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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  巨石と神石  

渓流沿いに「大助野田神社と岩谷不動尊」-つがるみち155

 弘前市の相馬地区(旧中津軽郡相馬村)は、西目屋村及び白神山地、秋田県などと境を接する地域です。
 ここには、長慶天皇御陵墓参考地がある他、坂上 田村麻呂に関する伝承、大石信仰を思わせる遺跡なども残っており、古くからの歴史を感じさせる地域です。
 この地域を作沢川という川が流れていますが、その渓流沿いにいくつかの神社やお堂などが立っています。

大助野田神社


 作沢川は、上流をさかのぼると、やがて「相馬ダム」というダムに行き着く分けですが、その途中に「大助」という集落があり、そこに「大助野田神社」という社が鎮座しています。由緒などはよく分かりませんが、近くの野田神社(※大助集落ではない)の縁起によると、【明治八年当時は、 大助の愛宕神社、 坂市の雷電宮神社、 沢田の神明宮を合祭していた。】とあるので、この大助の野田神社は、かつて愛宕神社と称していたようです。
 道路沿いに赤い鳥居が立っており、傍には庚申塔と二十三夜塔
庚申塔と二十三夜塔
がありました。そこから少し急な参道(石段)
参道と社殿
が延びていて、頂上に社殿があります。

 さて、「大助(おおすけ)」という地名からでしょうか、この地域には次のような伝説が残されています。
【相馬村大助部落を流れる作沢川に、昔サケがたくさん上ってきた。その頃、近くの山に隠れて住む鬼が現れて来て、サケが川をのぼるのを待ち、真夜中に立ちはだかって、「オオスケ・コスケ、今のぼる」と叫んで、サケを手づかみにして食ったという。この声を聞いた者は、たちまち血を吐いて死ぬといわれ、村人はサケがのぼる頃の夜には、恐れて家から出る者がなかったという。※『青森の伝説』より

 これは、東北地方を中心とする東日本に伝わる「鮭の大助(さけのおおすけ)」の話ですが、各地域によって、少しずつ話の内容は変化しているものの、大要は、鮭の大助は【川魚の王とされる。11月15日や12月20日など決まった日に、妻の小助(こすけ)と共に海から川へと遡り、その際に「鮭の大助、今のぼる」または「鮭の大助・小助、今のぼる」と大声を張り上げる。この大声を聞いた者は、3日後に死んでしまうと言われる。そのためこの時期は、川の仕事をしている人は仕事を一切休んで川に出ないようにし、周囲の村人は大助の声を聞くことのないよう、鉦(かね)を鳴らしたり、餅をついたり(この餅を特に「耳塞ぎ餅」と呼ぶ)、歌ったり、酒を飲んで騒いだりして過ごしたという。※wikipediaより】というものです。新潟県では「王瀬長者の伝説」として、「信濃川近くにある村を治めていた大長者が、ある年の霜月(11月)15日に、言い伝えを守って仕事を休んでいる漁師たちを働かせた結果、天罰が下り、息絶えた。」という話になっています。

 - アイヌ人の例のように、鮭は、山間で暮らす人々の大切な食糧源であり、昔から神聖な生き物として祭られ、その「禁」を守って生活してきた人々は、「蝦夷」と呼ばれる先住民だったのかも知れません。王瀬長者のように、古くから伝わる蝦夷の風習や信仰をないがしろにするような行動は、大きな摩擦を生んだのだと思われ、この伝説は、そんな歴史を伝えているような気もします。それにしても、「オオスケコスケ、今のぼる」と大音声で叫ぶ鮭は、誇り高き蝦夷の姿を思わせます。また、大助の伝説には、「鬼」が登場したりして、いかにも津軽らしい話になっています。

岩谷不動尊


 この大助野田神社から沢田という集落へ向かう途中に、岩屋不動尊
岩屋不動尊
があります。
 今は、崖崩れを防ぐためにアスファルトで補強されていますが、かつては、かなり大きく深い洞窟だったと思われ、その奥の方にも祠がありました。
洞窟内

 ここには、寛政9年(1797年)に菅江真澄も訪れたようで、説明板には、【作沢川の高はしとて、危ふきひとつ橋を渡り、山路はるばると岩谷の不動尊とて流れの岸に堂あり。高さ知られぬ岩の上に、木を横たえて鰐口をつり上げ、綱を下げたり。※『津軽のおち』】と書かれていました。また、この洞窟からは縄文土器も発見されているのだとか。。

 祠の前に一対の石灯籠
石灯籠
がありますが、これは、安永4年(1775年)に尾太鉱(銅)山の三上兵助という人物が寄進したものだといわれています。
 尾太(おっぷ)鉱山
尾太鉱山 ※Web東奥「あおもり110山」より
は、西目屋村の尾太岳 (1083m)の近くにあった鉱山ですが、開山は古く、奈良の東大寺の大仏建立にもここから銅や金が運ばれたといわれている他、江戸時代には、全国から逃げてきた隠れキリシタンの安住の地になったとも伝えられています。藩政時代には、鉱山の周りに一大集落ができ、弘前藩の「ドル箱」として賑わったとされていますが、採掘した銅を運ぶために、尾太→相馬村沢田→弘前を結ぶ道が拓かれたとのことです。
 ⇒尾太・相馬村沢田
尾太・相馬村沢田


 鉱山は、1979年に閉山しましたが、尾太岳には、
尾太岳の石灯籠 ※Web東奥「あおもり110山」より
岩谷不動尊と同じく、「尾太銅山三上兵助」の寄進による石灯籠が残されているとのことです。
 - 銅山の繁栄を尾太岳に、そして運搬の安全を、ここ岩谷不動尊に祈願したものなのでしょうか。

◇大助野田神社と岩谷不動尊

 
大助野田神社参道
大助野田神社社殿
作沢川
岩谷不動尊①
岩谷不動尊②


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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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