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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市   Tags: つがるみち  

国替えを救った社「三嶋神社」-つがるみち184

 津軽には、戦国時代から江戸時代にかけて、支配者であった津軽氏の庇護を受けながら続いてきた寺社が多い分けですが、それだけに、各神社の由緒には津軽氏に関する伝承が数多く残っています。
 初代藩主・為信が津軽統一のために神仏の加護を願い、寺社を参詣し、戦勝祈願を行ったという話や、3代・信義が「津軽三十三霊場」を創始したという話など、特に為信から4代・信政の時代にかけて、多くの伝承が伝えられていますが、これは即ち、津軽氏による領国支配の完成と重なっていて、寺社政策は政治の要だったことを思わせます。 - 今回訪れた黒石市三島に鎮座する三嶋神社も津軽氏との関わりを伝えている社です。


一の鳥居


 「三嶋(三島)」という社名の神社は、【全国でおよそ400社近くあり、その多くは伊予の大山祇神社(大三島神社)か伊豆の三嶋大社と関係のある神社である。祭神は大山祇神社系のものでは大山祇神である。三嶋大社系のものは大山祇神または事代主神のどちらか、あるいは両神を祀ることが多い。※wikipediaより】といわれています。御祭神の「大山祇命 (おおやまつみのみこと)」と「積羽八重事代主神 (つみはやえことしろぬしのかみ)」の2柱を総称して「三嶋大名神」と称するということです。また、伊予、伊豆ともに「海」に面している関係からか、地方の中には宗像三女神を主祭神とする三島神社もあるということで、青森県では八戸市の三嶋神社がそうなっています。ここ黒石の御祭神は大山祇神です。

 この神社の一の鳥居にもりっぱな金属製の注連縄が掲げられていますが、よく見ると、その上にチョコンと「鶏」が乗っています。天照大神を「天の岩屋戸」から迎え出し、以来、神使といわれている鶏ですが、ここの境内にも天照大神を祀る神明社があります。その関係で鶏が置かれているのでしょうか?
 境内には、「未来へ遺そう 農地 水」という大きな看板が立てられていました。地域ぐるみで農村の美しい自然環境を保全しようとする働きかけが行われているようです。それにしても、このようなスローガンが境内に掲げられているところをみると、この三嶋神社は古くから住民の「拠り所」だったのでしょう。
 拝殿の前には3体(対)の狛犬が置かれています。太い一本眉で極端に「寄り目」のもの、猫のように可愛らしいものなど、愛嬌のある神使たちです。 ⇒狛犬
狛犬


◇境内

 
境内
二の鳥居
三の鳥居
参道
狛犬



三社大神①


 拝殿の隣に「三社大神」と書かれた鳥居があり、その奥にお堂がありました。
 前回の竹鼻八幡宮と同様、ここでもまた、三体の神様をひとつ屋根の下に祀っているようです。末社は左側(向かって)からそれぞれ「薬師宮堂」「神明宮堂」「馬頭観音堂」でした。 ⇒三社大神
三社大神 左:薬師宮堂 中:神明宮堂 右:馬頭観音堂


 さて、この神社の由緒については、【当社は三嶋明神の御神霊を安置し、 永禄年間 (1558~1570) に社殿五間四面の大社にして殊に壮麗を極めたが、 天正年間 (1573~1592) 千如房と申す修験者が別当の時、 失火の為社殿を焼失した。 その後、 多門坊という修験者が別当となるが、 卯の年の飢饉にて人々死に絶え、 一時御尊体を土上に安置し仮宮を建て祀る。 慶長年間 (1596~1615)、 津軽藩祖為信公が越後国川中島へ御国替を命じられた時、 多門坊は御国替なきよう願い、 神社へ籠り誠心を尽くして祈念する処、 遂に御国替赦免仰せ付けられたと云う。 依って多門坊は御報礼申し上げようとするも、 家計不如意の為、 久しく報恩叶わず、 慶長3年 (1598) 3月3日、 社殿再建の上奉遷し今日に至れりと云う。※青森県神社庁HPより抜粋】 とあります。

