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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

田村麻呂伝説「阿蘇神社」-つがるみち227


境内


 大鰐町と平川市の境に阿蘇ケ岳(494m)という山がありますが、この山についてWeb東奥「あおもり110山」には、次のような話がのっています。
「小学校のとき、阿蘇ケ岳は遠足で行く山の一つだった。学校から山頂まで歩いて約2時間。山は家畜のえさの草刈り場で、刈ったあとに遠足で行ったから、山頂からの眺めは360度で抜群だった。われわれの年代にとって、思い出深い山だ。」
 地元出身の「かつての少年」の回顧談です。今は砕石場ともなっているこの山は、大人にも子どもにも親しまれてきた山だったようですが、標高500m足らずのこの山は、坂上田村麻呂の伝説が伝わる霊山でもありました。

一の鳥居


 この阿蘇ケ岳の麓を走る国道282号線沿いに平川市唐竹の集落がありますが、その薬師沢というところに阿蘇神社が鎮座しています。
「阿蘇」という名前の通り、阿蘇ケ岳と深い関わりをもつ社な分けですが、その縁起については、
【御祭神:少彦名神  延暦十年 (七九一)、 田村麻呂東征の折り、 阿蘇嶽山頂に本陣を置いて征伐の末、 田村麻呂眼病に罹った時、 夜夢の中に二人の美人が顕われ、 清水の所在を教え、 その水で洗顔すれば平癒するであろうと告げ、 此の土地の鎮守の神は少彦名神であると言って去られたという。 その御神託によって、 眼病が平癒したことで、 眼病守護のため阿蘇嶽に剣を埋め、 薬師神と崇め社殿を建立したと伝えられる。 清水は 「渾神の井」 として知られる名水である。 阿蘇嶽社殿までは、 村より一里余りも離れて不便なため正徳六年 (一七一六)、 薬師沢へ本殿を移すにあたり掘り上げた鏃を少彦名神神璽として崇め祀り、 社名も薬師堂、 薬師宮、 久須志神社と変わり、 現在の阿蘇神社となる。 ※青森県神社庁HP】と紹介されています。

 この縁起の内容については、田村麻呂の眼病を治したとされる渾神の清水の記事でも取り上げたので重複しますが、田村麻呂伝説が残る神社です。
 縁起の中に「村より一里余りも離れて不便なため」社殿を現在地に移したとありますが、同じように弘前市の熊澤神社もまた、阿蘇ケ岳の山中から奉移された社とされています。 - 熊澤神社が鎮座する場所は「薬師堂」、ここ阿蘇神社の住所は「薬師沢」・・いずれも、田村麻呂が阿蘇ケ岳山頂に祀った「薬師神」が、その地名の由来になっているようです。
 この阿蘇神社の御神体は少彦名神神霊とされる「掘り上げた鏃」ですが、実際に阿蘇ケ岳山頂付近からは、昭和16年に竪穴とともに鋤が発見されたという、興味深い話もあります。

 一の鳥居から続く長い参道の両脇にはりんご畑が広がり、社殿は小高い丘の上にありました。拝殿の前の手水舎には、鈴とともに鉄の草鞋が奉納されていました。

◇阿蘇神社①

 
二の鳥居
参道
拝殿
本殿
鉄草鞋



拝殿①


 木鼻をはじめ、鳳凰、龍、虎をはじめ、中障子の彫り物など、拝殿の彫刻はとても精巧に造られていて、すばらしいものがあります。
 境内の中を見て回り、写真に撮りましたが、その帰り道、近くで作業をしていた農家の方が気さくに話しかけてくれました。
「この辺りは昔、田村麻呂たちが通ったんだ。いい神社だべ。」という話からは、この神社と地域を愛する気持ちが伝わってきました。
「ところで、拝殿の屋根の下を見だが?」と言うので、「いいや。」と私が答えると、その方は「周りに十二支が彫られてるんだよ。」と教えてくれたので、もう一度引き返し、注意しながら見てみると、なるほど確かにうさぎ、馬、ねずみ・・・など、十二支の彫り物が拝殿を取り囲んでいました。これまた、見事なものです。

◇阿蘇神社②

 
拝殿②
十二支①
十二支②
十二支③
十二支④



相馬貞一鎮魂碑


 ところで神社の境内には末社などの他に、忠魂碑や村の開拓に関する記念碑、社の改築記念碑などとともに、郷土が生んだ名士や力士などの顕彰碑が立っているのをよく見かけます。この阿蘇神社にも郷土のために尽くした一人の人物の鎮魂碑が建てられていました。その人物の名は相馬貞一(そうま ていいち)。

 相馬貞一は、慶応3年(1867)に生まれ、昭和10年(1935)に没するまで、その一生をここ唐竹(からだけ)村の「りんごづくり」に捧げた人物です。
 明治21年に東京からふるさとへ戻ってきた貞一は、村人の貧しい暮らしを憂い、雑穀畑にりんごを植えることを奨励しました。自らも杉林を切り開き、りんご園を作ったといわれています。
 貞一の取り組みは、次第に村人に受け入れられ、唐竹のりんご栽培は盛んになっていきました。さらに貞一は、栽培技術の向上や販売組織の拡大にも力を注ぎました。こうした貞一たちの努力が実り、青森県はりんご栽培日本一となった分けです。

 貞一は村人から敬愛され、「唐竹のとの様」といわれるようになりましたが、このとの様はけっして自分の業績を誇ることなく、自らりんご畑に出ては仕事をし、村人とともに歩んだ人物だったようです。人々は、そんな貞一を親しみをこめて「オドサ(お父さん)」と呼んでいました。

 このように、りんご作りを通して村の発展を築いた貞一は、死を間近にして自分の思いを表した短歌を遺しています。
ー 願わくは りんごの花の下陰に しづ心なく 眠りはてなん -

 阿蘇神社境内に立つ鎮魂碑には、今もなお、そんな「オドサ」相馬貞一を敬愛する地域の思いが込められているような気がします。

※相馬貞一については、平川市の小学校の「ふるさと学習」でも取り上げられ、社会科の副読本にも紹介されています。私も、その副読本を参考にしました。

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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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Comment
ありがとうございます 
なにげなく検索して、拝見しました。ブログの写真にあった鎮魂碑の相馬貞一翁の息子-相馬貞三翁の次女の息子(内田嘉高といいます)です。ひいおじいちゃんの、なされたことを書物で読んだことはありますが、鎮魂碑を拝見するのは初めてで、とっても嬉しくなりました。
文中の記事もさわやかで、ありがとうございました。

和歌山に住んでいますので、なかなか青森を訪れる機会がないのですが、次はぜひ、阿蘇神社にうかがいたいと思いました。
ありがとうございます。

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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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