完・豊穣のはじまり「田舎館垂柳遺跡」ーつがるみち7

入口のドアを開けると、床にも足跡。 これは、ここで見つかった同一人物と思われる歩行経路 を模しているようで、そのまま展示室へと続いています。
入口の側には、実際のものをそのまま切り取ったガラス張りの水田跡 が置かれており、自由に歩くこともできます。弥生人と自分の足の大きさを比べてみるのも面白いですね。子ども達にも大変人気があるようです。
このように、遙か2,000年以上も前の水田跡、弥生人の足跡、その他の貴重な遺物が、当時のままの状態でそのまま残ったのは、過去に八甲田山の噴火があり、山麓に降り積もったたくさんの噴石物が、雨によって川に集められ、洪水となって遺跡を襲ったためであるといわれています。垂柳遺跡は、洪水による土砂などで、そのまま「真空パック」された状態で埋もれた遺跡だった分けです。 ー 規模も原因も異なりますが、あの「ポンペイ遺跡」と似ていますね。 ー ⇒垂柳土層
展示室は大きく2つに分かれていて、第1展示室では発見された弥生田と畦をそのままの状態で見ることができます。周りを歩いてみると、当時の様子がよく分かります。また、大小様々な足跡は、大人も子どもも総出で稲作りに励んでいたことを伺わせます。
↓水田跡・弥生人の足跡 ※クリックで拡大します。









※下の左の画像は、出土した田舎館式土器などの写真のミニギャラリーです。クリックで拡大します。
2つ目の展示室には、弥生時代中期に稲作が行われていた「証」となった「籾殻付きの土器」をはじめ、古代の炭化米、農耕具、石器類、そして女性が身につけていたと思われる装飾品などが置かれていました。 ーそれにしても土器にぴったりと張り付いた古代米 。発見される日を待っていたのでしょうか。。
どこか縄文時代の名残がみられる壺、甕、鉢、高坏などの大小様々な土器は、「田舎館式土器」と名づけられています。その形や、平行線を特徴とする文様を見ると、この時代の人々の文化水準の高さが感じられます。
ここ垂柳遺跡では、明治時代の頃から、たくさんの土器がみつかっていて、昭和30年代には、弥生時代土器とともに炭のように黒く焼けこげた米も発見されていました。しかし、それはここで作られたものではなく、もっと南の地方で作られたものが運ばれてきたものと考えられていました。ただ一人、東北大学の伊東信雄先生だけは、この地で紛れもなく水田が作られた証であるという説を唱えていましたが、長い間認められませんでした。
その後、昭和50年代半ばにバイパス計画が持ち上がり、事前に発掘調査が行われ、調査の結果、弥生時代中期の水田跡が発見され、間違いなく津軽平野で当時、稲作農耕が行われていたことが明らかにされたのです。まさに、画期的な発見でした。
この「和製シュリーマン」ともいえる伊藤先生は、発掘調査報告書の序文でに次のように述べています。
~ 津軽地方にこのような整然たる水田が弥生時代に営まれていたことをいままで誰れが想像したであろうか。私は早くから津軽平野で稲作が行われていたことを主張していたのであるから、稲作の場である水田の存在したことは当然考えていたのであるが、それにしても初期の水田は自然の低湿地にバラ播した程度のもので、このような畦畔や水口、水路を有する相当発達した水田が存在していようとは夢にも思わなかった。私は発掘された垂柳の水田跡を見て、東北北部の弥生時代の稲作農耕技術がすでに相当高いレベルにあったことを感ぜざるを得なかった。だいいち北緯40度を超える高緯度の地で、いまから2000年も前から水田による稲作農耕を行っていた処は東北北部以外には世界にその例がないのである。青森県は耐冷性品種のイネが育成された現在でも冷害による凶作に悩まされる年の多い処である。文献的には古代のこの地方は、蝦夷の住んでいたところで、蝦夷は農耕を知らない狩猟採集民であったと言われていた。それが実際には相当発達した稲作技術を持ってコメを作っていたことが、垂柳水田の発掘によって明らかになったのである。これは日本古代史研究上の革命的な発見である。~ (「垂柳遺跡発掘調査」青森県教育委員会 昭和60年3月より)
☆つがるみち☆
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