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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  名水と霊泉  

田村麻呂を救った「渾神の清水」-つがるみち162

「渾神の清水」・・・「いがみのしつこ」と読みます。
 全国の「名水百選」に選定されている霊泉ですが、名水百選とは、【1985年(昭和60年)3月に環境庁(現・環境省)が選定した全国各地の「名水」とされる100か所の湧水・河川(用水)・地下水】のことです。名水の基準として、【「保全状況が良好」で「地域住民等による保全活動がある」こと。】が挙げられていますが、渾神の清水は、長い期間にわたって地域の人々が守り育ててきた泉であり、十分に「百選」の条件を満たしているといえます。

句碑の丘


 この霊泉がある所は平川市唐竹、「びわの平」という高地を通って、十和田湖へと向かう道路沿いです。
 入口には看板とともに赤い鳥居が立っていますが、一帯は小公園になっていて、東屋なども設けられています。そこを少し登ったところに「句碑の丘」があります。文字通り、地域の俳人達が詠んだ句碑がたくさん建っている所ですが、中にはユーモラスな句もあり、心が和みます。

 その中でも、ひと際大きいものが「増田手古奈(てこな)」という俳人の句碑。
 増田手古奈については、【1897(明治30)年10月3日、南郡蔵館村(現大鰐町)に生まれた。大正12年に東京大学法医学教室で血清学の研究をしていた時、同じ教室にいた水原秋桜子(しゅうおうし)に強く勧められて高浜虚子(きょし)の門に入る。虚子門下の4S(誓子(せいし)、青畝(せいほ)、素十(すじゅう)、秋桜子)台頭の時代で、手古奈はその後に続く新人の一人であった。昭和6年、家業を継ぐべく郷里の大鰐町に医院を開業。この年の1月に東北では唯一のホトトギス系の俳誌「十和田」を発行主宰し、その後、長きにわたり客観写生の俳句の道を広めた※HP「青森県近代文学館」より】と紹介されていますが、青森県を代表する俳人の一人で、師の高浜虚子から、「手古奈君はとこしへに東北の俳諧の重鎮たるを失はない」と評されたといわれています。

 
 故郷である大鰐町・茶臼山公園にある増田手古奈の句碑には、代表作「山の温泉や夕鶯のいつまでも」の句が刻まれていますが、ここ渾神の清水に残した句は「づく鳴くや星の明りの見えそめて 」。 - ミミズクの鳴く夜、星明りに照らされながら、こんこんと湧き出る清水・・・とても清澄な感じのする情景です。

◇句碑の丘ほか

 
句碑①
句碑②
句碑③
増田手古奈句碑
末社



渾神の清水


 鳥居をくぐると、とても清潔な水屋があり、中からは、水量たっぷりな清水が勢いよく湧き出ていました。飲料水や、農業用水、生活用水として地域の方々に崇められ、守られてきた霊泉であることがよく分かりました。そばには、薬師様?と思われる祠とともに、この霊泉の由緒を刻んだ石碑も立っています。

 この石碑並びに由緒書き板などによると、この霊泉は、【坂上田村麻呂が延暦年間に陸奥国の蝦夷征伐の際、「矢捨山」の近くに陣をしいたとき、悪質な眼病を患った。或る夜、此土地の鎮守少彦明神が夢に現れ、是れよりも奥に行くと清水があり、この水で目を洗うとたちまち治るとのお告げがあった。お告げのとおり谷を上っても清水が無いため、現在の泉のあたりで神に礼拝すると烏帽子が飛んで落ちた場所にこんこんと水のわいている泉があった。この清水で目を洗うとたちまちのうちに眼病は治癒した。その徳に感じて眼病守護のため、「阿蘇山」に剣を埋めて薬師神と崇めて本殿を建てた。この清水わく泉を渾神の清水と呼んでいる。」※坂上田村麻呂の伝説「竹館村誌」】と紹介されています。「渾神の清水」は別名「今神の清水」ともいわれており、それが転化して「渾神(いがみ)の清水」と呼ばれるようになったのだとか。。

 文中に出てくる「矢捨山(やすてやま:564m)」は、この霊泉から少し進んだところにありますが、尾根が長いため「矢捨長根山」とも呼ばれた山で、この山には、【昔、阿倍一族が源義家に攻められ、背負っていた「やなぐい」という矢を入れる武具を捨てて逃げた。それで「矢捨」といった。※『青森の伝説』より】という伝説があります。
 また、「阿蘇山」は矢捨山の向かい側にある「阿蘇ケ岳((あそがだけ:494m)」のことですが、【「坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、阿蘇ケ岳山頂に本陣を構えたが、眼病になった。ふもとの清水で目を洗ったら治った。この水が名水『渾神の清水』だった」】という話が伝えられているように、両山ともに、かつては、戦の場となっていたようです。因みに、この阿蘇ケ岳からは、竪穴と鋤(すき)が発見されたということで、何らかの遺跡ではないか、と考えられているとのことです。
 ⇒矢捨山と阿蘇ケ岳 ※画像複数

◇渾神の清水

 
由緒石碑
渾神の清水①
渾神の清水②
渾神の清水③
渾神の清水④


 さて、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、眼病を患ったが、霊験により清水を探し、完治した・・という話は、弘前市・羽黒神社にも伝えられていますが、田村麻呂を象徴とする朝廷の征討軍が、「各地の蝦夷との戦いで苦戦し、窮地に追い込まれたが、霊夢を見、そのお告げに従って戦い、勝利を得た」という伝説の筋はいっしょです。
 田村麻呂とその軍を勝利に導いたものは、卍の旗と錫杖であったり七つの鬼面であったりと様々ですが、「眼病を治した清水」も、そのひとつといえます。

 この「渾神ノ清水」は地域の霊水として崇められ、時には重い目の病を患った人々を救ったのかも知れません。それが、田村麻呂と結びつけられ、ひとつの伝説を生んだのだと思いますが、田村麻呂が「眼病を患った」ということは即ち「(戦の)先が見えなくなった=負け戦に苦しんだ」ことを意味していると思われ、「眼が完治した」ということは、「先が見えた=勝利のめどがたった」ことを示しているとも考えられます。
 - 裏を返せば、それだけ、蝦夷の頑強な抵抗が続いた・・ともいえるのではないでしょうか。

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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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                                               ☆つがるみち☆

※使っているスクリプトの調子がおかしいので、拡大画像等が連続しませんが、とりあえずUPします。後ほど、対処したいと思います。 ⇒直りました。
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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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