 津軽藩は、安土桃山から江戸時代を通じて国替えやお取り潰しに遭わなかった藩のひとつなのですが、それでも何度かその「危機」に見舞われています。
 天正18年(1590年)の秀吉による「奥州仕置き」の際には、宿敵・南部氏から「為信が掠め取った自分達の領地を返すよう」要求され、窮地に陥りますが、近衛家などへの接近を図った為信は、結局、本領安堵を認められます。為信は、このときの秀吉や、仲を取り持ってくれた石田三成への恩義を終生忘れることはなかったといわれています。 (⇒関連記事へ) 
 そして、その後に起こったのが由緒書きにある(文中_線)「川中島」への国替え令です。

 由緒では藩祖・為信のときの話になっていますが、実際は2代藩主・信枚のときで、【元和5年(1619年)6月、幕府は安芸広島藩主である福島正則に津軽10万石への転封と蟄居を、津軽家には信濃川中島藩10万石への転封を命じる内示を出した。津軽よりも中央(江戸)に近い土地への転封、石高も増えているため一見栄転に見えるが、見かけの石高ではない実収入、移転にかかる諸費用、父祖の地を離れることなどを考えると、決して割のいい話ではなかった。これに対し、信枚は移転費用捻出のため佐竹義宣より借財し、家中の準備をさせる旨を家臣に通達している。また領内から転封の際は同行したい旨の嘆願が届いているなど、かなり現実的に実現手前まで進行していたことが窺える。※wikipediaより抜粋】といわれています。

 この国替えの理由についてはいろいろ諸説あり、福島正則はもちろん、いまだ豊臣家に温情的な津軽家に対する一種の「仕打ち」ともいわれていますが、弘前城の築城とそれに伴う「まちづくり」に邁進していた津軽藩にとっては、正に青天の霹靂だったに違いありません。
 結局、藩主・信枚と家臣、そして信枚の正室・満天姫(家康の養女)らの幕府への働きかけにより転封は取り消され、最終的に福島正則が直接、信濃川中島藩4.5万石に減封・移封された分けですが、もしもこのとき、実際に国替えが行われていたら、その後の津軽の歴史や風土・文化なども、ずいぶん違ったものになっていたことでしょう。

 それにしても、この三嶋神社の縁起で語られる多門坊という修験者・・・焼失した社殿を再建したり、国替え問題を三嶋明神に祈願し、取りやめさせたりするなど、大きな力を持っていたものです。伝承なので詳しくは分かりませんが、あるいは津軽家縁故の修験僧だったのでしょうか。

◇三社大神・拝殿・本殿

 
三社大神②
拝殿①
拝殿②
拝殿③
本殿


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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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津軽 北斗信仰 で検索して御邪魔致しました。
わたしは 秋田出身です♪ 現在横浜在住です。
父は大湯環状列石 出身です。
青森の靄山と同じくピラミッド型です。
なにやら もしかしたら・・・ アマノトリブネ だったかも♪
2008年から 「伊勢白山道」というブログを読んでいます。
その関係で 上記検索した次第です。
「柔訳 老子の言葉」
「森羅万象」もうすぐ9巻でます
「自分の心を守りましょう」

いま 再読しているのは 「与えられれば与えられる」です。

きっと ご理解いただけることもたくさんあると思います。
心ひとつでできる供養を知っていて良かったと思っています。
是非 神社の知識も照らし合わせてご覧いただければと思います。
アクセスは個人の意思です。
集金 集会 一切否定しているブログ主です♪
ご縁がありますように♪

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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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Author:korekarada       ふるさと「東北・青森県」の史跡を巡り、感想などを綴っています。ときには、まだ見ぬ地方への憧れを「バーチャル旅行記」として、書いていきたいと思います。
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