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Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

境内でひと休み「三日月神社ほか」-つがるみち230


一の鳥居


「三日月」という珍しい神社名をもつ弘前市津賀野に鎮座する三日月神社。私が訪ねたのは10月下旬でした。
 弘前から国道7号線を走り、藤崎町へと至るその入口付近にこの神社はありますが、すぐそばを平川が流れています。
 民家にはさまれた参道を進んで行くと、間もなく赤い一の鳥居が見えますが、境内の後ろ側はりんご畑になっています。

二の鳥居


 一の鳥居をくぐると、石造りの二の鳥居、三の鳥居と続きますが、拝殿までの参道には、奉納された多くの石灯籠が並び立ち、地域の崇敬の厚さが感じられます。
 拝殿の右側には、戦時中の御霊を祀る招魂社。左側には末社とともに、猿田彦大神の碑。また、地域の農業の発展を祈念する馬頭観音碑も3基建てられていました。

 この三日月神社の御祭神は月読命と別雷尊ですが、その由緒については、
【当社は、 大同年間坂上田村麿の創設に係るといえども年月不明なり。その後藤崎城主阿部高星丸厚く崇敬して祈願所となれり。 弘長年間北條時頼公巡国の折、 当社の近傍萩の花咲乱れるをみて 「みちのくの津軽の野辺の花ざかりげに日の本の錦なるらん」 と詠まれしより今に至る。 その後天正年間藤崎城主藤崎五郎相継ぎて崇敬し来りしが卒去の後、 城も取壊しより一村の産土社となる。※青森県神社庁HP 】と紹介されています。

 現在の住所は弘前市になっていますが、中世の頃は、辺り一帯は藤崎安東氏が支配するところでした。藤崎町は、奥州安倍氏の流れを汲む高星丸が城主として治めていたとされ、「安東氏発祥の地」ともいわれていますが、この神社もまた、安東氏と深い関わりをもつ社といえます。

 また、この由緒書きには、廻国伝説で有名な北条時頼についても記されていますが、藤崎町には、時頼がこの地を訪れ、かつての愛妾であった唐糸御前を偲んだという伝説も残っています。
 その後、津軽為信の時代に至るまで藤崎城は存続するわけですが、この三日月神社は、中世から戦国期にかけて、時の治政者の崇敬を集めた神社だったようです。

◇三日月神社

 
参道と拝殿
拝殿
招魂社
猿田彦大神ほか
馬頭観音碑



一の鳥居


 こちらは弘前市新岡(旧岩木町)に鎮座する八幡宮。
 ここを訪ねたのも10月末のことで、岩木山は初雪をいただいていました。
 その縁起については、
【御祭神:誉田別尊 創立年月日、不詳なるも明治六年村社に列せられる。現代、新岡町会の守護神として、敬信されている。※青森県神社庁HP】と、簡潔に記されています。

岩木山


 岩木山の麓ということで、ここもまた周りはりんご畑。神社の入口に、由緒書きがありますが、それには、
【八幡宮の主神は誉田別命(応神天皇)であり、本源は宇佐の八幡宮とされ、八幡宮に対する信仰は古くから最も広く信仰されてきたものの一つである。奈良時代には仏教と習合して、朝廷より八幡大菩薩号を贈られ、平安時代に入り、貞観二年(680)には王城守護の神として、京都石清水に勧請されて崇敬を受け、後、源頼朝が鎌倉鶴ヶ丘に祀ってから武家の守護神として尊崇され、一般民衆の間にはお産の神として信仰されてきた。
 当八幡宮の創建は、安政二年(1855)の神社微細帳にも記載がなく、また、寛政、嘉永、文化、昭和の年代の棟札にも記載がない為不詳ではあるが、境内には板碑一基が存することの他に当集落の地に別の板碑が存すること、或いは大浦氏(後の津軽氏)の津軽一統に功臣であった豪族の居館があったこと等、その何れかに関係があったものと考えられる。※由緒書きより】と書かれていました。

 由緒書きの前半部分は、いわゆる「八幡様信仰」について述べていますが、旧岩木町の各神社には、このように御祭神や社の縁起について、とても分かりやすく記した説明板があり、大変勉強になります。

 大きな狛犬や神馬が並び立つ参道を進むと、「春日大明神」「天照皇大神宮」「八幡大神」と彫られた大きな祭神の碑があり、その奥に拝殿、両脇に二十三夜塔や庚申塔などが立っています。
 本殿の中にも狛犬がいました。この狛犬、左右ともに鞠で遊んでいるような、ひょうきんな感じのする狛犬です。

 由緒書きにあるように、境内には高さ128.0cm、幅79.0cm、厚さ33.0cmという板碑
板碑
が1基存在しますが、年代等は不明ながらも、弘前市の有形文化財に指定されています。
 
 実は、この八幡宮を中心とする新岡集落一帯には、かつて、板碑が数多く存在していて、この神社の境内にも、建武年号(1334)をもつ板碑があったといわれています。
 この板碑について、次のような話が伝えられています。
ー 建武年号(1334)の板碑の存在を知った津軽藩4代藩主・信政は、宝永元年(1704)、この八幡宮一帯の森に自らの廟所を築くことを思い立った。ところが、その建武年号の板碑が一夜にして忽然と消えてしまった。それでやむなく信政の廟は高岡の地に造営されることになった(現・高照神社)。- 

 消えた建武年号の板碑・・・この地が信政の廟所になるのを恐れた村人たちが一計を案じてある夜、密かに隠してしまったのだとか。村の大切な文化財を惜しんだものか、廟所造営にあたって、田畑がつぶされることを恐れたものか。。 

◇新岡八幡宮

 
参道
拝殿
本殿
本殿の狛犬
板碑


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Comment
 
いつも遊びにきて戴きありがとうございます。
今年も最後の日になってしまいました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
輝く新年をお迎えください。
 
こんばんは。いつもお世話になっております。
遠く離れた土地の全く知らないお社や歴史がとても楽しく拝見させていただきました。ありがとうございます。
来年も実り豊かな年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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