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Category: ふるさと【東北・青森】 > 五所川原市   Tags: つがるみち  

飯詰稲荷神社ーつがるみち287


飯詰城址


 五所川原市の飯詰城址を訪ねるのは久しぶりです。
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 菅江真澄が「右のかた岨(そば)の中に七面の堂ありと杜(もり)に ほくゑきゃう(法華経)よむ声のこかくれにへたるは庵にや寺にや」と綴った妙龍寺は、この城跡に位置していますが、以前に訪ねたときには、その境内には入ってみなかったので、今回は少し歩いてみました。

 妙龍寺は山号「高楯山(たかだてざん)」を号する寺院で、その創建は寛文年間(1661~73)といわれています(※飯詰城は高楯城とも呼ばれます)。高楯城主・朝日左衛門尉藤原行安が七面大明神を勧請する鎮守堂を創建したのがはじまりとされ、その後、何回か移転・再建され、現在に至っています。
 寺の由緒にも関わる「七面大明神」は、五所川原市有形文化財に指定されているもので、【 1間の建築型厨子ですが、細部まで行き届いた細工がなされており、貴重な建造物です。桁行が0.705mで梁間が0.632mで、三方に縁が廻っています。入母屋造の妻入で軒唐破風(のきからはふ)が付き、板葺。粽(ちまき)付きの円柱を立て、切目長押(きりめながし)、内法長押(うちのりなげし)、頭貫(かしらぬき)、木鼻(きばな)、台輪と組上げて、出三斗(でみつと)と蟇股(かえるまた)とを置いて軒桁を受けています。※五所川原市HP】と紹介されています。
 城跡から鐘楼や七面堂(七面大明神宮殿 )の方へ降りてみましたが、お堂の内部は見ることができませんでした。見学許可が必要なようです。

◇妙龍寺
 
 
菅江真澄碑
妙龍寺山門
本堂
七面大明神宮殿
鐘楼



社号標

参道

本殿


 妙龍寺から少し離れた飯詰狐野の集落に稲荷神社が鎮座しています。この神社では、藤崎町の常盤八幡宮と同じように、例年、勇壮な「裸まいり」が行われています。【約300年の歴史を持つ飯詰地区の伝統行事「飯詰稲荷神社裸まいり」が行われます。大晦日に若者たちがまわし姿で、「サイギ、サイギ」の掛け声とともに、約500mの道のりを練り歩きます。五穀豊穣を祈願し、神社へ供物を奉納します。】とあるように、伝統行事が行われる地域の中心となる神社のようです。

 集落の道路沿いに「稲荷神社」と書かれた石碑(社号標?)が立っていますが、石碑には祭壇が設けられており、線香のにおいがしました。全体に注連縄がまわされた大きな石碑です。

 隣に一の鳥居があり、そこから参道が奥へと続いていますが、二の鳥居までは民家の間に挟まれたような道です。ところが、二の鳥居を過ぎたあたりから景色は一変。参道の両側に大木が並び立ち、深い森の中へ迷い込んだような雰囲気になります。一本一本の木は、その姿形が美しく、見ていてあきることはありませんでした。

 木々を眺めながら参道を歩いて行くと、やがて三の鳥居が見え、境内へと出ました。残念ながら拝殿の中は拝めませんでしたが、稲荷神社らしく、拝殿の前には頬被りをしたきつね像が一対、そして、本殿の中にもきつねが居ました。「森の中」という感じで、とても静かな境内です。

 この稲荷神社の由緒については、
【御祭神:倉稲魂命 寶暦十二年勧請。 飯積稲荷宮由来によると高楯城南丸の西の方に祀られる正一位稲荷大明神は、 高楯城の城神である。
 古来高楯城の地名は飯塚盛と称し、 また稲城とも称した。 正平六年藤原藤房公が伊勢神宮の外宮豊受大明神宮司藤原総宮大夫山城守より守尊符に持参した御神体である。※青森県神社庁HP 】と紹介されています。

 妙龍寺と同様、飯詰城と深い関わりのある神社で、「城神(館神)」として崇敬されてきた社のようです。先回、弘前市・国吉稲荷神社のところでみたように、戦国時代に各地の武将(ここでは城主・朝日氏)が戦闘の勝利、怨敵退散を願って、稲荷神と習合した荼枳尼天を祀ったことがはじまりと思われます。

◇稲荷神社

 
境内入口
三の鳥居
拝殿
末社
境内


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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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藤原藤房 
本文中「藤原藤房公」とあるのは『太平記』に登場する後醍醐天皇の忠臣で、天皇が楠正成と連絡を取って呼び寄せようとされたときに勅使として出かけた万里小路藤房のことです。藤房はその後、建武新政下で政道を批判して行方をくらましますが、それから後の消息には諸説あり、津軽に渡ったというのはその一つです。私としては正平6年という年号に引っかかるのですが…。

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 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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