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Category: ふるさと【東北・青森】 > 藤崎町   Tags: つがるみち  

水沼保食神社ーつがるみち378


保食神社一の鳥居


 藤崎町の水沼に鎮座している保食神社は、国道339号線から分かれた県道沿いにある社です。
 道路を挟んで、前方には岩木山、境内の後方には田んぼが広がっていますが、その境内の様子については、
【・・・境内には、江戸時代の道路の案内標識とも言うべき「追分石」(藤崎中学校の通りと国道7号旧道の交差点付近にあった)、三面六臂 (顔が三つ、腕が六本の像)の馬頭観音、江戸時代末・天保年間の庚申塔などがあります。※藤崎町『ふるさとの史跡散歩』より】と紹介されています。
 二の鳥居のそばに由緒書きが立っていますが、そのとなりに小さな碑が立っています。これが追分石で、全ての文字は読めなかったのですが、「道」の文字はしっかりと見えました。追分石のそばには天保年間の庚申塔があります。

 馬頭観音像は、追分石や庚申塔と反対側にあるりっぱなお堂の中に祀られていました。社殿の周りには、狛犬と神馬、末社などが立っています。

◇追分石、庚申塔ほか
 
 






 その由緒については、
【御祭神:保食神  草創年月は不詳なるも、 延宝年間 (一六七三~一六八一)、 観音堂を建立し、 初め惣染宮と称え奉り、 水沼村を氏子として堂社建立し崇敬、 信仰も厚く付近部落より参拝者多数ありと伝えられる。
 本殿の棟札には次のように記されている。
 

一、 明和八年三月
二、 寛政三年六月
三、 天保二年九月
 これに依れば、 氏子戸数少ないため、 五年毎に神事を行なう状況であったようである。 明治三年、 神社令公布に依り、 氏子協議の上、 保食神社と改め、 明治六年村社に列せられる。 大正八年六月、 拝殿内の社殿に祀っていた御神体を新たに造営した御本殿に移し奉り、 現在に至っている。 ※青森県神社庁HPより】とあります。
 また、明治3年の神仏分離の際に、氏子が相談し、神社の名前を「保食神社」と改めた際に、産業・農業の神様である倉稲魂命(うけのみたまのみこと)と共に、風神様を合祀したと伝えられています。

◇保食神社境内

  


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 しばらく記事を更新しないままに八月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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