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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  

境内でひと休み3「竹鼻八幡宮」-つがるみち183

 境内でひと休みした神社、3社目です。黒石市竹鼻に鎮座している八幡宮を訪ねました。
 この神社のある竹鼻地区は、黒石市の中心部から離れた旧浪岡町との境にある農村地帯ですが、すぐそばを東北自動車道が通っており、長谷澤神社や法峠へと抜ける道筋にあります。
 私は法峠寺を訪ねた帰り道にここへ立ち寄りました。


境内


 集落の道路際に社号標が立っていて、その道を進むと一の鳥居へと出ます。境内の隣には農村公園があり、とても静かな環境に囲まれた社です。
 「八幡宮」ということで御祭神は誉田別尊ですが、その由緒については、【延宝3年 (1675) 4月15日竹鼻村中にて建立す。安政2年 (1855) の書上帳によれば「御棟札:宝暦十庚辰年三月・文化十三丙子年八月・天保十二辛丑年九月・右堂社古来より村中にて再建仕来候」とあり、代々村中にて社殿を改築し今日に至る。※青森県神社庁HPより】とあります。
 「村中にて建立・改築」と書かれているところをみると、古くから地域の「産土社」として信仰を集めていた神社であることが分かります。

 拝殿の前に立つ一対の狛犬は少し風化していますが、太い一本眉の大きな顔のつくりで、睨んでいるようにも笑っているようにも見えます。今は色があせていますが、以前は、口元などは赤く塗られていたのでしょう。

 狛犬の前には一対の神馬。ひとつは、いかにも神様が乗るような躍動感のある像で、上げた右足のつくりなど、なかなか見ごたえのある馬です。
 ところが、もう一体は石像ではなくて、何と、いろいろな神社の境内に見られる「神馬堂(厩舎)」に安置されているような飾りつけられた白馬です。しかも、ガラス張りのお堂に入ったままの姿。「箱入り娘」ならぬ「箱入り神馬」といったところでしょうか。このような神馬は初めてです。

 拝殿から階段が渡されている本殿には、石灯籠が立ち、扉には奉納された草鞋も掲げられていました。
 境内の一角に、注連縄が張られた横長のお堂があります。近づいて見ると、それは、「神明宮社」「愛宕宮社」「保食宮社」「大山祇宮社」「稲荷宮社」「権現大神社」・・・六つの神様を祀っている末社を合体したお堂でした。 - 「末社群」というか「神様のアパート」というか。。
 中を覗いてみましたが、それぞれの御神体が大事に祀られていました。
 ⇒六つの末社
上左:神明宮社 上中:愛宕宮社 上右:保食宮社 下左:大山祇宮社 下中:稲荷宮社 下右:権現大神社


◇境 内

 
狛犬
神馬
拝殿
本殿
末社群



境内入口


 さて、境内の入口付近、道路を隔てたところに、庚申塔や二十三夜塔、馬頭観音などの石仏が並んで建てられていますが、その中に「黒石市指定民俗文化財」があります。それは、『廻国納経塔』、『百観音碑』、『五庚申塔』で、通称『竹鼻の文化財』と呼ばれているものです。そばに説明板が立っていました。

『廻国納経塔』・・・正徳4年(1714)に六十六ヶ国霊場の完行記念として建立。津軽
          最古の碑。
『百観音碑』・・・・西国・坂東・秩父の百観音霊場巡礼の記念塔。正徳4年の建立は
          津軽最古。
 - ともに「津軽最古」と称されるものが、どうしてここ竹鼻八幡宮に集められ、建てられたものか、不思議です。

 もうひとつの文化財『五庚申塔』については、【文化6年(1809)「五庚申の年」に豊作を祈願して建立。津軽ではただ一基。】と説明されていました。
 庚申信仰については、【道教に由来するとされる人間の体内にいる虫「三尸(さんし)」が、60日に一度の庚申の日に人間が眠ると体から抜け出し、天帝にその人間の罪悪を告げ、その人間の命を縮めるとされることから、庚申の夜は眠らずにすごすようになった。一人では夜を過ごすことは難しいことから、地域で庚申講とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待ちが行われるようになった。※wikipediaより】ということなど少しは知っていましたが、「五庚申」については分かりませんでした。

 少し調べてみると、【庚申(かのえさる)の日は、暦に従って60日おきにめぐってくるため、1年に6回だが、旧暦では平年は353~356日、閏年は383~385日あるので、年によっては、一年に庚申が5回しかなかったり、逆に7回あったりするということも起こる。これらは、それぞれ「五庚申の年」「七庚申の年」などと呼ばれて、人々によって特別に意識されていたようだ。・・・「五庚申の年は不作、七庚申の年は豊作」と言われている地方が多いようだが、「五庚申・七庚申ともに凶作になる 」という伝承もある。いずれにしても、五庚申や七庚申の年にはそれを記念して、「庚申塚」「庚申塔」というものを立てるという習わしが、とくに東北地方には広くあったようだ。※HP「宮澤賢治の詩の世界」を参考にしました。】ということが分かりました。

 ところで、この竹鼻の『五庚申塔』が建立された文化6年((1809)という年は、黒石藩が成立した年でもある分けですが、時の弘前藩の藩主は第9代・津軽寧親(つがるやすちか)でした。
 当時、東北地方は、天明の大飢饉(1782年~1788年)をはじめ、自然災害や冷害、疫病が相次ぎ、農作物の収穫が激減。弘前藩の記録では、死者が十数万人に達したとも伝えられています。
 また、寧親の時代には、幕府から蝦夷地警備を命ぜられたこともあり、出費が増大。それを賄うために領民に重税を強いたため、ついに文化10年(1813年)には、弘前鬼沢の義民・藤田民次郎を中心とする大規模な農民一揆が起こります。

 - こうしてみると、この『五庚申塔』が建てられた頃は、特に農民にとっては悲惨な時代だった分けで、この庚申塔には、「豊作祈願」はもとより、「安心して生活できる平和な世の中」への願いも込められているように思います。

◇竹鼻の文化財

 
庚申塔他①
庚申塔他②
竹鼻の文化財
廻国納経塔と百観音碑
五庚申塔


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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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