鬼泊巌屋観音堂ー津軽三十三寺社巡り21-1

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 松前街道(国道280号線)は、蓬田村から外ヶ浜町、そして今別町へと津軽半島の頭部を反時計回りに進んで行く分けですが、途中に奥平部(おくたいらへ)の集落があります。
 辺りは、奇岩が立ち並び、美しい海岸が続く景勝地となっていますが、ここに津軽三十三霊場の21番札所である鬼泊巌屋観音堂があります。

 道路際に「岩屋観音」と書かれた標識が立っており、その矢印に従って石段を海辺に向かって降りて行きます。
 三つの鳥居をくぐった後に、右側を見ると、海に向かってドーンと突き出した巨岩がありますが、その岩屋の中に赤い小さな観音堂が見えました。
 波風をうけて、洞窟の中につつましく納まっているその姿は、津軽三十三霊場の中でも、とりわけ印象深い光景です。参拝に訪れる人々も絶えないようで、祠の前には多くの巡礼札などが架けられていました。
 案内板には、
【岩屋観音の草創は定かではないが、貞享3年(1689年)「外ケ浜代官所書上張」によるとこの天然の岩洞に小さな祠が建てられ観世音菩薩が安置されているとある。又、天明6年(1786年)頃の凶作が続いた大飢饉には人々が苦しみ心は荒れはて悪人を鬼と言われた頃、この観音堂は津軽霊場三十三観音の二十一番札所掛所として広く知られていた。】と書かれています。





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 その縁起については定かではないのですが、伝承によると、天長年間、舎利浜(※辺り一帯の海岸。「舎利石」と呼ばれる白い光沢の石がとれることから名付けられた)から釈迦如来像が出現し、奉祭した事がきっかけとなって創建されたと伝えられています。
 その後、「厳屋観音」として広く信仰され、江戸時代には津軽三十三観音霊場第21番札所にも選定されましたが、『寛延巡礼記』という本の中に、「海の中に岩あり。船にて参詣する所なり」と書かれているように、余りにも海に近く、堂宇の傷みが激しかったために、本尊の聖観世音菩薩は、本覚寺(今別町)に遷され、廃堂となりました。
 しかし、本尊がなくなっても信仰厚い人々は厳屋観音への巡礼を続けていたといわれています。
 
 本尊は、明治20年代に近くの袰月(ほろづき)に祀られ、観音堂は再興されましたが、「霊地」である鬼泊にもその再建を望む声も多く、昭和30年代に、再び、厳屋観音堂が建立された分けです。ですから、津軽三十三霊場の21番札所は、現在、鬼泊と袰月の二カ所となっています。

 ー 御詠歌 : いにしえの鬼の岩屋に神立ちて 悪魔はあらず外ケ浜にも -





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 案内板に、「飢饉が続いた頃、悪人は鬼と言われた」という記述がありますが、「鬼泊」という地名については、次のような話が伝えられています。
【今別町大泊の海岸には、奇岩怪石におおわれた岩場があり、その中に「鬼の穴」と言われる洞窟もある。その昔、この岩穴に鬼が住みつき、海を通る船や、田畑を荒らしたり、村人たちは困りはてていた。そこへ、兄・頼朝に追われ蝦夷へ向かっていた義経一行が通りかかり、話をきいた義経はその鬼を退治してしまったという。青森には各地に鬼伝説が残っているが、この「大泊」という地名も鬼が住んでいた「おにどまり」からきているといわれている。※今別の伝説「 大泊の鬼 」より

 松前街道は、いくつかの義経北行伝説が残る道でもある分けですが、ここ鬼泊もそのひとつです。

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                                             ☆津軽三十三寺社巡り☆
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