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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: 津軽統一までのあゆみ  

わたしのまちー黒石市「黒石神社」

 津軽信英(つがるのぶふさ)公が祀られている黒石神社
黒石神社
を訪ねてきました。信英は、弘前藩3代藩主津軽信義
  津軽 信義(つがるのぶよし)は、江戸時代の大名。陸奥国弘前藩の第3代藩主。元和5年(1619年)1月1日、弘前藩の飛び領地上野国大館で第2代藩主・津軽信枚の長男として生まれる。母は辰姫(石田三成の二女)。母が死去した後、江戸の弘前藩邸に引き取られた。寛永8年(1631年)、父・信枚の死去により13歳で家督を相続した。明暦元年(1655年)11月25日、江戸神田邸にて死去した。享年37。
                         ~wikipediaより~
の弟にあたる人物です。ところで、この信義という人は「じょっぱり殿様」といわれたほどの頑固者で、一度言い出したら絶対に自己の考えを曲げない人だったそうです。そのせいか、家臣との対立も多く、「暗君」ともいわれています。しかし、今とは年齢に対する感覚がちがうとはいえ、わずか13歳で藩主になったことや自分は石田三成の孫であること(つまり豊臣の系統)、養母の満天姫は徳川家の養女であること等々から、周りの評価を気にし、ある意味「つっぱっていた」ともいえるのではないでしょうか。信義は、新田や鉱山を開発したことで、藩の財政を豊かにするなどの業績をあげていますし、死後に4人の家臣が殉死しています。こういったところをみると、ー必ずしも暗君にあらず、為すべきことは成したーそんな藩主だったのではないでしょうか。
 さて、津軽信英は、元和6年(1620年)、2代藩主信枚の次男として生まれました。母は家康の養女である満天姫です(異説もあるようですが)。つまり、家康の孫にあたる人物です。幼少時から英邁で、長ずるにつれて、武術(刀、槍、弓、馬術等)を修練し、学問や諸芸にも通じていたといわれています。正に”文武両道”といったところでしょうか。信英は山鹿素行
 山鹿素行(やまが そこう)ー元和8年(1622年)~貞享2年(1685年)ーは、江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者。山鹿流兵法及び古学派の祖である。陸奥国会津(福島県会津若松市)生。6歳で江戸に出た後、林羅山の門下に入り朱子学を学ぶが、その後、朱子学を批判したことから播磨国赤穂藩へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行う。赤穂藩国家老の大石良雄も門弟の一人であり、良雄が活躍した元禄赤穂事件以後、山鹿流には「実戦的な軍学」という評判が立つことになる。その教えは、後代の吉田松陰などに影響を与えている。~wikipediaより~
を師として兵学と儒学を修め、その学識は幕府や諸大名にも知れ渡っていたといいます。そんな信英ですから、とかく評判の悪かった兄信義(及び嫡男信政)に代わって、信英を藩主に擁立しようとする事件がおきます(正保の変)。藩内に多くの処罰者を出したこの事件は、信英の人徳を物語るとともに、石田三成=豊臣血統から、徳川血統の藩主を擁立しようとする津軽家内部の事情を表していると思います。 明暦元年(1655年)に信義が死去し、嫡男の信政が11歳で藩主になりますが、その際、信英には黒石周辺に5,000石が分知されました。これが後の「津軽黒石藩」の基となったわけです。黒石に入った信英は、人材(家臣団)を登用し、集落を改編し、黒石陣屋(黒石城)を築くなど「街造り」や「殖産興業」に努めました。あのこみせも信英のアイデアだといわれています。その後の黒石藩及び現在の黒石市の基を創った人だったのですね。
 津軽信英は寛文2年(1662年)に死去しました。黒石陣屋東南の隅に廟を建立して埋葬されましたが、その後、明治時代に入り黒石陣屋が廃城になると、信英の遺徳を偲び明治12年に黒石神社が建立されました。その際、黒石陣屋の大手門近くにあった廟門を移築したといわれています。信英の公書状、御神刀太刀、釣燈籠2基、石燈籠2対、2代目黒石藩主津軽信敏建立の石碑、信英公頌徳碑などが黒石市文化財に指定されています。
 私が黒石神社を訪れた日はどんよりとした曇り空でしたが、境内に入ると”ヒュー”と風が吹き、辺りの木々の枝が揺れました。ー史跡を訪ねて得られる感動というのはこういう瞬間ですよね。何か、先人が”歴史”を語りかけているような・・・。ー ほんの少しですが、信英の思いにふれたような気持ちになりました。因みに、この信英の孫が、あの我が国最初の釣りの指南書『何羨録』を著した津軽采女です。
 さて、信英は黒石藩の領主としての役目の他、幼い弘前藩4代目藩主津軽信政の後見人として、本家弘前藩の発展にも力を尽くしました。この信英の薫陶を受けた 津軽信政は、江戸時代前期の名君、弘前藩中興の祖として有名です。次回は、その信政が祀られている高照神社(弘前市)を訪ねてみたいと思います。

                       ☆津軽統一までのあゆみ☆
⇒ 黒石神社



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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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