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Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  

義経伝説「貴船神社2」-つがるみち235


貴船神社二の鳥居


 貴船神社の二の鳥居の後隣には、神社の御事歴と由緒書きが立てられていますが、それぞれ、【文治五年源義經卿衣川戰後北海渡航の途次當村に淹留し崇敬特に深く其舊跡鷲尾川を始め歴々境内付近に存す(御事歴)】【文治五年、平泉衣川の戦いに敗れた源義経が蝦夷地へ落のびる時に、この地で海上安全を祈願したという。一説には義経がこの際勧請したと伝えられるなど、数々の義経伝説がのこっている。(由緒書き)】と、義経の北行伝説について記しています。

 同じく二の鳥居のそばに「貴船神社」と刻まれた台座の上に、一体の石の神が祀られています。この石神様
石神様
の姿形は、まさしく天狗。天狗はしばしば猿田彦大神と同一視されることもあるので、この天狗像は猿田彦だともいわれていますが、全国の貴船神社の総本宮は、京都市左京区鞍馬の貴船神社。そして「鞍馬」といえば鞍馬寺。義経が天狗から武術を習ったという伝説が残る地です。そんな義経の伝承にあやかったものなのでしょうか。なお、この天狗像は、雨が降る前になると自然に濡れてくるのだとか。。いかにも、水の神・祈雨の神「高おかみ神」を祀る貴船神社らしい言い伝えです。

 二の鳥居からは、大きな一対の狛犬に挟まれて参道の石段が上に延びています。登りきったところが境内で、そこには稲荷神社、拝殿、本殿が建っていました。

◇貴船神社の参道と境内

 
御事歴
由緒書き
貴船神(天狗像)
参道①
参道②


 
社殿入口
稲荷神社
狛犬
拝殿
本殿


 社殿が建っているところは、ちょうど鷲尾山の中腹にあたり、そこからさらに頂上へと登山道が続いています。その途中からは貴船川という小川が野内の海へと流れているのを見ることができます。この川は別名「鷲尾川」とも呼ばれているとのことです。
 
 頂上は少し平らになっていて、様々な植物が生い茂る小公園だったようですが、現在は「鷲尾園」と刻まれた石碑が立っているだけでした。

 しかしながら、辺りをよく見ると、そこには半分土の中に埋まった割れた石碑がころがっていました。これもまた、この神社の由緒を記した石碑らしいのですが、文字は読み取れませんでした。後で調べてみると、この石碑には、
【この地は源義経の蝦夷に渡らんとてここに来たり、貴船神社に海上安全を祈願せんとて逗留の折り、その妻浄瑠璃姫が羅病せしかば、その臣鷲尾三郎経春をして看病せしめ、更に他方に向かえり。経春その命を守り、忠実に看病せし甲斐もなく姫は死す。身も又病を以て死せりと伝うる所なれば、ここを開拓して名を鷲尾園と称し、永く記念のしるしとなさんとす。】と彫られているとのことです。
 - 即ち、義経に付き従ってきた愛妾の「浄瑠璃姫」が病におかされたため、郎党の一人である「鷲尾三郎経春」が、ここに残り看病したが、姫は亡くなり、三郎もまたこの地で果てた。鷲尾山、鷲尾村、鷲尾園、鷲尾川などの名前は、鷲尾三郎に因んでつけられたものである - というわけです。

 鷲尾義久(通称は三郎、諱は経春)は、
【『平家物語』の「老馬」の段に登場する(覚一本)。元は播磨山中にて猟師をしていたという。寿永3年(1184年)、三草山の戦いで平資盛軍を破った義経軍は、山中を更に進軍していくにあたって、土地勘のある者としてこの義久を召し出し、道案内役として使ったという。義経一行が鵯越にたどりつき、一ノ谷の戦いにおいて大勝を収めることができたのは、彼のこの働きによるところが大きく、「義久」という名はその褒賞として義経が自らの一字を与えてつけたものだと言われている。以降、忠実な義経の郎党として付き従い、最後は衣川館にて主君と命運をともにした。※wikipediaより】とされています。
 また、浄瑠璃姫については、「義経は金売り吉次の手引きで平泉へ向かう途中、三河の矢作に居を構える兼高長者の館に立ち寄った。義経は、長者の館で一夜を過こし、浄瑠璃姫と恋を語り合うが、源氏再興の大願を果たすために先を急ぐ旅の身であるために、薄墨の笛を我が身の代わりにと浄瑠璃姫に渡し、東へと旅だって行った。しかし浄瑠璃姫の思いは断ちがたく、ついには義経の後を追って家を飛び出し、みちのくへ向かった。」と、『浄瑠璃物語』などで語られていますが、義経北行伝説では、「ようやくここ(野内)でめぐり合えたのもつかの間、長旅の疲れからか病におかされ亡くなった。」とされているわけです。

 この浄瑠璃姫の伝説については、天明8年(1788)に、ここを訪ねた菅江真澄も貴船神社の宮司から聞いた話として、「弁財天と祝ひ祀る末社あり、これなん鬼が女十郎姫の御霊なりとも、又義経のをんなめにてやあらん旭の前と言へるが、此君をしたふの心せちに、寄りたる船の中に重き病をして身まかり給ひしを、ここに煙となし、しらほねは山奥の玉清水といふ村に埋み、塚してしるしをたて・・・」と、『外が浜つたい』の中で述べています。もっとも、浄瑠璃姫が、「鬼が女十郎姫」「旭の前」などと他の伝説の話と重なっているようですが。
 菅江真澄が記している「弁財天宮」は、貴船川(鷲尾川)にそって建てられており、浄瑠璃姫の霊を祀っているとも伝えられています。

◇鷲尾園と弁才天宮

 
貴船川(鷲尾川)
鷲尾山から
鷲尾園
由緒石碑
弁才天宮


 浄瑠璃姫と義経の物語は、室町時代頃から琵琶法師の語りものとして広まり、やがて、節をつけて語る芸能「浄瑠璃」となっていくわけですが、江戸時代に、奥羽地方に伝承されていた浄瑠璃は、「奥浄瑠璃(仙台浄瑠璃)」と呼ばれました。三味線の伴奏にのって法師たちが語るこの古浄瑠璃については、松尾芭蕉も『おくのほそ道』の中で、「法師の琵琶(びわ)をならして奥上るりと云(いう)ものをかたる。平家にもあらず舞にもあらず、ひなびたる調子」と書いています。
 特に『牛若東下り』と呼ばれる演目は人気を博したようですが、岩手から青森にかけて広がる義経北行伝説の流布は、この奥浄瑠璃がもたらしたものともいわれているようです。

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Comment
 
青森にも貴船神社ってああるのですね~
というか貴船神社ってたくさんあるのだなーとまずそこに驚きました。

詳しく書かれており興味深く拝見しました。

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