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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  

城跡に立つ寺「照法寺2」-つがるみち180

 照法寺は戦後に建てられたお寺で、前回お伝えしたように、先代の住職・照法師が、霊夢をみて現在の地に開山したとされています。新城の高台をみつけた照法師は、【これこそ観世音菩薩のお告げ、と昭和21年の冬に移り住み、直ちに京都の本山・亀甲山勧修寺から寺院の認可を得た。同25年秋に現寺院が完成した。※真言宗津軽仏教会「津軽弘法大師霊場」より】といわれています。

 
 以後、除々に境内を整備しながら現在に至っている分けですが、加持祈祷所を専門とする寺院として、水子および万霊供養、ペットの供養、受験合格の祈願、交通安全の祈願、精神療法、厄払い、不幸や災難続きで因っている人たちの相談など、広く地域の信仰を集めている寺院です。
 私が訪ねたときは、現在の住職さんがいろいろと説明してくれて、開創にまつわる話をいくつか聞くことができました。

※以下の『』は住職さんのお話です。

三十三観音①


『先代が、この山にやってきた当時は、あちこちに観音像や地蔵などの石仏があったそうだ。多くは朽ちていたり、倒れていたりしていた。西国三十三観音像などもあり、奉納者の名前や住所を見ると、青森だけでなく、函館の人のものもあった。』
 - ここは昔、城郭があった場所で、城主一族の館神が祀られていたと思いますが、以後、地域の霊場となっていて、その信仰は津軽海峡を越え、北海道にも及んでいたことを思わせる話です。

『仏様(観音や地蔵)の中には、破壊されていたものも多かった。戦争で、この山も焼かれたそうだが、そのときのものなのだろう。』
 - 青森市は、太平洋戦争末期に大空襲に見舞われています。
【青森空襲:昭和20(1945)年7月27日深夜、米軍のB29爆撃機2機が青森市内に約6万枚のビラをまいた。数日中に同市を含む11の都市のうち4、5カ所を爆撃すると警告、避難するように書かれたビラだった。
 翌28日、硫黄島を飛び立った62機のB29が午後10時37分~同11時48分の71分間で8万3000発の焼夷(しょうい)弾を投下。1000人以上が犠牲となり、市街地の約9割が焼失した。※Web「陸奥新報」記事より
【雨のように降り注ぐ焼夷弾は、空中で飛び散り、花火のように美しく見えましたが、地上に達すると、たちまち建物を炎でつつみこみました。燃え狂う火炎、異様なにおい、巻き上げる火の嵐、窒息しそうな煙。猛火は、アスファルトの道路もドロドロに溶かしていきました。 その中を市民は逃げ回り、逃げ遅れた多くの人々が無念の死をとげました。※HP「青森空襲を記録する会」より
 - 被害に遭った多くの三十三観音像は、補修され、造りなおされ、現在は境内の周りを取り囲むように立っています。

◇三十三観音像と石仏

 
 
三十三観音②
三十三観音③
石仏①
石仏②
石仏③



鐘楼


『自分が小さい頃は、大雨が降った後などに山の地面から土器の破片がたくさん出てきたものだった。鐘堂(鐘楼)を建てたときも、地面を掘り返すと、土器がいくつか出てきた。』
『考えてみれば、すぐ近くに三内丸山の遺跡もあることだし、同じ文化を持った縄文人達がここに住んでいたとしても不思議はない。城が築かれる遥か昔からここには集落があったのだと思う。』
 - 言われてみれば・・・という感じで、確かにここから三内丸山遺跡までは、わずか1.5~2km。
照法寺と三内丸山遺跡

「○○遺跡」というと、どうしても「その場所だけに集落があり文化があった」と思いがちですが、実際には、付近にも小さな集落があり、盛んに交流していた分けで、そういう意味では、ここもまた「三内丸山遺跡の一部」と考えてもいいのかも知れません。
 三内丸山遺跡は、縄文時代中期末(約4,000年前)頃には縮小し、大規模集落が拡散・分散し、人々は、他の地に居住しはじめていったと考えられています。同じ青森市の小牧野遺跡は、その代表的なものですが、ここ新城も、そんな集落のひとつだったとも考えられます。

 境内には、観音像のほかにもたくさんの石仏が置かれていますが、多いのがお地蔵様。「六地蔵堂」というお堂には、大きな地蔵を真ん中に、仏教でいう六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)それぞれを救うとされる六地蔵
六地蔵
が祀られていました。

 帰り際に住職さんが案内してくれたのが「地蔵堂」です。何体ものお地蔵様の中央に「慈母観音」が安置されていましたが、この観音様について、住職さんは次のように話してくれました。
『真ん中の慈母観音様は造ったままのお姿にしてある。金箔を施した方がいいのでは・・・という声も多かったが、自分の一存で塗らなかった。母親というものは、子どもを育てるために、自分の体を削るような努力をするものだと思う。だから子どもも、そんな母親に感謝し、愛情を持つ。慈母観音様は、そのような献身的な母親のお姿。だから、(金箔など貼らず)そのままのお姿がいいと思っている。』
 - 何とも含蓄のあるお話でした。

◇六地蔵と地蔵堂

 
六地蔵堂①
六地蔵堂②
六地蔵
地蔵堂①
地蔵堂②


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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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