高賀野八幡宮 - つがるみち480
黒石市高賀野(こがの)は、かつて浅瀬石城が築かれていた所です。浅瀬石城址をはじめ、集落の周辺には、寺院跡などの遺構を示す標柱が立っていますが、八幡宮もそのひとつです。

浅瀬石城については、このブログでも何回か取り上げましたが、千徳氏によって築かれた城です。
千徳氏は、一戸南部氏の一族であり、閉伊郡の千徳城を居城としていましたが、ここ高賀野の地に入部し、仁治元年(1240年)千徳行重によって築かれたのが浅瀬石城で、文安(1444年ー1449年)の頃に至って、城の全体が整ったとされています。
戦国時代になると、千徳氏は津軽為信と結託し、主家である南部氏に対抗し、津軽統一を目指しますが、やがて両者は対立し、為信軍の攻撃を受け、城は落城しました。
この八幡宮は、初代城主・千徳行重の勧請によるものとされており、代々の城主から館神として崇敬されていたそうですが、浅瀬石城址に立っている説明板 にもその名前が書かれています。



高賀野は急な坂道が続く集落で、上り坂の終点はりんご畑になっていますが、この神社は畑を見下ろす高台にありました。
入口の鳥居のそばには大きな庚申塔。境内には意味ありげな自然石と神馬、そして、愛嬌のある狛犬が一対置かれていました。


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※記事の中の○○○○は、以前の記事や画像へのリンクです。また、□(青い枠)で囲まれた画像は、クリックで拡大します。
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☆つがるみち☆

浅瀬石城については、このブログでも何回か取り上げましたが、千徳氏によって築かれた城です。
千徳氏は、一戸南部氏の一族であり、閉伊郡の千徳城を居城としていましたが、ここ高賀野の地に入部し、仁治元年(1240年)千徳行重によって築かれたのが浅瀬石城で、文安(1444年ー1449年)の頃に至って、城の全体が整ったとされています。
戦国時代になると、千徳氏は津軽為信と結託し、主家である南部氏に対抗し、津軽統一を目指しますが、やがて両者は対立し、為信軍の攻撃を受け、城は落城しました。
この八幡宮は、初代城主・千徳行重の勧請によるものとされており、代々の城主から館神として崇敬されていたそうですが、浅瀬石城址に立っている説明板 にもその名前が書かれています。



高賀野は急な坂道が続く集落で、上り坂の終点はりんご畑になっていますが、この神社は畑を見下ろす高台にありました。
入口の鳥居のそばには大きな庚申塔。境内には意味ありげな自然石と神馬、そして、愛嬌のある狛犬が一対置かれていました。




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