清水天満宮ーつがるみち390

国道280号線は、海上区間(津軽海峡)をはさんで函館へと至る道路ですが、藩政時代に北海道の松前藩主が参勤交代で通ったことから通称「松前街道」と呼ばれています。
青森県側の松前街道は、青森市から龍飛崎に至る約120kmのルートです。街道沿いには歴史資源や伝統芸能が今も随所に残されていますが、多くの神社も点在しています。現在は、バイパスも開通していますが、青森市から蓬田村に向かって走ってみました。

蓬田村へ向かう途中に「内真部(うちまんぺ)」という集落があります。
周辺には平安時代後期の遺跡や「内真部館」という山城の跡がありますが、青森県HP「あおもりの今・昔」には、次のように記されています。
【・・内真部川が山中に入る北側の山麓に、館と山城の遺跡がある。実は、この地こそ鎌倉時代末期の文保二年(1318年)ころに始まった有名な津軽大乱(安藤氏の乱)の中心舞台となった土地であった。
乱の顛末を記した「諏訪大明神絵詞」には以下のような記述がある。
「その蝦夷管領・安藤太の子孫に五郎三郎季久、又、太郎季長というは従父兄弟なり。(中略)彼らが留守の士卒、数千の夷賊を催し集め、外浜内末部、西浜折曽関(現在の深浦町)の城郭を構えて相争う。二つの城険阻によりて、洪河(現在の岩木川か?)を隔て、雌雄互いに決しがたし。」・・この「外浜内末部の城郭」が内真部の館・山城の遺跡にあたるらしい。】
中世の激しい戦いが行われた内真部は、外ヶ浜地域の一大中心地であったようです。
内真部を少し過ぎたあたりに、こんもりとした森が見えたので立ち寄ってみたら、そこは神社でした。後で確かめたのですが、この神社は清水天満宮です。

この神社の由緒については、詳しくは分かりませんが、御祭神は菅原道真で、
「草創建立年代は不詳。安政二年(1855)の『神社微細社司由緒調書上帳』には、寛文十三年(1673)村中で再建したと書かれている。その後、明治六年三月に神社法改正により一時、後潟神社に合祭されたが、同八年に復社。」ということのようです。
あまり広くない境内ですが、鳥居をくぐると、参道には手水舎や御神燈、狛犬などが置かれていました。
かつてこの神社には、「春日宮」と「祇園宮」、そして「惣染堂」という三つの末社があったとされていますが、文政年間~安政年間にかけて廃社になったとのことです。
現在は、拝殿の横に三つの末社が並んで立っていますが、左は権現社で、真ん中は不明、一番新しい右側の建物は神馬厩舎でした。
◇清水天満宮




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☆つがるみち☆
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