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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: 津軽三十三寺社巡り  

「観音山普門院2」-津軽三十三寺社巡り33-2


観音堂①


 津軽の夏の風物詩のひとつに各地の神社・仏閣で開催される「宵宮(ヨイミヤ、ヨミヤ)」があります。たいていは、それぞれの寺社の大祭の前日に行われ、夕方には参道に多くの露店が並び立ち、地元の人々で賑わいます。
「山観」と呼ばれ、親しまれている普門院の宵宮は、例年旧暦の4月17日に開催されていますが、これは新暦の5月下旬にあたり、この辺りでは最も早い開催日となっています。

「いままでは親と頼みし笈摺を ときて納める茂森の寺」と御詠歌にあるように、ここは巡礼の結願所。弘前からはじまる(1番札所:久渡寺)津軽三十三観音巡礼は、同じく弘前で完結するわけです。当初、津軽の観音霊場の4番札所であったこのお寺が結願所となったのは寛永(1748~51)の頃といわれています。

 観音堂は杉林に囲まれた参道をぬけたところに本堂と隣接して建っていますが、これとは別に、直接観音堂へと至る参道もあり、その坂道には西国三十三観音石像が立てられています。
 この三十三体の観音像は、明治22年、弘前市の宮川利助という方が、西国三十三所を巡って砂を持ち帰り、建立したものとされています。三十三番目の観音様のそばには「納経塚」も立てられていました。
 日本各地の霊場を巡り、その記念として砂などを持ち帰り、地元に納める習わしはよくみかけます。特に江戸時代には一種の「巡礼ブーム」が巻き起こり、津軽からも多くの人々が四国をはじめ、各巡礼地へ出かけたとされていますが、津軽三十三観音霊場の創始は、こうした領外への人々の流出(人、金)を防ぐ意味もあったようです。

◇三十三観音像

 
 
三十三観音①
三十三観音②
三十三観音③
三十三観音④
三十三観音⑤



普門院


 さて、「お城の南、茂森と申す森これあり、観音の御堂これあり・・」と『永禄日記』に書かれているように、江戸初期(1600年頃)の頃、辺り一帯は「重森山(茂森:しげもり)」と呼ばれる丘陵地帯でした。
 藩祖・津軽為信の遺命を受けた2代藩主・信枚は、慶長15年(1610)に高岡城(弘前城)構築にとりかかり、翌慶長16年夏には、完成した城に引き移ったといわれています。ところが、
【入城したところ、城の南木々に覆われた当時の「重森山」が見える。頂上に登れば、城内が丸見えなのである。】 - 重森山の存在は、弘前城の防御上、不都合だったわけです。【そこで信牧は翌年の元和元年(1615)5月から重森山を切り崩す工事に着手した。】とされています。
「山をも動かす」と称されたこの工事は、延べ5,000を越す人夫を動員する大変な大工事・難工事だったようですが、合わせて、防御施設である「長勝寺構え」を構築し、領内にあった寺院を一所に集め(禅林三十三カ寺の始まり)たりするなど、弘前の町割りが整えられていったわけです。

 工事のために、それまで重森山にあった観音堂は、当時「金沢の栗の木林」と呼ばれていた現在の地へと移されます。その後、
・延宝6年(1678)、4代藩主・信政が老朽化した観音堂を再建し、「観音山普門庵」
 と改称
・享保3年(1718)に焼失して再び建立(現在の御堂とされている)。
・明治~大正年間に「普門院」となり、禅林街33ヶ寺のひとつとなる。
という経緯をたどっています。

 観音堂の中へは本堂から廊下伝いに進むことができます。「観音堂」「聖観世音菩薩」と書かれた古びた扁額は、このお堂の由緒を物語っているようです。
 お堂の中には、津軽藩のお抱え絵師であった新井晴峰が文政4年(1821)に描いた「関羽書見之図」の大きな奉納額も納められています。寺社の奉納額の中には「桃園の誓い」など、三国志に因んだものも多いのですが、とりわけ、義の人・関羽を描いた額が多いようです。

 中央には聖徳太子作と伝えられている本尊(聖観世音菩薩)が祀られていますが、その隣には閻浮檀金観世音
閻浮檀金観世音
が祀られています。
 この観音様は、3代藩主・信義の側室であり、4代藩主・信政の生母であった久祥院が寄進したものですが、津軽信政が名君たりえたのは、この母の薫陶によるものといわれています。 ⇒久祥院の記事(隣松寺)へ

「閻浮檀金(えんぶだんごん)」とは、
【「閻浮」は仏教で須弥山のまわりにある四大陸の一つで、南にある大陸の閻浮提のこと。 「檀」は川。閻浮提の大木の下にある金塊のことや、その近くにある川の砂金を言う。仏教の経典中にしばしばみられる想像上の金の名称。その色は紫を帯びた赤黄色で,金のなかで最もすぐれたものとされる。※コトバンク他より】だそうですが、藩主・信政はもちろん、家臣や領民にも敬愛されていた久祥院が寄進したこの観音様には、津軽藩の繁栄と領土・領民の平和を願う思いが込められていたのでしょう。

◇観音堂

 
観音堂②
観音堂③
観音堂④
観音堂⑤
関羽書見之図


※記事については陸奥新報社『津軽三十三霊場』を参考にしました。

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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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