「広船観音堂」ー津軽三十三寺社巡り28

「広船」の地名は、村落の形が舟の形に似ているところから生まれたともされており、藩政時代には「世界へも洩らさで乗する広船の 弥陀の浄土へ押して行くなり」と歌にも詠まれています。航空写真 を見てみると「うーん・・。」という感じですが、実際に集落内を歩いてみると、確かに両端が山に囲まれており、大きな窪地になっていて「船底」を思わせます。観音堂は坂道を上がった所にあり、小高い場所に建てられています。船の「舳先」といったところでしょうか。また、ここは戦国時代に「広船館」と呼ばれる平城があった場所でもあります。
「廣船神社」と記された赤い鳥居をくぐって行くと、明るく広い境内に至ります。
観音清水 と呼ばれる手水舎は、青森県認定「私たちの名水」にも選ばれています。ひと口飲んでみましたが、冷たく、とてもおいしい水でした。
よく整備された境内には「滝造園」と呼ばれる自然の地形を利用した庭園があります。後ろ側には小さな滝も流れ、周りにはいくつかの祠が建ち並び、どこかほっとするような雰囲気です。庭園内に立てられた「滝造園記念碑」 を見ると、地域の力でこの社が守られていることがよく分かります。
ここは古くから、神仏混合の社として「広船観音堂」、「弘船寺」などと呼ばれていました。境内には「薬師堂」や「稲荷神社」も建てられており、地域の「村社」として崇められているところです。
拝殿の横には、「獅子踊りの記念碑」 が立てられていました。説明書きによると、
ー 大永年間(1521-1528年)に遠野地方から、ここに獅子踊りが伝播され、津軽熊獅子の発祥の地と称される。ー ということで、現在、青森県無形文化財に指定されています。そういえば、ここ平川市は、獅子踊りの伝統が根づいているところで、各地区の保存団体による競演 も盛んに行われています。
↓広船神社境内 ※クリックで拡大します。















さて、観音堂は神社拝殿と並んで建てられています。石造りの鳥居をくぐると、観音堂の由来を記した石碑があります。
本尊は「千手観世音菩薩」。大同2年(807年)に坂上田村麻呂が創建したと伝えられていますが、その後、正長元年(1428年)と慶長10年(1605年)に、それぞれ再建されたともいわれています。この古い歴史を持つ観音堂は、当初から津軽三十三霊場に数えられ、寛延年間(1748―51年)以降は28番札所となり、多くの参拝者が訪れていたとされています。
明治の神仏分離令により、観音堂はいったん廃されますが、古い歴史をもつ「古仏」が失われることを惜しんだ村人が願い出て、千手観音像をもらい受けたといわれています。やがて、広船神社となったこの社に千手観音を祀りなおし、観音堂が再建されたのは、昭和15年のことでした。
由来書きの後ろには、石段が続いており、「聖観世音像」が、お堂へと導いてくれます。お堂は木造、一間四方という小さな建物ではありますが、落ち着きを感じさせるその色合いは、辺りの緑によく溶け込んでいて、参拝する人々の気持ちも安らぐのではないでしょうか。
下を見下ろすと、さっきの観音清水の辺りにマイクロバス。巡礼の方々がバスから降りてくるのが見えます。
ー昔も今も厚い信仰を集めている観音堂です。ー
☆津軽三十三寺社巡り☆
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