のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 五所川原市   Tags: つがるみち  

オセドウ貝塚「神明宮」-つがるみち187

 今泉の賽の河原を過ぎ、十三湖沿いに小泊方面へと進むと旧市浦村(現五所川原市)。
 福島城址、唐川城址、山王坊遺跡など、十三湊と安東氏ゆかりの寺社や遺跡が続いている分けですが、相内(あいうち)というところに「オセドウ貝塚遺跡」という縄文時代の遺跡があって、そこに神明宮が鎮座しています。


神明宮


 今にも地面に落ちてきそうな重量感のある注連縄が張られている一の鳥居。そこから小高い丘に向かって、右へ左へと参道の登り道が続いています。
 と中に2つのお堂が並んで建っていましたが、中には石碑が祀られていました。刻まれた文字は読めませんでしたが、左側(向かって)のお堂に祀られているのは月読命のようです。右側のお堂には大石が2つ。お参り用の燭台もあり、巨石信仰のひとつなのでしょう。 ⇒参道途中のお堂
参道途中のお堂


 そこからは白木の鳥居が拝殿までいくつか立っていますが、鳥居のそばの木を見てびっくり。木の又に藁で作られた大きな虫(蛇)
木に掛けられた虫(蛇)
が掛かっています。まるで、木の間から龍がニューッと顔を突き出しているような感じです。

 これは、奥津軽の伝統行事「虫おくり」で使われる「虫」ですが、「虫おくり」とは、田植えを終えた時期に五穀豊穣と無病息災を願い、【木彫りの竜の頭に、稲わらの胴体で作られた「虫」を若者が担いで、囃子とともに村中を練り歩き、村はずれの一番高い木の枝に「虫」をかけ祈願するお祭り(行事)】です。
 その起源は、【「風」や「日照り」と並んで農業に害を与える「害虫」は、昔から恐ろしいものとされていた。そこで、駆虫効果のありそうな植物を焼いて、その煙で幼虫を追い出そうとした。それが形式化し、信仰的な行事として定着し、神社の前で火をつけ、田んぼの中を周り歩き、海とか川へ捨てに行くようになった。この行事が虫おくりである。】とされていますが、津軽では高い木に掛ける風習が定着していたようです。

 「虫おくり」は津軽一円で古くから行われていたようで、菅江真澄の『遊覧記』や『外濱奇勝』などにも、その記述があるとのことですが、中でも、ここ相内地区のそれは、津軽地方の虫送りの原型といわれ、450年以上の長い歴史があると伝えられていて、県の無形文化財にも指定されています。 - 【笛や太鼓の囃子にあわせ、コミカルな動きをする荒馬に太刀振り(※坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、太刀や棒切れを振りかざして追い払ったという伝説に由来する)のハネトが続き、蛇体をかたどった5mの長虫を作り、山車で村中を練り歩く。】というこの行事は、今年も盛大に行われたようで、地元紙のWebにその様子が掲載されていました。
 ⇒相内の「虫おくり」 ※画像複数

 
 ※上記の【】は、五所川原市HP「奥津軽虫と火まつり」他を参照しました。

◇神明宮参道

 
 
一の鳥居
大石堂
二の鳥居
虫①
虫②



三の鳥居


 拝殿前の狛犬はだいぶ風化が進んでいましたが、かえってそれが古い由緒を伝えているような気もします。
 ここの拝殿、少し変わっていて、横長の扁額は「神明宮」ではなくて、打出の小槌が中央に描かれた「寿殿」となっています。豊作祈願というところでしょうか。
 そばには末社が建っており、中を覗いて見ると山ノ神
山ノ神
が祀られていました。

 さて、ここの神明宮は、【御祭神:天照皇大神 勧請年月不詳、 社地は御伊勢堂と称し福島城址の鬼門に当ることから館神として祀られたものと考えられる。 また、 一説に於瀬洞(オセドウ)は、古代の安日彦、 長髄彦の遺骸を再葬した墓地といわれ、 長髄神社あるいは荒吐神社と称し、 建久2年 (1191) 、安倍神社として再建されるが、 応永33年 (1426) 、福島城とともに焼討された。 延徳2年 (1490) 、天眞名井宮義仁親王は津軽に落ち当地に御幸し、 往古の安倍一族を偲び於世堂と号して一宇を建立したといわれる。元文3年 (1738) 、津軽藩の寺社令によって御伊勢宮と称され、 弘化2年 (1845) に神明宮と改める。 明治六年四月村社にら列せられる。 ※青森県神社庁HPより】と紹介されています。

 
 於瀬洞(オセドウ)は、「御伊勢堂」が訛ったものとされていますが、一帯からは、大正12年、県道の工事中に貝塚が発見された他、円筒式土器が多数出土しました。この土器類は亀ヶ岡式土器につながる貴重なものだといわれています。
 さらに、昭和46年には斜面から多くの縄文土器が出土し、以来、オセドウ貝塚と呼ばれ、神明宮の本殿の裏側の森は「オセドウ遺跡公園」となっています。

 貴重な土器類もさることながら、この遺跡を有名にしたのは貝塚から発見された完全な人骨です。
オセドウ貝塚
現在、東京大学に保管されているこの大きな人骨は、神武天皇の東征により畿内の地を追われ、兄・安日彦とともに津軽へ逃れてきた長髄彦であると語られたこともありました。
 かつて、「長髄神社」「荒吐神社」と呼ばれていたことなど、ここ神明宮は、古代の津軽の歴史を感じさせる社です。

◇神明宮

 
狛犬
拝殿①
拝殿②
山神堂
貝塚公園


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                                               ☆つがるみち☆
関連記事

記事を読んでいただき、ありがとうございます。よろしかったら、応援をお願いします!

                 日本史 ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ にほんブログ村    


Comment

Trackback
08-2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

«   »

カテゴリー

openclose

グループ別記事

よろしくお願いします!
⇩に参加しています。応援してくださると励みになります!
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村        

歴史 ブログランキングへ
Welcome
 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
My Profile
Author:korekarada       ふるさと「東北・青森県」の史跡を巡り、感想などを綴っています。ときには、まだ見ぬ地方への憧れを「バーチャル旅行記」として、書いていきたいと思います。
My Friend
Thanks!
現在の閲覧者数:
My Contents
記事で紹介しているContentsをまとめています。ご覧ください!
コメント&トラックバック
Comments<>+-
Trackback <> + -
QRコード
QR