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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: 津軽統一までのあゆみ  

となりのまちー弘前市「高照神社」その1

赤字箇所はクリックしてご覧ください※

 私の家の初詣は、近くにある猿賀神社

猿賀神社(さるかじんじゃ)


 青森県平川(ひらかわ)市猿賀に鎮座。上毛野君田道命(かみつけぬのきみたみちのみこと)を祀(まつ)る。仁徳(にんとく)天皇55年、蝦夷(えみし)征討のおり戦死を遂げた田道命の霊を里人が祀ったことに始まり、さらに807年(大同2)神霊の助けにより勝利を得た坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が猿賀山に遷座したと伝える。古くは深沙大権現(しんしゃだいごんげん)と称し、中世一時衰微したが、のち津軽氏の祈願所として社領100石を有し栄えた。旧県社。例祭は旧暦8月15日を中心に3日間にわたり、県下獅子(しし)踊大会や相撲(すもう)大会が催される。また旧暦正月7日の七日堂(なぬかどう)大祭にはその年の豊凶を占う「お柳(柳がらみ)神事」が執り行われる。       ~Yahoo!百科事典より~
に行くことが多いのですが、何回か弘前市の岩木山神社

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)


 青森県弘前(ひろさき)市百沢(ひゃくざわ)寺沢に鎮座。顕国玉神(うつしくにたまのかみ)、多都比姫神(たつひひめのかみ)、宇賀能売神(うかのめのかみ)の3神を主祭神とし、大山祇神(おおやまつみのかみ)、坂上苅田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)を配祀(はいし)する。創建年代は不詳。社伝では、800年(延暦19)坂上田村麻呂(たむらまろ)の創建と伝える。中世以降武門の崇敬厚く、津軽一宮、津軽総鎮守と称された。とくに初代弘前(ひろさき)藩主津軽為信(ためのぶ)から4代信政(のぶまさ)に至る歴代藩主によって造営された華麗な社殿は「奥の日光」ともよばれ、国の重要文化財に指定されている。古くは岩木三所大権現(だいごんげん)と称し、別当百沢寺(ひゃくたくじ)の支配下にあったが、明治の神仏分離により百沢寺および諸堂は廃絶した。旧国幣小社。例祭は旧暦8月1日。例祭日を中心に行われる山頂奥宮への「お山参詣(さんけい)」は、津軽地方の年中行事として有名である。~Yahoo!百科事典より~
に出かけたことがあります。ところが正月三が日はとても混み合い、車は渋滞、駐車場は満杯・・・といった状況で、初詣には”忍耐”が必要です。もう10年も前になりますが、岩木山神社に出かけたとき、あまりの混み具合いにがまんできず車をUターンさせた帰り道に立ち寄ったのが、ご紹介する高照神社
高照神社
でした。
 その後、当時の岩木町(合併して現在は弘前市となった)に勤務したこともあり、何回か訪れました。しかし、参拝したり、宝物殿を見学したりはしましたが、拝殿の奥にある信政公の廟所まで足を伸ばしたことはありませんでした。そういう訳で、今回はぜひ信政公の御廟を拝みたいと思い、出かけました。
 この高照神社は、宝永7年(1710年)に死去した弘前藩4代藩主津軽信政の霊を祀っている神社です。信政の遺命により、5代藩主信寿が正徳元年(1711年)に廟所を設営し、その翌年(1712年)には本殿を造営するなど、次第に社の形が整えられ、享保15年(1730年)には「高照神社」と称し、津軽氏歴代の崇敬社となりました。主な建造物が東西一直線に配置されていることが大きな特徴で、これは信政が傾倒していた吉川神道に基づく独特な社殿構成とされ、国内で唯一現存する貴重な神社建築様式といわれています。また、平成18年(2006年)には境内の主な建造物が国の重要文化財に指定されるなど”歴史”を感じさせるみちのくの社です。そんな高照神社を2回に分けてレポートしたいと思います。まず、今回は入り口(一の鳥居)から信政公廟所までをたどってみたいと思います。※下の画像上の①~⑯をクリックしながらおつき合いください。
一の鳥居二の鳥居三の鳥居宝物殿随神門四の鳥居手水舎拝殿本殿廟所案内廟所への道①廟所への道②御茶ノ水森岡氏霊屋廟所説明板信政公廟所
 一の鳥居(①)と二の鳥居(②)の間は駐車場になっています。ここから奥へは徒歩で向かいます。三の鳥居(③)をくぐった左手に宝物殿(④)があります。ここには様々な文化財や貴重な資料などが展示されています。正面の随神門(神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐ神様をまつる門 )と四の鳥居(⑥)の後ろには手水社(⑦)と拝殿(⑧)があります。ところで、この四の鳥居(⑥)は、画像を見ると分かるように、上部「かさ木」の部分が崩れ落ちています。これは、本年1月の大雪のためです。今も「かさ木」は手前に放置されたままでした。一日でも早く修復されることを望みます(訪れる人々に貴重な文化財の重みを感じてもらうためにも・・・)。
 拝殿の右側に回り、本殿を見ながら、いよいよ信政公の廟所へと向かいます(⑨、⑩、⑪、⑫)。途中には湧水が流れていて「御茶ノ水(⑬)」という一息つける場所がありました。辺りに腰かけて休むには絶好の場所です。私も置かれていた柄杓で水を飲んでみましたが。冷たくておいしかったです。ここからは廟所へ道が真っ直ぐ延びていますが、左側に分かれ道がありました。辿ってみると、そこには「森岡氏霊屋(⑭)」がありました。この霊屋の主は森岡元隆(もりおか もとたか)という弘前藩の家老ですが、信政のあとを追って殉死したといわれています。当時は殉死は禁止されていたのですが、その忠節心を讃え、この場所に建立されたといわれています。
 引き返して、信政廟へ向かって真っ直ぐな道を進みます。辺りがパーッと開け”信政公”が見えました(⑮、⑯)。実は、ここへ至る細道にはわずかながら傾斜がついています。つまり、ゆるやかな坂道になっているのです。したがって、信政廟は水平に見ることはできません。少しですが”仰ぎ見る”という感じです。信政の威徳を偲ばせるような・・・。革秀寺の為信廟や長勝寺にある歴代藩主の廟とは、また違った趣がありました。自然の地形を利用したとはいえ、正に絶妙の配置だと思います。5代藩主信寿の意向かな・・・。

 さて、今回は高照神社の境内から信政廟へと続く”社の概要”について述べてみましたが、次回は、信政公の人となりや逸話、宝物殿にある文化財などについて感じたことを書いてみたいと思います。
                       ☆津軽統一までのあゆみ☆
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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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