袰月海雲洞釈迦堂ー津軽三十三寺社巡り21-2

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 鬼泊巌屋観音堂から、今別町の方へ向かって5、6Kmほど進んだ所に袰月(ほろづき)の集落があります。
 一帯の海岸線は「袰月海岸」と呼ばれ、津軽国定公園にもなっている景勝地ですが、昔は、松前街道の難所のひとつで、嘉永4年(1851)には吉田松陰もこの道を通ったと伝えられています。

 その袰月の集落の入江に海雲洞釈迦堂があります。

 鬼泊巌屋観音堂とともに津軽三十三霊場の21番札所になっていて、明治の神仏分離によって巌屋観音堂は廃堂となりましたが、廃仏毀釈運動が薄まった明治20年代に、ここ袰月の村に再建された観音堂です。

 前回の記事でもお伝えしましたが、享保年間(1716~1736)の頃には、巌屋観音堂の建物は荒波に晒され、老朽化していたために、本尊の聖観音菩薩は、今別町内の本覚寺五世・貞伝上人の手によって本覚寺に遷されました。
 貞伝上人は名僧の誉れ高く、地域の産業振興にも尽くした人物で、
【漁師の生活を安じた貞伝上人が、境内の多門天堂に祈願し、経を書いた石を念仏読経とともに、海に投げいれ昆布を根付けさせたといわれ、当地方では、今別昆布は貞伝上人の賜わり物とされており、また、ただ取るだけでなく育てる漁業の先駆者ともいわれております。※本覚寺案内板より】と紹介されています。
 海雲洞釈迦堂は、この貞伝上人の作とも伝わる聖観音菩薩像を譲り受け、建立された分けです。

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 道路沿いに赤い神橋が架かっており、その奥にもうひとつの赤い橋と鳥居が立っていますが、鳥居くぐると、その先には高さ10mほどの滝があります。細い絹糸のようなこの滝は、観音堂のシンボルとなっています。
 堂宇は、一見、集会所を思わせるような造りですが、扉を開けて中に入ると長椅子なども置かれています。地域の人々が集まり、時には句会なども行われているということです。建物の横には、「光明の松」と呼ばれる松の老木と地蔵堂が立っていました。
 ここは、釈迦如来を本尊とする本覚寺の末寺でもある分けですが、中央の祭壇の右側(向かって)には、釈迦如来や阿弥陀如来が祀られており、左側に聖観音が祀られていました。
 
◇袰月海雲洞釈迦堂
 



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 裏側に滝があるところからその名がついたのでしょうか、ここの観音様は「滝見観音」と呼ばれています。
 地域の厚い信仰を集めているようで、壁には、「滝見観音は、我が国に三体のひとつで、古書には唐土より渡来せしとある。名を呼べば煩悩と災難は消え去り、火の海も水の池に変わるという。」と書かれた額が掲げられていました。

 - 御詠歌 :  鷲の山誓いも重き袰月の 影を浮世に残す舎利浜 -

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 ところで、袰月は、高野崎と鋳釜崎というふたつの岬に囲まれた湾内にある分けですが、元来は、「両翼突(ほろづき)」と書かれていたとされています。二つの岬を翼に例えたものなのでしょうか。
 また、地名はアイヌ語の「ポロトゥキ (大きい坏) 」からきたという説や、地形が「母衣(武士が合戦の時馬に乗る際、飛んでくる矢を防ぐため背に負う、竹等で作った籠に布を被せたもの)」を思わせるところから名づけられたという説もあるようです。
 実は、ここにも義経の北行伝説が残っています。
【袰月というのは、源義経がここで鎧につけたホロをぬらしたので、道端のツキの木に掛けて乾かしたところから出た地名だという。海岸に袰の形の「袰岩」がある。また、義経の乗馬が岩になったのだとして、馬の腹の形をした岩や、ひづめの跡のある「馬岩」があった。※『青森の伝説』より

 伝説では、義経は、袰月海岸の変化に富んだ断崖と、そこからの月の眺めが見事であると絶賛したとされています。

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                                              ☆津軽三十三寺社巡り☆
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