いになりましたが、豪勇の者達が立ちはだかったため、一進一退が続きました。その時、民次郎は進み出て、訴願状と連判状を差し出し、必死の思いで嘆願を行いました。死を覚悟した民次郎の真情に打たれた藩士は、訴願状を受け取り、藩主に取り次ぐ事を約したといわれています。

 
 結果、当時の藩主・津軽寧親は、農民の窮状に同情し、農民への救護策を講じ、一揆は収まりましたが、城門まで乱入した大罪を見逃すわけにはいかず、その首謀者は極刑に処されることになりました。首謀者の特定は困難でしたが、このとき自ら「自分である」と名乗りをあげたのが民次郎でした。
 民次郎は、城下を引き回された上、刑を受けましたが、このとき若干22歳。以来、民次郎は「義民」と讃えられ、その勇気ある行動は、長くこの地域に語り継がれてきた分けです。

 現在、鬼神社の近くの小学校には「義民 藤田民次郎」の顕彰碑が立てられています。また、神社の裏側には浄土宗・龍味庵があり、お地蔵様や観音様に見守られながら民次郎は眠っています。すぐそばには民次郎公園。
 なお、この義民・藤田民次郎の話は、地元の有志により、「鬼(注:’つのがない)と民次郎」
創作劇ポスター
という創作劇として上演されています。

◇藤田民次郎顕彰碑ほか ※画像はクリックで拡大します。
 

 
 
民次郎顕彰碑
地蔵堂
観音像ほか
民次郎墓
民次郎公園


                                               ☆つがるみち☆
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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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